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星の屑から  作者: えすてい
第2章 秘密の魔法学院

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第13節 青い火花

 

 朝を迎えた。

 起き抜けに大きく伸びをする。眠気まなこを擦りながらベッドから出た。

 少し離れた位置に同じベッドが置かれている。同室のドーラの物だ。シワ一つないシーツ。

 昨夜、ドーラはクィーラの部屋で眠ると言い出ていった。やっぱりクィーラが寂しいのではないか。

 昨夜の問答の続きが気になったが、クィーラが少し可哀想に思えたので追求はやめた。

 彼女から話しをしてくれるのを待つとしよう。

 それが一番いいと思えた。

 身支度を整え、外へ出る準備をする。

 この学院には何かがある。昨日の件でそれが垣間見えた。

 管理局の把握していない謎の少女、ルリ。彼女は何故、あんな所にいたのだろうか。

 研究棟の地下深くには、何があるというのだ。少し調べてみる必要がある。

 僕は決意を固め、扉に手を掛ける。

 ふと、気配を感じた。扉の前に誰かがいる。

 朝早くに、ドーラだろうか。

 ゆっくりと扉を開けるとそこには――――。




 ■■◇■■




 お嬢様の髪の毛を櫛で梳かすと、薄い金色が朝の日差しに溶けていくようだった。

 これはお屋敷にいた頃からずっと私の仕事だ。長い彼女の髪の毛を丁寧に結っていく。

「ドーラ、昨日のこと、気に病んでいますか?」

 クィーラは姿勢正しく座ったまま私に訊いた。

 編み込みを作りながら答える。

「いいえ、気にするなと言われたので、もう気にしていません」

 私が気にする事をお嬢様が気にする。

 魔道士様の言葉を、自分に言い聞かせた。

 お嬢様や私を思っての心配りだったのだろう。

 まったく、彼には世話を焼かれてしまった。

 髪を整え終えると、クィーラの微笑みが目に入る。

 私は不思議に思って尋ねた。

「どうかなさいましたか?」

 クィーラは鏡台の中の私を見ながら返す。

「今日はやけに上機嫌だと思いまして」

 ドーラは自分の顔に触れる。

 そうなのか、自分では気が付かなかった。

 昨日、沈んだ気持ちを吹き飛ばしてしまうかのような食堂でのやりとりを見て、恥ずかしげもなく笑ってしまった。

 自分でも気付かないうちに、表情に出ていたりするのだろうか。

 以前では考えられない自身の変化に、若干戸惑った。

「おかしい、ですか?」

 感情を上手く相手に見せられない、斜に構えてしまう私。愛想良くしなさい、と他の使用人にもよく言われた。

 鏡の前で不器用に笑う私は情けなく見えてしまう。

 それでも、私の質問にお嬢様は首を振った。

「いいえ。今のあなたの方が、ずっといいですよ」

 朝の日差しを浴びた明るい表情に、私もつられて笑顔になってしまう。

 お嬢様に照らされた私の顔は、どんなだろう。

 朝の支度を終える頃にようやく気付いた。

 魔道士様が起きてこない。

 いつもならとっくにノックと挨拶だけはしてくれるのに。今日はそれがない。

 彼に限って何かあるとは思えないけど、なんとなく心配になった。

 お嬢様もそれを気にしていたのか、二人で廊下へ出る。廊下の先、向かい側の部屋が使用人室だ。

