第20節 熱量アクセラレーション
息が切れる。気だるい体を押して腕を振り上げた。
這い寄る細い根を魔法で切り落とすと、風で体を浮かせ空中を素早く跳んだ。
召喚される根の猛追を躱しつつ斬撃を飛ばし、マテウスの強固な防護魔法の対策を練った。
流れる汗が宙を舞って飛散する。
よく晴れた空から太陽がまじまじとクィーラを見つめた。
分厚い防御魔法の奥、目前でしかめ面をした対戦相手は手を緩めない。
地面は巨大な木の根に掘り起こされ、凹凸が目立つ。
マテウスは杖を構えながら告げた。
「本当に君は金位かね……」
問われた言葉が蔑みなのか誉れなのか、クィーラには即座に判断できなかった。彼女は勝つための糸口を、必死に探し続けていた。
後ろから迫る木の根を断ち切る。少しでも気を抜けば地面に叩きつけられた後、根に囚われて一巻の終わりだ。
まさか突風錐を受け流されるとは思わなかった。あの威力以上の風魔法はもう出せない。このまま避け続けるのはジリ貧だし、魔力量で劣る私の方が先に倒れるだろう。
試合開始早々にスキルを使って速攻で切り崩す算段だったが、学院の闘技大会はそう甘くなかった。マテウスの触媒魔法もその速度も、並の技術ではない。彼は修練を重ねてスキルに匹敵するまでに至ったのだ。
マテウスは深呼吸すると、腹を決める。
今まで培ってきた戦闘経験から試合の流れを動かす。うねる木の根が動きを鈍化させ、地下を這う数本が、力をなくした。
クィーラは起きた異変にすかさず距離をとる。
遠くの防護壁の中、魔法陣が光を帯びた。
何かが来る。
マテウスは詠唱を終えると、地面に手をついた。
クィーラは拡散する魔力の量で大技を予期する。
精霊樹は土に還り、周りを囲った根は消え去った。
風がやんだ闘技場内に静かな静寂が訪れる。
パレッタの情報だと、マテウスの適正は地属性だ。大地を基盤とする魔力を生成し変化させて戦う魔法使い。
てっきり土壁を畳み掛けてこられる、物量的あるいは質量的な攻めだと思っていた。
だが彼のやり方はそうではないらしい。
今の状況を見るに、あくまで防御魔法を基調として費用対効果の良い魔法でじわじわ削る戦法なのだろう。
精霊樹の召喚も広範囲かつ魔力の消費も少ない。精度も低ければほとんどの根は細く脆かった。
恐らく、あの防御魔法を展開している間は他の魔法での精密な操作には制限があるのだろう。
強力な呪文を複数唱えることは魔力の暴走を招く。故にその比重を魔法使いは考えなければならなかった。
おちおちしていれば私が防護魔法の解析を行うと踏んで戦略を切り替えてきたのだろう。
新たに唱えたマテウスの魔法に地面が揺れ動く。盛り上がった土塊が成形され人の形を模す。無骨だが、その荒々しさが特徴の土属性の召喚魔法。
魔物を召喚し使役する魔術師は珍しくない。彼は土属性と相性がいいゴーレムを戦いの場に出した。この魔物は耐久性に特化しており、力もそれなりだ。機能停止になるまで破壊するにはかなりの魔力がいる。
停滞していた戦況をぶち壊す。今の状況にはうってつけというわけだ。
だが空を駆ける私に愚鈍な彼らが追いつけるだろうか。相性がいいとは言い切れない選出だった。確かにゴーレムを壊すことは少々骨が折れる。しかし彼らの攻撃が素早い私にあたるとは思えなかった。
クィーラは成形される土人形の姿を見つめる。
妙なことに、本で見たゴーレムと少し姿が違う。二本足で構成される彼らの多くは、緩慢な動きでダンジョンや森を徘徊することが多い。
マテウスの生み出した黄土色のゴーレム。人の二倍ほどある大きさだった。
しかし、足がない。
下半身を地面に固定し両腕をこちらに向けている姿は、まるで何かを打ち出すような姿勢で……。
「――――っ!!」
突如、轟音が会場に鳴り響いた。張り巡らされた結界へ強烈な衝撃が走る。
観客の目の前に砕け散った破片が広がり、衝撃を受けた結界が波紋を広げるように光り輝く。
悲鳴が上がった。
学院長の張った結界は無事だったが、慌てて避けようとした人々が別の観客を押して転倒を招く。
