第16節 月光と陽光
この男は危険だ。
体全体から溢れ出す異様な闘気。目の前で打った怪しげな薬品は、あの化け物をも凌駕する禍々しい気配を感じさせた。
とっさに男の首を掴み二人から距離を取った。
首ごと千切れてもおかしくない速さだったのに、何故かしっかりと体が付いてきている。
それどころか僕の腕を引き剥がそうと、強引に腕を振り回してきた。
すぐに男を投げ捨て着地する。転がり土煙を立てながら男の体は瓦礫に突っ込んだ。
森で見た怪物は筋線維を無理やり増やす効果だった。膨れ上がった筋肉が不気味に姿を変える。密度を増す筋繊維が暴力的なまでの強靭さを作り、クィーラの魔法を無力化させた。
だがこちらは単純な筋繊維の強化だ。いや、別のものに作り替えているのかもしれない。一本一本連なった筋繊維が、人間の何倍も硬化、収縮を可能にしている。
これが実験の成果なのか。完成形といってもいいかもしれない。
地面に高速で叩きつけたはずの狂気の男は、瓦礫の山を押しのけ悠々と立ち上がった。
首を傾け骨を鳴らすと、邪悪な笑みを浮かべる。
「ひどいなぁ。挨拶もなしに首をしめるなんて」
……どうやらあまり効いてない様子だ。
僕は陰険な笑顔に軽口を飛ばす。
「随分元気そうに見えますが……もっと痛がってくれてもいいんですよ」
男は笑い飛ばす。
しかしその後すぐに不機嫌そうにこぼす。
「どうしてそこまでこの街に拘るかなぁ」
やるせないと言いたげに肩を落とす。
「君のように、圧倒的な力を持った人間が、他の人の自由を奪っちゃいけないよ?」
………圧倒的な力、か。
魔力を体全身に感じながら僕は素直に言い返した。
「僕は決めているんですよ。この力は人のために使うと」
赤黒い煙が夜の空を覆う。灰にまみれた賑やかだった街並み。
「今は、あなたとルールエのために力を使います!」
まばゆい光が僕の全身を包み込む。炎の中にあっても、明るく輝く光。
目を逸らさず、男は全身の血管を浮き上がらせる。噴出する悪意が目に見えるようだった。
「僕は自由の夢追い人、ヴァストゥール。君はそんな人間を折檻しようってのかい。
面白いなぁ。そんなエゴで僕が改心するとでも?」
男は目を見開き、仰々しい程おどけてみせる。
僕はすぐに笑顔をつくって返事した。
「改心するかはあなた次第です。僕にそんな能力はない。だけど、折檻できるのは僕ぐらいだと思ったので」
言い終わると同時に手のひらから光の槍を突き出す。
離れた男の心臓に僕の魔法が高速で向かう。
飛び出した光は男の体を一瞬で貫こうとする。だが、紙一重で躱されてしまう。
……やはり動きが早い。
躱すと同時に攻撃に転じてきた男は、地面を蹴って即座に接近してくる。弾かれた地面が高い土埃をあげた。迎撃の隙も無い猛スピードの加速力。
ヴァストゥールの震える瞳が僕の瞳とぶつかる。
風圧で地面を削るような突き上がる拳が迫った。防御を崩し後ろに退くも、鋭い衝撃が頬を掠める。
身体能力を魔法で高めていても完璧には躱せない。
僕は拳に光の魔力を溜め突きを放った。
ヴァストゥールは手のひらで拳ごと掴んでこれを防ぐ。
男の余裕の笑み。僕の額から流れる汗。
振り切った手刀が僕の喉を狙う。首ごと叩き折るような殺意の一撃。
―――避けられない。
あらかじめ覆っていた魔法で勢いを逃がし受け流す。
首を囮に使った僕は両腕の塞がった隙を見逃さない。空いた男の右の脇腹に横蹴りを打ち込んだ。
骨の軋む感触。芯まで捉えた。
しかし、手応えを感じる僕の思考はすぐに塗りつぶされる。
