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星の屑から  作者: えすてい
第3章 流れ星に祈りを

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第10節 疑惑

 

 雫の重さに葉が頭を垂れる。

 流れていく一粒の水滴が葉脈を離れると、軽くなった反動で葉が上下した。

 直下にあった水溜まりに落ちた雫が、水面を揺らして波紋を広げる。

 次第にその揺らぎを落ち着かせようとする水面は、わずかな震えを繰り返すことになった。

 不定期な振動と衝撃。交わった音が空気を震わせ、水溜まりに伝える。

 引きちぎられた木の幹が倒れ、水面を強く叩く。

 散っていく水の一粒一粒に、薄紫が反射していた。

 喉を潰され声のでなくなった怪物は、四本足で森の中を素早く駆けていく。

 目標を補足すると、折り畳んだ翼を勢いよく開き、前方に向けて魔力を込めて放つ。

 水の玉が膨れ上がり破裂する。すると拡散した刃に変わり、目標ごと森を薙ぎ払っていく。

 私は木々の合間から魔法の軌道を予測し、細かい動きでその全てを躱していく。

 ……あと、もう少し……のはず……。

 あれだけの魔力を放出したのだから、気が付かないはずがない。

 カグヤは湿地となりつつある森を走り抜ける。

 剣を手に怪物の一撃を弾きつつ、湖の近くで勝敗のつかない戦いを繰り広げていた。

 魔力を削りながら一進一退の攻防を続け、水の魔法が打てなくなる瞬間を狙う。

 しかし、予想外にも怪物の魔力量は豊富でしぶとい。中々その隙を見せようとはしなかった。

 それどころか、魔法の幅を続々と増やしていき、私に対する攻撃は苛烈になる一方だ。

 ……早くしないと。

「――ああもう! 焦れったいわね!!」

 カグヤは声を荒らげながら、連続する水の魔法を叩き切っていく。

 こんなことになるなら最初から連れていけばよかった。

 妹のカノンのことを考えながら空中に跳ぶ。

 冒険者には多少の強引さが必要なのだ。カノンはその辺をよく分かっていない。

 自分のことを潤滑油か何かだと勘違いしているが、それは意志の弱さを他人に頼っているだけに過ぎない。

 強者であり続けることの重みを、弱者に対する救済の方法を、カノンはまるで理解していなかった。

 高い音が鳴って私は身を屈めた。

 水平に放射された水圧が根こそぎ景色を変えていく。

 切り開かれた森の中に日差しが突き刺さる。

 私の正面には、全身を顕にした怪物が立ち塞がった。

 上半身は女性、下腹部からは馬の胴体が繋がり、背中から鳥の翼が生え、尾は蛇になっている。

 無表情だと思えた彼女の顔は、どこか怒りを持ち合わせているような気がした。

 私は軽口を叩く。

「随分森を荒らしてるけど大丈夫かしら? あなた、一応ここらの守り神なんでしょ?」

 女性を象る怪物は表情を崩さない。それとも、形だけ取り繕って顔を変えられないのか。

 怪物の左腕が若干の震えを見せた。

 すると反対の右腕で左腕を抑えるように掴みかかる。

 私はその行動に首を傾げた。

 ……左手に何かあるのかしら。

 震えが大きくなると、耳鳴りのような音が脳内を巡った。

 私は不思議に思いながら手を頭にかざす。

 ―――喉は潰したはず……音じゃない……?

 頭に響く声が徐々に確然としたものになっていく。

 私は静かに目の前の化け物を見つめた。

 どうやら聞こえてくる音は人の声のようだ。

「……私を……て……」

 音を聞いた私は剣を握りしめて呼吸を整える。

 この化け物、どういうつもり?

 苛立った様子の怪物は、今や歯ぎしりをしながら痙攣する左手を抑え込んでいた。

 もう一度、声が頭に響く。

 私はその真意を見定めるため、構えたまま静かに待つ。

「………私たちを……ころして――――」

 今度は両手で顔を覆い隠し、前足を畳ませると怪物は前傾姿勢になって顔を下げた。

 私は剣の先をぴたりと止めて動かさず、その動向を見守りながら思案を巡らせる。

 覚醒したはずの"あれ"にしては拍子抜け過ぎた。

 ―――まさか、何者かの力が干渉している……?

