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星の屑から  作者: えすてい
第3章 流れ星に祈りを

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第8節 母を求めて

 

 あの日は収穫祭が始まる前の冷たい風の吹く涼しい日だった。

 瑞々しさの際立つ果物が甘い匂いを漂わせる。僕は熟れすぎたものはあまり好みではなかった。

 畑には収穫を待った葡萄が一杯で、所々に白い粉をその身に纏っていた。

 低木のツルから垂らされた濃紫(こむらさき)の粒を掴み、枝の下を切断するとカゴの中に詰め込んでいく。

 収穫された実のほとんどは醸造酒となり、厳しい冬を越すために保存されやすい形に加工される。

 干して乾燥させ日持ちさせる方法もあるが、あまり人気があるとは言い難い保存方法だった。

 もちろんそれだけでは食料が尽きてしまうので、動物や魔物などを狩って越冬の準備を行う。

 この村が誇るべきものは大人たちが毎日飲んでいる葡萄酒だけではない。

 葡萄の甘い香りは果食動物たちを(いざな)うことができ、鳥類の取り方を知らない村人は居ないほどだ。

 渓谷に巣を作り群れ単位で動く彼らは格好の獲物だった。鳥料理なんかは嫁入りの必須技量として盛り込まれている。

 焼いた肉から葡萄の香りが漂えば、それはどんなに器量のいい良妻であるか。

「ハオ! 手を止めるでない!」

 納屋の手前、椅子に腰を下ろした父親が僕に向かって一喝した。

 僕は顔を向けて目を細くしながら返事をする。

「はいはい」

「なんだ、その態度は」

 父親は汚らわしいものを見るように顰め面を崩さない。

 その言い方、傲りがたまらなく嫌いだった。

 無視して僕は横を向き、次の房を摘んで中止していた収穫を続行する。

「ハオ!」

 父親の憤りを鼻で吸い込み、僕は思い切り口で吐き出した。

「なんですか、言われた通り手を動かしています」

「お前はいつもいつも……!」

 物心ついたときから母親はいなかった。

 幼い頃はそれがどうしても解せず癇癪を起していたが、大きくなるにつれ自然と寂しさはたち消えた。

 その代わり、同じ血という忌避しがたい現実が、膨れ上がっていく父親への憎悪を強くしていった。

 村を守り抜いた神、その血を引く家系。受け継がれた強大なる力は代替わりしていく。

 この男が村の中で最も権力を持つのは、そんな由来があるからだ。

 村長としての命運を生まれながらにしてその身に宿し、この村のあらゆるものを(ほしいまま)にしてきた。

 そんな男が動かせない憂慮すべき事案は一つだけだろう。

 長子たる僕が何も持たずに生まれたことだ。

 鋭い爪で引き裂かれた背中がどす黒く血塗られる。

「―――っ!!」

 僕の短い悲鳴と獣の荒い鼻息。

 這いつくばる僕の背中に父親は罵声を浴びせた。

「この出来損ないが! お前のせいでいつも恥をかかされる!!」

 甘い匂いに混じった動物の強い獣臭。生を欲さんとする者ほどその臭いは強い。

 そうか、だから果物なんか作っているのかもしれない。

 僕は村から少し離れた私有する畑の上でそう思った。

 臭いを紛らわせるための伝統的な村の農作物は、いまだかつて誰もその歴史に疑義を持ったことがない。

「少しはメイユイを見習ったらどうだ! 獣人化もまともにできない不義理者めが!!」

 踏みにじられた僕の背中には、昨日今日できたものではない無数の傷跡が浮かんでいた。

 この男にいたぶられた傷だらけの体。他の村人は知らない実子に対する強い憎しみ。父親はなんの素質もない僕を忌み嫌った。代々続く家系の責務や期待も全て背負わなかったから。