次の瞬間、受け流したはずの右手の手刀が折り返してきて、再び僕の首を横に切った。
魔法防壁ごと砕かれ、横へ弾き飛ばされる。
威力は削いだが、それでも無傷とは言い難い。
初撃で防護魔法の強度を確認したのか。中々に手強い。
激痛の走る首筋から血が滴った。
「いい蹴りだったねぇ」
ヴァストゥールは血を吐き捨てる。
体のタフさを利用して彼も囮を使う。肉を斬らして骨を断つ。最も確実に獲物を仕留める為の戦略。
僕とヴァストゥールの目が合った瞬間、同時にお互いは飛び出し再び拳を交える。
強烈な衝突が空気を震わせた。吹き出す血。砕ける骨。ちぎれる神経。
一歩も譲らない死闘が続くように思えた。
………だが、徐々にその差は開いてくる。
薬品の効能は僕の強化魔法を上回った。近接戦闘は徐々に僕の分が悪くなっていく。
ヴァストゥールとの体格差、腕や足の長短。驚くべき機敏な反射神経と素早い体移動。
雄叫びに近い興奮を上げるヴァストゥール。
「こんなもんじゃないんだろう! 君の力とやらは!!」
攻め手を緩めない連続の打撃に回避が間に合わなくなる。
一撃、二撃と体に拳や爪が傷跡をつくる。
重い一撃を避けようと軽く拳をいなしたが、
タイミングが合わず逆に体勢を崩されてしまった。
――――まずい。
お腹に強烈な前蹴りが入る。鉄の味が広がった。
衝撃で声も上げられず口から嗚咽が漏れた。
体をくの字に曲げて宙を舞う。そのまま頭を鷲掴みされ、地面に叩きつけられた。
「がはっ――――!」
地響きとともに地面がひび割れ、放射状に筋が伸びる。
後頭部から鈍い痛みがじわりと広がった。
頭上から涎をすする音が聞こえる。
「……どうやら思ったよりも効き目が良かったようだねぇ。
やっとツキが回ってきたよ」
地面に伏した小さな体に、凄惨にも拳を振り下ろす。
バゴッとあばらの折れる音。
砕かれた骨と内臓の衝撃で意識が遠のく。
こんなんじゃ……だめだ…………。
「見込み違いだったかなぁ。君の魔力はまだ尽きていないはずだけどなぁ」
僕は奮える体に力を込めて、右手と左手に光を集める。
「若すぎたようだねぇ。その力も、宝の持ち腐れのようだ」
首を掴まれ引き寄せられる。割れた頭から血が滴り顔を濡らす。
「英雄気取りだったのに、残念だねぇ。まあそれでも、小さな希望くらいは与えられたかな」
男は僕を高く持ち上げ、左手で体を貫こうと構える。
月が雲に隠れ、影の縫い目から青い月が垣間見えた。
光の消えたヴァストゥールの瞳。その奥から滲み出る悪意の象徴。燃え上がるような野望と弱者を嘲笑する老獪な人格。彼をここまでにしたのは、誰なのだろうか。
眩く発光した僕の体が、闇夜を吹き飛ばす。信号は、届いたみたいだ。
体の奥底から突き抜けるような魔力が、痛みを消すように花開く。膨大な魔力が光に変換され、渦を作り体の中心から両腕に集中していく。粒が弾けるように、僕の中に溜め込まれた光が解き放たれた。
ヴァストゥールの嬉々とした邪な目が、僕の消え入りそうな瞳の奥と交差する。
一瞬だけ、彼の指先が僕の体を貫くよりも早く、光の魔法が両手から迸った。
「―――太陽の光!!」
放った光が大量の魔力とともに風を巻き込んで進む。空気が抉られ、まわりの瓦礫が吸い寄せられた。焼けつくような光の束が、色鮮やかに連なる。
凄まじい衝撃が、男の体を貫く―――
―――はずだった。
「あまいなぁ……」
掴まれた首が解かれ、僕の体は地面に崩れ落ちる。
