第16節 開闢の果て
僕は人で溢れる雑踏の中、圧倒されて立ち尽くす。
そこは比較にならないほどの大都会だった。大きな建物が整列し、交う人の数も尋常ではない。
大通りのスケールも段違いだ。ルールエの道幅の倍以上はあるだろうか。
そこにひしめく人口密度に気圧され、どこから湧いて出てくるのかと不思議に感じた。
人々は街の歩き方に慣れているのだろうか、紙一重で肩をぶつからせず通りを越えていく。
荷馬車専用の道も舗装され、歩行者と区別されている。混雑にならない配慮も幾分か為されているようだった。
さらに、露天が煩雑に並んでいたルールエとは違い、商業スペースとしての区画はきちんと整理されている。
交通網の整った街並みは清々しいほど洗練されており、効率的に大都市の経済を発展させていた。
高さを活かした建物から看板が突き出し促販を煽る。木造ではなく石で固められた建物は重量感があった。
僕は教えられた店の場所を探し歩き、目当ての商館をやっとの思いで見つける。
忙しなく闊歩する人たちに道を尋ねるのは少し気が引けるし、とにかく押しつぶされないように歩くので精一杯だった。
僕は目的地に着くと、ガラスの大扉を開ける。
魔導具の看板が出された店へ入ると、そこは豪華な貴金属店かと見間違えるほど煌びやかな内装だった。並ぶ品々も一級品揃いなのか、丁寧にガラスで覆われている。細部の造りにも拘り、装飾品としても遜色ないほどだ。
居心地の悪さを感じる僕の隣へ、店の者が寄ってきた。
「なにかお気に召すものがありますか?」
手を揉みながら話しかける彼は、明らかに商人のそれだ。
僕のナリを見て客と扱ってくれるのは非常に素晴らしい。
「色や形の素敵な物が多いですね。有名な工房が生産したものなのですか?」
"工房"、というのは魔導具の製作所を指す。
魔導具の製造難度の高さから工房は国に一つしかない。魔導具もピンからキリで、国の所有するものから市民が使うものまで多岐に渡る。
国が使うものは"附与者"と呼ばれる凄腕の職人が、年単位の工程の後に制作した傑作に限られる。
僕らが普段目にする魔導具は、その附与者の弟子たちが作った量産品だ。
中には突出した機能を持つ魔導具を弟子が生み出し、附与者にも劣らない良品が市場に出回ることがある。多くは貴族や金持ちが手にすることになるそれらは、稀にこういった商店で買うことができた。
商人は僕の質問に得意顔で返事をする。
「ええ! こちらに並んでおりますのは、かの有名なバンダル工房の系譜を受け継いだ技師たちの作品です!」
大技師バンダル、彼の名は有名だ。その工房の派生か。
僕は適当に相槌を打ちながら訊く。
「因みに、どんな機能があるんですか?」
「驚かないで下さいね」
鍵でガラス戸を開けて中の魔導具を取り出すと、商人はそれを僕の腕に取り付ける。
腕輪の形をした太い輪は、見た目ほどの重さはないが、装飾のエンブレムが目立つ。
「ビューレン」
商人が唱えると、腕の魔導具が反応し上方向に光を反射させる。
「……すごい」
僕は思わず声が漏れてしまった。
光が精巧に形を作り、あたかもそこに存在するかのように三次元的な物体の表出を錯覚させる。
現れたのは僕らの住む大陸の地図だ。低地や山の高さを緻密に表現した立体的な地図。大きさは大人の手のひらほどだが、どこから覗いてもその完成度の高さは目を張るものがある。
もっとも、大陸の全容など誰も見たことはない。
空想でも間違っていても、正すことができないのがこの商品のウリだろうか。
「いかがですか? 素晴らしいでしょう?」
商人の顔は頗る得意げだ。
なるほど、立派な店舗を持つだけはある。
「他にも見せて頂けますか?」
「ええ! もちろんですとも!」
商人は気前よく返事をすると、商品をガラス戸に戻しカウンターの奥へと消えていった。
しばらくして戻った彼は、両手に黒い木箱を携えてくる。
僕の肩幅より狭いくらいの直方体だ。木箱には細やかな彫刻が施され、厳粛な風格がある。箱の上部、蓋の部分は金属の留め具がついていた。
商人の男は見定めるかの如く僕に問いかける。
「さあご覧下さい。どんな魔導具か、想像できますかな?」
