第5節 見張り番と塩
ルールエは都市としての発展は目覚ましかったが、治安が安定しているかといえばそうではない。この街では領主であるクルフ子爵の方針により、市民が議会を開いて具体的な政策を決めていた。自由経済を優先することを承認した結果、違法な薬物や武器、人身売買などの規制が緩い。表立って販売されることはないが、暗黙の了解に基づいてそういった商売はなくならない。
他の貴族本意な地域と比べれば、管理体制は随分甘いだろう。もちろんそういった経済優先の政策が恩恵を受けることも多大にしてある。街の環境整備や公の施設なんかどこよりも裕福であるし、福祉の充実は経済の充実だと身をもって知ることもできる。
だがそのことに異を唱える市民もルールエの中には少なくなかった。少数であっても声を拾うのが議会の役割だ。 例えその機能が形骸化していたとしても。
商人と農家では圧倒的に商人の権力が強く、貨幣主義が横行したこの街で彼らが農奴となって久しいからだ。経済の恩恵と治安の悪化を秤にかければどちらが善悪かなど、もう誰にも分からないことだった。
クルフ子爵の憲兵団は政策基準を判断する際、どちらかと言えば裁判に注力をしていた。法に妥当性があるかの見定めや、子爵の方針と合致しているかを検討する。
そして、第一義的な役割を説明するならば、罪人に対する刑罰の執行がそれにあたるだろう。
法律を遵守するのは作った本人たちであり、憲兵はそれを守らせる為の監視役なのだ。
要するに、法律上バレないように行うのは構わないが、発覚した場合の重い処罰は避けられないというわけだ。
そんな古くからの理がルールエにはあり、二つの派閥がこの街を管理していた。
経済を抑制してでも、違法な薬物や武器を禁止し治安維持に重点を置きたい"自警団"。
一定の被害には目を瞑り、自由経済を回しつつ都市の発展に寄与したい"商会グループ"。
いつしか市民たちはこの二つの派閥に別れ、互いが互いを無視できなくなる程までに増長していった。ルールエを二分する相容れない二つの勢力が交易都市としての機能を支えてきたのだ。
大量の塩が運ばれてくるという伝書が届いていた。大きな欠伸をかみ殺して俺は書類に目を通す。
ここは元貴族の屋敷を改築してできた詰め所。自警団の本部を置いている。目の前には大通りが敷かれており、道行く人の往来をそこから眺めることができた。
見回りから戻ってきた団員に軽く手を挙げて挨拶を交わし、今日起きた出来事を世間話程度に話す。
本部の守衛に抜擢されたことが嬉しく、そのことを友達へ自慢気に語ってから数年が経った。あの頃思い描いていた立派な仕事とは違い、油も擦り切れるほど売ることができた退屈で凡庸な仕事だ。本部へ出入りする人間をチェックしたり、輸送品の検品をしたりする業務が主。あとは、敷地内の見回りと部外者が立ち入らないか見張るだけ。正直俺じゃなくても務まる、つまらない仕事だった。
馬に乗った冒険者が目の前を通り過ぎる。ミレイには大口叩いていたが、やっていることはそう大して変わらない。受付嬢なんてよくやるよな、ホント。
あーあ、警邏のやつらはいいなぁ。配属されれば違法な商人やギャング共をとっちめて、子爵のもとに叩き出せるのに。そろそろ違う仕事がしたいんだが、ここでそうそう良い働きを見せることはできそうもない。俺は自分が悪党どもを取り押さえている妄想に浸り、女の子にチヤホヤされる夢を見る。
だが見栄っぱりだけでは、あの仕事は務まらないのだろう。
ありゃ酷いよな。
先日帰ってきたブロスさんなんか、とんでもない傷を負って帰ってきていた。ギャング共とやり合ってきたそうだが、あんな風にはなりたくないぜ。数日姿を消したと思えばあんな様子だ。聞けば妻子もどっかいっちまったみてえだし。
鼻を鳴らした俺は嫌な想像をかき消した。活気溢れる通りの向かい側の商人を見つめる。
瞼は開いていたが何物も捉えようとしない瞳。頬杖をつき俺は退屈に暇をあかしていた。
すると、遠くから車輪の連なる音が耳に入った。
顔をそちらに向け立ち上がる。
