第4節 露天商と魔導書
ルールエで生活し数日が経った。
依頼も簡単なものばかりではあったが、順調に数をこなし等級は九級に上がった。
ここからは護衛や見張りだけでなく、魔物の討伐を行うこともできる。報酬はそこまで期待できるようなものではないので、安定した暮らしとは言い難い。そのため依頼のついでに薬効植物などの素材を集めギルドに売却して生活費の足しにしていた。
どんな本でも読んでおくものだ。農家の人々の助けも借りて、植物にはかなり詳しくなった。
路銀も余るほどではなかったが、生活に困るようなこともない。
ただ目的はここでの冒険家業を確立したいのではなく、世界に混沌招く魔王討伐の旅だ。ぐずぐずしている時間はない。さっさとお金を貯めて、北を目指さなければ。
だけど、少しだけなら寄り道も許されるだろうか。
実は気になる魔導書の存在が僕の後ろ髪を引いていた。露店で売られていた見たことのない装丁。内に秘めた古めかしい魔力。偽物の類かもしれないが、どうも何かが僕の中で引っかかる。噂に聞く古代魔導書かもしれない。滅多にお目にかかれないものなので、誰かが買ってしまう前に話をつけておきたい。
見上げた空から日差しが降り注ぐ。依頼は午後からなのでまだ時間があった。
早速、雑踏の中に飛び込み、僕は目当ての露天商を探し始めた。
時間は昼前。朝という人もいるかもしれない。とにかく目覚めるには少し遅い時間帯だ。やはりというか、さすがというか、ルールエにはどの道にも人が溢れていた。
人の多い大通りを避ける為、あえて別の道にしたというのに誤算だった。
人混みをかき分けて進みたいが、思うように進めない。押し返される波の中で小さな体は不利だ。
昼前だと言うのに、飲食店も盛況のようだ。中を覗くと色々な人が見えた。顔を赤くしながらもさらに酒をあおる男性。料理の華やかさに感嘆の声を上げる女性たち。
人と人の間に挟まりながら僅かに進む行列。
息も苦しいこんなところで、探し物なんてできやしない。
その時だった。
「――っあぶない!」
人垣が別れ、押された拍子に露店の支柱に僕は頭をぶつけた。
背後から石畳を叩く車輪の音が聞こえる。
振り返ると、荷馬車の列が狭い通りを通行していく。
遠くでぶつかりそうになった男性が不満の声を荒げていた。
「大丈夫か、坊主?」
店主に声をかけられた僕は、愛想笑いをしながら頭をさすり返事をした。
「ええ、なんとか……」
蹄鉄が地面を蹴り上げ、車輪が駆動し軋む。思ったよりも長い荷馬車の列だ。
一体何をどこへ運んでいるんだろう。
馬車が過ぎ去ると、押し退いた人々が雑踏に戻る。
とにかく窮屈なこの道程をなんとか踏破しなくては。
砂埃舞うローブをはたいて気合いを入れ直す。
人の波に押し出されるように広場まで来ると、漸く大きく息が吸えた。二度とあそこは通りたくない。
大きな拍手と歓声を上げる群衆に気が付き、何事かと僕は隙間から覗き見してみた。
憲兵が見守る人だかりの中心では、踊り子たちが舞を披露している。足元の籠には山積みの硬貨が入れられ、何やら大盛況の様子だ。大道芸が教会に来たことがあるのを思い出す。
旅をしながらでも稼ぐやり方はいくらでもあるようだ。
踊り子の身にまとった艶やかな布が揺らめく。長い四肢を大きく振り動かし観客を魅了する。
しなやかな動きと派手な衣装が、彼女たちの妖艶な舞と表情を輝かせた。
頭のてっぺんからつま先まで一糸乱れぬ踊りの連続。目が離せない一挙手一投足に僕の胸も躍る。
はっとして僕は揺らしていた肩を止めた。
いけないいけない。見入ってしまっていた。
人混みから飛び出し、魔導書の露店探しを続ける。
広場には他にも露天商が沢山出ていた。確か以前はこの辺りで露天商をしていたと思うのだが。
僕は魔力を探しながら通りを歩き、ついに目当ての商品を見つけだすことができた。
麻で織った布の天井。板と棒でそれを固定し簡易的なテントで商店を営む。
その中で売り子が胡座をかいて座り、地面にも同様の布を広げ商品を陳列している。
中でも一際目立つのがやっぱりあの本だ。魔導書と他の本の見分け方は簡単だ。魔導書は分厚く、そして大きい。何よりも魔力が込められている場合が殆どだ。魔術師にとってこれほど分かりやすく便利な見分け方はない。
僕は露店の近くまで行って、売り子に尋ねた。
「どうも、この本はいくらですか?」
細身の中年女性だ。薄手のケープコートを着用し、手首にはいくつものブレスレットを身に着けている。色とりどりの石を使った装飾品。販売している物にも似たような物があるので、売り物で着飾っている様子だ。
「おや、坊やがお買い物かい、珍しいねぇ」
低くしゃがれた声だ。見た目よりも、もう少し年を取っているかもしれない。よく見ると随分目元が落窪んでいる。
「坊や、魔術師かい? 何か魔法を見せておくれよ」
「見せれば値引きしてくれる?」
僕は正しい愛想笑いの使い方を披露しながら告げた。
これはタダで見せられるものではない。
「買い物上手だねぇ。そうだねぇ………魔法使いはそうでないと」
僕の行動がお気に召したのか彼女は上機嫌だ。
いや、元より僕は客だ。嬉しくないはずがない。
座ったまま女性は告げる。
「この本をわざわざ買いに来たってことは、この中身を知っているのかい?」
鋭い視線が僕の心の隙をジッと窺ってくるようだ。
眉をひそめ、僕は魔導書を見ながら考える。
近くで見てわかったが、やはりこの魔力の性質は現代の魔導書とは異なる。
ゆっくりと魔導書から目を離し、唾を飲み込んだ。僕は商人を見つめ返す。陰に隠れた暗い虹彩が佇む。
後ろの方で歓声が大きくなったような気がした。
これは―――。
僕は溜息を吐いて見せた。呼吸をする為の時間を稼ぎ、一息に告げる。
「うーん、これは魔導書ではありませんね。装丁は古いですが、中に込められた魔力は比較的新しい。 偽物だと思いますよ」
思い違いでなければいいのだが。
仰天する売り子は直ぐに我を取り戻す。
「―――なんだい! この本の良さが分からんのかね! 難癖つけるんじゃないよ! さっさと帰りな坊や!」
露天商は目を薄くし眉間に皺を寄せると、急に態度を豹変させた。
僕は肩を上げてやれやれのポーズ。立ち上がってそそくさと後ろを向く。
露天商のわめき声を背中に受けながら、広場の中央にとんぼ返りしてきた。
広場が広くなったような気がする。踊り子の舞台は終わってしまったようだ。少し人が減ってきたか。時間帯によって混み具合に波があるみたいだ。
しかし、あのような露天商は多いのだろうか。あんなものを売り物にして、一体何がしたいというのだ。
広場にはまだ憲兵が駐在していた。
………僕は世間知らずだからな。分からないことは聞いてしまおう。
「すいません、お尋ねしても?」
「どうした、坊主、迷子か?」
憲兵はしゃがんで目線を合わせてくれる。
「いえ、そうではないんですが」
一拍置いてから、僕はこう尋ねた。
「―――つかぬ事を伺いますが、最近ここらで人攫いがありませんでしたか?」