第14節 昂る決意
学院長は顎髭を擦りながら頷く。
優しい微笑みを見せてクィーラたちに告げた。
「楽しみじゃのう」
管理局に再び赴いたクィーラは、魔法闘技大会への参加受付を済ませた。
あと半月ほどで開催される闘技大会への参加は、締め切りが今日までと決められている。
昨日のこともあり管理局からいい顔はされなかったが、偶然通りがかった学院長に話を通してもらうことができた。
「おぬしら、クィーラとドーラと言っておったかの」
厚めのローブに施された刺繡が、着用者の位の高さを表す。
学院の頂点にふさわしい装いの学院長は、二人に声をかけた。
「は、初めまして! クィーラ=クルフと申します! 昨日は、大変申し訳ありませんでした!」
まさかこんなところで出くわすと思わなかったクィーラは、無礼のないよう慌てて返事をする。
物々しいクィーラの雰囲気を受け流すように学院長は手をかざす。
「昨日のことはマーシャ君から聞いておる。………大丈夫じゃ、気にする必要はない」
外へ歩き始める学院長についていきながら、その背中を見つめる。杖をついて歩く彼の姿はどこにでもいる老人と変わりない。
申し訳なさを気負うクィーラたちに代わり、学院長ははっきりとした口調で告げる。
「今までおぬしらが何をしてきたかに興味はないのぅ。おぬしらがこれから何をしていくか、それが一番重要じゃ」
振り返って目尻に皺を寄せながらにこりと笑う。長生きしているだけあって、なんとも心強い貫禄だ。
クィーラは尋ねた。
「闘技大会は学院長様自らがお考えになったのですか?」
細い眼差しを前に向けながら、昔を懐かしむように学院長は返事をする。
「そうじゃ。勉学というのは堅苦しいだけではだめなんじゃ。楽しく競い合いながら学ぶ。そうすることでしか得られぬものもある」
その言葉に、ドーラは子爵邸に来ていた家庭教師たちを思い出す。
いけ好かない高慢ちきな教師や自らの著書を押し付けるような輩が多いこと。
そんな彼らとはなにか違う。若い世代に対する隔たりのない接し方。
教育者としての自覚や覚悟、それを学院長から垣間見た気がした。
ドーラは力強く頷きながら言う。
「これで、ルリと正式に戦えますね」
ルリが提示した勝負とは、マギでの試合であった。
彼女との一戦で、彼を取り戻す。
「なんじゃ、もうライバルがおるのか?」
驚いた顔をする学院長はどことなく幼く見えた。
童心を忘れない、これが長寿の秘訣なのだろうか。
「ライバル………そうですね、倒すべき相手です」
クィーラが告げると、妖しく笑う青い瞳が脳裏を過った。
苛立たしい彼女の鼻歌が、今でも耳にこびりついていた。
「ええのう! 戦いとはそうこなくっちゃのう!」
年齢に見合わない盛り上がり方をするお年寄りは力こぶを作ってみせる。
クィーラとドーラは苦笑いを浮かべた。
本当に何歳なんだ、この人。
ともあれ舞台は整った。後は――。
「後はどう勝つか、ですね」
多忙なはずなのに世間話ばかりしたがる学院長と別れ、ドーラはクィーラの心を先読みして言う。
あの日、ルリは暴走こそしていたが、氷の結晶に込められた魔力は異常な密度だった。人が一生のうちに発揮できる魔法の域を超えている。比喩ではなく、実際に間近で見てそう感じた。
古くは水属性の祖と崇められていた氷属性だが、近年その二つは区別されつつある。
一撃の威力を高出力で打ち出す水属性と違い、氷属性は氷結した後にも魔力を留めておく必要があった。魔力の込められた執拗な氷は、相手の機動力を大きく削ぐ。破壊不可能なほどの氷なら、それだけで必殺になりえるというわけだ。
驚異的なルリの魔力量から織りなされる強固な凍結魔法。それに加え召喚杖を扱うことができる技量の高さ。
今のままのクィーラでルリに勝つことは不可能に近い。
クィーラ自身もそれは認めていた。
だけど負けられない試合だということも、事実なのだ。
ルリ攻略に向けて今できることをやる。
クィーラは決意を胸にドーラを連れて歩き出す。
二人は講義の行われる教室棟ではなく研究棟へ向かった。
研究棟は蔵書が豊富な図書館が併設されており、棟内のみ本の貸し出しが許可されている。
