第2節 捻じれた収穫祭
話をするのは収穫祭以来だった。
村の中央に守り神を祀った社を建てて、その周りで着飾った村人たちは感謝の舞を踊る。
今年は久しぶりの豊作だったこともあり、桶いっぱいの葡萄が供物として並ぶ。
潰して発酵させたぶどう酒を片手に騒ぐ大人たち。
賑やかな演奏と踊りが何もない村唯一の娯楽だった。
村一番の美男子を誘惑するため、女子たちは普段の仲の良さを捨ててめかしこんだ。
やんわりと会話を躱された彼女たちが、勇気を出して話しかけた子の方をキッと睨みつける。
そんな風情も情緒もない醜女たちの戦いを、私は祭囃子の音の中、遠目に眺めていた。
『あんた、行かないの』
私は確かにそう言ったのを覚えている。隣に座ったシュエに向かって。
そしてあの子はこう言った。
『うん……わたし、実はね……』
盛大に行われた収穫祭の結びに、来年の吉兆を占う儀式が執り行われる。
数年は安定した気候が続くとされていて、私たちのような若い世代は気にも留めていなかった。
太鼓が打ち鳴らされて、踊りが変わる。
村を挙げての祭りもいよいよ大詰めとなった。
『わたしね、カイが好きなの』
彼女はそっと呟いて、俯いたままぼーっと地面を眺める。
それがどんなことを意味するか、知らないわけじゃないのに。
『……あんた、馬鹿じゃないの?』
『え……』
驚くあの子の方を見ないで私は続ける。
『あんたの気持ちはよく分かってる。今更、そんなこと言わなくてもいいの』
二回瞬きをした彼女の大きな瞳が、たしかにあいつとよく似ていた。
『ごめんね……』
絶対に謝ってくるだろうなと思った。この子は昔からそういう子だったから。
『謝らなくてもいい。それに、素直になれないのはあんただけじゃない』
私は後ろめたさを隠して笑顔を作った。
それがこの子にしてあげられる精一杯だったから。
私の言葉に気まずそうにした彼女は小さく頷いて、広場の踊りに視線を移す。
社の周りに男衆が集まって力強い舞を披露する。
振り回す太い腕や背中の肉質が、汗で輝く。普段は見られない祭りならではの身体の動き。
正直、あの子たちじゃないけどドギマギしてしまう。
その中の一人にカイの姿を見つけた。男衆ではあまり目立たない、体も大きくない。理屈っぽくてひねくれていて、頑固者で鈍くって、女の子に人気がなかった。
彼を見つめるシュエの瞳はいつも通りだ。
私は彼女に気付かれないように呟いた。
『……馬鹿ね』
踊りに合わせて音楽が大きくなる。
その調子に負けないように私は声を強めた。
『気持ちは伝えたの?』
シュエは自分の二の腕を掴んで首を振った。
まぁ、できるわけないか、この子に。
わぁっと歓声があがり、男が葡萄酒を社に捧げた。
私は彼女の耳元で聞こえるように告げる。
『どうすんのよ』
シュエは困ったように逡巡するだけだった。
どうしようもできない、そう顔に書いてある。
私は重いため息をついてあからさまな不満を表した。
背中を押してあげるのが、私でよかった。
彼女がその動作に気が付きこちらを向く。
揺れるいたいけな瞳に、私が映り込んでいた。
もう一度彼女に耳を貸してもらい、声を出す。
『……私が先越しちゃうわよ』
驚かせようと思ってその反応を楽しむつもりだった。
だけど彼女は、表情を全く変えずに私へ告げる。
『いいよ、メイユイなら……』
私は驚いて、彼女の方を向いた。
雪解けから覗くような瑞々しい微笑み。
じんと心の底が熱くなった。
社の扉が開き、中に閉じ込められた紙が取り出された。
短い悲鳴に続き男衆たちの動きが乱れる。
この子のこんな真っすぐな気持ちを受け止めて、正常でいられる人なんているのだろうか。
自分の頬が上気していることに気が付いて、バレていないか今更ながら恥ずかしくなった。
祭りの音頭が止まり村人たちがざわつき始める。困惑した群衆に向けて誰かが大声で叫ぶ。
突然の出来事に、祭りは中断してしまった。
何かよくない事が起きた。それは容易に想像がつく。
私とシュエはきょとんとしたまま社の方を見る。人混みに紛れてカイの姿はそこにはなかった。
不穏な空気に浮き足立った彼らがヒソヒソと話し、儀式に使われる御札を持って視線をこちらに向けていた。
ドクンと心臓が跳ねる。私たちは顔を見合わせた。
……なにか悪い事でもあったのだろうか。
父親がこちらに歩いてきたのはそのすぐ後だった。
"ショウフウ様"
私がその名前に現実感を抱いたのは、あの日が初めてだったのかもしれない。
そして数日が経ち、祭りはあっという間に終わる。