 木造の宿舎は、利用する学生の数が多かった。故郷から離れて通う生徒が多いのがその理由だ。

 貴族という身分のため、相応の計らいを取り繕ってもらい、広めの部屋と使用人室が割り当てられた。

 もちろん、廊下を少し進めば別の住人の住む部屋に繋がっている。

 今朝の廊下には人気がなかった。静かな空間にどこからか鼻歌が聞こえてきた。緩やかでゆっくりとした陽気な歌。

 耳を澄ませてその音源を探る。二人は同じ胸騒ぎを覚えた。使用人室の前で立ち止まると、鼻歌がはっきりと聞こえる。

 言わずもがな、魔道士様のものではない。

 お嬢様は合図することなくドアノブを掴んで戸を勢いよく開けた。

 廊下を挟んだ向かい側の使用人室にはあまり朝日が入ってこない。薄暗く灯りのついてない簡素な部屋。中央には、机と椅子が二脚。

 部屋の隅には私と魔道士様の荷物が整理され、ラックや棚にきちんと収められていた。

 ノックもせずドアを開けた私たち闖入者を、気を煩わせることなく鼻歌の主は快く迎え入れる。

「おはよう、ドーラ、クィーラ」

 魔道士様のベッドに深く腰掛けていたのは、肩にかかる水色の髪の毛と満面の笑みを湛えた碧眼の女性。

 昨日私たちの目の前から忽然と姿を消した、騒動の張本人、ルリだ。

「……彼はもうここにはいないよ」

 マントの隙間から伸びた長い足を、低いベッドの前で持て余す。

 お嬢様が何か言う前に、ルリは言葉を続けた。

「昨日は巻き込んでしまってすまなかった。魔力制御を誤ったようだ」

 私の記憶にこびり付いた堅牢な氷。高火力が自慢だった魔法は、まるで歯が立たなかった。

 お嬢様は強い足音とともに部屋に入り込んで、胸を張る。

 余裕の態度を見せるルリに怒りをぶつけた。

「『誤った』では済みません!」

 押し黙るルリに向けて彼女は続ける。

「怪我人が出なかったからよかったものの、あんな魔法がもし誰かにあたりでもしたら!」

 なんの防御もなしにあの凍結を食らえば、助かる可能性はほぼないに等しい。呼吸も脈も一瞬で凍てつかせる魔力が、冷たい透明な結晶の中に宿っていた。

 二人は互いに見つめあう。

 少しの間を空けてルリは目線を下げる。

「あぁ、本当にな。油断したよ」

 彼女の声が坂を下るように小さくなった。言葉とは裏腹な、後悔を滲ませるような表情だ。

 無愛想な言葉を吐くルリの真意は分からない。意外にも、殊勝な態度にお嬢様は言い淀んでしまう。

 相変わらずお優しい方だ。

 代わりに私はルリに聞きたいことを尋ねる。

「それで、あなたは何故ここへ? 魔道士様はどこへ行かれたんですか」

 私たちはここに魔道士様を探しに来たのだ。説教をしに来たわけでも、文句を言いに来たわけでもない。

 ルリは俯く顔を上げた。

 私はその瞳に宿る暗い影を見つける。

「彼は暴走した私の魔力をものともせず救いに来てくれた。とても勇敢で優しく、優秀な魔法使いだと感じたよ」

 ルリはさっきの態度とはうってかわり、薄く微笑んだ。その笑顔に反比例してお嬢様の顔は険しくなる。

 だから、とルリは続けた。

「私は彼を非常に魅力的な男と判断した。クィーラ、彼のことを譲ってはくれないか?」

 空気が変わるのを肌で感じた。

 怖々とした雰囲気が、顔を見なくても伝わってくる。

 導火線は元々長い方だと思っていた。感情は豊かだったが、我を失うことはあまりない。昔からよく泣いてよく笑ってよく叫ぶ忙しい人だった。だけど冷静さは常に持っている、そういう人。

