第3節 口下手な子どもたち
巨大な岩石を打ち砕くと、中から光が零れた。
咄嗟に後ろへ身を引いて距離を取ると、光は一斉に爆発した。
「気をつけろ、食らったらただじゃ済まないぞ」
右半身が氷漬けになっているにもかかわらず、残った可動部を駆使して攻撃を重ねてくる。
フェルドールとも呼ばれる山地を生息域とする魔物。岩肌に擬態し獲物を屠り、凶暴性も天井知らずだ。体内に溶岩を溜め込むことができる個体もいるらしい。
僕の目の前にいる、まさにこいつがそうだ。
熱で歪んだフェルドールの姿を見ながら隙を探る。硬い皮膚で覆われた胴体の内側に、弱点の核があった。
身体から熱を放射し氷を溶かしていく。
動きは遅いが、体の一部を飛ばす攻撃は速度が出る。
一瞬の油断が命取りになる戦いの中で、僕は御言葉の力が上手く引き出せないでいた。
「来るぞ!」
ルリが声を上げると同時に、フェルドールが構える。
岩と岩の隙間から高熱の溶岩が吐き出された。辺り一面を溶かしつくし地形を変える豪胆な攻撃。肌を焼くような熱量が、僕らに襲いかかる。
フェルドールは胴体に付随する小ぶりな岩を発射した。掻い潜る僕らの足元はじゅくじゅくに溶けている。
このまま防戦一方だと溶岩に道を塞がれ、逃げ場を失い動けなくなってしまう。
光を纏った僕は空中を高速で移動しながら接近する。刀身のない柄を握りしめ、力任せに振り抜いた。
連結していた脚にあたる部分を切ったつもりだったが、傷は浅く大した損傷にはならなかった。
フェルドールのまき散らした小粒の岩が再び爆破する。
間一髪、氷の壁がその衝撃を阻んだ。
「おい、あまり無茶はしないでくれ」
ルリは強い口調で僕を非難した。
手にした魔導具に視線を落とす。なんとも情けない姿だ。光が刃となって伸びているが長さは指先ほどしかない。
モーガンスとの戦いで真の実力を発揮したこの魔導具は、光の魔力によってその刃を顕現させた。
かつての王宮に仕えし附与者が作った伝承の刀。それは、光の魔法使いにのみ許された幻の武器だった。
長年にわたる紛争の歴史、その渦中にあってなお、失われることなく人の手に渡り続けてきた遺物。
"光魔刀"と呼ばれたこの刀は、神々しい光の太刀筋で魔物を次々と打ち払ったとされる。
現に、こんな短い切っ先ですら、フェルドールの硬い外殻に対して傷をつけられた。
しかし、それが何の意味もなしていないことも、悲しいかな、僕は受け入れるしかなかった。
あの日以来この刀は全くの真価を発揮できないでいた。
その原因は僕の未熟さゆえであるのは百も承知だ。御言葉を極限まで突き詰めなければ輝けない。僕の限界を推し量る、ものさしであるかのようだった。
ルリの燦然たる氷が岩肌を粗く削りながら、動きの鈍いフェルドールを囲い込む。
溶岩を内包する外殻を冷やすように、渦巻状の氷山が表出されていった。
纏わりつく氷を砕くために炸裂する岩を放ったフェルドール。自身の内に溜まった熱を外へ溢れさせた。
赤い溶岩がみるみる氷を溶かし尽くす。蒸気が吹き上がった。
フェルドールは拘束を解くように腕を乱暴に振り回し、脆くなった氷を薙ぎ払う。
「今だ!」
ルリの声に合わせて僕は光の槍を解き放ち、フェルドールの体へ狙い打つ。
本来であれば固い皮表に弾かれてしまう僕の魔法は、岩の体に深々と突き刺さり、核ごと貫いて飛び去った。
体温を上げたことによって頑強だった外殻は溶けだして、本来の強みを失っていた。
氷に強い熱の魔物も、ルリにかかればお茶の子なんとやらだ。
地面にまき散らされた溶岩が黒く固まっていく。
生命を担保する核を失ったフェルドールは、自身の熱によって保てなくなった体をだらりと変形させた。黒くなった燃える体が地面に横たわると、それが元々魔物だったとは誰も思わないだろう。
結晶の杖を虚空に消すと、ルリは僕に告げた。
「……魔道士君、危ないことはしないでくれ」
僕は何となく目を向けられず、俯いたまま小さく返事を返した。
