第42節 第四師団長
白い息が漏れ出た。地面に積もった雪が、足先を冷たくさせる。
ここまで近付かれても、ヘルメルから一切の魔力が感じられない。モーガンスを倒した時に感じた、あの鋭利な殺気だけが席巻していく。
トキウラの刀は魔神に触れる前に弾かれてしまった。武器を失った彼に、ヘルメルの魔法が襲いかかる。
激しい落雷と迸った火花。危機を察知するスキルによって、身をかわし後ずさったトキウラが、ヘルメルと睨み合った。
「手前、何者であるかッ!」
ヘルメルの周りを回転する金属の手甲。細い磁場を作り出す電気の軌道が、そこかしこに漂う。
「貴様ら、着々と仲間を増やしているようだな……まったく反吐が出る」
「トキウラ! この人は僕らを謂れのない罪で追っている!」
「……先生を殺めたことを懺悔し、魔王国の情報を吐けば苦しまずに殺してやろうと思ったが……自らの罪も自覚していない愚図に相手している時間はないようだ」
鬼の魔法で粉々となった瓦礫の上、僕は叫ぶ。
「モーガンスが何をしていたか知らないのか!」
ヘルメルの眉間に皺が寄る。不快感を露わにした態度、人間を見る目ではない。
「貴様のような愚図には先生の崇高なる思想も理解できまい」
突然集まってきた黒い砂に僕の体は覆われる。きつく締め上げられ、身動きが取れなくなった。
「何を……」
「先生が今までどんな思いで国に貢献してきたのか、知っているのか? 貴様らのような俗物とは違う、果敢な意志の元に先生は理想を現実のものにしようとしたのだ。腐敗した国の重鎮どもを排斥し、新たな未来のために学院を足掛かりにした……だが、それを貴様らがぶち壊した!」
氷の塊がヘルメルの頭上に飛来する。一瞬の出来事にもかかわらず、彼は手甲を一振りし氷を粉々に打ち砕いた。地面から湧き出る黒い砂が、カノンとカグヤを掴んだ。
「動くな、この死にかけの魔族を殺すぞ」
魔力をほとんど使い切ってしまったカノンは、もう自分の身を守ることすらできなくなっていた。
カグヤも同様に、広範囲にまき散らされた電撃のダメージを癒せていない。喘ぐカノンたちを尻目に、浮かび上がっていたルリにヘルメルは告げる。
「貴様はマギで見たな。年齢にしては派手な魔法を使う。学院を調べたが、情報が一切出てこなかった……しかし、魔法使い一人を隠し通せるほどペンタギアノは甘くない。随分昔に貴様の怪我の処置をした神官をこちらで捕縛した。商会の出だそうだな……?」
「……!」
ルリがわずかに動揺する。ヘルメルは口の端を持ち上げた。
「紫髪、貴様は何の目的でヤミレス城に忍び込んだ。魔王国からの間者なのだろう? 誰と繋がっている?」
僕は纏わりつく細かな粒を見る。これは砂鉄だ。ヘルメルは鉄を操ることができるようだ。あの飛ばしていた手甲も、その能力で動いているのだろう。
海岸は砂鉄が多い。この状況は、かなり不利だ。
「……ヤミレス城に忍び込んだ? 間者? ふん……知らないわよ、そんなこと」
答えるカグヤは体を傷だらけにしながらも、挑発的な態度をとる。
「あなた、ペンタギアノの兵隊でしょ……。こんなところで民間人に魔法を使って大丈夫かしら……?」
砂鉄に縛り上げられた力が強くなる。体がすべて押しつぶされてしまいそうだ。
ヘルメルは不服そうに眉を傾ける。
「罪人を匿うものは皆殺す。国を越えてもそれは同じだ……次余計な口をきけばこいつを殺す」
カノンが地面に叩きつけられる。結った髪の毛が引っ張られ、地面にはりつけになった。
「お……ねえ、ちゃん……」
