第46節 冥府の声
部屋の中央に位置する台座の前に、唖然としたままのマーシャが立っていた。
古い魔術師のローブに身を包み肩を抱いたまま、台座に片手をついて僕らを見て驚いている。
仄かに明るい小部屋の中には動かし難い静寂と厳粛さがあった。
この場に似つかわしくない桃色のピアスが揺れて光る。
最初に言葉を発したのはルリだ。
「これも、視えていたのか………」
闘技場にいたはずの僕らは、ヘルメルの訪れと共に"転移"させられた。
人や物を瞬時に別の場所へ移動することができる魔法。その使用難度から廃れてしまった古代の遺物。
「マーシャさん……あなたが……?」
尋ねる僕にマーシャは首を振って否定した。
「いいえ……私はただ、大賢者様の指示に従って………」
大賢者の指示だって?
突拍子もない言葉に僕は耳を疑った。
「魔道士様、一体どうなっているのですか」
戸惑うドーラが説明を求めながらクィーラを庇う。
マーシャの姿を見て警戒心を強めていた。
まずは彼女たちの誤解を解かなくては。僕はこれまでの経緯をドーラに話し始めた。
学院長である劫掠者モーガンスの思惑と、マーシャやルリに纏わる因縁について。
■■◇■■
時は十年前に遡る。
ある一人の男の子が魔法学院に入学した。
その子どもは白金位で入学するとともに、最年少で学院を卒業するという偉業を成し遂げる。
学院始まって以来の天才魔法使い。神童と呼ぶに相応しいまさに神をも羨む才能。だがその男子生徒は数々のエピソードを残すと、消息を絶ち姿を一切見せなくなった。
学院という場所は入れ替わりが激しい。一時期盛り上がった話題はすぐに流されてしまう。
不自然なほどに入学から卒業までが早かったこと、とてつもない逸話が脚色、変容され虚言じみてきたこと。それらの要因から天才魔法使いの存在は学院の放った一種のプロパガンダではないかと疑われだした。
よもや自分たちよりも幼く実力のある魔法使いがいるなんて、自尊心の高い学生が易々と認めるはずがなかった。
自分が劣る言い訳を見つける馬鹿はいない。彼の記録も記憶も、徐々に忘れさられてしまった。
学院も彼の捜索を行ったが、証拠は一切残されておらず、生活していた痕跡さえ消え去っていたのだ。
事件解決の糸口は見えず、捜索は難航する。結局、荷物すら見当たらないことから、自ら学院を去ったのではないかと決定付けられた。
幼い子どもが行方をくらませることは多くなかったが、成績不振で自失し学院を去る者は多数いた。出自の良さが裏目に出て、不甲斐なさを家族に告げられず、そのまま行方不明なんてことはザラにある。
多分に漏れず捜査は打ち切られ、真相は闇の中に葬られていく、はずだった。
しかしその事件には裏があり、誤算もあったのだ。
学院にはもう一人、彼と同い年の女の子が在学していた。男の子と常に一緒にいた彼女はあまり目立たず、その存在は当時さほど認識されていなかった。
背丈が似ていることから間違われることがあっても、彼女を覚えている生徒や教授は多くなかったはずだ。
天才魔法使いと一緒にいた幼馴染の女の子。彼女は隠された真実をつぶさに記憶していた。
夜の校舎。月の光も通さぬ分厚い雲、闇夜。人気のない闘技場。光り出す魔法陣。
追いかける無数の影の腕。悲鳴と恐怖。取り込まれた彼と、彼の叫び。
……逃げて!!