 今度は頭を掻きむしり始めると、化け物の動きが激しく早くなった。

 ガクガクと病的なほどに体全体を揺さぶる。

 陰気な気配がカグヤの周りを包み込み始めた。

 尾についた蛇の頭がこちらを睨みつける。

 この時、構えを崩さない姿勢が仇となってしまった。

「―――何?!」

 体が動かないことに一瞬気が付けなかった。

 獣化した部位によって魔法の種類が異なる。今しがた分かった怪物の能力に足元をすくわれ、私は不意の隙を与えてしまった。

 水蒸気が地面から吹き出して辺りを霧が覆う。

 ぼんやりとした怪物の姿が明滅した。

 私は動き出した体に再び力を込めて走り出す。

 待っている余裕はない、今すぐ殲滅する―――!

 化け物の影は霧の中でも動こうとしなかった。

 私の攻撃を迎え撃つ姿勢を取らず、頭を抱えている。

 踏み込んだ水が跳ねるよりも早く、次の足を出す。

 足音と水紋だけを残しながら斬撃の範囲まで近付いた。

 立ち込める霧にわずかな不穏が漂っていたが、二の足を踏んでいる場合ではなかった。

「もらった!!」

 紫に光る剣を操り、人の胴体から馬の後ろ足までを対角線で結ぶように刃筋を立てる。

 流れるような動作で怪物を真っ二つにし、すぐさま標的の方に向き直す。

 手応えはなかった。

 淡く光る剣の輪郭が歪んで見える。

 濃くなる霧の中で、目の前の怪物が弾け飛ぶ。

 同じ質量をもった水だと分かったのはそのすぐ後だ。

 ―――いつのまに分身を……!

 形を保てない水は切られたかどうかを気にせず、重力に引かれて地面に流れ出る。

「ムツ……ミノカ……ミホ……ロボ……ス」

 喉を鳴らしたかのような音で奏でる不協和音。人の声からはほど遠い、似せただけの音の集合体。

 霧が頭上からの風に撒き散らされ周りが晴れていく。空中から覗いたのは、喉を修復させたあの化け物だ。

 翼の後ろに水の輪を背負い、その中心に巨大な水の塊を生成させていた。

 私は周囲の気配を探りながら考える。

 確率で言えば、そう悪くはない。

 ただ、リスクは自分の命だ。

 それを秤にかけるかどうか、判断を下すのは私だ。

「賭けるしかないのね……」

 剣を構えて足を踏ん張る。

 必殺の一撃を受け止めるべく私は怪物を睨んだ。

 今、私のいる霧の中は怪物の支配空間(コントラウム)だ。湿度で満たし水魔法の威力と推進力を底上げする。再び水魔法の祇水嶷(ウンディーネ)を唱えられれば、どれだけ早く移動したとしても回避は不可能。