私はとある家の前で立ち尽くしていた。
今でも、あの時の感覚が抜けきらない。ジロジロと不躾にこちらを眺める視線。
毅然として前を向き、木造の民家の門に近付く。
誰も寄り付かなくなった家の門は、なんだか寂しげだった。
みんなに止められていたけど、私はその門をくぐる。
玄関の取っ手に手をかけて、引き戸を開けた。
通い慣れた廊下を突き進み、部屋の前で足を止める。
ひっそりとした家の中で私は唇を震わせた。
かける言葉を考えてきたはずなのに、いざ目の前にすると上手く声が出てこない。
いい加減な気持ちで来たんじゃない。
だけど、どうしたら彼女の気持ちを汲んであげられるのか。
私はそんな事ばかり考えていた。
閉め切った部屋の中で物音がして足が竦んでしまう。長い沈黙が続き、脇にじっとりと汗をかいた。
心臓の音が外に漏れそうなほど高鳴り、体が小刻みに震えて止まらない。
物音に続いて襖の奥から小さな咳払いが聞こえた。
静かな気配に部屋の中の存在が私に気付く。
「……メイユイ?」
恐る恐る私に声をかけてきたのは、襖で隔てた向こう側にいる幼なじみのシュエだった。
「シュエ、ごめん! すぐに会いに来れなくて!」
私は思わず叫んでいた。
立ち尽くしていた時間が申し訳なくなった。
「シュエが一番つらいはずなのに……私、ショックで……」
彼女を前にして、さっき出てこなかった言葉が堰を切ったように溢れ出す。
どうしてだか分からない、感情と一緒に涙が出た。
私は親友にただただ謝りたかっただけなんだ。
「ごめんね……傍にいてあげられなくて……」
しゃくりあげて言葉がうまく言えなかった。
今までこんなになり振りかまわず謝ったことはない。
木目の床に私の涙が落ちる。
いつも一緒にいたから分かっていたはずだった。彼女がどんなことを考えているか。
だけどこんな状況になるなんて想像したこともない。
私はそれが不安で、怖くて、耐えられなかった。
彼女が私を許してくれるかもどうかわからない。分からないことが、何よりも恐ろしかった。
「メイユイ、いいの。ありがと、来てくれて」
シュエは変わらない声色で私を受け止めてくれた。
「シュエ……」
私が襖に縋ろうとして近寄ると、彼女は告げる。
「だめ。私はもう、家族以外と会うことはできないの。縁切りって言って、これ以上関わりを持てない……」
私は思わず息を呑んだ。
「……それってつまり、もう私たちは会えないってこと?」
「……」
沈黙は肯定を意味していた。私は絶句する。
待ってよ……こんなのって、あんまりだ。
シュエの小さな声が襖越しに聞こえた。
「……ごめんね。掟だから、仕方ないよ……」
仕方ない? そんな言葉で片付けられてしまうの?
シュエ……それって、酷い言葉だよ。
彼女の顔は見えなかったが、きっと困ったように笑っているに違いなかった。
いつもみたいに、馬鹿みたいに。
正直で、意固地で、単純で、融通が利かなくて、真っすぐで、優しくて、遠慮がちで……。
私は彼女が集団で孤立するのが目に見えていた。
こんな子が、女社会で好まれるはずがない。
『あの子ってさ、ちょっとズレてない? 変っていうか、合わないよね、私たちと』
『メイユイってさ、なんであのシュエと仲良いの? 信じられないんだけど』
……うるさい、うるさいうるさいうるさい。
あんたたちにあの子のなにが分かるっていうの。
他人を見下してないと自分を正当化できないくせに。兄さんと仲がいいからって、彼女に嫉妬しないで。
「なんなのよ……それ……掟だからってなに!? あんた、自分よりもそれが大事だって言うの?!」
私はシュエに向かって叫んだ。
誰に聞かれたっていい、その覚悟はしてきたつもりだ。
「私は……あんたを、差し出すくらいなら――!!」
「――差し出すくらいなら、なんだ?」
低い声が私の後ろから聞こえてきた。
突然のことで、頭が真っ白になる。
振り返ると、そこには恐ろしい顔をした男が立っていた。
強面で知られた、シュエの父親、コウクだ。
「メイユイ、お前自分が何を言っているのか、本当に分かってんのか!!」
彼の強い平手打ちが私の顔を引っぱたいた。
強い勢いのまま、私は廊下を転がる。
立てかけてあった棒やら箒やらが体に当たって倒れた。
痛みと衝撃で私は何が起きたのか分からなかった。
襖が開き、シュエが声を上げながら飛び出してくる。
「やめて!! お父さん!!」
コウクは私たちに向かって怒鳴りつけた。
「シュエ! 穢れが付くから奥へ戻りなさい!
