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星の屑から  作者: えすてい
第2章 秘密の魔法学院

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第22節 覆水

 

 糊のきいたシャツの裾を掴んだ。

「ユーリィ、やっぱりやめた方がいいよ……」

「いやだめだ、俺以外に確かめられる人はいない」

 日没が迫った建物の影に、二つの声が聞こえた。

 慌てる私の様子を見かねて、ユーリィは告げる。

「怖いんだったらついて来るな! 俺一人でなんとかできるから!」

 私の手を乱暴に引きはがしてズカズカと歩いていく。

 それでも私は必死に彼の後ろを追いかけた。

「でも、初めに私が言い出したから……」

 ユーリィの眉がピクリと動く。

 聞こえているはずだが、彼は歩みを止めない。

 初夏が過ぎた学院の夏は雲に覆われる日が多く、曇り空な日々が続いていた。

 足元に生える雑草は学院側が手入れしているのかそこまで背は高くない。

 引き替えにこちらを見下ろす霊峰は青々と茂り、森林がなだらかな起伏を描く。

 夕暮れの闇が差し迫り、帰路へ着くいつもの道を外れて私たちは別の目的地へ進んでいった。

「お前が言ってたこと、間違ってないよ」

 急にユーリィが背中越しに声をかける。

 私は不意の言葉にドギマギしつつ、返事をした。

「だって、おかしいよ……。ロイナさんがいなくなるなんて……」

 マギ終了後、ロイナさんは忽然と姿を消した。荷物を綺麗にまとめ、部屋に書置きまで残して。

 でも私にはそれが信じられなかった。

 彼女が家族や私に何も言わず、突然学院を去るはずがない。

「ほら、これ」

 振り向きざまにユーリィはポケットから取り出したコインを私に見せた。

 ロイナさんが大事にしていた硬貨だ。女性の横顔が刻印された珍しい金貨。

 たしか女王が即位したときに製造された記念硬貨だとか。

 そう話す彼女は、すごく自慢げだったのを記憶している。

 これは彼女が持っているはずなのに、どうしてユーリィが………?

「ロイナさんの部屋で見つけたんだ。ベッドの下に仕込んであった。いや、隠してたんだろうな」

 ユーリィはコインを懐にしまいつつ告げた。

 私は不思議さを抱えて彼に尋ねる。

「どうして、そんなことを?」

「ど、どうしてって、気になったからだよ! 別にお前が不安がってたからじゃねぇ!」

 振り返ったユーリィが表情豊かに怒鳴った。

 私は驚いてきょとんとしたまま彼を見つめる。

 その様子が変だったのか、彼はたじろいで言う。

「な、なんだよ……」

「………いや、ユーリィじゃなくって、ロイナさんがどうしてそんなことをしたのかなって………」

 私の言葉で漸く理解できたのか、彼は顔を赤くする。

 そっちかよ、とそっぽを向いて告げた。

「俺たちに気が付かせるためにわざと隠したんだ。自分の身に何か起こるかもしれないって分かってて」

 彼女の残したコインが私の胸を痛める。やっぱり、ロイナさんは誰かに何かされたんだ。

 怖気づいた心を奮い立たせて、ユーリィを見つめた。

 私、怖がってなんかいられない。

「ユーリィ、急ごう。ロイナさん、困ってるかも」

「あぁ分かってる。それを今から確かめに行くんだ。

 ………この学院、よくないことを企んでいるのかもな」

 再び歩みを進める彼の後姿がとても心強かった。

 勇敢で優しく、優秀な魔法使い。

 私はユーリィの言う"よくないこと"が何なのかは分からなかった。

 だけど、ロイナさんを助けなければいけない、それだけを一心に、ユーリィの背中を追いかける。




 ■■◇■■




 両手を握りしめる手がわずかに震えていた。

 大丈夫、大丈夫だ。

 そう自分に言い聞かせながら目を瞑る。

 計画は順調に進んでいた。今のところ不備は見当たらない。それどころか、事態は好転し風向きも悪くなかった。ギャンブルなら良い賽の目が出すぎてイカサマを疑われるくらいだ。