「さあ、来なさい!!」

 私はできうる限りの声量で叫ぶ。

 こぼれ落ちた運命をその手で掴むために。

 凝縮された魔力の結晶が臨界点を突破する。水の輪が脈動するように震えた。

 眩く水を弾いた銀色の翼を広げ、旧型の殲滅魔法がその真髄を惜しげもなく披露する。

 液体の弾性はその速度とともに飛躍的な硬度を実現し、体積を減らすことによって面圧をも上昇させた。

 自然を体現する原始的な魔術。

 その脅威は現代魔法にも通じるところが多々あった。

 今でも自然を利用した魔法が扱われているのは、少しも突飛なことではない。

 魔法の根源には生物の介入できない自然の摂理、或いは不可侵の領域があるからではないだろうか。

 人々の恐れは、そのまま攻撃魔法にも現れている。

 雨粒にも似た一筋の水滴が円環から放たれた。

 コントラウムの影響を受けた魔法は加速度を増す。

 空中に散布された水の粒一つ一つに呼び寄せられた水滴は、それらと接近するたびに驚異的な速度を得る。

 通り過ぎた瞬間周りの空気は吹き飛ばされ、霧のコントラウムは解除されてしまう。

 だが、それをものともしない亜音速の水滴が、幼い魔族の体へと急接近する。

 いくら冒険者等級二級とはいえ、この速度に反応できる冒険者はいない。

 自認する間もなく魔法は肉体を消し飛ばすだろう。

 いくつかの例外を除いて。

 ―――幼い少女の口元は、微笑んだ。




 ■■◇■■




 大賢者であればこれをどう防いだだろうか。

 あれからなんとなくそんなことを考えてしまう。

 比べるべくもない。

 何故なら彼は未来が見えているのだから。

 だが不測の事態だってありえるだろう。そんな時、時の英雄たちはどう対処したのだろうか。

 光の強さが魔力の強さを物語る。

 輝きが僕の両手では抑えきれないほど拡散していた。

「グッドタイミングね!!」

 親指を立てながらウィンクを決める彼女は、ニッコリ笑顔を僕に見せた。

 ……結構余裕ありそうだな。

 僕は白々と彼女を見ながらそんなことを考えた。

 超高速の水の弾は並みの防護では守り切れない。

 そう判断した僕は、それよりも速い光の弾で軌道を逸らした。

 溜めがない分、威力に自信はなかったが

 どうやら御言葉の力がここで生きてきたようだ。

 カラサイ、君の出番は当分ないかもしれない。

 僕は光が消え去った後、空中を見上げた。

 空に浮かぶ異形の姿を一目見て、それがただの魔物ではないことに気付く。

 身体を形作る構成要素の殆どが魔力であり、姿形はただの飾りでしかない。

 魔力自体が意志を持ち得ているということだろうか。

 そんな話は聞いたことがなかった。

 カグヤは僕の横に並んで告げる。

「ありがとう、助かったわ。あなた、本当に腕が立つみたいね」

 僕は魔力を体に付与させながら返事をした。

「間に合って本当に良かったです。おケガはありませんか?」

 釈然としないが不用意に使った言葉に僕は自省を覚えた。

 染み込んだ癖は中々直すのが難しい。

 カグヤは気にした素振りを見せず自信満々に語る。

「ええ、あの一撃以外、そう躱すのは難しくないわ」

 さすがは二等級冒険者なだけはある。

 現に彼女はかすり傷一つ負っていないように見えた。

「来るわよ!」

 すかさず声を上げるカグヤの視線の先、再び霧を発生させて視界を奪う怪物の魔法。

 僕は警戒しながらカグヤに問いかける。

「"あれ"は何なんですか?」

 上空に魔力の塊が複数出現した。

 構えたままの彼女は、僕の想定を超える答えを出す。

「"魔神"よ。そうじゃなきゃ、説明がつかないでしょ」

 僕は打ち出された水の魔法を避けながら、以前読んだ大陸の歴史書を思い出した。

 今から数百年前に存在した古の魔物。魔王討伐後に北部への人類進出ができなかった理由。

 地面を抉る水圧の元を断つように光魔法を放つ。

 視界でぼやけた魔神の姿が揺らいで消えた。

「後ろ!!」

 カグヤの剣が怪物の魔法を弾きかえす。僕は幻影に向けて魔法を撃ったようだ。

「この霧、魔力の探知が効かないようね、気を付けなさい!」

 僕に背を向けながらカグヤは言い放つ。

 冷たい空気が水分を含んで広がっていく。

 僕らは互いに背を向けながら前後を警戒する。