 あの男は他の嫁も取ろうとせず、僕ら以上に他の子どもを作らなかった。

 だからこそ小さな怨嗟の輪は回り続け、僕たち父子は互いに互いを恨みあう関係になったのだ。

 非力で抵抗もできない子ども相手に、これほどの仕打ちをできてしまう。そのくらいにはこの男は狂っていた。

 暇つぶしと日頃の鬱憤を晴らすべく、外からは見えない箇所に傷をつけられる。

 反吐が出るような笑顔を見せ、外面だけは達者な父親。村では皮肉にも、家族同然のように皆と仲が良い。この小さな村落で彼を残虐と信じるものはいないだろう。

 だから僕は何も言わないし、妹も何も知らないままだ。

 後継を残すためだけに生かされる種親としての命。獣になれない僕は村の外にだって行けやしない。

 農場から離れると傷口が癒えるまで部屋に軟禁され、僕は外から聞こえる会話に耳を傾けていた。

「母さん、今日はオレがこいつを仕留めたんだ!」

「なに言ってんだ、父さんがトドメをさして、お前は逃げ道を塞いでいただけだろう」

「まあ、いいじゃないですか。偉かったね、よく頑張ったわ。母さん、嬉しい」

 僕は膝を抱いたまま薄く目を開けた。

 母親がいれば……そんな妄想を何度しただろうか。

 記憶の中に存在しない母という存在。メイユイからは全く面影を連想することができなかった。

 シュエの父、コウクから話を聞いたことがある。

『お前の母ちゃん、凄いべっぴんでな。そりゃあ、村中の男どもは必死に取り合ったもんだ』

 鼻を鳴らす何故か自慢げなコウク。

 横からシュエが彼に対して口を挟む。

『お母さんに言いつけるよ』

 コウクが無造作に腕をのばし、柔らかなシュエの両頬を鷲掴みにする。

 コウクの腕を掴んでもがきながら、幼かった彼女は必至に抗議していた。

『なにふんのよー!』

 ジタバタとするシュエを他所に、コウクは笑いながら僕にこう言い放った。

『みんなにはこの話は内緒だ。一回しか言わねぇからよく聞け』

 真っすぐにコウクを見つめていた僕に、怖い顔を一瞬破顔させて彼は告げた。

『今も生きてりゃ、お前をたんと可愛がったと思うぜ。あいつはそれだけ、愛情深かった』

 父親のいない間にしてくれた唯一の昔話。それ以外、村で母親の話を聞いたことがなかった。

 傷付いた背中の肉を丸めて膝を抱く力を強める。

 そして僕はそっと呟いた。

「お母さん……か……」

 寂寥感(せきりょうかん)が走った頭の中に、とある考えが閃いた。

 唐突に思い浮かんだ湖までの道のり。

 何度か父親に連れられて足を運んだことがある。

 カイやシュエにだって話したことはない秘密の抜け道。

 僕らの世代はショウフウ様の存在を信じてはいない。

 ただ、なんとなく、言われるがままに掟を守らなければショウフウ様がお怒りになる。村八分になりたくない者は皆それに従う。僕はなんだか不幸になるおまじないみたいだと思った。