病室の中で幼い彼女は乾いた笑いを繰り返していた。歪んでしまった心の形を保たせるために、必死で。
水色の美しい髪の毛を優しく撫で抱きしめる。弟の喪失と彼女の変わり果てた姿にマーシャは涙した。
天才魔法使いの姉であったマーシャは、弟の力と命を奪った学院長モーガンスを憎んだ。
モーガンスは学院でスキルを持った生徒に目を付けると、誰もいない夜の闘技場に誘い出し、禁忌魔法を用いて力のすべてを奪い取っていた。
そこから、マーシャとルリの計画は始まったのだ。
■■◇■■
「私はモーガンスの右腕として理事長になった。それは彼の非道な行いを正すためでも、世に知らしめるためでもなかった。ただ、ユーリィをこの世界から消してしまったこと、それが許せなかった……」
マーシャは暗い瞳の中に小さな灯火を宿らせていた。弟を失った悲しみは、復讐を果たしても潰えることはないだろう。
「……ごめんなさい。私とルリだけでは、モーガンスに立ち向かうことができなかったの……。あの男の背後にはペンタギアノが控えていたし、ルリまで失ったら、今度こそ私は生きていけないと思った……」
頭を下げた彼女はドーラに告げる。
目を伏せていたドーラは、硬い表情のままゆっくりと首を振った。
「それは、本人に伝えてあげてください。私は見ていることしかできませんでしたから。本当に危険なことに立ち向かった人がいる前で、不満なんて出てきません」
冷静に話すドーラは、横たわるクィーラの頭を撫でた。
「それに、遅かれ早かれお嬢様はモーガンスに狙われていたのですよね。学院でここまで優秀な魔法使いが異国から来ているのなら、なおさら行方不明になってもおかしくはありませんから」
彼女の言う通り、クィーラはいつか陰謀に巻き込まれる運命だったのかもしれない。
マーシャとルリはモーガンスを倒すと決めてはいたが、あの男を越える存在は中々現れなかった。魔法使いとして御言葉を持ち得るルリでさえ、モーガンスと一対一では勝てないのだから、それも仕方のないことかもしれない。
そこで運よく通りがかったのがクィーラと僕だったというわけだ。
「クィーラには、禁忌を探し出そうとする孤独な魔法使いを演じてほしかった。そうでもしなければ、モーガンスは夜の闘技場に現れないからな」
ルリは腕を組んだまま続ける。
「もし私たちがモーガンスに破れたとしても、クィーラやドーラがその仲間だと思われることは避けたかった。だからなるべく接触を避け、繋がりを持っていることを伏せていたんだ。まぁ管理局の中にもモーガンスに与する輩は相当数いたようだが、上手く立ち回れたようでよかった」
ぶっきらぼうな言い回しだが、ルリはルリなりにドーラたちのことを気遣っていた。
「ドーラ、すいません。僕は学院に着いてすぐこの計画を知らされていたんです。……こんな危険なことになるなら、早くクィーラを退避させておけばよかった。……本当に、本当に僕は愚かだ」
眠るクィーラに申し訳が立たなくて、ただただ俯いて言葉を吐いた。
許されることじゃない。彼女が目覚めたら、僕はどんな顔をしていいか分からない。
こほん、と咳払いするドーラは僕に向かって囁いた。
「魔道士様、先ほども言いましたがこれはお嬢様の意志です。何度も言わせないでください。
……貴方が気にしていることを、お嬢様も気にしてしまいますから……その、目が覚めたら……感謝でも伝えてあげてください……」
言うと同時に目を背けるドーラ。
僕は込み上げてくる気持ちが溢れないように蓋をするので精一杯だった。いい仲間を持った。僕は心からそう思えた。
顔を元に戻したドーラは三人からの弁明をクィーラに代わって聞き、率直に今の状況について尋ねた。
「それで、まずは皆様が思っていることの整理なのですが。ここに転移魔法を使って私たちを呼び寄せたのはマーシャ様ではないのですね?」
マーシャはピアスごと首を振って答える。
「私はこの隠し部屋に、モーガンスに対抗する手立てがないか探しに来ただけよ。そこの台座にあった魔法陣を、闇雲に起動させただけ……」
「そういえばさっき、大賢者の指示とおっしゃいましたよね? あれはどういう意味ですか?」
僕はマーシャに尋ねた。
するとルリがすかさず反応を見せた。
「この隠し部屋は大賢者が作ったと私は見ている。君も感じないか、この部屋に漂う魔力の根源、御言葉の力のそれと近い」
言われてみれば、というほどだが、僕はルリのように敏感に力を感じ取れない。だがルリが言うのだからそうなのだろう。