 魔神の攻撃がどこから来るか察知できない。

 カグヤは辺りを伺いながら言う。

「そういえば、ルリって子はどうしたのよ。一緒じゃないの?」

「全速力で僕だけ来たので、後から追いつきます」

「なにやってんのよ! 二人で旅してるんなら、一緒に行動しなきゃ意味ないじゃない!」

「それはお互い様ですよ! 妹のカノンさんはどうしたんですか!」

「私たちは問題ないのよ! それよりカノンは―――」

 カグヤの正面から高水圧の魔法が打ち込まれる。

 彼女の足元の水が跳ねた。一瞬にして、少女の姿が見えなくなる。

 僕はその疾風の如き速さに驚いた。

 姿勢を低くしたまま駆け抜け、数多の魔法を躱していく。

 水面に残った切り株を踏み台に、高く跳躍した。水滴が煌めいて彼女の髪と同じ色を映す。その華麗な体捌きが見るもの全てを魅了する。

 剣先を器用に回転させながら、怪物の放った迎撃用の魔法をはたきおとす。

 頭から振り下ろされたカグヤの一撃を、怪物は両手で受け止めた。

 その衝突凄まじく、渦巻いていた霧のベールは瞬く間に吹き飛んでいってしまう。

「―――今よ!!」

 彼女の背後、影に隠れるようにして僕は魔法を唱える。

 光が手のひらに集まり、光源となっていく。

 薄紫の髪色が眩しく照り返し、その頭上から溢れんばかりの後光が差す。

 水を払った空気に虹の輪が見えた。彼女の頭を中心に、魔神を照らす。

紫水晶の光(ジストレーゲン)!!」

 放った光が紫の色を纏わせながら螺旋を描く。

 宝石のような内に秘めた光の結晶が、一気に突き抜けた。

 翼を広げた魔神はカグヤの剣を受け止めつつ、水の魔法で僕の攻撃へ即座に対応する。

 だが、迸る光の魔力に押され、徐々に魔神の魔力は散らされていく。

 水の膜を叩き割り、本体に光が差し込む。

 崩れゆく体の一部を無視して、魔神は一息に叫んだ。

 弩級の咆哮に圧倒された僕の体は、ジリジリと蝕まれる。

 防御できない状態でどれだけ持ちこたえることができるだろうか。

 気の狂いそうな音の波動に晒されながら、僕は視界の端、微かに花びらが舞うのを見つけた。

 否、あれは花弁ではない、閃光に紛れた一筋の藤色。

 音波と魔法がぶつかり合う衝撃の中で、その軌跡が揺れる。

 この環境下、信じられない速度で進むカグヤは、強力な魔力にあてられその身を削りながら踏み込んだ。

 魔神の懐に潜り込み、喉笛に剣の切っ先を突き立てる。激しい彼女の発声が咆哮の隙間に聞こえた。

 発語器官を断裂させられた魔神が血のような体液を流す。それでもなお、ひたすらに抵抗の意志をみせる。

 カグヤは間近で咆哮と衝撃をくらい、剣の柄から手を離し吹き飛ばされていく。

 僕はそんな彼女に応えるべく、魔力を込め直す。

 防護を司っていた魔法陣が砕け散り、魔神は光に包まれた。

 地を這っていた水分が、すべて弾けて霧散する。直撃した地面を破壊し、土砂もろとも薙ぎ払った。

 瞬間、強い光が消えて視界がふわりと和らぐ。淡く立ち上った残滓が幻想的に空へと向かっていく。

 魔神の姿は消失し魔力の欠片さえ見当たらない。

 穏やかな空と水を弾く森の木々だけが輝いて見えた。

 僕は急いでカグヤのもとへ駆けつけるが、彼女は興奮気味に声を上げた。

「すっっごいじゃない!! あんな魔法使えるなんて、聞いてないわよ!!」

 彼女は勢いよく僕に這い寄り近付く。

 僕は若干、身を引きつつ答える。

「え、ええまあ……」

「私も百年以上生きてきたけど、あんな魔法初めてよ! 光の魔法使いって本当にいたのね……!

 来てくれて助かったわ。剣一本だとどうしても仕留めきれなくて……」

 驚き、関心、喜び、安堵、様々な感情を彼女は一度に表現しようとする。

 今までこんな人には出会ったことがない。

 ましてやそれがエルフだなんて、ジジに話せば驚くかな。

 深く息を吸って吐き出すと同時に肩の力を抜く。

 なにはともあれ無事でよかった。僕は胸を撫で下ろす。

 ぴちゃぴちゃ、と水を踏む音が背後に聞こえた。

 振り返った僕とカグヤは、別の思考を始める。

 そこには一人の青年が立っていた。


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