会場内がその威力に騒然となった。中には恐ろしさで逃げ出す者もいるだろう。
結界にぶつかった勢いで平たく潰れた石の塊は、そのまま地面に落下し粉々に砕ける。
それはゴーレムの両腕から発射された砲弾だった。
間一髪、クィーラは自身を押し出すように風を吹かせて、当たれば命を落としかねない凶弾を避けた。
マテウスが舌打ちをする。
「猪口才な」
再び同じ呪文を唱え、土塊は数を増やす。ドロドロとマテウスを中心に地面が盛り上がる。
これが彼のとっておき。
相性の良し悪しを度外視した必殺の陣。
動きの遅いゴーレムが、超高速遠距離攻撃を有するなんて聞いたこともなかった。
マテウスは大きな声で叫ぶ。
「魔物の知識はあまりないようだな! 書籍に載っているものが全てではないぞ!!」
地面が波打って変形を起こす。
完成前のゴーレム亜種たちの目が、私を見つめる。
クィーラは風を放ち成形前のゴーレムを打ち払ったが、頑丈な石の塊を全て壊すことはできない。
砕けた箇所を別のゴーレムが補強し、大小様々な彼らが集い始めた。徐々に配備が整えられ、ゴーレムたちは集合する。マテウスを守るように円を結び陣形を組んだ。術者を守る完璧な防護壁に加え、強烈なゴーレム砲台を敷いた布陣。
こうなっては如何に強力な魔法使いであっても、並みの攻撃が通るとは誰も想像できなかった。
勝利を確信し頷く者、それでも諦めるなと声援を送る者。
観客たちは戦いの行く先を想い、熱い視線を注ぐ。
固唾を呑んで見守る衆人たちの中央。
空中に浮かんだ金髪の少女は、静かに口元を引き結ぶ。
大きく息を吸い込んで、切らした息を整えた。魔力を集中させて計算した回路を組み立てる。
最初の突風錐で相当な魔力を消費した。木の根を断ち切ったり空中を飛ぶのにも限界がある。
早々に決着をつけなければ、これ以上はただの魔力の浪費だ。
こんなところで躓いている場合じゃない。
私の目指す頂は、もっと上にある。
……さあ、ここからが反撃の時間だ。
マテウスは魔法を唱え始めたクィーラに向けて吠える。
「これで終わりだっ!! 岩塊砲撃!!」
全てのゴーレム砲台が発射され、反動で地面が揺れた。
矢でも追いつけない高速の砲弾が、クィーラに向かっていく。
目を閉じて感覚を研ぎ澄ませたクィーラは、暗闇の中、嗤うルリの姿を思い浮かべた。
轟く音が遠く聞こえ、柔らかな風を感じる。
地上の形をいくら変えたとしても、空中の私を捉えることはできない。
試合に勝つのは、この私だ。
防御魔法の中、ゴーレムたちの隙間からマテウスは仰天した。
勝利を目前に己の目を疑ってかかる。
数十体によるゴーレム砲台の弾丸が会場の壁に激突する。目標物を撃滅させたものは一つとしてない。
いや、そんなことより。
マテウスは目を見開く。宙に浮かんだ少女の姿が消えた。
穿った穴に目もくれず、消えた少女を探すため、マテウスは視線を周囲に走らせる。
風でどこかに飛んでいるはずだ。そのはずだ、そのはずなのに。
彼女の速度を察知できないことに焦る。
ゴーレムたちも標的を見失い砲塔を揺らす。
日の光に照らされながら周囲をくまなく探すマテウスだったが、風を感じ咄嗟に空を仰ぎ見ると、突風が頭上から吹き降ろされた。盛り上がった土や石ころが飛ばされる。
防護壁の中は風も通さない、しかしマテウスは確信した。
あの少女は金位などっではない。いや、白金位さえも超えた、もっととんでもない……。
はっとしたマテウスが振り返ると、防護壁に手を当てがうクィーラの姿が視界に入った。
「何をしているッ!」
一瞬で姿を消すほどの移動速度を有するなど、風魔法使いでも一握りしかいない。
クィーラに一番近いゴーレムが砲塔を振り下ろした。
激突。地面が砕かれ破片を飛び散らせる。
だが手ごたえはない。
「強靭な魔力の糸を編み込んでいますね」
頭上から声が聞こえ、マテウスはもう一度天を仰ぐ。
しかし、青い空の下には少女どころか雲一つない。
再び後ろから声が聞こえた。
「どれだけ鋭さを増しても破れないわけです」
