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星の屑から  作者: えすてい
第2章 秘密の魔法学院

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第32節 彗星の魔女

 

「「ワイバーン!!?」」

 私とドーラは口を揃えて声を上げた。

 食事を取っていた彼も身を引いて驚いた。

「なにか……まずかったですか……?」

 道中に魔物と全く遭遇しないのは変だと思っていた。

 まさか翼竜(ワイバーン)の縄張りだったなんて。

 砦の兵士が警戒していた峡谷に住まう魔物。

 その正体はドラゴンとよく似た獰猛な翼竜だった。

 神話や伝説の中では、竜は高貴な存在として気高く、そして美しく描かれることがしばしばある。

 それは祖竜教国が崇める"祖竜神"に由来し、生息する竜は祖竜の子孫だと言われているからだ。

 竜だけではない、幻の獣や悪魔、概念と化したものたち。伝説級の生物たちは魔物との線引きが酷く曖昧だった。

 それに引き換え翼竜は下等で知能も低く、神々の描かれる神話に登場することはなかった。

 ドラゴンと比較するとあまりに見劣りしてしまうが、その存在感と恐ろしさは魔物としては別格だった。

 硬い鱗と強靭な顎、巨体を持ち上げる大翼に、人間の体ごと抉るような鋭いカギ爪、それから長い尾を持つ。

 本によれば最も大きい種類の翼竜で、民家を一飲みできるほどの個体が見つかっているそうだ。

 魔法を使って攻撃してくる他、群れで集団戦も得意とする。縄張り意識が強く、別の魔物が寄り付くのをひどく嫌う。

 近辺で魔物に遭遇しなかったのはそういう理由があったからだ。故に、彼は私たちを置いて翼竜を始末しにいったのだろう。

 取り出して見せた彼が持つ翼竜の牙。推定するに恐ろしい大きさだ。

 こんな大きな個体を一人で狩ってきたのか。私は改めて彼の強さを認識した。

「谷にワイバーンが巣を作ると非常に厄介ですから、早めに()()だけでも討伐できて良かったです」

 彼の言葉にスプーンを落としそうになる。

 ()()。翼竜は雌雄で巣を作ると聞いた。

 彼の功績は峡谷でワイバーン二体を屠ったことになる。それがどれだけのことか自覚しているのだろうか。

 焦げ臭い衣服と泥だらけの顔がその過程を物語る。

 私は唖然とする他なかった。

「それよりもこのスープ、どうですか?」

 彼はワイバーンを片付けたことをなんでもないように言う。こと自分自身において、彼は少しズレている。

 私は手元のスープを覗く。

 いつもと変わらない、山菜と干し肉を煮込んだもの。

 彼は植物にも詳しく食べられるものとそうでないものを一目で見分けて、よく食卓に並べた。

 体の基本は食事にある、そう言い聞かされて育ったようだ。この年齢で彼は旅人然としてきていた。

 何もかも用意されてばかりだったルールエ暮らしとは違い、食事まで現地調達なのは中々新鮮だ。

 見たことも聞いたこともない食べ物に抵抗はなかった。

 ……はて、このスープには何か入っているのだろうか。

 スプーンで掬い、口へ運んだ。

 ゆっくりと舌で味わい嚥下する。

 香辛料は高価で日常食とするには勿体ない。

 野菜の出汁や草食獣の肉を入れることもあるが、味が淡白になりがちなのは旅の都合上仕方がなかった。

 野外では魔物の襲撃も考えられる。

 手の込んだ料理が作れないことも多い。

 だけど彼の作ったこの変哲もないスープは、いつもと何かが違った。




 ■■◇■■




 吐く息が目に見えるほど気温が下がっている。

 夏だというのに体の芯から凍えそうだった。

 私の肌は全くと言っていいほど色を失くし、自分の皮膚じゃないかのように白い。

 凍土と化したステージは白銀の世界に近く、水蒸気が結晶となってキラキラと散りばめられる。

 急激に気温が下がる密閉された空間に、冷たいルリの声が聞こえた。

「予想もしていなかった。支配空間(コントラウム)まで使わせられるなんて」

 これが、支配空間(コントラウム)……?