 あのガノア様たちを見て育ったんだ。大抵のことでは心を揺るがされない。

 だが軽薄だったルリの言動は、そんなお嬢様の逆鱗に触れてしまったようだ。

「……何を言っているか、分かりません」

 私でさえぞっとする言葉の圧力。

 隣で話す声の主は、本当に私の知っている人なのか。

 竦んで動けない私はお嬢様の背中を見つめた。

 彼女は言葉を紡ぎながら一歩、また一歩と前進する。

「どこに居るのか、と聞いたんです」

 怖い。私もここまで怒らせたことは一度だってない。魔力の伴わない迫力がこんなに強い人だったなんて。

 ルリは詰められているにも関わらず淡々と言う。

「心配するな。彼は今も元気だ。まさか、攫っていったわけじゃないぞ。話し合いで利害が一致したに過ぎない」

 彼女と彼の間にある"利害"とは。

 ルリは手のひらを上にして机の方向を示す。

 質素に誂えた机の上には、一枚の紙が置かれている。

 短い文章で紙にはこう書いてあった。

『僕の用事を片付けます。心配しないでください』

 それは魔道士様の残した書き置きだった。

 僅かに魔力の残滓が見える、本物だ。

 私はルリの方を振り返る。

 彼女は私たちの様子を確認した後に告げた。

「クィーラ、彼は本物の従者ではないのだろう? 彼の魔力を見ればすぐに分かった」

 核心を突かれたお嬢様は、表情を固めて口を噤む。

「彼には彼の目的があって、貴族の君たちとこの地にやってきた。違うか?」

 全て的を射ている。彼女の観察眼は鋭い。

 見透かされたような物言いに、肝が冷えた。

「だったら、別に構わないはずだ。もとより、君の所有物というわけではないのだから」

 ルリの言葉には強烈な棘があった。

 私たちのこれまでが引き裂かれてしまうほどの。

「彼はもう戻らないかもしれないな。彼の用事というものがどういったものなのか……。

 まあ、それは君たちがあれこれ案じる必要もないことだが」

 ベッドから立ち上がったルリは、絶句する私たちを差し置いて悠々と歩き出す。

「それでは私はもうお暇する。それを伝えたかったんだ。

 ………昨日のことは、本当にすまないと思っている」

 淡白な彼女のそれは横暴ではなかった。冷静で理性的、だから反論の余地も思いつかない。

 私を素通りするルリの背中に、お嬢様は呼びかけた。

「……待ってください。話は終わっていません」

 きつく結ばれた口元、静かに光る青い瞳。

 握りしめた拳は僅かに震えていた。

「私は納得していません……。何も。まだ何も話すらしていないのに……」

 あの魔道士様が、何の相談もなしに私たちの元を去るなんて信じられない。だが同時に、それは彼が戻ってくるという保証がないことを暗示しているかのように思えた。

 一ヶ月という短い期間だったが、三人で共に旅をしてきたのだ。それが唐突にこんな幕引きだなんて、あんまりだった。

 ルリは歩みを止めて振り返った。

 あくまで彼女は心無い言葉を放つ。

「それが私と関係あるのか? 君たちと彼の問題だろう? ドーラもそう思わないか?」

 ルリの碧眼も光を宿す。

 蚊帳の外だった私に突然問いかけてきた。

 彼女の言っていることは正しい。悪いのは、何も言わずに去ってしまった彼の方だ。

 昨日、私を勇気付けてくれた彼は何をしているんだ。私たちを仲間だと言ったのは自分じゃないか。どうしてその本人がここにいないんだ。どうしてお嬢さまがこんな顔をしなければいけないんだ。

 ルリが魔道士様を誑かしたわけではない。だが黙って引き下がれるほど私たちもか弱くはない。

 私は静かに口を開いた。

「ルリ様は、魔道士様の居場所を知ってらっしゃるのですよね」

 すかさずルリは曖昧に返事をした。

「あぁ、知っているかもな」

 私は急激に体の周りの温度が上がるのを感じた。感情に呼応して魔力が溢れ出る。

「可能でしたら教えていただきたいのですが。私たちは魔道士様とお話がしたいので」

 尋ねる私を窘めるように笑ってルリは返した。

 どこまでも陰険な女だ。

「嫌だと言ったら?」

 温度はさらに上昇した。押し上げられた空気に乗って髪の毛がふわりと浮く。

「それでも、訊くしかありませんね。加減ができないのでご容赦いただきたいのですが……」

 巻き上げられた空気は閉め切った部屋の中を巡る。自分で思っているよりも強い魔法の力を感じた。

 魔法制御ができない、抑えが効かない。昔からこの手の細かい調整が苦手だった。

 熱風を身にまとった身体がちりちりと焼ける。

 お嬢様には申し訳ないが、もう止め方が分からなかった。

 自分でも驚いた。

 この旅で得たもの。楽しかった思い出や苦楽を共にした仲間。これからの旅路。そして未来。

 全てが奪われてしまうような、壊れていくような気がして。怖くて、つらくて、認めたくないほどに悲しくて。

 そのやり場のない矛先を、ルリや彼に突きつけているだけなのかもしれない。

 不毛だ、と自分でも思った。解決になんて至れないただの癇癪。

 だけどそうせずにはいられなかった。

 私はそれが失われるのが、寂しい。

 今まで器用に感情を吐き出したことがなかったから。こんな不安定になったことがなかったから。

 抑えられない激情を誰かにぶつけるしかなかった。

 己の脆弱な精神性を垣間見た時、私は部屋の異変に気が付いた。

 流動していた空気の流れが一変して静止する。下がり続ける温度に木造の部屋全体が唸りだした。

 お嬢様が私の前へ出る。

 痛いほどに冷たい空気が部屋全体に充満していく。上から押さえつけられるような息苦しい圧迫感。

 床の上にうっすらと霜が降る。

 ルリが人差し指を回すと雪の結晶が舞い散った。

「少しは頭を冷やせ。誰も教えないとは言っていない」

 白い溜息を吐き出しながら、ルリは腕を組んで私たちに言い放つ。

「クィーラ、私は君と勝負がしたい。君が勝ったら、彼と引き合わせよう」

 彼女は笑みを浮かべたそのままの表情で続ける。

「その代わり私が勝ったら、彼のことは納得してくれるな?」

 両者の視線が激しくぶつかりあう。

 お嬢様は毅然として答えた。

「……分かりました。その言葉、忘れないで下さい」

 降り注いだ霜が結晶を散らしながら消えていく。私と部屋の温度はいつしか元通りになっていた。

 こんな綺麗な魔法がこの世にあるのか。言葉通り頭が冷えた私は素直にそう思った。

 ルリの魔法は、一目見ても底が知れないほど、強力なものだとわかってしまう。


 そして、魔道士様を奪い合う二人の魔術師の争いが始まったのだ。

 私は冷やされた頭で考えをまとめる。この戦いで得るものと失うもの。私の炎が効かなかった氷の結晶。

 果たして、お嬢様はルリに勝つことができるのだろうか。

 使用人室の窓枠がすきま風で音を鳴らす。

 薄暗い室内に、不穏な空気が漂っていた。


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