ゴーレムたちの隙間を抜け、空を飛び、マテウスを翻弄するクィーラ。
魔力探知が働かないほどの動きでマテウスは翻弄される。防護壁の常時展開が、探知の不鮮明さに拍車をかけた。
「衝撃や斬撃に強い編み方で工夫されていますが、これならどうでしょうか?」
一般的な防護魔法と比べ、圧力を分散させるために編み込んだこの魔法は、必然的に表面積を増やさなければならなかった。
クィーラはすかさず防護壁に杖をかざす。杖先に宿る高濃度の魔力が、不穏を鳴らした。
風の塊のような強い衝撃は受け流すことができるが、炎魔法のような高熱を逃がすことはできない。それがマテウスが弄した対クィーラ用の防護魔法だった。
マテウスは彼女が炎魔法による適性がないと知り、この防御魔法で戦いを挑むことに決めた。自分の魔法、戦略を確立させることも大事だが、相手によって相性を理解することも重要な戦術だ。
だが火を起こすだけが高温を生じさせる術ではない。
クィーラは独学によってそのことを理解していた。
風の魔法を扱うということがどういうことか。
空気を動かすということがどういうことか。
その持ちうる最大の技量と、戦うことへの臆面ない胆力が、彼女に力を与える。
杖を掴む手のひらに力を込めた。
青い瞳に、決意が滲み出す。
丹念に込めた魔力の矛先を一息に流し込むと、錫杖の先についた金の輪が鳴り響く。
漂う風が杖の先を中心に螺旋を描きながら集まる。暴風が吹き荒れ、闘技場内の空気が狂ったように乱れた。マテウスによって耕された地面が砂嵐のように舞い上がる。
地面に張り付いていたゴーレムたちは砲塔が風に飛ばされまいと必死で地面に体を固定させた。
風の影響を受けないマテウスは防護魔法の内側で、近くにいたはずのクィーラを砂嵐によって見失っていた。
何が起きている。何を企んでいる。
風の魔法ではこの防護は絶対に破れない。幾度となく実験を繰り返し編み出した高度な防護魔法。学院長には及ばないが、決して見劣りもしない自慢の結界。
相手は十代の若い魔法使い。歩んできた歴史の厚みが違うではないか。
こんな吹き荒らすだけの魔法に、力任せな魔法に、私の魔法が突破できるはずがない。
知識と経験がマテウスにそう囁く。
はったりをかまして結界を解く機会を窺っているのだろう。
だが彼にはどうしても拭いきれない不安があった。彼女の魔法に対する、いや。何者かに対する闘争心。
背後で何かが溶ける音が聞こえた。
音で振り向いたマテウスは、砂嵐の中に眩い光を見る。
細かい砂は空中に漂っていたが、あらかたの石や砂利は地面に落ちた。
いつの間にか風は止み、視界は次第に晴れていく。太陽が頭上から光を降ろし、二人を照らし出す。
しかし、光源は一つではなかった。
クィーラの持つ錫杖の先にもう一つの光。
爛々と輝く球体は、マテウスの防護魔法を溶かし尽くす。
クィーラは瞳にその光を宿し、風を纏い前進した。
焼き切れる音とともに防護魔法が弾け飛ぶと、隙間から漏れ出した熱球の温度にマテウスはたじろぐ。
「なんだ、これは?!」
眩い光が安全圏だったはずの防護魔法内で輝いた。
クィーラは杖を掲げ、光をさらに小さくすると、叫ぶ。
「炎点火――!!」
彼女の頭上にあった灼熱の塊が解き放たれたように爆散し、破裂音を響かせ火柱を放射する。広がる熱量が周りのゴーレムを跡形もなく溶かし尽くす。地面が焼け爛れ、溶け出して変形していく砂岩。熱波に押しつぶされて、クィーラの周囲からことごとく大地が抉られていく。
紅蓮の光が弱まると、地面と再び同化した土人形が一瞬だけ煌めいた。
クィーラは白い息をふぅっと吐き出すと、杖を持ち直す。
錫杖の先をマテウスに突き付け、にこやかに告げる。
「私の勝ちみたいですね!」
昇った太陽から降り注ぐ光が、空中の水分を反射して淡く輝く。
マテウスが脱力して地面に背中をつけると、静かに見守っていた観客たちは一斉に絶叫した。
凄まじい魔法の応酬、迫力ある技の数々。白熱した戦いに場内のボルテージが高まった。
「勝者は風使いぃ! クィーラじゃぁぁぁ!!」