長い行列を作った荷馬車が屋敷の前に到着した。
俺は縮み上がった体を伸ばし、手を上げる。
先頭に乗る荷馬車の御者は顔なじみでこれも軽く挨拶を交わし、検品を行う。
「よう。今日はなんだか忙しそうだな」
後ろに待機した馬車を数えながら、御者が話しかけてきた。
俺は資料と番号を照合しながらそれに応える。
「あぁ、今まで暇だったんだがな。なんでもギルドの倉庫に空きが無くなったそうだ」
荷物の箱を運び、玄関口に積んでいく。
俺は口と手を動かす技術だけは上がってきたみたいだ。
体に溜まった元気を勢いよく発散するように、意欲的に荷物を片付けながら告げる。
「大量の荷物の一時的な保管場所を探して、うちに辿り着いたみたいだな」
御者も積み荷を持ち上げ、近くに積んでいく。
納入される塩の量に、間違いはなさそうだ。
御者は腰を叩きながら告げる。
「お前さん、暇って、翌週は議会があるだろうに」
ルールエは月に一度の間隔で議会による政策を話し合う場が設けられていた。労働者を代表とする議員と、商人を代表する議員が半分に別れ話し合いを進める。当然ながら労働者代表の中には、自警団の幹部が含まれていた。彼らは翌週の議会に向けて本部に集い、様々な作業に追われている様子だった。
人の出入りが多いように見えるが、ほとんどが顔なじみだ。忙しいことなどない。
御者が頭からかいた汗を拭きながら続けて話す。
「姉の勤め先が病院だからよ。この前寄ってみたんだが、増えてるみたいだな」
俺は受け取りの用紙に記入し魔力印を付与する。
ちらと御者を見ると彼はそのまま続けた。
「ほれ、この間も中毒者が広場で何かしておったろ」
俺は神妙な顔で浅く頷いた。
御者の言う通り、この数年で薬物による被害者は段々と増えてきている。彼らは望んで薬物に手を出しているわけではない。困窮は人の心をも貧しくする。
「それに病院から抜け出して行方知れずになる患者もいるそうだ」
御者が言いながらも荷台を確認し姿を消す。
俺は冗談を交えて皮肉を呟いた。
「病院の薬じゃ、満足できないんだろ」
薬物になんて誰がそんなの使うものか、と思ってはいるが、金の有り余る商人もいれば零細で貧しい市民もいる。疲弊した人間にはたまらないほどの快楽があるらしい。そういう人間は付け込まれやすいそうだ。
中毒になればそいつから金をしぼりとれる。廃人になれば攫ってどこかへ売り飛ばせばいい。
そんなうわさ話も耳にするようになった。
もしかすると現実の話なのだろうか。
街中の人間がそうなるとは限らないが、自分の周りの人間がそうならないとは限らない。
そうなる前に自警団でなんとかしろ。御者は暗にそう念を押してきているのかもしれない。
しかし、一自警団員の自分にはどうしようもないことだ。検品を手早く終わらせることが、今の仕事なのだ。
全ての検品が終了したのは午後を過ぎてからだった。やけに多い荷物と品卸の作業はしんどい。
遅い昼食をとりに俺は外食に出て、少しばかりの休憩をとることにした。
午後からは先ほどの議会に向けた幹部による連絡会がある。忙しいときに抜けられたのは幸運だったかもしれない。ゆっくりして連絡会の結果を待つことにしよう。
商品を手に、硬貨を店主へ渡そうとした時だった。
大きな破裂音と爆音があたりに響き渡る。
空気が揺れて、皆立ち止まり、音の方向を見つめた。似た音を聞いたことが、昔あった。あれは子爵の長男が成人を迎えた時だ。式典で鳴らされた祝砲とよく似た音。
………祝砲?
周りの人々も顔を見回している。今日は何かお祝い事でもあったかと頭を巡らせた。
だが音の方向からわずかに悲鳴や怒号が聞こえる。
買ったものを店主に預け、俺は走り出した。
胸騒ぎがする。とても不快な、嫌な予感。
逃げる人と逆行し、音の正体へと迫った。焦げた匂いや宙を漂う灰が段々と不安を煽る。
何が起きてるんだ。
人の波を押しのけて、やっとのことで路地を抜ける。
今しがた通ったばかりの道を戻ってきた俺は、見てしまった。
そう、爆発により瓦解した、変わり果てた自警団本部を。