「私はモーガンスの隠し部屋を探すために密かに動いていた。実験棟の地下にあることは分かっていたが、詳しい場所までは割り出せなかった。そこで、私は大賢者の罠にまんまと引っかかってしまったというわけだ」
ルリが言っているのは、あの凍結騒ぎのことだろう。彼女が魔力を暴走させるほどの強い魔法を使えるのは、モーガンスか大賢者のどちらかだ。
「全く、だからモーガンスはこの地を選んだんだと気付かされたよ。学院なんてヤミレスの中央に禁忌魔法の実験場を置くなんて変だと思った。大賢者がこの部屋のために仕掛けた罠を利用して、そこに巣を張っていた。あれは私の失態だった」
ルリは冷たい態度とは裏腹に殊勝な面持ちで言う。無理もない。大賢者と真っ向勝負するようなものだ。誰だって魔力を暴走させられるだろう。
「ドーラ、私には気になっていることがあるんだが。君たちはどうやってこの大賢者の隠し部屋を見つけ出したんだ?」
ルリに尋ねられたドーラは、口を引き結ぶと真剣な表情を作る。そして、僕らに驚くべきことを話し始めた。
「つまり、動く影は実在していたの?」
マーシャは驚きの声を上げる。
彼女が放った七不思議には、夜の学院に生徒たちを彷徨わせ、学園長が容易に実験ができないようにさせていたという経緯があった。実際の怪奇現象には魔法使いやルリを使って生徒に噂を広めさせていたのだろう。
「私はこの目でしっかりと見ましたし、その手紙のおかげでこの場所まで来られたのです」
ドーラが間違いを言っているとは思えない。それに偶然この場所を発見できるとも思えない。
マーシャは確かに手紙をクィーラたちに送っていたが、それは禁忌魔法の隠し部屋であってこの部屋のことではない。別の意志が介在していたのは間違いないだろう。
動く影は、暗号まで使ってこの場所を教えたかった。暗号を使う理由は、もしその手紙が別の者に渡ったとしても、鍵が分からないようにするためだ。動く影は、何者かに隠し部屋の場所がばれることを恐れていた。
僕はドーラに訊く。
「初めてこの場所に来た時、動く影は現れなかったんですよね?」
彼女は頷いてみせた。
ということは、動く影はこの場所で何かをしてほしかったわけではなく、この場所に導くことで何かが変わると信じていたんだ。この部屋の特異性を理解することができたのは、この部屋に入ったことがある者だけ。つまり、動く影は自由に部屋を移動でき、実態を持たない性質を持ち合わせているということだ。
「魔道士様……?」
ドーラが僕を見つめていた。
動く影の正体。それは、禁忌実験の被害者だ。
「いえ、何でもないです……」
僕は目を伏せる。
動く影はこれまで何度も物を移動させてきたようだ。それは、禁忌実験の隠し部屋に誰かを案内するためだった。マーシャとは違う方法でモーガンスに抗いたかったのではないだろうか。だから難解な暗号を用意してまで、クィーラたちをこの場所に誘いたかった。
大賢者の指示とマーシャが言ったように、この空間には不思議な力が宿っている。その力に感化された可能性はあるが、真実は誰にも分からないことだった。
動く影が禁忌実験の資料を携えていたのは、やはり噂に信憑性を持たせるためだろう。クィーラが隠し部屋に辿り着いたことを知り、最後には本物の実験室へと彼女たちを招いた。
失われつつある、ということは、動く影の本体はもうこの世にいないのかもしれない。モーガンスがスキルを奪うために連れてこられたのなら、なんらかのスキルを持っていても不思議じゃない。それが死後になって発動したと考えるのが、妥当なところだ。
止まった時の中で生き続けている。それが動く影だった。完成しない本をいつまでも追い続けるその影は、ようやく役目を果たすことができたのだろう。
そしてそれは、僕らに引き継がれた。
すべては偶然じゃない。僕らの行動や意志は、思惑に乗っ取って動かされている。
「ルリ、本当に、視えていると思う?」
僕は尋ねる。
「あぁ。そうでなければドーラたちがここへ来たことも、マーシャが転送魔法を使えたことも、説明できなければならない」
彼女はきっぱりと答えた。
やはりそうだ。この部屋を作った主は、すべて視えているのだ。
大賢者ラクーン。魔法学院を作った御言葉。"視る"という能力は、何年先までも未来を視通していたと言われている。
この部屋は中央に台座しか置かれていない。そのためだけに作られたような部屋なのだ。大賢者は、今起きていることを全部知っていた。
僕は台座に近付きその表面を見た。
古い文字だ。大勇者たちが活躍していた時代の古文書。
じっと見つめる僕は、その中身が大賢者の言葉だと理解できた。
この言葉の意味は……。




