第25節 朧げな気配
通達が来たのはマギ二日目が始まってすぐの朝だった。直接部屋まで来た伝令は、それだけを伝えて行ってしまった。
今日の対戦相手の不戦敗が伝えられた。
勝ち抜き戦で相手が出場できない場合は、そのまま勝利となる。
懸念していたルリまでの試合はこれで全て終わった。
図らずも駒を進めることができたクィーラだったが、その思惑は決して嬉しい方向には進んでいない。
私の次の対戦相手はパレッタだった。彼は今どこにいるのか、管理局はその動向を追っている。
いや、もうすでに拘留されている可能性もある。私たちは管理局の有する情報を全て把握してはいないのだ。
考えうる最悪のケースは想定しておいても損はないだろう。
パレッタが入手した秘蔵の研究資料を私たちは見ている。秘密が秘密でなくなりつつあることを、私たちの存在自体が証明してしまっていた。
一介の学生であるパレッタがそれを隠し切ることができるかどうかは分からない。管理局はそれを洗いざらい調べるはずだ。
自分たちの身を清めるためなら何をしたって許される。そんな横柄がまかり通ってしまえるほどの機密だった。
付け加えて、早朝のことを私は思い出した。朝日差すこの部屋で、突然襲った戦慄のことを。
それは小さく一瞬の出来事で、預かり知らない者にとっては些細な違和感だったかもしれない。
それでもぞっとするような悪寒が全身を巡った。嫌悪するような金切り声を全身に浴びる感覚。または、すり潰した肉塊を素足で踏むような触感。
飛び起きたドーラが自室に転がり込んできた。直接的ではなく、精神に強い衝撃を与える魔法。
誰かに睨まれるような、禍々しさ。私とドーラはこの気色悪さを体感した。
おそらく学院の闇を知る者すべてを脅迫するメッセージだ。パレッタの件が引き金になった可能性もある。
強者の咆哮が、威圧が、雄叫びが、頭内で鳴った。
おぞましい何かが学院で動き出す。呼応するようなドーラの緊張した顔が、私の身を引き締めた。
気を付けなければならないのは管理局員だけではない。もう誰が彼の者の手先か分からなかった。
それは教授か生徒か、図書館の司書かもしれない。
今まで以上に針の筵となった学院が、私たちを追い立てる。
だが考えている暇はない。禁術が本当なら、刻一刻と被害者が増えていくだけだ。ただ指を咥えて見ていることなんてできない。
私たちは再び図書館に赴いていた。
心を落ち着かせながら入館する。人は多かったが、騒ぎが起これば人目など関係ない。
不審な行動は直ちに死を意味する。それほどの恐怖心を植え付ける魔法だった。
以前の私なら身が竦んでしまっただろう。恐怖に支配されて、おびえることしかできなかったかもしれない。
でも今なら動ける。私はいつまでも守られるだけの存在ではないのだ。
昨日にもまして図書館の利用者は多かった。午前中ということもあるのだろうか、学生たちは試合に興味はないのか。
人混みを抜けつつ懐のもう一枚の手紙に触れる。今朝、私宛にまた新しい手紙が届いた。
『七不思議の一つ、隠された部屋を見つけろ』
真新しく今度は高級な紙の上、同じ内容の記述が見られた。
書かれている文章はもう一つある。
『玉座は既に堕ちている』
送り主は書いていなかった。
先の手紙の主は余程隠し部屋を見つけてほしいようだ。部屋に放り込まれた便箋を見つけた時、外へ出たが周囲には誰もいなかった。
誰がこんなものを。
とにかく、今までのヒントを頼りに隠し部屋の"鍵"をこの図書館内から探さなくてはならない。潜む敵勢力に見つからずに。
クィーラとドーラは死角を探して書架と書架の間へ入る。
どこもかしこも生徒だらけだ。
クィーラはゆっくりと隣の書架へ移る。
女子生徒の数人が捲し立てるように雑談をしている。
さらにその隣では物静かな男子生徒が本を抱えていた。
書架のどの列にも人が入り込み死角がない。
なにか妙な違和感があった。
ふと、ドーラが私を呼んだ。
「お嬢様、聞きましたか」
振り返ると、後ろを目配せしたドーラ。
「……何をですか?」
ドーラの目線の先には、先ほど通った書架がある。
女子生徒が集まっていた場所だ。
「どうやらこの人だかりは七不思議のせいみたいです」
ドーラは耳元まで近付き声を潜めて言う。
まさかみんな隠し部屋を探しに……?