 私は耳を疑いたくなる。

 魔導書でしか見たことのない古代の魔法。

 それを唱えられる魔法使いが存在するなんて初耳だ。

 同じ場所にいるとは思えないほど飄々と語るルリに、震えながら私は告げた。

「あなた、一体何者なんですか……?」

 ルリは視線を逸らして、杖を揺らしながら応じる。

「寝る間も惜しんで修練した……では納得できないか。魔法に関しては命を削っているからな」

 (たしな)める彼女の態度はいまいち掴みどころがない。

 私との戦いを心底楽しんでいるかのように笑顔を見せる。

 支配空間(コントラウム)とは、自身の魔力による恣意的な環境設定だ。

 望む空間を思いのままに操ることができる魔法。

 極寒の中、寒さを通り越して皮膚が痛い。

 じきに瞼も凍りついて開かなくなるかもしれない。

 魔力探知が反応し、足元に視線を落とす。

 地面を割って氷柱が伸び、空を切った。

 クィーラは素早く仰け反る。すんでのところで串刺しになるところだった。

 ルリは手を地面に向けて私に微笑んだ。

 次は当てる、そう目が訴えていた。

 風の魔法は効き目が薄い。

 なんといってもあの氷の強度には叶わない。

 このままでは凍えて負けてしまう。

 私は杖を構え直し、勝利への道筋を紡ぎ始めた。

 一か八か、大勝負に出るしかない。

 魔力を操り風を導く。収束する空気の流れは一箇所に集まった。

 ルリの視線が私を再び捉えた。

 私の考えなど、お見通しのようだ。

 だがそれでも問題はなかった。気付かれて止められる策なら、それは無策と同義だ。

 なりふり構っていられない、全力をぶつけるしかない。

 冷却されてしばらく静止した空気を再び掻き回し始める。

 咄嗟に気が付いたルリが呪文を唱えた。

 先端を尖らせた氷塊をこちらに目掛けて飛ばす。

 高速に弾き出された氷塊は冷気を纏って白く輝き、私の眼前に迫ってくる。

 氷の顎が私を引き裂いた。

 だが、賭けには勝ったようだ。

 私は試合が始まって初めて口角を上げた。

「何……!?」

 ルリの放った氷塊は私の真横をすり抜けていく。

 彼女は研ぎ澄まされた感覚で過ちに気付いた。

 私はその隙に杖の先端へ空気を圧縮させる。

 マテウスとの戦いの時に見せた灼熱の魔法。

 ルリの注意を逸らした瞬間、私は空気を歪ませた。

 光は屈折し彼女は私との立ち位置を見誤る。

 氷塊が壁を砕いた音が背後から聞こえ、飛び上がった私は錫杖の先をルリに向けた。

 氷の防御は間に合わない。輝きが彼女の顔を照らす。

 高密度の空気が放つ熱線を、耐えられる者などいない。

 超高密度に圧縮された空気は膨大な質量を誇る。

 比例して、錫杖の先端は眩く光度を上げた。

 圧縮された空気が持つのは質量や明度だけではない。

 緩慢だった空気の流れが押しつぶされ加速を始める。

 空気は密度が増せば増すほどに圧力を高め、それ自体を極限まで過熱していく。

 蒸気を用いた動力の発明は数十年前だが、その空気の性質を理解する魔法使いはあまりいない。

 先のマティウスとの戦いで用いた炎の魔法は、空気圧を利用した熱攻撃だった。

 炎魔法と比べると持続力はなく燃え広がらない。元となる火を生み出す魔法ではないからだ。

 だが、空気圧によるメリットは圧倒的な威力。そこから発せられる高圧力の熱線だった。

 押さえつけられた空気の塊の一部分のみを解放する。そうすることで溜め込まれた圧力が怒涛の勢いで飛び出す。

空圧熱線(エタシュタール)!!」

 風に波打つ淡い色の髪に目もくれず、青い瞳はそれでも私だけを見つめていた。

 輝かしい光の一筋が、ルリの輪郭を消して直撃する。

 爆発音と共に甲高い音が響き渡った。

「ぐっ……!!」

 辺りを囲う氷が蒸発し、再度視界が遮られてしまう。

 破壊力は一瞬、衝撃波が着弾点を中心に炸裂した。熱波が激しく体に打ち付け冷気を取り払う。

 急速に失った熱量は、劇的にその威力を落とした。

 高温により気体となった水分が空間の影響で冷却される。細かい粒となった水や氷は霧状に広がっていった。

 瞬間火力は著しいものだったが、攻撃は一瞬だ。

 しかも魔力を大量消費する頗る燃費の悪い魔法。

 魔力はもう殆ど残っていない。

 極限の圧縮と解放は体の負担も大きかった。

 私は脱力した状態で動かない体を実感し物思いにふける。

 ここまでルリとの戦いを目標に魔術へ懸命に取り組みザルタス先生やファルケさんにも協力をしてもらった。

 自身の風魔法に向き合い強みと弱みを研究し、持てる限りのチカラを注ぎ込んだ。

 全てを出し尽くしたんだ。

 これで届かない実力ならばそれも仕方がないと思えた。

 戦って理解した、彼女の魔術師としての力量。

 自分のやっている事が荒唐無稽に思えるほどの厚く高い壁。

 それは兄弟に感じていた劣等感とは比肩できないくらい越えられない非情さを醸し出していた。

 手を抜くほどの余裕はない。

 私は、全力だった。

 地上に出来上がった雲の中で静かな息遣いが聞こえる。

 私は目の前で白い息が吐き出されるのが分かった。

 あぁ、やっぱり……。

 氷の粒が揺れて霧が晴れる。

 もう一人の青い瞳の主が歩み出てきた。

 届かなかったか……。

 彼女は鎧のような外殻をした結晶を身に纏わせて、一歩、また一歩と私に近付いてくる。

 ルリを守るようにして覆われた半透明の厚い装甲。体の何倍も大きな鎧が取り憑いているようだった。

 ……精霊を召喚したのか。

 魔力に息づく存在たちをこの世に顕現させる魔法使いの術。

 凍土の騎士(アルプトラウム)と呼ばれる巨人がいた。巨人たちは北の果てに住み"竜殺し"の異名を持つ。彼らは原初の竜たちと戦い、古の文明を築いていった。古代の遺構はこの時代に相当すると言われている。

