第6節 クィーラと秘密の通路
「あ! ありました!」
女の子の話を聞いたあと、クィーラは通路の捜索を開始した。詳しい場所を女の子に何度か尋ねるも、彼女は怖くて覚えてない、の一点張りだった。
つらい思いをした子ども相手にそれ以上聞き出すのは憚られたので、差し当たってクィーラは思い当たる場所を推理することにした。
ルールエはこの辺りでは一番大きな街だ。彼女が言ったような噴水と橋は割とたくさんある。しらみつぶしにすべてを探し回っていたら、何日かかるか分からない。
小さな子どもが活動できる範囲に絞ってクィーラは根気よく歩き回り、その甲斐あってか程なくしてめぼしい場所を探り当てることができた。
クィーラの見上げた方向には大きな広場がある。その中心、美しい彫刻が施された見事な噴水があった。広場は細い路地が幾つも繋がっており、クィーラが立つのはその一本に架かった小さな橋だ。
桁下空間は案外人目につかず、手入れされていない雑草や水草が野放しになっていた。
クィーラは茂みをじっと注意深く観察する。
人間が踏み越えたような跡が草の茎を折っていた。
ここだ。
手に持った錫杖を引き寄せる。
何者かがここに立ち入っている痕跡。
だが、肝心なのはその先だ。
生い茂った背の高い雑草を魔法で横にどかす。開けた通路の奥に、小さいが確かに扉が隠されていた。
近付いて耳を澄ませるが、声は聞こえてこない。あの女の子が聞いたのは、間違いなく人の声だろう。
誰かが中で囁いた言葉が反響して彼女の耳まで届いたのだ。
『次はお前だ』
何かとんでもない不穏な空気に背中がピリつく。クィーラは手をかざして付近の警戒を行った。
罠がないことを確認して、取ってに手をかける。
扉はあっさりと開き、簡単に中へ入ることができた。通路内は人一人が通れるような道幅で、松明は無く真っ暗だ。
奥から、笑い声が聞こえた気がする。
持参した燭台に火をつけ、あたりを照らす。派手な魔法は探知される恐れがあった。
灯火で周囲の景色が浮かび上がると、クィーラは前へ進み始めた。
荒い造りの土壁に、細く頼りない木の柱が打ち込まれ、じめじめとした空気が肌を覆うように吸い付く。
街の喧騒は遥か遠くに感じられ、この空間だけがしんと静まり返っている。
少し行くと、階段が見えてきた。
クィーラはゆっくりと下っていく。
ルールエにこんな地下への入口があったなんて、よく出入りしていたのにまったく知らなかった。
「ひゃっ!」
道の脇を突然鼠が駆け抜けていった。驚きで心臓が跳ねる。
「なんなの、もう………」
独り言を呟きながらクィーラは考えた。
こんな通路、一体誰が何のために作ったのだろう。
階段が終わると、少しだけ広い通路にさしかかった。左右には道が分かれており、道の先は暗くてよく見えない。
さっきから道が狭く荒すぎる。明らかに公のものではない。非常用の避難経路でもなさそうだ。
これほど大規模な通路を誰にも知られず掘削できるとすれば、組織的な力の陰謀を感じざるを得ない。
クィーラはふとわずかな風を感じた。
右側から来た空気が後ろに突き抜けていく。
誰かが右側通路の先にある扉を開け、外の空気が押し出されたみたいだ。耳を澄ませても何も聞こえない、他の誰かが入ってきた様子はなかった。
洞窟のような空間に人が長時間入っていると、呼吸が苦しくなり窒息してしまう危険性がある。
そのため、洞窟内には空気穴を作り、新鮮な空気を送り込まなければならない。今通り過ぎた風の強さから考えると、左側通路は小さな空気穴か袋小路の可能性が高い。
どのみちすべてを調査する予定だったのだ。この通路の意味と、それ見出した者を。
クィーラは口を引き結ぶと、気配を殺しつつ左の通路を慎重に進む。
風の流れが読めない淀んだ空気に支配された空間。詰まるような閉塞感を感じずにはいられなかった。酷い臭いがする。汚物、糞尿を混ぜ合わせたような激臭。
農村部ではよくあることだったが、下水道と繋がっていたりするのだろうか。いや、それはない。
彼女は眉をひそめた。
血の匂いがする。
鳥肌が立ち肩を抱く。
この先に、一体何が……?