 父親の許可なく立ち入ってはいけない。そう厳しく言い聞かせられてきた村の掟。

 だけど本当に、気まぐれだったんだ。

 風が吹いて木の葉が散り、戸の隙間をすり抜けて寝ている人間の頭の上に乗ってしまう。

 そんな偶然が重なったような思いつきと行動。突き動かされる衝動に僕は抗えなかった。

 今まで守ってきた"何となく"を打ち破ってみたい。

 ……ショウフウ様に、会ってみたい。

 疼く背中をそのままに、日の落ちた夜の村を飛び出した。

 今まで父にはたてついてきたが掟を破ったことはなかった。

 柵を飛び越え闇の中に消える。明かりを持った村の警備が背後、遠くに見えた。

 夜警の主文は外からの襲撃に備えたものである。

 一人の子どもが外へ出るなんて、考えもしないだろう。

 夜になるとたちどころに気温が下がる。生ぬるい風から生気を搾り取るような冷風へと変わった。

 全速力で森を駆け抜ける。木々の隙間から青く光る月が覗く。

 無我夢中で走っている間だけは、何も考えずにいられた。村のこと、父親、母親、友達、妹、シュエ。

 僕には自分の生き甲斐というものが思い浮かばなかった。みんなが持っているような自らを象徴する特異な何か。当たり前のように享受したそれらを僕だけが持ちえない。

 父親の言う通りだと思うと、心底堪らなくなった。

『兄さん、見た目はモテるからね』

 意図せずメイユイは言ったのかもしれない。

 何も知らない妹は何故だかこんな兄でも慕ってくれていた。

 引き継げなかった力のことなんて関係ない。憎まれ口を叩きながらも、妹が僕を否定したことはなかった。

 だけどみてくれなんて表層の一部分でしかない。僕の体は、誰も知らない傷で溢れているんだ。

 その傷を見て、僕を持て囃す女たちはどう反応するだろう。兄想いなメイユイは、どんな顔をするだろう。

『けっ、見た目で判断するような女なんて、こっちから願い下げだっつーの! そうだろ? ハオ』

 そう言うのは、幼なじみのカイだった。一つ言われれば二つの悪態をつく。へその緒と一緒に切り落とせなかった悪癖中の悪癖。カイはそれを言われて誇らしげだったかな。

 あいつは真面目なのにいい人ぶろうとしない。善人になることを心から拒んでいた。曲がったことや間違ったことが嫌いで、でもそれを正すのは俺らしくないと言い張る男だ。

 毒を以て毒を制す、あいつはそういうのが好きなのだが、僕は毒になりきれないよころがあいつの良い所だと思っている。

 曖昧に笑った僕を見てシュエは独りごちた。

『人を好きになるってなんなのかなぁ……みんなは好きになった人なんているの?』

 不思議な雰囲気を醸し出す彼女は、一瞬の内にその場を凍らせた。

 今思えば吹き出してしまうような場面だったのだが、シュエはそれにすら気がついていないだろう。

 大きな瞳を輝かせて返事を心待ちにしている。それが彼女の持つ最大の愛嬌でもあった。

 しばしば彼女のもつ絶大なる行間の圧殺技によって、苦い思いをした人々は少なくないはずだ。

 悪気があってしていない分、相当にたちが悪い。だがそれを咎められる人物はどこにもいなかった。

 気の強いメイユイがそんな彼女のそばにいるのなら、なおさらシュエはマイペースに人生を歩むことだろう。

 そうなって欲しい。

 そうあって欲しい。

 僕の代わりに素晴らしい彼女の人生を謳歌してもらいたい。僕は彼女の幸せを心から願っていた。

 それを想うだけで淀んだ気持ちが押し流されて、すさんだ心がどうしてか洗われるような気さえする。

 洞窟の中を手探りで抜け外へ出ると、夜空に星々を従えた大きな月が目に飛び込んできた。鏡面に反射し上下へ分かれた星空。どこまでも続く一面の景色を、瞬きも忘れて見入った。

 赤い星、白い星、それぞれの色で輝く無数の煌めき。星は自分たちが何者なのか知っているのだろうか。陽の光が途切れた深い闇の中にいて、どんな光を放っているのか、知っているのだろうか。

 無音が支配する湖の畔で一人、僕は一歩も動けないまま立ち尽くしてしまった。それは絶景に見とれて動けなくなったわけではなく、走り疲れて足が動かなくなったわけでもない。

 波の一つも立たない真っ平らな水面。囲まれた森林は葉の一枚さえ動かさない。

 能力を持って生まれなかった自分自身を最初に卑下したこと、それは今でも覚えている。

 こんな自分を生んでいってしまった。僕を置いて、いなくなってしまった、母親。

 足りないのは、持ちえないのは、僕の所為じゃない。全部、全部、何も残してくれなかった、あなただ。

 なんで傍にいてくれないの、なんで僕を一人にさせたの。生きていくということは恐ろしいことなんだよ。僕は何もできないし、何の役にも立たない。ただ死んでいないだけの無意味な命。