学院長が闘技場に躍り出て叫ぶ。
その声で会場内にさらなる喝采が巻き起こった。
「クィーラ! クィーラ! クィーラ!」
連呼される自分の名前。
やり遂げた戦いと、大勢の祝福の声に照れてしまう。
「すごいのぉ! まさかマテウスをくだすとは! クィーラ、お主なら優勝できちゃうかもしれんの!」
フクロウのような笑い声とともに学院長は笑顔を向ける。
クィーラはその言葉で、やっと勝利した実感が湧いてきた。
後ろで学生たちに助け起こされるマテウス。浅黒い肌の男は悔しそうな顔をしながら告げる。
「まさかあんな火属性の隠し玉を持っていたなんてな」
お辞儀をしてから、クィーラは首を振り、申し訳なさそうに返事をした。
「あれは炎の魔法ではありません………もっと、原始的な魔法なんです」
マテウスはその声を聞いて鼻を鳴らすと、機嫌よく告げた。
「そうかい、時間があれば、ご教授願いたいね」
クィーラは彼と握手を交わし、第一戦目を勝利で終えることができた。
学院長がその様子を頷きながら見守る。
闘技場は熱狂的なほど盛り上がり、私の勝利に沸いていた。
こんな風に人前で称賛されたのは初めてで、戸惑うクィーラに学院長が声をかける。
「ほれ、こういう時は笑うんじゃ。勝どきを上げるのじゃ。笑って杖を掲げなさい」
逡巡したが、言われたとおりに錫杖をかざす。
それに応えるように、会場からさらに声が上がった。
恥ずかしく思ったのか、クィーラは杖を降ろすとそそくさと闘技場を抜けた。
観客席との通路にさしかかると、大勢の人々が待っていた。
「クィーラさん! すごかったよ!」
「強すぎるぜ! 次も頑張んな!」
「最後まで応援してるよ!」
私の活躍を見て駆けつけてくれたのか、学院の生徒や一般の人々も声を投げかけてくれる。
「あ……」
私は声を出そうとしたがうまく出てこなかった。
選手の控室側にある通路から、ドーラが近寄ってくる。
「おめでとうございます。お嬢様、素晴らしい戦いでした」
微笑むドーラを見て少しだけ安心した。
みんなに手を振って会釈すると、控室へ歩き出す。
声援を背中で受け止めながら、私は一抹の寂しさを感じていることに気が付いた。こんなにも、賞賛に包まれているというのに。
惜しみない拍手、私の名前を呼ぶ観客。対戦相手からも認められ、鼓動は高まったままなのに、それでも素直に喜べない自分がいる。
本当にかけてもらいたい言葉があった。かけてもらいたい人がいた。
この試合で得られた苦難も、努力も、たち成感も。
全部知ってほしかった。一番伝えたかった。
切ない気持ちでいっぱいになった私の胸中を察してか、先導するドーラは私の顔も見ずに告げる。
「見てくださっていたと思いますよ、魔道士様は」
顔を上げた私は、ドーラの後ろ髪を見つめる。
今日はマギ開催日なので、私が髪型をお団子にしてあげた。
彼女が照れくさそうに笑っていたのを思い出すと、私は俯きがちだった姿勢を正して小さく笑った。
うん、大丈夫。次も、その次も勝って、突然いなくなったことを叱りつけないと!
重い足取りを軽快に鳴らして、私は次の試合に集中することにした。
■■◇■■
部屋の隅に自分の影がうっすらと伸びる。閉め切った部屋の黴臭さが鼻につく。
見つけた、ついに尻尾をつかんだ。男は薄暗い部屋の中で独りほくそ笑む。
部屋の形と取り出した図面を見比べて、違和感を覚える場所を入念に調べ始める。小さく床に彫られた魔法陣を見つけると、男は魔力を流し込んだ。
細かな振動と揺れが起き、突然前方の壁がせり上がった。仕掛け扉となって正面に通路が現れる。
図面に加筆された位置と照合し笑みを浮かべ、男がその先に一歩足を踏み入れようとした時だった。
カチカチッと小気味のいい音が洩れる。
男は衣服から音のなる魔導具を取り出し睨んだ。
舌打ちすると、乱暴にしまいこみすぐに踵を返した。
気付かれたか……。
扉も窓もない狭く年季の入った部屋の中は、染み出した湿気だけが這いずり回っていた。
黴臭い石畳の床に沈むように、音もなく男の体は消えていった。




