最終節 ルールエと兄弟
一人の男が廊下を真っ直ぐに歩いてくる。
男の顔を覗く。
――――あの男だ。今度は、そう上手くいかんぞ。
看守は格子のついた窓から男を睨みつける。
男はそんな看守の様子に気が付いたのか、笑みを浮かべながら一言。
「面会を」
窓枠の下側には格子のない部分があり、そこから許可証か何かの紙を看守に渡す。
看守は紙を苦々しくも受け取り、告げる。
「今回は、人を付けさせてもらうぞ」
看守の仲間が、男の後ろに控える。
「あぁ、前回は、ご苦労だったな」
男は嘲笑うかのように帽子を上げ会釈した。
看守は鼻を鳴らし、合図を出す。
扉の施錠が解かれ、重い扉が開くと男はさらに奥へと進んだ。
頼りない明かりが灯る廊下を歩き、靴音だけが響く。
廊下は一本道で、窓も見当たらない。息苦しいはずのその場所で、男は慣れた足取りだった。
最奥にある独房に行き着く。
見張りが椅子に座ったまま、男を一瞥する。
独房はキメの細かい金網が全体を覆い、何重にも格子が入っていた。警備が二人も付き、厳重な牢獄だ。
暗い牢屋の中、片手を繋がれた囚人が一人座っていた。
待ってましたとばかりに、やってきた男に話しかける。
「やぁ、兄さん。今回も来てくれたんだねぇ。
だけど、少し早過ぎないかい?」
冗談交じりに明るい口調。
看守達が、鋭い目を光らせる。
「息災のようでなによりだ。だが申し訳ない。今回は手を貸せそうにない」
男も冷たい笑みを浮かべる。
囚人は困ったような顔をしてため息をついた。
分かっていただろうに。
鎖に繋がった腕を振るい、芝居臭いセリフを吐く。
「息災ぃ? これで息災なら、世界中から医療は消えてなくなるんじゃないかなぁ」
男は囚人の体を見る。
「手酷くやられたようだな」
囚人の体は右肩から腰まで、弧を描く様に削り取られていた。
失った体を微塵も気にせず、囚人は嘆く。
「あれは予想外だったなぁ。強化薬を使った僕でさえ勝てなかった」
長年にわたり研究を重ねた筋力強化薬。その効果は絶大だったが、代償として目から光を失った。
「兄さん、あの少年は兄さんが連れてきたのかい?」
男は答える。
「いいや、私は全く認知していなかった。もとより、そんなことを私がするわけないだろう」
囚人はそれを聞いて笑った。
兄はどんな状況にも、常に傍観者でいた。あんなカードは持っていたとしても、あの場面では使わないし、使うことも自らが許さないだろう。
「確かになぁ」
囚人は続けた。
「兄さん、僕の勘が正しければね、あの少年は"御言葉"なんじゃないかなぁ」
看守には囚人が揶揄したように聞こえたかもしれない。だが彼の兄弟には、それが本気だと伝わった。
まことしやかに囁かれた、伝説の到来。その一端と彼は相まみえることができたのだ。
男は嬉しそうに言う。
「それは、誇らしいことだ」
囚人は、見えない遠くを見つめてぼやく。
「あの少年と兄さんには感謝してるんだぜ。あんな全力を楽しめたのは、久々なんだからなぁ」
男は寂しくなった囚人の顔を見つめる。
「私が招いたことではない。全て巡り合わせだ」
囚人は大きく笑った。
「本当に、兄さんには敵わないな」
ひとしきり笑った後、囚人のにやけ顔は無表情に変わる。
「……兄さん、僕は、自由だったかなぁ。兄さんの代わりは、務まったかなぁ」
男は、目を伏せながら告げた。
「あぁ、自由だったとも。小さい頃から、ずっとお前は、私の憧れだ」
囚人も俯き、声を出さず小さく笑う。
「兄さん……最後に、会えて良かったよ」
男は帽子を深くかぶり直す。
「私も、お前には感謝してもしきれない。本当に、よくやってくれた」
下を向いたまま、囚人は表情を崩した。
男は踵を返し、告げる。
「……さらばだ、ヴァス。先にあの世で待っていてくれ」
暗闇に男が消える。
囚人は残った足音と兄の言葉を反芻しながら、今までの思い出に浸っていた。
あぁ、僕は、僕が思うがままに自由だった。
ウルト兄さん、これが生きるってことだよなぁ。
堪えることができないほど、ヴァストゥールは大きく笑い始めた。
重く低い笑い声が、地下深くの監獄に響き渡る。だがその声が、誰かの耳に届くことはもうなかった。
数日後、犯罪組織ダスガストの指導者であるヴァストゥールは処刑された。
彼の纏った悪意や恐怖は、彼の死とともに土に還るだろう。
彼が兄弟と共に目指した、"自由"を残して。