 中途半端な己を呪って、悔しさで頭を一杯にした。その気持ちはいつまでも消えることはない。

 僕は涙をのんで、膝をついて土を握りしめる。

 誰もいない場所に向かって声を震わせた。

「お母さん……会いたいよ……僕を……愛してよ………」

 異性に声をかけられるたびに自分の存在が揺らいだ。彼女たちは求められれば僕を愛してくれただろう。

 甘い言葉も、表情も、全て君のものだと囁けば、簡単に手に入れられてしまう手軽な愛。

 その薄っぺらの愛が喉から手が出るほど欲しいのに、心のどこかが邪魔して、受け入れられなかった。

 手に入れようともがくほど、心が裂けるような痛みが走る。そんな高尚な哲学が自身に染みているとは到底思えない。

 だけどそれを受け取ってしまえば、後戻りできない底なしの沼に陥ってしまいそうだった。

 愛に飢えているが故に愛を拒む僕の矛盾が、内側からこの身をズタズタにしていく。

 こんな僕でも包み込んでくれる無償の愛こそが、どんなに望んでも手に入らない理想だった。

 地につけた頭に地面の冷たさが伝わってくる。

 手に入らないものを希求するのにはもう疲れた。諦め、そう諦めこそが、僕の人生なんだ。

 真っ当な生き方を捨てて父親に飼殺される。

 それこそ無能が唯一生きていくための手段なのかもしれない。

『今も生きてりゃ、お前をたんと可愛がったと思うぜ。あいつはそれだけ、愛情深かった』

 コウクの言葉をなぞる。

「今も生きてれば……なんで、死んじゃったんだろ……」

 誰も口にしたがらなかった母親のこと。

 村では毎年のように収穫祭を行う。翌年の吉兆を占いその答えを神にお示しいただく。

 僕はその内容について父親からは何も知らされていない。

 心臓が脈打ち、力強い熱が胸を締め付けた。

 ……待て、何故今まで疑問に思わなかったのだろう。

 社の戸が開き中から一枚の御札が姿を見せる。

 そういえば、村の吉兆とは一体何なのか。

 耳鳴りのような高い音が湖の方から聞こえてくる。

 単なる儀礼としてしか捉えたことのない祭の神事。ショウフウ様のご神体がある場所を、何故か村人は知らない。

『みんなにはこの話は内緒だ。一回しか言わねぇからよく聞け』

 僕の母親の、内緒の話。

『お母さんに言いつけるよ』

 自分の父親が他の女性を褒めたから、シュエは告げ口しようとしたんじゃない。

 母親は村人から好かれていたのにもかかわらず、口外されたところを一度も見たことがなかった。

 僕も勇んで聞こうとしなかったのは、物心着く前からそういうものだと思っていたからだ。

 村で決まっていた暗黙の了解を無視した父親を、シュエは(いさ)めようとしたんじゃないのか。

 悪い夢から覚めていくような気がして、喉元がすっと冷える感覚に襲われた。

 そして耳に飛び込んできた静寂を破る音。

 ……声……声だ。

 わずかに響く水中からの呼び声。

「――ハ……オ……」

 繋いだ音が自分の名前だということに驚き、身を大きく仰け反らせて尻もちをついた。

「シ、ショウフウ様……!?」

 不思議な呼び声は音という感覚からかけ離れている。

 頭の中で鳴らされているかのような不可解な現象。

 そして再び聞こえてきた声に僕は一瞬言葉を失う。

「……ハオ……なのね……あぁ、良かった……。あなたに会えるなんて……嬉しいわ…………」

 優しい口調、女性のしゃべり方。僕の名前を呼ぶ親し気な口ぶり。

 村で僕のことをそんな風に呼ぶ人はいない。会ったことがない。口をきいたことがない。

 ――まさか、そんなことがありえるのか。

 僕は身を乗り出し叫んだ。

「お母さん! お母さんなの?!」

 応答するように、さっきよりも強く、はっきりとその声は頭の中で反響した。

「えぇ、そうよ……大きく……なったのね……」

 困惑する心が、抑えきれない興奮と嬉しさでのまれていく。

 信じられない気持ちで胸が張り裂けそうだった。

「お母さん……どうして、どこにいるの!? ……どうして、いなくなったの……?」

 辺りを見回しながら告げた僕の声に、母親は声のトーンを落とし答える。

「ごめんなさい、村のために、それしかなかったの……」

 村の為……?

 それはどういう―――。

「ハオ、よく聞いて……この村から……去りなさい。あなたは……ショウフウ様の―――」

 今度は言葉の先が途切れるほどの高音が激しく鳴った。

 僕は頭をおさえて再び地面に(うずくま)る。

 耐えがたい痛みの中、聞き取れた母親の言葉を反芻した。

 意味が分からない、村を去れ……?

 耳鳴りに似た音がやがて静かになり、風も吹かない沈痛な森に取り残された。

 僕を呼ぶ声もいつしかおさまり、無音が広がっていく。

 さっきまでのは僕の幻聴……?

 僕は、おかしくなってしまったのか……?

 風のない湖畔の冷たい空気が肌に吸い付いた。冷や汗が全身を濡らし僕は身震いする。

 奇妙な現象に立ち会ったことで意識が交錯していく。

 何も響かなくなった夜空の下で鏡面の境目を見つめた。

 ―――二つ、分かったことがある。

 母親の失踪は、ショウフウ様と繋がりがあった。そして。

 涙を拭った僕は湖を睨みつけた。呪いをかけるようにじっと、余念を頭から締め出して。

 ―――お母さんは、望んで消えたわけじゃない。

 胸の内から憎しみの炎が瞬く。

 動くはずのない水面が、揺れた気がした。


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