第8節 ルールエの黄金
「案外広くて安心しました」
木造で建てられた木の香りがする屋内。
僕は部屋の内装を見渡しながらドーラに話しかけた。
「そうですね。召使いにもこのような部屋を与えて下さるなんて、随分気前がいいですね」
ドーラも忌憚ない意見を述べる。
珍しく饒舌に喋る、上機嫌だ。
ヤミレスに到着した僕らは早速学院へと足を運んだ。入学の手続きを済ませて、今は宿舎を案内されている。
貴族の学生も多いことから、使用人室まで設えられて、待遇はとてもよかった。
僕とドーラは自室に満足していたが、クィーラはどうやらそうではないらしい。不機嫌とまではいかないが、微妙に納得してない様子だった。
僕はそんなクィーラに声をかけた。
「部屋に不備でもありましたか?」
彼女はやや下を向いて、
「そうではないのですが……」
と含みをたっぷり持たせて言い淀む。
彼女はちらりとドーラに目線を向ける。
ドーラの口の端が少し上がったように見えた。
狼狽える彼女に、ドーラは言い放つ。
「お嬢様のお部屋は何も問題ありませんでした。広く、清潔感があって、戸締りも完璧です」
ドーラは殊更恭しくクィーラに告げた。
「どうぞごゆるりとお寛ぎください、お一人で」
クィーラの背後に衝撃が走った、かのように見えた。
そんなわけはない、目を擦る。
僕は思考を巡らせた。
一人部屋というのが嫌なのだろうか。
今回の旅では、ドーラか僕が必ず護衛についていた。一人にさせた時間はほとんどなかったが、そんな素振りを見せたことは一度もない。
そういえば、ルールエにいた頃、彼女は単身で街の依頼を受けたりしていたっけ。
寂しいなんて、今更思うだろうか。
まさか、眠る時は必ず誰かと一緒でないとまずいとか。そうか、その可能性もあった。
夜営するときは必ず三人は一緒だったし、村や町で宿泊する際はドーラがいつも相部屋だった。
ルールエにいる際はどうしていたか分からないが、旅でその兆しを見せる機会はそうそうない。
僕は遠回しに言葉を選ぶ。
「部屋、やはり護衛の面で誰か居た方がいいんじゃないですか?」
その言葉を待ってましたと言わんばかりにクィーラの顔がぱっと華やぐ。
だが、ドーラが冷徹にそれを遮った。
「いえ、ここは学院の宿舎ですので安全性は高いです。部屋も近いので、すぐに駆けつけられます」
百歩譲っても学院という敷地内だ。わざわざ同じ部屋にいるほどの緊急性は、ドーラの言う通り確かにない。
何か言いたげなクィーラを黙らせて、無表情のドーラは重ねて言う。
「魔道士様、お嬢様はお一人で眠られないほど寂しがり屋というわけでもありません」
澄ました彼女の目と僕の目が合う。
僕の迂回した言葉を辿って、どうやら真意に気付いたようだ。
ではどうして、クィーラは不満気なのだろう。
使用人室がノックされる音。
クィーラがどうぞ、と言うと、先ほどの学院の案内人が戸を開けた。
「クィーラ様、お部屋の確認はお済みですか? 入学に関するご説明をさせて頂きますが……」
クィーラは引っ掛かった気持ちを押し込めつつ、答える。
「はい、すぐに行きます」
僕はクィーラともう一度目が合った。
ドーラはやっぱり、どこか楽しそうだ。
管理棟と名付けられた趣のある建造物の中に入る。
学院の敷地面積は広く、大きな町くらいはあるかもしれない。講義を受ける建物が幾つも並び、その中を学生たちが行き交いしているのが見えた。
中央都市魔法学院の名前は広く知られており、各地からその門戸を叩く学生が多い。知名度が高い理由は様々あるが、一番の理由は創立者だろう。
かつて魔王と戦った大勇者の仲間の一人、大賢者。
彼は大勇者一行と共に魔王を討った後、ヤミレスにこの学院を創り出した。彼ほど高名な魔術師を僕は知らない。
そんな人物が創立した学院の名は、大陸中に轟いた。
数百年たった今でも、その威光は絶大だ。魔法使い、研究者、冒険者など、様々な人が後を絶たない。
魔術の研究目的や練度向上に役立つほか、知的好奇心を満たしにやってくる人もいるだろう。
貴族の中にも子息に魔法を学ばせて、社交界での地位を誇示させる傾向が見られている。
クィーラはそのあたりどう思ってるか分からないが、後者のような考えは頭の片隅にもないはずだ。
魔術師としてこの学院に通えば、必ず自身の魔術をさらなる高みへと導いてくれる。
それが中央都市魔法学院ウーロギアだ。
僕はこの学院に以前から興味を持っていた。魔王討伐という使命がなければ、一度は来たかった場所なのだ。
それが何の因果か、ここを訪れる機会が巡ってくるとは。
子爵はすぐに北へ発ってもいいと言ってくれたが、到着してすぐ感じたあの気配も気になる。
もう少しここに留まり、様子を探ることにしよう。
ついでに魔法の勉学をしてもバチは当たるまい。
応接間で待っていたのは、眼鏡をかけた若い女性だった。魔術師の古風な三角帽子を被り、立派な杖を持つ。