 ルリが召喚した凍土の騎士(アルプトラウム)はまさにその時代の戦士だった。

 丸みを帯びた装甲の形状は著しく融解している。

 胸の部分が大きく窪んで砕けていた。

「――――あと一手、足りなかったな」

 ルリは無表情に告げる。

 巨人の騎士は蹲るようにして消え去っていく。

 私の瞬間的な速度に適応するために詠唱を簡略化し、一時的な壁を精霊で(こしら)えたのだ。

 防護魔法では耐えきれない熱線の威力を、古代の精霊を惜しげもなく使って防いだルリ。

 どう足掻いてもそんな化け物じみた精霊の使い方は、普通の魔法使いにはできない戦法だった。

 ルリは私に告げる。

「……本当に、本当に素晴らしい魔法だった」

 その言葉を聞いて、今更ながらに気が付いた。

 無感情ではない彼女のどこか憂いを帯びた眼差しに。

「マーシャ、やはり私が………」

 ぽつりと呟いて結晶の杖をこちらに向ける。

 既に勝敗は決した。私に残る魔力は皆無だ。

 空気の圧縮は他方の伸張を意味する。

 減圧した分、周りの気温はさらに下がった。

 私の体はもう動かない。

 足元から徐々に凍り始めていた。

 魔力が弱まり、ルリの魔法が侵食していく。

「すまない………」

 ルリは氷の息吹をそっと吹きかけるように告げた。

 顔を曇らせて杖を掲げる。

 冷気を集約させ杖の先から氷柱を放つ。

 放物線を描くことなく一直線に私を狙い撃った。

 長期に渡る風と氷の戦いがここで終わる。

 雌雄を決するこの瞬間を、私は待ち侘びていた。

 どんな手段を使っても構わない。

 私は、彼と……。

 舌先にあの時のスープの味がした。

 纏わりついた氷に亀裂が入る。

 私は地面を蹴り前方に走り出した。

 割れるはずのない氷が割れて、動けるはずのない私が動いて、ルリは目を張る。

 ヴァストールがそうだったように、ルリは自分の力を奢らない。

 少ない魔力を拾い集め、風を駆る。

 錫杖を破棄し右手に力を込めた。

 ルールエで彼がそうしたように、絶対的な相手に油断を誘う。

「はああああああッ!!」

 頬を掠めた氷塊の鋭さをものともせず前進する。

 皮膚の感覚が麻痺し痛みも感じない。

 瞳孔を開いたルリの懐に飛び込んだ。

 風に後押しされた私は、彼女の肩に掴み掛かった。

 もう精霊を出す時間も猶予もない。

 私は風の刃を握りしめ、ルリの白い首筋めがけて振るう。

 横凪が無防備な彼女の動脈を掻き切った。

 勢いのまま彼女の上に倒れ込み、二人は地面に沈む。

 支配空間(コントラウム)が崩れ去り、頭上から陽の光が差し込んだ。

 暖かい……。

 全身が溶けだすように冷気が抜けていく。

 体の至る所が悴んで麻痺していた。

 今すぐにでも毛布にくるまりたい。

 私がぼんやりそんなことを考えていると

 甘く官能的な匂いが鼻腔をくすぐった。

 柔らかな肉感が私の冷えた体を温める。

 これは、陽の光ではない……?

 気が付くと、私はルリに強く抱きしめられていた。

 暖かで安らぎのある彼女の体温が身体に伝わってくる。

「なっ!? 何をっ?!」

 クィーラは驚いて体を引きはがそうともがくが、力が入らず上手く振りほどけない。

 さらに強く抱くしめられる。すごくいい匂いがした。

 耳元で小さく彼女の声が聞こえた。

「君は中々どうして、彼に相応しいな」

「ど、どういう意味……」

 朦朧とする意識の中、問われた言葉の意味がよく分からなかった。

 耳元で囁かれるルリの声は、とても優しい。

「教えてくれ、彼のどんな所に惹かれたんだ?」

「な、な、何を言って――――!!」

 私は混乱してしどろもどろになりながら、呂律も回らない口先で何か言い返そうと努力した。しかし、もどかしさと恥ずかしさとやるせない気持ちが混ざり合い、うまく言葉にならなかった。

 凍えた体が温かい彼女の体を手放せないでいることが、何よりも悔しい。

 殺伐としたさっきまでの戦いは何だったのだろう。

 無表情だった彼女の姿はもうなく、押し殺したような笑いが耳元で聞こえていた。


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