箱が慎重に開けられる。留め具を外された箱の中に、刀身を艶やかに光らせた一本の短剣が入っていた。
店内にいた他の客たちも寄ってきて短剣をしげしげと眺めている。
刃渡りは骨透き包丁くらいの長さで、一般的な短剣よりも短い。
戦闘で使うには少し難儀な武器になるだろう。
シンプルな刃と異なり、柄の部分は菱形に隙間を空け、いくつもの紐が丁寧に巻かれていて豪華に見える。
魔導具を武器として使う歴史は長く、魔力を扱えない者の自衛や戦時の際に重宝されてきた。武器に魔導具としての機能をとりつけるなら、鋭利性を高める効果や強度の上昇が一般的だ。
仕掛け武器と言われる見た目には武器に見えない物も、動乱の時代には常に携行されるほど製造されていた。
見た目には短剣のように見える古めかしいこの魔導具は、持ち運びに適し近距離でその効果を発揮する代物だろう。
はてさて、どんな能力が隠されているのか。
僕が手を伸ばそうとしたその時だった。
背後の客がどよめく。集まった見物人たちの中から抜け出る人影。
貴族風の男が図々しくも僕を押しのけて前に出てきた。
商人の持つ箱から短剣を奪い取る。
「お客様、乱暴は――!」
「良い品じゃないですか。この店にしては、ですけど」
聞く耳を持たないその男は、高貴そうな外套を纏い背の高い丸帽子をかぶって陰険に喋る。
薄気味悪い目元が細められると、短剣に魔力を流しだす。
刀身に鈍い光が帯び始めると、商人に刃物を向けた。
ひっと短い悲鳴と、同時に商人が尻もちをつく。
笑いながら貴族の男は告げる。
「それで、機能は如何ほどですかな?」
僕は咄嗟に間に入って男を睨みつけた。
「乱暴はやめて下さい」
男は矛先を動かさず告げた。
「どきなさい。私はその商人と話をしています」
目の前に刃を突きつけられたまま僕は貴族の男に尋ねる。
「この商人の方に何かされたんですか?」
僕の言葉に貴族の口角が下がる。
「ええ、されましたとも。その男はなんの説明もせずに私にとんでもない魔導具を売りつけたんですよ!」
僕の後ろから、商人の悲鳴に似た弁明が聞こえてくる。
「そ、それはあなたが話しを聞かないからじゃ―――」
「黙りなさい! 私は大恥をかかされたんですよ!」
………なるほど。貴族が収集目的で魔導具を買い集める、という噂は聞いたことがあるが本当のようだ。
それをどこかの社交界か何かで披露した際、聞き及んでいない機能が飛び出した、といったところか。
その腹いせに店まで来て本人が直々に報復しようと。
短慮な男だ。貴族というのはこうまでして自分のプライドと格を保たせたいものなのか。
今まで出会った貴族が謙虚すぎて忘れてしまっていたが、大方の貴族はこんな感じなのだろう。
さて、魔導具の説明をしたしてない云々はさておき、この場はなんとか収めてもらいたい。
僕は用事を片付けにここへ来たのだから。
向けられた刃と握られた柄を見比べる。
緊張した空間をバッサリと断つように、僕は構えを解いて態度を改めた。
「……そういう事か」
僕が声色を変えると、貴族は眉をひそめる。
「ではその短剣が、あなたの思う逸品であるかどうか代わりに僕を使って試してみてください」
とんとん、と僕は自分の胸を指さす。
僕の言葉に店内は騒然となった。
後ろの商人はやめて下さい、と僕の肩を掴む。
商人を軽く押しのけて僕は続ける。
「逸品であれば僕が買い取って貴方に差し上げます。でももしそれが紛い物だったら、とっとと帰ってください」
ギラついた視線をゆっくりと漂わせると、貴族は僕と目を合わせる。
「……そこの愚か者で試すつもりでしたが、いいでしょう。あなたが代わりに憂さを晴らしてくれるなら」
張り詰めた空気が流れ、後ろから生唾を飲む音が聞こえた。
貴族は短剣を握り直すと再び魔力を込める。
鈍く光った刀身が、貴族の手の中で揺れ動く。
「馬鹿ですねぇ。見れば分かりますよ。これは間違いなく名のある工房の作品です!」
声を高らかに上げて貴族の男は注目を集める。
僕は無抵抗を示しつつ告げた。
「そう思うんでしたら是非どうぞ。自分の目に自信を持っているのでしょう?