多量の魔力の塊が飛び去っていった。
ヴァストゥールは半歩身を引いて体を仰け反らせる。常人には叶わない肉体の動き。筋肉で背骨を折り、軟体動物のように回避する。
僕の放った光線は男を素通りした。
「あんな明け透けな魔法で僕を欺けるとでも思ったのかい?」
体を戻し愉快そうな満面の笑みを浮かべる。余程嬉しかったのだろう。
「どんな魔法かはしらないが、魔力の量は破格だったなぁ。だけど今度こそ終わりだぁ! 君の負け―――」
「――――いや、僕らの勝ちだ」
僕は遮るように言葉を発した。
その言葉に、ヴァストゥールの時が止まったようだった。
月が露わになり、辺りが光で満ちる。いつのまにか火災は消え、優しい風が吹いていた。喧騒も聞こえなくなり静寂が広がる。
ヴァストゥールの顔が一瞬引き攣った。
東の空が色を変え始めていた。
「何を言って――ッ!?」
言いかけて、今更気が付いた。
ヴァストゥールの体は、欠けた月の様に半身を失っていた。
僕は眩しくて薄くしていた目を開く。
ヴァストゥールはその場で膝から崩れ落ちる。
「馬鹿な……なにが……」
地面に伏したヴァストゥールは事態の把握に努めた。
彼の背後で煌々と光る月が―――
―――消えた。
「――――君かぁッ!!」
彼は力強く叫び、後ろを睨みつける。
そこには淡く光る盾を構えたガノアが立っていた。
「今度こそ終わりだ。ヴァストゥール」
「だが……なぜ……」
何故気が付かなかった……?!
隣にいたクィーラが、傷だらけのガノアに肩を貸しながら告げる。
「恐らく、副作用です。あなたたちが使っていた薬品の………」
ヴァストゥールが声を荒らげた。
「副作用、だと……?」
僕は肘で体を起こし魔法を唱える。
傷口を癒しながら告げた。
「地下で実験していたのが、仇になりましたね。
あなたたち服用者には強い光が見えていませんでした」
「光……見えていない……?」
ヴァストゥールは自由の奪われた体を小刻みに震わせ、
困惑の瞳を見開く。
「戦いの最中、僕は何度か強い光を放ちましたが、あなたは一度も光に反応しなかった」
………何を言っている? この少年は……光の魔法使い……?
「魔力だけを感知し、攻撃を避けていた。だから僕が何の魔法を使っていたのか分からなかった」
ヴァストゥールは血の塊を吐き出す。
肺が一つになり、呼吸が荒くなる。
「あなたは強過ぎたんです。どんな敵でも手を抜かない、僕のような異質な魔法使いならなおさら」
この年齢であんな魔法を連発する魔法使いは、そうそう見つからないだろう。
「……あれは、演技……だったのか……」
発する言葉に、今までの覇気はない。
ヴァストゥールは今までの戦闘を振り返る。
最初にぶつかり合った時から、接近での戦いに見切りをつけていた少年は、最後に自らの体を囮に渾身をぶつけると決めていた。
………ここまで全て、計算していたというのか。
ガノアたちから距離を離し、一対一になるように見せかけた。
だが明るい光は遠く離れていても見失いようがない。
クィーラは悟った。場所を示す光の軌跡。初撃で仕留めきれないあの悪党の強さ。彼は助けを求めている。光の強さは、救難信号そのものだったのだ。
ガノアは己の盾の真髄を瞬時に理解し、光を反射できる唯一の能力を活かした。
「最後の最後に、やっとあなたに隙ができた」
陽の光が地上の全てを照らし始め、朝日が昇る。
ヴァストゥールは空を見上げ驚愕した。
暗雲立ち込めたルールエの街に、朝が来た。
「―――僕たちの勝ちだ!」




