第43節 照る
伝えたいことがあった。
全て終わったら、一緒に旅を続けたい。
色んな場所へ行って色んなものを見て、色んな人と出会って色んな別れを経て。
辛い時も、悲しい時も、楽しい時も、同じ思い出を、共に歩んでいきたかった。
足でまといだってことは分かってる。
だけど、それでも。
私は彼を孤独にさせたくなかった。
全てをあの小さな背中に負わせるなんて、そんな残酷なことはできなかった。
私のような人たちが増えれば、それでいい。重荷を分かち合ってくれる存在がいれば、それだけで。
群衆となって私が埋もれてしまっても、彼を認めてくれる人が沢山いてくれれば。
それだけで彼を支えてくれるはずだから。
だから、私の命なんて――――。
■■◇■■
どこへ向かっているかも定かではない。何度も膝をつき引きずるように走った。
かけがえのないものを守るために。失いたくない大切な人を救うために。
魔力の消耗が異様だと薄々感じていた。これは試合の影響だけではない、絶対に。
やっぱり標的は、初めから私だったんだ。濁った頭の中でそれだけが思考を占めていた。
私に、なんの価値があるのだろうか。
秘密が渦巻く学園と、二人はまだ戦っているはずだ。しぶとく生き残っている私なんかのために。
全身が粟立つような悪寒が走ると、途中でなんども胃液を吐き出した。
頭痛のせいで意識が飛びそうになりながら、それでも私は向かわなければならなかった。
月明かりの消えた暗闇、闘技場の入口に駆け寄ると、壁に体を擦るようにして通路をよたよたと進んだ。
一歩ずつ、体をすり減らしながら踏み出して、廊下から外へ通じる出口へと差し掛かった。
場内へ足を踏み入れた瞬間に力が急に抜ける。手をついて倒れないように歯を食いしばった。
闘技場の中は異常な空気で満たされていた。入っただけで強烈な悪意と憎悪に苛まれるような強力な結界。
地面のひび割れや壁の穴、飛び散った瓦礫。昼間私が戦った跡とは比にならない凄惨な戦いの跡。
耳鳴りと幻聴のような唸り声が頭を支配する。庇うように両手で押さえても、消えない音。
こんな戦いに、私は必要ない。手も足も出ないことなんて分かり切っている。
立っていることさえやっとなのに、どうしてここへ肩を並べて戦うことができるのだろうか。
……でも、関係なかった。それが、私の全てだから。
私は、私は……。
頭を抱えていた両手がだらりと下がる。
邪魔をしていた靄がすっきりと晴れたように感じた。
それと同時に、パチンっと何かが弾ける。
ステージ奥の人影を見て、心臓の拍が止まった。
倒れたルリ。立ち込める暗雲。学院長。
そして、ボロボロの姿をした少年。
私は気が付くと走り出していた。考えがまとまらない。
学院長の杖の先に光る魔法。あの魔法は、いけない。
彼は防御も回避も取ろうとしていなかった。
だめ、絶対にあの一撃を彼に当ててはだめ。
あれは彼を殺す魔法だ。
呼吸も忘れ、立つのもやっとだった先の状態から、クィーラは全力で空中を跳んだ。
最後の灯火を吹き消すように、風を纏って少年の元へ駆けつける。
私は叫んだ、彼の名前を。
■■◇■■
目の前の暗い閃光が陰った。
暗闇に負けない勇ましい人影が立ち塞がる。
信じたくなかった。
僕は、信じたくなかった。
モーガンスの魔法が放たれ、肉片が飛び散る音。
次の衝撃で、僕の体は後ろへ飛ばされた。
暗い視界の中でわずかに光る黄金の色。背中を支え咄嗟に魔法を唱えた。
両足の摩擦で踏ん張り、勢いを削ぐ。
抱きしめた身体はぐったりとして力を感じない。
「そんな、そんな、だめだ……だめだクィーラ!!」
小さな頭が割れて、血が流れ出る。
彼女は焦点の合わない目で僕を見つめた。
生気が抜けていく。目の前で、命が終わろうとする。
暖かい体液が彼女の頭を伝い僕の手に触れた。
「……あきらめ……ちゃだめ……」
青い瞳が僕を映す。
いつもと変わらない優しい笑顔。
小さな声で、クィーラは語りかける。
「……また一緒に……旅……しようね……」
滲んでいくクィーラの表情。
必死で繋ぎ止めるために叫んだ。
「クィーラ! クィーラ! やだよこんなの、だめだ!」
心臓の音が煩わしいほど早鐘を打つ。
閉じきった彼女の瞼は僕の呼びかけに応じなかった。