 これ以上にないくらい追い風で、思い描いた理想を軽く実現できそうな勢いだった。

 それなのに、偶に襲う動悸が止まらなかった。

 何か足りないかもしれない。不測が起きるかもしれない。

 溜まったストレスがのたうつ度に、頭痛が激しくなる。不安感が募り、失敗する未来が駆け巡った。

 そう思うと、夜も眠れなくなる。この震えを抑える方法がわからなかった。

 遠い昔の記憶が呼び起こされる。ズキズキと古傷が痛むような感覚。

 薄く引き伸ばされた黒い影、つんざく悲鳴。どんな明かりも届かないがらんどうの暗闇。

 低い足音が脳裏に縋りつく。何度も悪夢のように現れては、こびりついた泥が感情を逆なでする。

 二人で歩いた暗がりの廊下に、異様な無数の黒がまき散らされる。

 何度も叫ぶ声と、残虐で不気味な笑い声が響いた。

 影のように這いまわり、執拗に纏わりついて離れない。

 逃げろ、逃げて!

 度重なる絶叫に身を竦ませながら一心不乱に走った。

 追いかけてくる恐怖からその身を守るため、後先考えず全力で逃げだした自分の姿。

 どこまで来たのだろうか、所在も分からない。

 鼓動が、吐息が、自分のものなのかさえ分からない。

 月明かりが消え、周囲は真っ暗だった。

 荒く呼吸する自分の声と、遠くで泣き叫ぶ声だけがする。

 延々と響き渡るその声の悲痛さに耐えられなくて、蹲って耳と目を塞いだ。

 ごめんなさい……ごめんなさい……。

 恐怖で歪んだ頭は必死にそれを繰り返す。

 咽び泣いている間に見つかってしまうかもしれない。次に悲鳴を上げるのは自分かもしれない。

 最期の顔が頭から離れなかった。

 あの笑顔が黒く塗りつぶされ、穢されていく。

 もう嫌だ。こんなの、早く終わって欲しい。全てを、終わらせてしまいたい。

 残酷な現実から目を背けるために、幸せだった毎日に戻りたくて自分自身を呪った。

 抑えきれないほどのささくれだった感情が、矛先のない悪意が、体中を駆け巡る。

 ごめんね……ごめんね……。

 一人で行かせてしまった、一人で逃げてしまった。

 いつしか声は聞こえなくなった。

 空虚な時間が、伸びきった紐のように弛む。

 叫び出したいのに、声が出ない。

 泣き出したいのに、涙が出ない。

 大切な何かが自分の中から欠落していく。突拍子のない乾いた音がした。砂をこすり合わせるような摩擦音。耳障りで不愉快な声色。

 自分の笑い声だと気付いたのはすぐだった。

 苦しい……苦しいよ……。

 止めたいのに止まらなかった。

 大事なものを失くしたから、分からなかった。

 ただ地面に額を擦り付け、空気を吐き出すしかできない。

 逃げて……絶対に逃げて……。

 壊れた人形のように。受け止めきれない感情を垂れ流すように。

 彼は最期まで人のことを心配してくれた。私が招いたはずの災禍だというのに。

 そこから先は、もうあまり覚えていない。

 古い瘡蓋を抉るような痛みが走る。頭痛の止まない頭を振り払った。

 過去を清算するためにも終わらせよう、何もかも。

 取りつかれた妄執は具体的な形となって顕現した。

 復讐を果たす、彼のために、自分のために。

 連峰の形が変わり、色あせて溶け出すようだ。

 夕焼けが差し迫った薄紅の空を臨む。

 大丈夫、大丈夫。

 臆する心を支えるように肩を抱く。

 同じ姿勢のまま、遠い空を眺めていた。

 この景色をもう見られなくなった、彼の分まで。

 青みがかった夜空の中、最初の星が光り始める。


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