彼女は僕を批判しているわけでも怒っているわけでもない。
はっきりしない僕の態度に戸惑っているだけなんだ。
御言葉として旅を始めた僕とルリは、アルディア地方の北東部である険しい山脈地帯にいた。
アルディア地方とは、大まかに大陸中央部のことを指す。中央都市国家ロキはその大部分を占めていた。
西には大海原広がるケアノス海があり、南は乾いた土地であるガーミッド地方へと繋がる。
北は言わずもがな魔王領へと至るジョルム地方が続き、僕が旅立ったリベクスト王国は東部に位置していた。
ペンタギアノ第五師団率いるヘルメルの追撃を躱し、霊峰の臨む山脈へと僕らは歩みを進めている。
だが油断はできない。追手はあのペンタギアノだ。僕らが祖竜教国に入ることは何としてでも阻止したいはず。
彼らに追いつかれる前に、僕らはこの山道を越えなければならなかった。
黒い大地は未だ熱を帯びている。わずかだが草木が燃えて焦げ臭い匂いが充満していた。
景色と完全に同化してしまった骸を見つめ、とある本に書いてあった内容を思い出す。
フェルドールの討伐難度はかなり高い。連峰に生息する魔物の大半はこれに準拠するだろう。並みの冒険者では立ち入ることを許されない、異界と恐れられた場所。それがこの霊峰連なるアルディア山脈だ。
どうしてこの土地に凶悪な魔物が集うのかは、多くの説が流布されていた。
原因となる書籍をざっと読んでみたものの、信頼性に足るかと言われれば半信半疑なものだった。
少し気になる点がないこともないが、急ぎの旅路に好奇心による調査は無用の長物だ。
いつかそれが究明できれば心のつかえもとれるだろう。
その"いつか"が訪れるかどうかは定かではなかったが。
「……君は、随分と皮肉屋なんだな」
心を見透かされたようなルリの言葉に、僕は一瞬どきりとしてしまった。
「ど、どういう意味ですか?」
しどろもどろに僕は尋ねる。
ルリは風になびく髪の毛を手で押さえて答えた。
「言葉通りの意味よ。光魔刀、でないんだろう? 無理に使う必要はないと思うけど……」
フェルドールに遭遇する前何度か魔物との戦闘があった。
その時から光魔刀が機能していないのはルリも知っている。
使ってみてわかったが、練習してどうなるものではない。僕にはこれを扱うための決定的な"何か"が足りないようだ。
それを含意しても強敵相手に刀を振るうものだから、彼女がそんなことを言い出したのかもしれない。
「すいません……変、ですよね……」
拘りがあって使っているんじゃない。奇跡を信じて待っているわけでもない。
光の魔法使いが手にすれば全ての邪を祓うことができる。
その言い伝えが真実ではなく、張りぼてだったことを身をもって証明したかった。
まぁ、つまり……彼女の言う通り皮肉だ。
ルリの瞳がじっと僕を見つめている。
青い光のその中に、決して触れられない感情があった。
「変……じゃないが……」
考え込むような仕草を取った後、表情を曇らせて彼女は続ける。
「……戦闘中は、迷惑ね……?」
遠くから小鳥のさえずりが聞こえてきた。
うっすらと覆う雲に日差しが陰る。
僕はルリの言った言葉を心の中で反芻しながら、どう切り返そうか熟考していた。
激しい戦いの後の間抜けにも思える二人のやり取り。それは、拍子抜けするほど平和に思えた。
「なんだ……間違いか……?」
僕の返答が中々でないことに業を煮やし、ルリは告げる。
苦笑しそうになりながらもなんとか僕は返事をした。
「一般的だと思います」
「……そうか、ならよかった」
ルリは安心したように胸をなでおろす。背負い紐を握りしめると、さっさと歩いて行った。
熱の収まった黒い地面をなんとなく避けながら、段差のない岩壁をよじ登る。
時々氷を生み出しては足場にし、ルリは華麗に踏み越えていく。
後に続く僕はそんな彼女の背中を眺めていた。
数日前だったか、彼女がおかしな事を言い出したのは。
魔力を身体に付与させながら、僕はその時の記憶を遡った。