第10節 可憐な花氷
僕はドーラの破壊した入口の隙間から研究棟の中へ入った。
入口すぐの所に地下へ続く階段が見える。
氷の結晶はやはりそこから続いていた。再び氷に触れ、魔力の再分析を行う。
この氷は何かを攻撃するために発せられたものではない。
抑えきれない魔力の反発。制御を失った歪な形。
なによりこの建物が研究棟ということを考慮しても、実験の失敗が招いた魔術の暴走だと考えた。
氷から手を離し地下への階段を下る。
魔力を探ると、地下に一人いることが分かった。この騒動を引き起こした張本人、暴走魔法の主。
何故だか僕は珍しく緊張していた。呼び寄せられるような、くすぐったい不思議な感覚。
外で魔法の残滓を見た時からずっと抱いていた。
既視感、白昼夢に似た意識の目覚め。
地下深くまで続く階段の果て、一室から伸びるその根源に辿り着いた。
不可視の魔法を解除する。
深い蒼が、部屋全体に広がり僕を包み込んだ。
氷の結晶は床や天井にも連なり、氷瀑を思わせる。魔力の主を護るように幾重にも連なっていた。
取り囲む氷の殻に触れる。高密度の光が輝き、瞬時に氷を溶かしていく。
この融解方法は他人にはできない。外でするには目立ちすぎるので憚られた。
中心に至る道を作り、内側へと進んでいく。
次第に氷の放つ光が強くなる。
氷山の中央では、膝を抱えた一人の少女が眠っていた。
クィーラたちよりも、少し年上だろうか。
氷が脈動する。僕の魔力と響き合うように。
何故だか自然と懐かしさが込み上げてきた。
この感情の名前を僕は知らない。
氷の卵に閉じ込められた少女を助けるため、結晶に触れる。
僕は底知れない恐ろしいほどの深淵を感じた。氷ではなく、純度の高い魔力そのものに触れているようだ。
暴走した魔力の結晶は単純な結界に近い。核に触れさえすればすぐに魔法は解けてしまう。
手のひらから光が零れ、覆われた氷を解き放つ。辺りに満ちる全ての氷に亀裂が走った。亀裂は段々と大きくなり、氷柱は瓦解を始める。
少女を守る氷の殻は軽く弾け、その中身を無造作に投げ出した。
地面にそのまま激突しそうになった少女を、僕は優しく受け止めて抱き起こす。
柔らかい空色の髪の毛、睫毛が長く凛々しい顔立ち。力無く放り出された四肢は美麗で、白い磁器のようだ。
ばらばらと砕ける氷の音に邪魔され、彼女の眠りが浅くなる。
呻き声とともにその瞼が持ち上がると、藍色の宝石のような瞳に光が差し込んだ。
以前も似たような事があった。眠れる女性を上から覗き込む。
しばらく見つめあったまま硬直していると、少女はゆっくりと瞬きした後に口を開いた。
「……待っていたよ、君をずっと」
凛として落ち着いた声に、心の内側がざわつく。
待っていた……僕を……?
彼女は腕を持ち上げ僕の頬に手を添える。周りの冷気とは正反対に彼女の手のひらは暖かい。
不思議な感覚を頼りにここまできた。その答えが彼女だった。
いや、正確にはこの感覚の正体を知っているのが彼女なのだろう。
僕はこの出会いが何かの意味を持っていると直感した。
湧き上がる感情、『待っていた』という言葉の意味。腕の中の彼女には聞きたいことが山ほどあった。
だが色んなものを置き去りにしてきた僕は、追いついてきた存在に今更ながら気が付いた。
「な、なななっ!!」
聞き覚えのある声が聞こえた。
そちらへ顔を向けると、二つの人影が見える。
氷が砕けるのと同時に中へ入ってきたのだろう、クィーラとドーラだ。
「なな、な、な…………」
僕は首を傾げた。
な?
クィーラは顔を引き攣らせながらおかしな言葉を連呼し、体をわなわなと震わせている。
ドーラは人を殺すような冷たく蔑む目で僕をみていた。
…………ま、まずいぞ。
冷気とは別の背筋が凍るような感覚に襲われる。
ドーラのこんな怖い顔、見たことない。
何か致命的な過ちを僕は犯してしまったらしい。
固まってしまったクィーラの代わりにドーラが凍てつく言葉を僕へ突き刺す。
「外道」
げどう。
研究棟を閉ざした氷の結界を解析し、その原因を突き止め暴走した魔術の主を助け出した。
滞りなく人命救助している間に、僕はどうやら人の道を踏み外してしまったらしい。
僕が何をしたって言うんだ。
困惑した僕の表情を読み取ったのか、弱々しい瞳の少女が腕の中で呟いた。
「……困っているみたいだな」
言い終えると彼女は目線をクィーラに向ける。
目を向けられ我に返ったクィーラは視線を交差させた。
火花を散らせた二つの青い瞳が激突していた。
なんだこれは一体。
彼女は僕の肩を掴みながら立ち上がり、顔を近付けると微笑んで告げる。
「私はルリ、さっきはありがとう。本当に助かった。君、名前は?」
僕は背後から形容し難い二人の圧力を感じながら名前を告げる。
頷いた後、ルリは再び尋ねてきた。
「それで彼女たちは、君の知り合いか?」
僕は恐る恐る答える。
「え、ええ、そうです。こちらが――――」
僕の言葉を遮るように前に進み出てきたクィーラ。
強い眼差しをルリに向けていた。
「私はクィーラと申します。彼らは私の従者ですが何か?」
何故か必死に対抗意識を燃やすクィーラ。
初めて会った彼女と因縁でもあるのか?
「なるほど、貴族様か。どうぞお手柔らかに頼むよ」
ルリはそんなクィーラの態度にどこ吹く風といった調子で言葉を返す。
そうこうしている内に上の階が騒がしくなってきた。
あれだけの魔法を使ったんだ。ちょっと面倒だぞ。
「まずいな……」
ルリは気だるげに天井を見上げて呟く。
右手で何かを掴むポーズを取ると、彼女の手から連なるように氷が伸びた。細長く、ルリの背丈と同じ長さの歪な形。
召喚杖と呼ばれる、杖なんかの触媒を生成する魔法だ。
魔術師として触媒を持ち歩く必要がなくなる非常に便利な魔法なのだが、極めて高度であった。
ルリと名乗った少女は、杖を掲げると同時に告げた。
「また会おう、クィーラ」
瞬間、氷の壁が視界を遮る。地を這う冷気が部屋全体を駆け巡り、気が付くと辺り一帯が氷で覆われていた。
先ほどまで眼前にいたルリの姿はどこにも見当たらない。
呆気に取られていた僕らは上階から降りてきた学院の管理局の者に呼び止められた。
事情はその場で話したが聞き入れてもらえず、僕らは管理棟へと連行されてしまう。
部屋に残された氷は段々と小さくなる。
役目を終えたのか、静かに見えなくなった。
僕を待っていた謎の存在。
彼女は、何者なのだろうか。