安心してください、怪我しても文句は言いませんから」
貴族の男はにやりと笑い僕に近づいてくる。
「身の程を弁えない正義感は、身を滅ぼしますよ。いい勉強になりましたね、坊や」
男は喋るやいなや、動きを加速させた。
腕を引いて短剣を腰の位置まで引き、勢いよく僕の腹にその荒々しい切っ先を突きたてる。
店内から悲鳴が上がり、甲高い音が響いた。
金属が弾かれるような澄んだ音、剣の欠片が床を転がる。
全員が息を飲んで静寂を迎え入れた。
いま目の前で起きたことを理解するために。
突き出された短剣は標的である僕の体に触れた瞬間、呆気なくその根元から真っ二つに砕ける。
小指の先ほどの刀身だけ残し、叩き折られて床に散っていった。
僕は突きつけられた柄を貴族から無言で取り上げると男を突き放す。
彼は何が起きたか分からず、数歩後ずさった。
僕は告げる。
「……どうやら、不良品だったようですね、残念です」
「そんな、馬鹿な。そんなはずはない!」
貴族の男は狼狽えて反論するが、説得力はない。
周りの客たちは事態を軽く見て囁き始めた。
「なんだ、びっくりしちゃった」
「あの男本当に魔導具の価値が分かるのか?」
「贋作だっただけだろう、仰々しい」
貴族は辺りを見回し野次馬のように囲む客たちを睨みつける。
しかし、もうそれは滑稽な道化にしか見えなかった。
僕は欠けた剣先を男に伸ばし、悪戯っぽく尋ねる。
「本当に逸品かどうか、今度はこちらで試してみましょうか?」
柄を握りしめて数歩近付く。上目遣いで男の両目を睨みつけた。
彼の瞳に恐怖が映り、瞬きが増える。
動揺し身を仰け反らせた。これ以上は必要ないだろう。
「もういい! こんな店には二度と来ません!」
男は激怒しながら逃げるように店から出ていった。
蹴破った扉が悲鳴を上げた後、強い音を立てて閉まる。
一悶着終わったことに、店内の人々は安堵した。
「坊主、すごい度胸だな! かっこよかったぜ!」
「ドキドキしたわ! 怪我はない?」
「危ないからああいうのはもうよしなよ!」
僕は照れ笑いしつつ声を掛けてくれる人に笑顔で応えた。
店を救いたかったわけではないので後ろめたいが。
背後で申し訳なさそうにしている商人が告げる。
「ありがとうございます。危ないところを助けていただいて」
「いいんですよ。そんなことより、この短剣ですが」
破片を拾って柄と共に商人の前に広げる。
「あぁ構わないでください! 危ないですからね。壊れたのも、気にしないで下さい」
商人が慌てて破片の処理を使用人に頼んだ。
その態度を見て僕はうんざりした目で訴える。
「もう、そういう演技はいいですから。コレを使って試したんですよね、僕を」
きょとんとした商人の顔が目をまん丸に見開く。
使用人が欠けた刃を回収した後、彼の態度が一変する。
「あぁ、やはりそうでしたか。お嬢様の仰る通りだ」
口調がガラリと変わった魔導具屋の店主は、カウンターの奥の戸を片手で示した。
どうぞこちらへ、と店の奥に案内された僕は、扉の奥の個室へと通される。
いわゆる上客用の接待部屋であるここには、商品と負けず劣らない豪華な調度品が並んでいた。
壊れた短剣を丁寧に運びながら商人の男は恭しくお辞儀をして告げる。
「初めまして、私はミスタ商会の代表をしております、チェインと申します。今後とも、ご贔屓にどうぞ」
ミスタ商会というのは魔導具を専門に扱う商人の集いだ。数ある商会の中で魔導具専門店は一線を画する。
日用品や武器、防具を売る商会と違い、商品の卸し対象が工房となる。
その希少性から競合する商会は少ないが、国家との交渉や大なり小なりある貴族との諍いが多い。
並大抵の権力や発言力なしでは成り立たない場合もあるため、チェインも見た目は商人だが出自はそれなりのものになるだろう。