私はヒソヒソと耳打ちする。
「……どういうことですか?」
「ここに集まっている生徒たちに話を聞いてみましょう」
ドーラはそう告げると、物静かな生徒に声をかけた。彼が悪の手先でないことを祈る。
「すいません、今日は図書館が混んでいるようですが、何か催し物でもあるのですか」
相変わらず抑揚のない言い方だったが特に気にした素振りも見せず男子生徒は答えてくれた。
「あぁ、昨日の夜、でたみたいですよ。"動く影"が」
学院の七不思議の一つに、真夜中の学院を徘徊する神出鬼没の動く影、というものがあった。
実体のない黒い何かが時折姿を現すというのだ。決まって夜の学院の敷地内に出るらしい。ガスや霧の類に似ているという目撃談や、夜の闇に紛れて誰かが放った魔法だとか。目撃した者の形容は様々だ。
至って七不思議らしいと言えばそれまでだが。
しかし、"動く影"が目撃された翌日には、どういうわけかはっきりと分かる痕跡が必ず残されるという。
分厚いメガネを軽く押し上げると、その生徒は続けた。
「図書館の本が数冊、夜の間に動かされていたみたいです」
大勢が押し寄せ騒がしくなった図書館の中で、魔法史学の本が並ぶこの一角だけが静かだった。
"動く影"は数年前から学院に出没し、何度もこのような悪戯じみたことをするそうだ。
学院の所有物から、寮にある私物まで、人が持ち運べるような小さなものを移動させる。
誰かの悪戯か、それか学院に紛れ込んだ小動物の仕業だろう。当初誰もがそう切り捨てることがほとんどだった。
"動く影"が噂されその悪戯が有名になると、今度はその正体を暴こうとするものが現れる。
一連の悪戯犯を突き止めようと躍起になる生徒たちが、夜間の学院を警備するように出歩いた。
聞くところによると、怪奇現象を調べるための集団も組織され生徒の中では大々的に犯人探しを行う者もでてきたようだ。
だが奇妙なことにその影の正体は誰にも掴むことができず、魔法の痕跡や足跡さえも見つけられなかった。
謎は深まり、迷宮入りした怪奇現象として生徒たちの間では語り継がれるようになって久しい。
不幸を呼ぶ、幸運を運ぶ、様々言われているようだが、パレッタ曰く実害は物の移動のみだそうだ。
その"動く影"が図書館に現れて、本を数冊動かしたらしい。聞くだけならなんてことはない学院の小さな出来事だ。
だが今はマギ開催中で部外者の利用も多い。加えて管理局は消えた大会参加者を探しにおおわらわだった。
お祭り気分でこの図書館に赴いている雑多な生徒たちに不満を思い、ため息をつきながら男子生徒は肩を下ろす。
「おかげでここは大混雑の大騒動、いい迷惑だよ」
彼と別れてクィーラとドーラは場所を移した。書架と書架の間は人気なようでどこも一杯だ。
昨日訪れた紛失書庫を覗くとそこにももう人がいた。どうやら穴場の場所は抑えられてしまったようだ。
ドーラは目を伏せると腕を組み、静かに告げた。
「手がかりになるかどうか分かりませんが"動く影"の騒動が少し気になりますね」
クィーラは首肯すると答える。
「同感です。手持ちのカードが少ない以上、"隠し部屋"よりも先に、"動く影"を追ってみましょう」
二人は顔を見合わせると頷きあった。まずは動かされたという本を探そう。
そう思って足を踏み出した時、角から出てきた人影にぶつかりそうになった。
「おっと、失礼しました……って、クィーラさんとドーラさんじゃないですか」
そこに現れたのは、身だしなみに気を使わない寝ぐせのままの中年男性。我らが師のザルタスだった。
私は突然のことに驚いて後ずさる。
平静を装い言葉を返した。
「先生、おはようございます。……珍しく早いですね」
にこやかに笑うと先生は頭を掻いた。
「ははは……そんなに驚かなくても。たまにはあるんですよ、早く起きる時も……それより―――――」
態度を改めて先生は言葉を切る。
彼は辺りを見回した後、私を見つめて言う。
「おめでとうございます、昨日は凄まじい試合でした。今日は不戦勝でしたが、ついに目的の人と戦えますね」
朗らかな目元が静かに喜びを湛えていた。
心から喜んでくれているような、そんな雰囲気だ。
あっけにとられ反応が少し不審になってしまった。
クィーラはぎこちなく礼を伝える。
「あ、ありがとうございます……」
「別にもう最後まで戦い抜けなんてことは言いません。一度引き受けた以上、マギが終わるまでは師ですからね」
最初に私たちと出会った時に叱咤したことを思い出しているのだろう。
そのまま先生は続ける。
「本当は決勝まで進んでいただきたいですが、仕方ありません。私は検討を祈るのみです」
そこまで言い切ると、満足そうに頷いて立ち上がった髪の毛を揺らす。
クィーラふと思い出して告げる。
「ザルタス先生、魔導具、受け取りました。ありがとうございます」
「いいんですよ、古いものですから。壊してしまっても構いません」
すると何かに気付いたかのように彼は尋ねる。
「そういえば、今日はどうしてこんなに活気があるんですか?」
あたりを見回しながら抜けたような声を出す。
クィーラとドーラは目を合わせた後、状況を説明した。




