第41節 爆鳴気
ビリビリと伝わってくる雷撃の波動。これだけ莫大な魔力を注ぎ込んだ結晶でさえ、鬼の暴虐は止められない。
頭の中でずっと痛みが暴れまわっていた。あの時と同じ、どこにも逃げ場などない。
立ち竦んだトキウラに、カノンが叫んだ。
「急いで! 私を運んでください!」
舌打ちしたトキウラもムキになって叫んだ。
「避けられるかわからんぞ!」
並外れた勘で悪意ある雷撃の一撃を躱す。もうどこもかしこも危険域が広がり続け、ほとんど疼きが機能していない。氷の近くでカノンを下ろし、なまくら刀を構えた。
カノンが再び口をつけた笛から、低い音が鳴る。今までとは逆の構造、外から内へ向けての防御式。氷の外郭を魔力で覆い隠し、沿うように結界を作り出した。
あまりの大きさに魔力消費が絶大だ。額から汗が垂れる。
巨大な魔法陣が鬼を中心に広がった。笛の音を途切らせないように、カノンは視線だけでトキウラへ合図する。
「ルリ殿! 準備できたみたいだ!」
空で待っていたルリは二人を見下ろし頷くと、氷で作った薄いレンズの先、魔神を睨みつけた。
魔神の電撃で結晶に大きな亀裂が入る。雷を纏うこの魔神に、氷結は致命傷になりえない。物理的な損傷を与えるならば、少年やカグヤの放つ強烈な一撃が必要だった。
しかし、彼らをいつまでもあの危険な魔神の近くで戦わせるわけにはいかない。ひとたび雷が直撃すれば、それは死を意味する。
カノンの魔力量にも限りがあるため、二人を交互に戦わせるのは不可能だった。
巨大な氷の牢獄に捕えた魔神。なるほど、人々が魔神を倒さずに封印していたのには、こういう理由があったわけだ。
魔力災害によって蓄えられた膨大な魔力が、魔神の力の源泉となる。途方もない力は、押し留めることしかできなかった。
……だが、私たちはこの魔神を倒さなければならない。この国を守るため、魔王の復活を阻止するため。
今ここで、魔神を滅ぼす……!
魔神を閉じ込めていた結晶が、跡形もなく砕け散った。鬼は角のついた頭をガチガチと回し、氷魔法の主を発見すると、憎悪に火を付ける。
双角に光が満ち、目を開けていられないほどの光源がもう一度港を照らしだした。拡散された魔力がより集まり鬼灯色の雷を生む。
ルリの青色の瞳に鬼の雷哮が映り込む。流石にこればかりは、カノンの言っていたことを信用するしかなかった。口角が上がる。脇にじっとりと嫌な汗をかいた。
『数百年生きてきましたが、未だに破られたことがないんですよ』
鬼の超高濃度雷哮が、包み込むカノンの結界と衝突した。弾かれる雷哮の端が結界内を駆け巡り、粉々になった氷を一瞬で気化させる。
熱を生んで膨張した水蒸気が結界の中で圧力を高め、急激なエネルギーの暴走で鬼の体が白む。
「うっ……あぁぁぁああああッ!!」
膝をついたカノンが悲痛な声を出す。
「だ、大丈夫か!?」
慌てるトキウラの声は彼女の耳に入らない。内側に閉じ込めた鬼の発する電撃が、結界を強引な力で押し広げる。
人の周りを覆うだけの範囲ならそこまで苦ではなかったが、魔神を包み込む結界は莫大な表面積を誇る。
そのすべてを維持し続け、かつ鬼の魔法を押さえつけなければならない。カノンの魔力を根こそぎ持っていくだけではなく、頭の中でおぞましい量の計算式が巡っていた。
破壊されていく結界の修復と電撃の解析を同時に行い、より内側に強固な結界を拡張するため、新たな魔法式をさらに生み出していく。
増え続ける膨大な脳の処理に、カノンの手足はガタガタと震えだす。
トキウラはうずくまったカノンの背中を見ながら思う。
こいつら……尋常ではない。なんだってこんなになってまで、戦い続けるというのだ。
両手だけはしっかりと魔法陣に触れ、結界の再生と構築を行い続けるカノン。
「畜生。腹くくるしかないようだのう!」
結界から発する光がトキウラの顔を明るく照らした。そして、とあることに気づく。
「……そうか、だから拙者がカノン殿の傍に付けられたのか……」
なまくら刀をカノンに差し向ける。
「何……を……」
力なく呟いたカノンは、背中に触れた金属の触感さえ薄くなっている自分に驚いた。
「あの白髪童の手の内ということであるか。なるほど、マガミ様と同じ力を持つ集団、それが御言葉か……とんでもない武士であるな!」
刀が振られる。二の腕の薄皮をトキウラに切られたカノンは、頭の中の靄が晴れていくのを感じた。
今まで乱雑だった方程式が綺麗に組み上がっていく。心許なかった胸の内が、小さくなっていた心根が、草花香る春風に吹き飛ばされてしまったかのような爽快感に溢れる。
「不安とか不快とかを、"絶ち"切っておいた。魔道士殿は、ルリ殿を"気絶"させた拙者を見て、能力の幅を理解していたようだのう……まるでこうなることを見越しておったみたいだ」
独りごちるトキウラの下で、カノンは結界の強度を高めていく。
「ありがとう、トキウラさん。これで、間に合う……!」
結界内の温度と圧力が極限を迎えた。
鬼の撃ち出した雷哮がルリの作った氷を一瞬で蒸発させ、その際発生した気体が雷撃と結び付いて爆発を引き起こす。
音と衝撃が密閉された空間の中で反響し、さらなる加圧と加熱を繰り返す。
身を焦がされれば焦がされるだけ、魔神は結界を破壊するために体中から雷撃を放つ。そして放った威力が再び自らに返ってくる。
強力過ぎるが故に、その暴走を止めることはできなかった。
結界内部の光が弱まりを見せた。瓦礫となった地面に横たわる鬼の体。跳ね返る自らのエネルギーに身を焼かれ、魔力を消費し続けられた魔神は、すでに雷撃を放つほどの魔力は残していなかった。
「解放します!」
カノンが結界を解くと、凝縮された熱風が冷たい風を押し出し辺りに広がった。熱が全身を包む。
「トキウラ!」
崩れた瓦礫から顔を出した魔道士が叫ぶ。
……そうだ、今だ。切り札として、拙者がトドメを刺さなければ。
「行ってください!」
立ち上がれなくなったカノンの叫ぶ声を背中に受けながら、刃こぼれした刀を引っ提げ、魔神の目の前に躍り出る。
がしゃ髑髏のような巨大な頭蓋骨が、こちらをじっと見つめていた。
これは魔物だ。雷じゃない。だったら切れる。魔物だと認識しているなら、やることはいつもと同じ。
低く構えた刀を強く押し出す。ただかすればそれでいい。俺の鬼退治は、ここで終わる。
刀が宙を舞った。
突然手を離れ、崩壊した家の向こう側へと吹き飛ばされた刀。
一瞬の隙を突かれ、呆気にとられたトキウラは振り返った。
今の今まで気が付かなかった。魔力探知を誤魔化すスキルを持ったバドが、僕らの近くに潜んでいたことを。
強大な魔力の持ち主の接近を隠し、僕らに仇なす男を、ここまで呼び寄せてきていたということを。
「……やっと見つけたぞ……愚かなる大罪人ども……!」
身を焦がす雷にも似た殺気が、皮膚を伝う。
暗がりに現れたのは、ペンタギアノ第四師団長、ヘルメル。