メイユイ! いらねえことすんじゃねえ!!」
私は叩かれた熱い右頬を手で覆い、体を起こしてコウクに言い返した。
「なんで、なんでシュエなのよ!! なんで父親のあんたまで受け入れてんのよ!!」
怒りのこもった恐ろしい形相が私を睨む。
シュエの父親は娘の静止も振り切って私の襟を掴んだ。
「そんなこと俺が一番知りてえんだよ!! ガキのお前がごちゃごちゃ言ってんじゃねえ!!」
突き飛ばされた私は壁に頭を打ち付ける。
廊下を滑るようにシュエが私の元へ駆け寄った。
鈍い痛みが広がり視界が滲んでくる。
両の目から涙がぼろぼろこぼれて止まらなかった。
……悔しい、悔しい。私は、何の助けにもならない。
何のためにここへ来たのかも分からない。
荒い鼻息を長く吐き出して、コウクは座り込んだ。
鬼の形相の彼は必死に自分を宥めていた。
「いいか、お前ら。収穫祭のお告げは絶対だ。何があっても曲げちゃあいけねえ……」
私は息を吸い鼻水をすすることで一杯一杯になりながら、訥々と話をするコウクを睨んだ。
「シュエがやることは村のためなんだ。今だけじゃねえ。未来のお前たち、その子孫のためでもあるんだ……」
私はちらとシュエの顔を見る。
強く口元を引き結ぶ表情に、私は切ない気持ちを抱く。
「これは……これは、誇るべき名誉なんだ。シュエ、無駄なことなんかねえ。俺はお前を……」
「わかってるよ、お父さん。だから、もうメイユイに暴力をするのはやめて」
シュエは私の頭をそっと撫でて静かに告げた。
私のしてきた覚悟なんて、彼女のものと比べたら……。
コウクは落ち着いてきたのか右手で顔の正面を覆う。
彼女の言葉を飲み込んで、ゆっくりと手を下ろした。
そして私にこう言う。
「ああ、すまなかった、メイユイ。お前も……いや、なんでもねぇ。悪かった……」
私は涙を拭いながら胡坐をかいて言う。
「私こそ、失礼なことを言って、ごめんなさい……」
言い終わると同時に、コウクが怖くて正面が向けず、シュエに視線を送る。
すると彼女と目が合った。
私は驚いて顔を強ばらせてしまう。シュエは、静かに微笑んでいた。
あぁ良かった、とでも言いたげに、満足そうにした表情。
シュエ、なんでそんな顔、できるの……?
「シュエ、もう中に入ってなさい」
落ち着きを取り戻したコウクが、襖に手をかけながら告げた。
こくりと頷いたシュエは立ち上がり戻っていく。
その動作が単調に感じられて、私はやるせなかった。
襖が閉じられコウクとの間に沈黙が降りた。私の用事は、これで終わったのだろうか。
宙に浮いたままの不安定な気持ちを持て余す。それは彼女の父親だってそうに違いない。
理不尽な運命をただ受け入れるしかないのだ。
……その時、玄関から誰かの足音が聞こえた。二人分、慣れた様子でこちらに来るのが分かる。
廊下の角から現れたのは予想通り、二人の男だった。
件のカイと、私の兄、ハオだ。
ハオは私のことに気が付くと声を出した。
「メイユイ、ここにいたのか……」
同時に私の真っ赤な顔を見つめる。
視線をコウクに向けるも、コウクは鼻を鳴らし顔を背けた。
兄は苦笑する。事情を推察したのだろう。
ここへ来るんなら二人で来ればよかった。
そうすればぶたれずに済んだかもしれない。
私は少しだけ後悔して、腫れた顔を手で覆った。
カイが心配そうに目線を送ると、兄に向けて告げる。
「おい、ハオ」
「分かってるよ、メイユイ、ちょっと来てくれ」
兄の言葉から何やらただならぬ空気を感じ取って、私は言われるがまま立ち上がった。
廊下に倒れたままの掃除道具。じりじりと痛みのひかない私の頬。
人が避けるようになったこの家に再び皆が集まった。
久々に訪れたこの家は、どこか変わってしまったようだ。
家から出て少し離れた場所に移動した私たちは
何もない草地に腰を下ろす。
二人の様子から察するに誰にも聞かれたくない話のようだった。
兄はなんとはなしに、徐に口を開く。
その言葉で、私の中の何かが変わった。
「あの冒険者の二人組、彼女らを身代わりに殺す」