第3節 待望の予感
全てを焼き尽くしてしまう力の礎が、自分の体を焼き切る様に這いずり回った。全身が凍ってしまったかのように動かない。冷たい氷山の中にいるような真っ暗な世界。
孤独と立ち向かった者だけが見える不思議な感覚。死を迎えた際に一際輝く星のような炎。
だが誤解だけはしてほしくない、全て自分で選んだ道なのだ。不可逆だと分かっていながら進み続けた末路に、誰が文句など付けられるだろうか。
頬に添えられた手から伝わる体温。遠ざかっていく自分の存在が、消えていく。
もう戻らないあの日々が、私にとってはかけがえのない宝物だった。
ごめんなさい、本当は私、もっとみんなと……。
手放していく、生命の終端。超越した能力の代償。
私はこれを正しく使うことができるのだろうか。いや、正しく使うかどうかはもはや別の問題なのかもしれない。
これは人智を超えている。使った者が正義であり、通った道こそが覇道となる。
そう思うと、私はうすら怖くなってきた。
世界を揺るがす大いなる力。その一端にたった独りで呑まれずにいられるだろうか。数多の勇者と同じように一つの標を持ち、勇気をもって歩むことができるだろうか。
不安は心の迷い。迷いは決断を鈍らせた。
結局、私は長い時間を待った。
いつか現れる兆しを待ち続けて、孤独に時を費やした。
本当にこれで良かったのか。後悔したことも何度かあった。
だけど独りで抱え込めるほど私は強くない。私には、仲間が必要だった。
かつて、英雄たちが一人ではなかったように。
共鳴を感じた時、私は信じられなかった。
強烈な既視感、白昼夢のような感覚。違和感と言うほど不快ではなく、むしろ懐かしい安堵に近い。
誘因されるその力に惹かれ、運命を確信した。悠久だと思われていたその時は、満ちたのだ。
その存在は私をあるべき標へ導いてくれる。数百年の時を超えた因果の先へ。
そうすれば、今まで払ってきた代償を気負うことなく無駄にしなくて済む。待った甲斐があった。自分に宿り、固く閉じこもった天変の術。
その矛先を運命に委ねた。
歯車が動き出し、全てが回り始める。凍りついた時間が、やっと動きだしたかのようだ。
内に秘めた"御言葉"が、花開いた。
■■◇■■
部屋の窓を開けると、舞い上がった埃が光を受けて鮮明になる。
外の賑わいがぬるい風と共に部屋の中へ入ってきた。
光に目を細める。自然光が眩しい。
しばらく掃除どころか換気さえしていなかった。
新鮮な空気が部屋の中に入り込み、さわやかな雰囲気に塗り替えていく。
振り返った際、足が何かに触れる。積み上がった書籍がぶつかった衝撃で雪崩を起こした。
本のいくつかはベッドの下まで入ってしまったが、無関心な目で一瞥しすぐに視線を外す。
部屋の隅には机が置いてあり、その上にはさらに積み上がった本と走り書きがいくつか。
窓からくる風に、開かれたままの本のページがめくられる。床におちた数枚の紙。魔法陣が描かれたそれら羊皮紙を素足で踏む。散らかった部屋は、床さえ見えなくなっていた。
大きな欠伸をしながら背筋を伸ばす。
小さな部屋にはベッドと机、打ち付けられた背の高い本棚があり、向かい合わせにバスルームへと続く通路が続く。
人差し指をくるくると回しながら、私は呪文を唱えた。
部屋の中、乱雑に散らばっていた、ありとあらゆる物が重力を消したかのようにふわりと浮かぶ。
肩をさすりながら水場まで歩くあいだ、私の背後で空中を物が行き交い、箱や棚、机の上の収納スペースに綺麗に収まっていった。床に落ちていたものは一つの束にまとめられ、部屋の隅や絨毯についていた埃や髪の毛なんかが窓の外へ吹き飛ばされる。
最後の羊皮紙の一枚が本の隙間に滑り込み、部屋はあっという間に綺麗さっぱり片付いた。
下着姿の自分を映した鏡が目に入った。
綺麗な鏡面が、私の上半身を収める。
何日ここから出てないんだろう。
二の腕を上げて匂いを嗅ぐ。顔を顰める私。
薄い布地を脱ぎ去ると、再び魔法を唱えた。
水場から出た水分がふよふよと浮き上がる。体全体を包み込み、水の膜を作った。次いで流れを発生させ、一方向にぐるぐると巡らせる。全身の素肌を撫で回し、体の汚れを洗い流す。
冷たい水が寝ぼけた頭を澄み渡らせるようだ。
私は体の隅々まで行き届いた水流を、一つの場所に留まらせた。
汚れを拭った水の塊を操り、排水溝へと導いた後、重力に任せて流していく。
体や髪の毛を触り質感を確かめ、新しい肌着や衣服に袖を通す。
肩まである髪の毛が、日に照らされて艶めいた。
マントを羽織り、指ぬきグローブを付けると、鏡で身だしなみを確認する。
鼻で軽く息を吐き出して、私は仏頂面の自分の顔から目を逸らす。
机に並べられた羊皮紙の中に、折り畳まれた一枚を手に取る。
定規で引かれた真っすぐな線が織りなす幾何学模様。四角形が書き連なった、建物の図面だ。
顰めた眼差しを図面に向けて、道なりを指でなぞった。乾いたインクの跡は擦っても取れない。ここ最近は、堂々巡りで埒が明かなくなってきていた。目標は近付いているということだろうか。
魔法をかけると、インクは色を失い羊皮紙は白紙になった。
扉を開けて廊下に出る。
外へ出るのには少し抵抗があったが、待ちきれない衝動が背中を押した。
どんな人物なのだろう。
軋む床を踏みしめながら、明るい廊下を進みだす。
吉報だと信じて歩けば、多少足取りは軽くなるだろうか。