握る手を強め、錫杖をしっかりと構え直す。
しばらく進むと、通路の脇にいくつかの扉が見えてきた。何者かがここに巣食っているのは明らかだ。
橋の下から通じる隠されていたあの道は、この空間へ至るための出入口だったのだ。微かだが、布のすれる音が聞こえた。
耳を済ませる。
扉の奥から話し声が漏れ出た。
「本当にやっちまってもいいのかよ」
「もうこいつらは用済みだ。ボスに殺される前においしいところだけ頂いちまおうぜ」
「――っ!!」
下卑た男の笑い声と、声にならない叫び声が重なる。
「お前は娘、俺は嫁だ。安心しろって、あとで交代してやるよ」
「ヒヒ、恨むんなら旦那を恨めよ。コソコソ嗅ぎまわりやがるからこうなるんだ」
笑い声と布が裂かれる音。何かが激しく倒れ、悲鳴が聞こえる。
考えている余裕はなかった。
気が付くと、クィーラは扉をぶち破っていた。
「――あ?」
ボロボロになった半裸の女性。馬乗りになり頭を押さえつける男、二人。
砕け散った扉の破片が室内に散乱する。
男の一人が唖然とした態度を裏返し、声を荒らげた。
「お前どうやって――!」
「――串刺」
言葉が終わる前にクィーラは魔法を唱えた。
「ぐぇっ?!」
標的に向けられた錫杖の先から、魔法の棘が飛び出し男の腹に突き刺さった。そのままの勢いで壁に叩きつける。
「てめぇよくも!!」
もう一人の男が机にあった短刀を掴み立ち上がった。
切っ先をこちらに向けて走り出す。
間合いは数歩。
接近戦の距離、ナイフの鋭利な刃筋が光る。
杖を持った魔法使いは、接近戦では無力。それが世界の常識、覆らない事実だった。
だが、常識はあくまで"常識"だ。
魔法の詠唱は終わり、裁きが下される。
「ぎゃっ!!」
突然、天井から落ちてきた棘の魔法は、男の背中を貫通し地面ごと貫いた。
短刀が持ち主の手から離れ、鈍い音とともに転がる。
クィーラの冷めた目つきが二人の悪漢を睨みつけた。
通常、触媒を使った魔法の使用は、魔力を伝える過程で略式魔法の約二、三倍の時間を要する。
しかし、クィーラには生まれつきの才能、"スキル"があった。それにより、触媒を伝わる時間が大幅に短縮されていた。
速さに加えて彼女の触媒魔法は、純粋な略式魔法の比ではない。
精密な魔力の操作と成形を可能にする繊細さ。多量の魔力をいとも簡単に強力な魔法へと組み込む大胆さ。
冒険者等級四級をも凌ぐ実力があることに、彼女自身、気づいてはいなかった。
冒険者全体の七割が五級以下であることや、魔術師が抱える単独行動のデメリット。それらを差し引いたとしても、クィーラの魔法使いとしての腕は圧倒的な強さを誇る。
意識を失った男二人を放って、女性二人に駆け寄る。口に巻いてあった布と手枷足枷を解いた。
「お母さん! お母さん!」
娘は泣き出しながら母に抱きすがり、母親はしっかりと娘の肩を抱き寄せた。
二人の安否が確認できたのか、クィーラは微笑みながら胸を撫で下ろす。
突然のことに当惑していた母親はクィーラの笑顔を見て自然と笑みを返した。
「ありがとうございます。本当に――」
母親が何か言いかけた瞬間だった。
ずしん、と地下全体が揺れ動いた。明かりが点滅し、天井から砂が落ちてくる。
クィーラは咄嗟に守りの魔法を三人の頭上に広げた。
地上でなにか起きたみたいだ。
「とりあえず、早くここから出ましょう」
クィーラはそこらにあったシーツを掴んで母子に与え、先導して地下から脱出した。
振動は一度で収まり、通路も崩落はしなかった。
さっきの地鳴りはなんだったのか。
クィーラたちは急ぎギルドへ向かう。
鳥肌を立たせた悪寒が、収まることはなかった。