力を振り絞って出す声に、僕は視線を送る。カグヤがヤミレス城に忍び込んでいた……? 一体、どういうことだ。彼女はアルディア地方には立ち寄ってないと言っていたじゃないか。
僕はカグヤに目を向けたが、そこにはカノンのつらい様子を推し量る彼女は存在していなかった。顔色一つ変えず、澄まされた態度を貫く。毅然とした面持ちでヘルメルを睨みつけていた。
一直線に結ばれていたカグヤの口が、少しだけ動いた。
ほんのわずかな、とても小さな動き。
聞こえてもそれが何を意味する言葉なのか、今までの僕だったら理解できなかったはずだ。聞き違えたか、あるいは言葉のどこかを聞き落してしまったと思うに違いない。
でも、彼女が呟いた言葉にははっきりと聞き覚えがあった。
そう、カグヤは確かにこう告げたんだ。
「――デロデロ、来なさい――」
乾いた空気が揺れる。前髪を揺らした風は物音を運んできた。かさり、と何かが動く。
ぐるりと顔を動かしたヘルメルは腕を向け、地面から現れた砂鉄を使いその正体を探った。砂鉄に掴まれた黒い球体を、訝しむようにヘルメルは見る。
「何だこれは……」
光を放つ目玉が音声を流す。
『位置情報の取得に成功しました。本体への攻撃を確認、これより防衛システムを起動させ――』
音声の途中で、ヘルメルがデロデロを叩き潰した。破片飛び散る黒い瞳。変形した機体から薄い光が漏れていた。
「気味が悪い。魔王国の兵器か? こんなものを作っているなんて……やはり貴様らは度し難い連中だ」
歪んだデロデロの体を地面に放り、ヘルメルは再び僕らに向き直った。デロデロを呼んだカグヤの目が、さっきとは違うように思えた。
彼女は何をしたんだ。何が目的なんだ。
機体から飛び出した黒い腕、ひん曲がった装甲。砂嵐のような音とともに、点滅する瞳から今度は不協和音のような音声が流れた。
『危険信号を検知しました。避難してください。危険信号を検知しました。避難してください。危険信号を……』
デロデロを呼びつけたカグヤのことも気になるが、問題はそれだけじゃない。
僕はすぐに顔を上げる。
闇に紛れて姿を消した鬼が、音もなく僕らの前からいなくなっていた。
……やられた! ヘルメルに気を取られて気配をうまく隠されてしまった!
体が締め上げられるのと同時に、焦りが身を硬くする。今すぐに動き出さなければならないのに、砂鉄はびくともしない。
……落ち着け、まずは体を癒やさないと。カノンを助けて、カグヤも……いや、それならまずはヘルメル本体を……でもそれだと、カノンが先に……。
考えがまとまらない。どうやっても手札が足らない。いつもそうだ。僕の力が弱いばかりに、何一つ救えないまま、失っていく一方なんだ。僕は今まで何をしてきたんだ。ルリは使える魔法がどんどん増えていくというのに、諦めて蔑ろにした僕は、どうせ使えないと光魔刀を振りもしないで、どうせ出せないと加護天使に手をつけないままで。
奥歯を強く噛み締めた。
こんな時になんの手も足も出せないでいる。愚かだ。僕はとんでもなく愚かで、矮小で、無知で、非力だ。いつもこんな最悪な事態になって、大事なものを失くしていく。
瞑った目を少し開けると、薄紫の瞳が目に入った。
そうだ、こんな時、必ず動き出す人がいる。
彼女は、カノンを諦めたわけじゃない。心をなくしているわけでもない。
自分の命も顧みず、己を犠牲にしてまで、立ち上がる人。僕は、そんな人たちに助けられて、ここまで来たんだ。
内側の魔力がみなぎるのと同時に、カグヤを掴んでいた黒い砂鉄が、脆く崩れ去った。