綺麗な髪が血に染まる。
バレッタの彫刻に指を添わせた。
震える体を、流れる涙を、僕は抑えられなかった。
なんで……どうして…………。
どうして彼女が…………。
自分が助かったことよりも、彼女が身を呈して救ってくれたことよりも、守りきれなかった悲しさが、尊い命が終わりを迎える恐ろしさが、悔しくて切なくて、自分を許せなくて、今にもはち切れそうだった。
感情を型どる枠組み、自身の輪郭が汚される。様々な気持ちが曖昧になって混ざりあう。
自分の嗚咽さえも腹立たしく感じ、何故まだ僕が生きているのかと己を恥じた。
「……死は初めてか"光の"、そう悲しむこともない。いつかは皆そこへ向かう。ぬしは今すぐにじゃ」
吐き捨てるような不気味な暗雲が再び集まった。
機械的なその動きに、冷酷さが増長していくようだった。
モーガンスは告げながら、無の魔法を僕らに向けて飛ばす。色の無い魔力の塊が形を変えて襲いかかった。
クィーラの肩を抱いた少年の小さな姿を、確実に捉える。結界内における不可避な暴力の奔流は、残虐そのものだった。
少年の周囲が煌々と照らされる。
次の瞬間、モーガンスは期待した鮮血ではなく、奇妙な光景を目の当たりにすることになった。
捻じ曲がった塊が寸前で方向を変え、あらぬ場所へと向かう。目標を見失ったヴェノムは、激突した壁を破壊し始める。
衝撃とともに岩肌が剥がれ落ち、粉塵が舞う。
その様子を訝しんだモーガンスは静かに尋ねた。
「……何じゃ。おぬし、一体何をした……」
身体の痛みは消え、光魔法の制限もなくなっている。
この対価のために、僕はなんて過ちを犯したのだろう。
ルリが繋いだ時間、クィーラが託した想い。崩れないように、大事に大事に、両手で包み込んだ。
僕とクィーラは陽だまりのような暖かい光に包まれた。
大丈夫、大丈夫だよ、クィーラ。
光を取り戻した魔法使いをしかと睨みつけ、モーガンスは再び問いかけた。
「魔力が吸えんのう。儂の結界に勝る魔法だとでもいうのか。"光の"、何じゃ、それは」
円環の形をした光の輪が浮遊し、辺りを淡く彩る。小さな翼を付けたそのシルエットが暗闇を排した。
僕は体を動かさずに言葉を返す。
「……結界を応用しました。致命傷を防ぐ回路と、魔力に変換する回路……」
光の玉は僕の周りをふわふわと舞う。新しく生まれた生命を楽しむかのように動き回った。
鼻で笑い、信じられないとモーガンスは一蹴する。
「応用じゃと? 愚か者めが! そんなことできるはずが――」
「今見たことも忘れたのか、老いぼれ」
気圧されたモーガンスは黙り込んだ。
光に満ちた少年の瞳が学院長を凍てつかせる。
今までとは、何かが違う。
現代魔法を体現する自律型魔力制御魔法。
ルリの作り出した羽をモデルにした。
あらゆる攻撃に対して処理を行い、適宜調整をしながら最適な攻撃を実行する彼女の魔法。
だからこそ、羽は途中で攻撃を止めた。必中必殺の魔法に対して、迎撃する術がなかったから。
「これは僕の加護天使だ。お前にはもう、なにも奪わせない」
モーガンスの長い髭の奥、口元が笑った。
「……ぬかせ」
モーガンスは杖の先を地面に叩きつける。無数の魔法陣から真っ黒な幼児たちが現れた。泣き喚き、叫びながら血眼のまま地面を這いずる。闇属性の精霊、"腐亡児"。
泣き叫ぶ声の魔法で、広範囲を制圧する。耐久面では落胤に劣るが、殺傷能力では負けていない。
闇属性魔法を得るために召喚されたものだったが、同時に死にかけているクィーラへの追撃を含む意味もあった。すべてを守りきることなど、不可能なのだ。
杖を上げて闇属性の波動を作り出す。音にのせて、一帯に闇魔法を響かせた。
「……おわりじゃな」
音の攻撃を回避することはできない。ましてや、瀕死の少女を置いて逃げることもできない。
直撃を避けたとしても、闇の残滓を受けた状態で戦闘を継続することは光の魔法使いには不可能だった。
衝撃波でまわりの瓦礫が吹き荒れ、飛ばされる。闇の音波の影響で破片がかけて、細かく散っていった。
「……分かってないな」
耳元で声が聞こえた瞬間、モーガンスは飛び退いた。今しがた自分がいた場所に立つ少年の姿が目に映る。
見えなんだ……一体、どうやって……?!