「あの、これはどういう……」
控えめに尋ねた僕にチェインは言う。
「お話は伺っております、魔道士様。例の件も兼ねてここへいらしたのですよね」
僕は聞こうと思った内容を喉の奥へとしまい込んだ。
耳が早い、さすが魔導具の商会を束ねる商人だ。
「救世の魔道士様のお手伝いができるなんて光栄です。私の先祖もさぞ鼻が高いことでしょう!」
大喜びしながら手を掴んでくる彼に僕は若干引いてしまう。
救世の魔道士とは高く買われたものだな。
彼は一度身を引いて僕に尋ねる。
「どうして、私が貴方様を試しているとお分かりになったのか、訊いてもよろしいですか?」
僕は頷いて短剣を見つめた。
装飾の細かい柄と、折れた刀身。欠けた部分が派手に砕けて断面が露になる。鼠色のグラデーションが途中で切れた、半端な武器。
そう、半端だと感じた。短剣にしては柄が少し長いのに対し、何の変哲もない刃は少し短かった。
つまり不相応な刀身を付けた魔導具だと最初は思った。だから機能もそれに準じたものではないかと仮定した。
長さが変わる剣であるとか、切っ先が飛び出すだとか。刀身に変化を加える、少し突飛だがありふれた魔導具。
だが貴族の男が手にした時、その変化は現れなかった。
あの男、素行は悪いが見る目はある。持っただけで業物だと感じ取ったのだろう。魔力の感応度合いを見積もった彼の感覚は、あの態度がなければ称賛すべき能力だと思う。
どれだけの力が刀身に施されるか、幾分期待したようだがそれは裏切られる形となった。
刃は僕に触れた瞬間砕け散り、床に落ちる。柄本来の魔力に刃が耐えられなかったのだろう。
畢竟、柄と刀身は別物。この魔導具の本体は、柄だけだ。
僕は推測と仮定、結論を順にチェインに話した。
「なるほどなるほど。とても良い観察眼をお持ちだ」
チェインは何度も頷く。
あの貴族が現れなくても、短剣を僕に振らせていた。
自壊する刃を見せ僕を試すつもりだったのだろう。
僕は少し呆れた顔をしながら思い出す。
そういえば、ルールエでも似たような試され方をされたな。
チェインは殊更楽しそうに言う。
「さて本題ですが、魔道士様宛の言伝をお嬢様から預かっております」
柄だけになった短剣を持ち上げ、チェインは刃に触れる。
砂の粒のように消え去る刃を見ながら、彼は言う。
「魔道士様、この剣をお受け取りください。この大陸に二つとない、宝剣でございます」
チェインは膝をついて両手で柄を支える。
彼の全身が強ばっているのが分かった。
「宝剣……カラサイ……」
その緊張感がひしひしと伝わり、僕の背筋がピリつく。
差し出された柄は、いまだに僕を値踏みするように沈黙を保ったままだった。
だが改めて見ると、異様な短剣だ。その魔力が放つ異質さは古代魔法にも通じるものがあった。
貴族の男は何の気なしに掴み取っていたが、迂闊に手を出して呪われたりしないだろうか。
恐る恐る柄に手を伸ばす。握りしめると、触れた先から独特の魔力が僕の魔力と順応し始める。使用者の個性を分析し最適化する。生き物のように独立した魔術機構。刀身がない分短剣は軽かったが、僕は右にも左にも動かせないでいた。
受け取った僕と、差し出したチェインの目が合う。彼はしっかりと頷き、膝をついたまま拳を握る。
魔力が手元に戻ってくる。順応が終わったのか、柄が僕に馴染んだ気がした。今度は自分の意志でゆっくりと、魔力を魔導具へと傾ける。
気品ある部屋の真ん中で、刀身のない柄が光り始めた。さっきの鈍い光ではない、淡く溶け込む穏やかな煌めき。
眠っていた柄は覚醒したように輝き始める。全身を緊張させた僕はなんとなく思った。
この魔導具は思い出したんだ。
光の味を。




