第24節 導かれる者
初日は上々、観客も大盛り上がりで一日が終わった。
去年よりも三割ほど入場者が増えたようだ。
学生たちの頑張りによってこの上ない盛況ぶりで、観客たちから零れる笑顔や歓声がそのなによりの証拠だった。
学院長はローブから伸びる細い腕で杖をつき、朝日に白む廊下をゆっくりと進む。
学院に従事して数十年が経つ。関わった生徒の数は知れず。あっという間だった。大人になったかつての教え子たちの成長は、長生きした身にはこの上ない喜びに感じた。
もとは首都ヤミレスが率いる軍部所属だった彼は、暇を飽かした防衛軍ではなく鮮血を求める強襲部隊だった。
幼い頃から仕込まれた戦闘技術で高い成績を残し、数年で戦場を駆け回り幾つもの戦果をあげていた。
上層部から声がかかり養成所の長官として籍を置くと、長らく国を支える土台作りに励んだ。
数十年が経ち、最初の教え子へ長官の座を譲った。莫大な富を得た彼はぼんやりと隠居を考えていた。
勤めはしっかりと果たした。
もう十分よくやったじゃないか。
理想的な移住先を思い描いていたところへ伝令が来た。次の彼の天下り先は、魔法学院の学院長だった。
軍部と離れ、貴族や商家の子息子女達の面倒を見る。他国との強いパイプを築ける最高の名誉職だ。
当初、学院側からは軍の目付け役だと毛嫌いされていたが圧倒的権力の前には逆らえない。
もとより、学院で幅をきかせる気がなかった彼は、よりよい教育機関に尽力するため、快く学院長の座に就いた。
その熱意に当てられてか、意固地に伝統を守っていた学院保守派の支持を取り付け、その支配を広げた。
大賢者がこの学院を創立してから数百年が経つ。由緒あるこの学び舎は、既に錆びが目立ち始めていた。古くからの因習や廃すべき校風を自らの手で浄化しうる術を持たない。
賢人たちが広めた教えはいつからか形骸化を極め、名ばかりの称号を与える施設となっていた。
学院長は権力を行使し、腐りきった保守派を排す。能力ある生徒が能力ある師と出会い、その円環を紡いでいくための改革を取りまとめる。
ゆっくりとした過程の中で醸成されていく様を老いと共に実感していく日々だった。
大賢者の宣託に自分自身が含まれていたかは定かではない。だができうる限りの情熱で以ってその威厳を保たせた。
廊下の窓から外の景色を見下ろす。朝早くから学生が催しの準備を行っていた。
「結構なことじゃのう」
顎髭を手で流しながら独りごちる。動かす手の薄い皮に骨の筋が浮き出た。
生徒自身の身分を忘れさせ自主性を育み、魔術を扱うものとしての責任をその身に刻ませる。
魔術とは自己完結するものなのだ。どれだけ研鑽を積めるかは己の問題だった。薄弱な意思など必要としてはいない。また、そのような者に魔術など与えてはいけない。
厳しい学位制の元、学院長の思想は完成されつつあった。崇高で孤高なる魔術師たちの学び舎。
事実、多くの優秀な魔法使いを輩出した学院は大陸中にその名を轟かせるまでに至った。
樹木から削り出したかのような古い杖を揺り動かし、学院長は院長室へと足を運ぶ。
奥の席へ赴き、上質な椅子を引いて腰をかける。鈍重な瞳の奥には、静かな怒りがあった。
この安寧の地を脅かす不届きな存在。預かり知らない不審者達、箱庭を荒らす害虫。
学院では七不思議と呼ばれる奇妙な噂が広がっていた。長年の経験からその歪みに全身が警鐘を鳴らす。
いつも小さな綻びが全てを狂わせる。それはどの時代でも同じ、変わらぬ説法のように。
何者かが学院に紛れ、いらぬ浅知恵を企んでいる。
学院長は杖を握る手に力を込めた。
生徒の管理は理事長に一任している。彼女はとても素晴らしい逸材だった。我が思想を強く教授陣や局員たちに反映させ、理想的な学院への完成に大きく寄与している。