手をかざし闇魔法を使おうとするが魔力が集まらない。
地面をよく見ると、腐亡児は全て消え去っている。
狼狽するモーガンスに、光の刀身を向ける。
老いた魔法使いは思わず動揺し声を上げた。
「……貴様ッ! それをどこで?!」
握りしめた柄には独特の文様。鍔から先は眩い光が凝縮し刀の様相を呈している。
「さっきから思ったんだが、全て答えなくちゃいけないのか?」
構えた刀を振りかざし、加速した体を踏み込んでモーガンスの元へ駆けた。
光の呪文が体を巡る。今までにないほどの全能感が全身に行き渡った。
時が遅くなったような時間の流れを感じ、ゆっくりとした足取りで走る、変な気分だ。
距離を詰める道中にモーガンスのスキルが見えた。暗幕が地面から持ち上がり魔法を遮断する。
時間稼ぎだろうが、無駄な一手だ。
頭上の加護天使が暗幕の対象を書き換える。彼の視界には入っているが、僕は暗幕をすり抜けることができた。
加護天使は全ての魔法やスキルの効力を跳ね除ける。その対象は敵意や害意を問わず、危険も認識しない。
僕が許可したもの以外はすべてを拒絶する。自分を守るものでさえ、遍く例外はなかった。
それが神より与えられし使命、加護だと悟る。
僕の動きを認識できていないにも関わらず、暗幕が破られた保険に無の奔流を飛ばしてきていた。
流石は北地遠征隊の生き残りだ。戦いの数手先を見越す見事な戦術だった。
だが学院長にしては学習が足らない。その技が通用しないことは二度も証明したはずだ。
奔流はミカエルの光に当てられて形を歪ませる。方向転換を余儀なくされ地面を無意味に掘削するだろう。
動きの固いモーガンスの喉元に僕は切先を立てた。薄い果物の皮を裂くように中へ刃筋が通る。
接近したことによりモーガンスの小結界は、加護天使の祝福を受けて術者の護衛を解除した。
光魔法の余波を浴び、ただの柄だった魔導具がその刀身を艶やかに伸ばす。
光刀の姿を顕現させたそれはこの世に一振のみ、光の魔道士だけが扱える伝説の刀。
獣の解体となんら変わらない。勢いよく刀身を下げ、老いた身体を二つに割いた。
じわじわと血液が姿を見せる。刀が通った道筋に、波打つ赤い稜線。
ゆっくりした時間の中、数え切れない刀傷を高速で付けた後、断裂しきったモーガンスに背を向けた。
呪文の効果が消え、徐々に時の流れが加速していく。いつしか平時の勢いに戻された世界は、時間を取り戻した。
花が開いたような血しぶきが一斉に吹き出す。何度切られたか分からないほどの傷口が顕になった。
学院長は目を白黒させる。
スキルも魔法も通用しない。
ありえない現象に、ただ体を引き裂かれていく。
肉塊と等しい形になりながら、汚い音を立てて地に伏せる。
気付いた時には、すべてが終わっていた。明滅する視界。
モーガンスの瞳に、少女へ駆け寄る少年の後ろ姿が映った。