ドーラが砕いた壁の補修を行った跡を尻目に、再びクィーラたちは建物の中に入った。
昨日は気が付かなかったが、内装はかなり古めかしい。他の建物と比べて築年数が長いのかもしれない。ところどころ剥げかかった壁紙やタイルが、想像できないくらいの年季を感じさせる。柱にも独特の意匠が施されており、近年好まれる安価で大量増築されたものではないことが伺えた。
研究棟は複数の建物の複合体で、入口中央の階段を挟んで左と右に別れていた。左側通路を進むと教授室や実験室が置かれる棟。右側は比較的新しく増設された図書館へと繋がっている。
教授にとっては教室棟との行き来が大変になるが、学生にとってはこの集約は有難い。図書室で得た知識を実験室で試し、その結果をすぐに教授へ報告することができる。
若い魔法使いとしては如何に優秀な指導者につけるか、熟練の魔術師としては如何に優秀な若者を導けるか。
この教育機関の真髄はそこにあった。
もちろん、教授たちも折り紙つきの高位な者が多い。最初の講義で見た教授は魔法国家で養成機関を任された経歴を持つ。他にも、魔導書を著したことのある者や、高い冒険者等級であった者も在籍している。
流石、中央都市国家ロキの魔法学院だ。
クィーラがルールエで教えてもらっていた家庭教師とは全く格が違う。
クィーラは教授室の方へ足を向けると、ドーラが尋ねた。
「図書館へは行かないのですか」
クィーラは顔だけ振り返り答える。
「目当ての教授がいますので、まずはそちらへ」
通路の先に広めのフロアがあった。教授用の事務受付だ。
華美に彩られた室内は豪華な応接間と似ていた。
フロアにはいくつか張り紙がだされ、時間割や担当教授の名前が記されている。
その中に、教授室の各名簿が載った紙を見つけた。
クィーラの隣に並んだドーラが言う。
「色んな教授の方がいらっしゃるのですね。あ、フリードリヒ侯…………」
ドーラが呟いたのは、中央都市国家の元軍人。魔導書も書いている有名貴族だ。
著書にはドーラの適正である炎属性関連のものが多い。
学院は本当に色んな人材を教授として招き入れている。
「お嬢様、風属性で高名な先生はいらっしゃいましたか」
ドーラは尋ねながら顎に手をあて、記憶の中の著者名を思い出そうとする。
クィーラも記憶を探りつつ張り出された名簿を見上げる。
あの本を著した人、確か名前は―――。
「ありました。四階です、行きましょう」
クィーラが指さした名簿の魔術師。
ザルタス=セル教授。
その名前の響きに、ドーラは首を捻った。
階段で目当ての階まで上り、教授室の前まで来る。ドアに書かれた札にはザルタスの文字。
クィーラはノックをして扉越しに反応を待つ。
粗野な返事が聞こえたかと思うと、すぐに扉が開いた。
「珍しいな、今どき先生に客人なんて」
背が高く、若い男性が扉の奥から現れた。クィーラ達の顔を見るなり、眉間に皺を寄せる。
短い髪をオールバックにし、浅黒い肌をした顔。ネックレスやピアスを付けて、かなり派手だ。
「お前ら、昨日の凍結騒ぎの時にいた奴らだな。……あの坊主は一緒じゃねぇのか」
昨日の一件を目撃した人の中にいたのだろうか。
クィーラは質問を受けつつ要件を伝える。
「……今は彼は一緒にいません。あの、ザルタス教授をお訪ねしたいのですが」
男は頭を掻きながら告げる。
「そうか、先生も今はいないぜ。なにか用か?」
「私、クィーラ=クルフと申します。こちらは使用人のドーラです」
クィーラは一礼し改めて挨拶をする。
男は扉にかけた手を離し、姿勢を正した。
「俺はファルケだ。堅苦しいのは嫌いでね、好きに呼んでくれていい」
快活な男は貴族流の挨拶をした後、扉にもたれ掛かる。
さっぱりとした性格だが、所作は貴族に相違なかった。
クィーラはここへ来た目的を告げる。
「よろしくお願いします、ファルケさん。私はザルタス教授に助言してもらいたく、参りました」
後ろで聞いていたドーラは疑問に思った。
聞いたことのない名前。一体何の先生なのか。
「助言か……クィーラ、学院にはいつ頃来たんだ?」
ファルケが困り顔で尋ねると、クィーラはすぐに返答した。
「ヤミレスに到着して、入学したのは二日前です」