規範の緩くなった生徒たちには厳しい反面、学院で学ぶことへの重責を、その厳粛さで教えてくれる。
しかし、上等な良き右腕である彼女には、不審な点がいくつかあった。
ヤミレスに乱立する商人の集い。人で賑わう都市に群がる商会は、溢れるほどに存在する。
マーシャが理事長に赴任する以前、彼女はどこかの商会を経営していたらしい。だが、その商会は潰れ、今はなくなっている。彼女は別の大商会に引き取られて今に至ったのだ。彼女を後援する商会は立派なものだったが、それ以前の過去を知る者はいなかった。
彼女はどこで生まれどこで育ちどこから来たのか。
商会側が隠蔽しているのは明らかだったが、幾千とある潰れた商会を探すことはできない。
彼女の優秀さから、不審人物として無下にも扱えなかったが、最近は所在不明な時間も往々にしてあった。
何が目的で学院に来たのか理由は分からない。それ故、手の内を明かせられるほどの信頼に足らなかった。
自分の身はやはり自分で守らねばならない。学院長は顔の細い皺を硬くする。
先日の報告ではようやくその一端を炙り出せたが、黒幕の正体は分からずじまいだった。
早く見つけ出さなくてはならない。そう強く願うようになった。
引き絞られた弓矢が、培ってきた学院の円環を射貫く。
その切っ先に込められた邪悪な思惑。
喉元まで刃を突きつけられているような切迫感。事態は急を要している。そう判断した。
無辜の人々を守るため、自分はあの日決意したのだ。破りさった大事な手紙。どんな願いが秘められていたのか今ではもう知る由もない。
学院長は古い記憶を昨日のことのように思い出す。
雪の降り止まない北の大地。幾度とない出会いと別れを繰り返してきた。あんなことは、もう二度と起きてほしくない。
窓の外から笑い声が聞こえてきた。視線をそちらに向かわせる。
生徒たちであろうか、若い声がはしゃいでいた。
儂はこの子たちを守らねばならぬ。
そうこれは天命なのだ、そう言い聞かせた。
最悪の状況を絶好の機会だと悟る。
暗雲をたちどころに晴らし、全てに終止符を打つ。
黒く明度の無い光が杖を包む。飲み込まれそうな漆黒が凝縮し魔法陣を描いた。
机に置かれた羽根ペンがさわさわと動く。
彫り込まれた顔の皺はその溝を深めた。
これは警告ではない、戦いの狼煙である。
大賢者の加護をかけた醜い聖戦。
床に広がる魔法陣は拡大し霧を発散させ、締め切られたカーテンの腹を波打たせる。
呪文が発動し学院長を中心に円を描いて瞬時に飛び散った。発せられたその魔法は、ヤミレスを覆う範囲まで広がる。
学院長は立ち上がるとカーテンを開け、鋭い眼光を闘技場に向けた。
我が学院と未来は儂が護る。代償は常に先払いだ。
その魔法の気配に動いた者、全てが敵だ。
■■◇■■
嫌な風が吹いた。発信源は恐らく学院のどこかだろう。
普通の人間ならただの身震いで納得するはず。
だがこれは間違いなく合図だった。学院が抱える、血腥い秘密を巡る争い。
矜恃か見栄か。下らない。普段は穏便に済ませる学院長が今回ばかりは事を急いた。
状況が変わったのだろう。相変わらず判断が遅い。硬直した現状の打破、或いは既に危機的状況なのか。
その火蓋を切って落とす、それが狙いかもしれない。
まぁどっちだっていい。やることは変わらない。
思わず笑いが込み上げてくる。
この時を待っていた。ずっとだ。侘しいままごとの試合なんかよりもずっといい。生と死を別つ本物の戦いを望んでいたんだ。
生温い学院のベールを取り去った時、どこまでも付き上がる衝動が自らを高揚させた。
半端な力で持て囃される弱者を捩じ伏せ、力とはどういうものかその身に叩き込む。
気分と同調したのか漂う魔力が身に縋る。疼く身体を抑えながら嬉々として笑った。
さあ、誰を殺せばいい。