佇まいは凛々しく堂々としており、少し厳しそうな顔をしている。服装からも威厳が伝わる、おそらく高位の魔法使いだ。
「お待たせしたな、私はマーシャだ。学院の理事長をしている」
耳についた桃色のピアスが印象的だ。クィーラはマーシャと握手を交わす。
マーシャの金髪はクィーラと対照的に色が濃い。色鮮やかで、黄色味が目立つ。
「長旅ご苦労だった。早速で申し訳ないが、今から学位認定の試験を受けてもらう」
労いもそこそこに、理事長が淡々と告げる。
さっきの案内係からも説明は聞いていた。
学生の序列を分かりやすく表す学位を今から測るそうだ。銅位を下回ると、最悪の場合退学となるらしい。
「そこの召使いたちも、席を外せ」
マーシャは興味がなさそうに言い放つ。
クィーラを一人させることは今までなかったが、こればっかりは僕も手助けができない。
三人は互いに目配せして、ドーラとともに僕は待合室を後にした。
試験が行われる隣の部屋で待機するあいだ、ドーラは暇つぶしついでに僕へ尋ねた。
「試験、どうなると思いますか」
僕は返事をする。
「どうって、そんなの分かりきってるじゃないですか」
ドーラは視線だけ向けると、僕にこう言った。
「本当は不敬なのかもしれません。ですが、そこまではっきりおっしゃるのであれば、賭けでもしませんか?」
クィーラのこととなると、彼女は童心に戻ったようになる。
■■◇■■
筆を走らせる魔法を使いながら、私は込み上げてくる感情をどうにか押さえ込んだ。
試験は無事全て終了した。監督の補助をした管理局長も驚愕を浮かべている。
「マーシャ殿……あの娘は……」
小国から来た子爵の令嬢、幼い十四歳の少女。召使いも同世代かそれ未満の子ども二人だった。
大方、貧しい貴族が可愛い娘のために高い入学費を払い泊をつけさせようと学院へ送り出したのだろう。
身の程も知らない哀れな子どもたち。ここはあなたたちが楽しい思い出を作るための場所ではない。
わざわざ隣国から来たのはご苦労だったが、体よく難題を以て現実を知ってもらわねばならなかった。ここへ来る学生の大半が未熟な魔法使い故、半端な努力で貴重な時間を費やしてしまう。
私はそう思っていた。だが、現実を知ったのはこちらの方だ。
クィーラの成績はほとんどが満点だった。
知識や弁論を必要とする口頭試問では、普段取り扱わない特殊属性について説明を求めた。炎、風、氷、土などを操る魔法を基本属性と呼び、それ以外を特殊属性と分類している。扱う魔法使い自体が少ないことや魔術構築が複雑で理解し難いことが、研究者以外を寄り付かせない一因となっていた。
実技試験でも同様に、あえて難しい略式魔法を扱わせて繊細な模倣魔法を要求した。
普段の試験でこんなことをしていては、全ての生徒の成績を落第の判で塗りつぶしてしまうだろう。
そんなマーシャによる恣意的な思惑を、クィーラは無理やり飛び越えてしまった。
彼女の知識は深かった。
読書だけでは得られない膨大な知識量。その根源は、恐らく幅広い探究心と叡智を求める好奇心。そしてそれらによる無数の反復実験だ。足りない部分を少ない事例や経験から考察する力。理路整然と述べられる分かりやすい語彙力。家庭教師にでも習ったのだろうか、特殊属性については研究者顔負けの理論を持っている。
実技試験では、慣れないはずの略式魔法の魔力操作も信じられないほど鮮やかだった。構成する魔力を必要最低限に抑えつつ、波形まで完全に模倣してしまう。彼女は完成度に不服そうだったが、その結果に不満を垂れる者はいないだろう。複雑な魔力の構築を日頃から繰り返し行っている証拠だった。
私は神童と呼ばれた存在を思い出す。
彼女は、あの頂きに立っているとでもいうのか?
「……マーシャさん?」
私は声にはっとする。
魔法学院管理局長代理、改め副局長が私の顔を見ていた。
「すまない。……それで、局長はどう見る?」
私は局長に尋ねた。クィーラの存在は、嬉しい誤算だ。
「どうもなにも、あんな娘は見たことありませんなぁ」
薄くなった頭を掻きながら、局長は答えた。
彼女は絶対に、逃がしたりしない。
「……えっと、入学した時の学位は、原則で銅位、ということでしたよね……?」
気の弱い副局長が告げると、私と局長は息を漏らした。
あの実力で銅位はありえない。かと言って高すぎる位は他の生徒から反感を買ってしまう。学院長は承認するだろうが、下の者に気苦労は掛けたくない。局長も同じ意見だろう。
私は鋭い目つきで二人の顔を交互に見た。
彼女には、目立ってもらわなければならないのだ。
かくして、理事長室で行われた三者の結論は下った。
通常は表立って明かされない書類の束が魔法によって追記されていく。実技試験を見た者なのか、運よく彼女の魔力を感じ取った者なのか。
どこからか漏れ出たその情報は、すぐに学院中に広まった。誰も彼もが、その新しい風の名前を耳にする。
学院を揺るがす、大いなる意志の中心にいるかのように。