「そうか、だったら知らねぇいか。いやな、ザルタス先生だけは止めておけ」
ファルケは鼻で笑いながら首を振る。
その言動が気になって、クィーラは続けて尋ねた。
「それは、どういう意味でしょうか? ファルケさんは、先生の弟子ではないのですか?」
教授室はその名の通り教授のための部屋だが、ファルケはそこから出てきた。
教授の留守を預かる生徒となれば、弟子に相当する者であると想像に難くない。
ザルタス教授が常に鍵をかけているかは知りえないが、不審者ならノックに応答するとは思えなかった。
「それはそうなんだが……、ちょっと先生は理屈っぽいというか……」
ファルケは言葉を選びながら背中全体で扉に体重をかける。
開け放たれた扉から内装が見えた。乱雑に積まれた書物と資料の数々がそびえ立つ。いかにも学者の部屋らしいといえばそうだが、彼が考え込む理由は何だろう。
「理屈っぽい…………」
クィーラが呟くと、ファルケは告げる。
「師事してる俺が言うのもなんだが、先生は気まぐれで偶にしか魔法を教えない"ハズレ"だ」
ハズレ。
ということは"あたり"がいるということだ。十中八九教授たちを揶揄する生徒側の残酷な選別。その中でもザルタス教授は良くない部類、ということなのだろう。
この学院の性質上、学位に拘らないなら教授の元で修練を積む方が時間的効率がいい。
卒業はできなくとも、自分に見合った構築理論や魔力制御法を学ぶことができる。
「ファルケさんは、何故ザルタス先生に師事を?」
クィーラは尋ねた。
「先生が同じ属性ってこともあるけど、……まぁちょっと去年世話になったんだ」
ファルケは厄介そうに返事をする。
後ろからドーラが耳打ちをした。
「お嬢様、聞いておきたいのですが、ザルタス教授というのは何の先生なのでしょうか。私も有名な著者くらいは分かりますが、その方の名前は見覚えがありません。聞いている分には、あてになるとは到底――――」
「――――何が、あてにならないんですか?」
突然の声に驚き、二人は振り返った。
背後にはいつの間にか一人の男性が立っている。
大きな荷物を背負った痩せ型の男。髪はぼさぼさで白髪が混ざり、衣服も所々汚れている。その相貌はどこか頼りげがなく、はにかむ笑顔が幸薄そうに見えた。
「先生、遅かったな」
ファルケはクィーラたちを横切り男から荷物を受け取る。
この痩せた男がザルタス教授のようだ。
「帰りがけに鉱床を見つけましてね。時間も忘れて夢中になってしまいましたよ」
「お疲れのところ悪いんだがよ先生、かわいい客人が来てるぜ」
ファルケは荷物を室内に運び入れていく。
クィーラはザルタス教授に挨拶をした。
「ファルケ君のご学友かと思いましたよ。私宛だったのですね。少し待っていて下さい」
物腰柔らかなザルタス教授は、笑顔を見せながら部屋へ入っていく。
たしかに頼りなさげに見えなくもないが、それだけで師事を忌避するほどだろうか。
クィーラが不思議に思っていると、半開きの扉から二人の会話が聞こえてきた。
「先生、図書館からまた催促がきてるぜ。マギが終わったら全部処分するつもりらしいんだと」
「はぁ、全く忙しないですね。まだ調査が終わってないのであの本は完成しないんですよ」
ドーラが改めてクィーラに尋ねる。
「…………あの、お嬢様、どうしてあの方なんですか?」
ルリ攻略のためにはあの堅い氷魔法をどう突き崩すか考えなければならない。
攻略法として考えられるのは、クィーラの得意とする風魔法の強化か、相性のいい炎魔法の強化、この辺りが妥当だろう。
ザルタス教授は炎属性ではあるがずば抜けて有名だというほどの人物でもない。
彼から一体何を学ぶことができるというのだろうか。
ドーラは不安げな目をクィーラに向ける。
クィーラは手のひらを見つめ、きっと口を引き結ぶと答えた。
「大丈夫です、ザルタス教授なら必ず私たちを勝利へ導いてくれます」
強い自信を持ったクィーラの言葉にドーラは押し黙った。
ドーラにはその自信の根拠は分からない。ただただ主人を信じるしかなかった。
少しすると、ザルタスが扉を開けて出てくる。
「お待たせしました。少し散らかってますが、どうぞ」




