第40節 星空の塵に疼く
拙者が父と再会した日の日没後、軋むようない痛みで目が覚めた。
腹にもらった一撃とともに、乗ってきた小舟の上で不貞寝を決め込んでいた。
穏やかな波打ち際、心地よいリズム。欠伸を噛み殺し空を見上げると、満天の星空が頭上を覆う。
雲一つない快晴だった。その中で最も光り輝く星の一つが瞬いた。束の間の出来事に目をこする。広々とした一面の海に放り出される月の姿。揺れる波にその面影が、すっと引き伸ばされていった。
久しぶりに感じた故郷の潮の香り。打ち寄せる波の音にそっと耳を傾ける。ぼんやりと眺める星の隙間に強く惹かれて、ふと考えた。
こんな場所から一刻も早く立ち去ればよかった。それでもこのはっきりとした疼きが、体を縛りつけるような気分にさせる。
何故、自分だけがこんな力を身に付けたのか。
深く息を吐いた時、再び星が動いたような気がした。
空をもう一度見上げる。何も変わらない、夜の空。変哲もない星座と月。
徐々に強くなる動悸と頭の疼きに、意識を引っ張られる。
違う、何かが変だ。
水平線の向こう、黒い空が蠢いた。月の光だけがわずかな機微を伝える。凝縮された漆黒に、飲み込まれていく星空と水平線。
それらが打ち付けたような頭の痛みと重なりあった。
何か悪いことが起こる。
自分にとって当たり前の感覚となっていたが、この能力は誰にも証明しようがなかった。長い旅路の最中、いつしか身に付けた妙な感覚。危機察知能力とでもいうのだろうか、自分の身に降りかかる危険を頭の疼きによって感じ取ることができる。それは寝ていても常に効果を発揮し、危険さが増すほどに頭痛も強まった。最初は虫の知らせ程度にしか、うっすらとした意識の隅にしかなかった感覚だが、この感覚に何度命を救われただろうか。奇襲、不意打ち、だまし討ち。そのいずれも、拙者にはすでに通用しなくなっていた。
感覚の延長線上にある体に染みついた動きもまた、その能力を後押ししてくれる。つくづく、武道というものはやっておいて損はない。父から教わったあの修練が、まさかこんな風に実を結ぶとは思わなかった。
まばたきを忘れ、歪んでいく海の果てを見つめる。空に浮かぶ渦に、すべてが吸い込まれ、そして目の前で、
星空が弾けた。
疼きとほぼ同時に、本能的な反射で耳を塞いだ。
眩い光とともにやってきた、海洋の大絶叫。音による衝撃が全身を掴む。逃げられない戦慄の中で身を縮め込んだ。海を叩き割るような轟音がビリビリと肌を震わせ、立つことも許されず膝を屈し目蓋を閉じる。
人の心を跡形もなく葬る、滅びの唄。
鼓膜をつんざく大海の鼓動。
引きちぎられていく木々の枝葉が、空中でバラバラになる。
揺さぶられる脳内の意識を必死で保った。瞑っていた目をこじ開け、何が起きているのか把握する。
だが、目の前の光景は驚きをさらに強めた。弾けたと思った星空は暗闇に覆われている。海の向こう側からやってきたのは音だけではなかった。強大な衝撃を浴びた海域が押し出され、山のような大きさとなった大津波。どこにも隠れられる場所などない。波にさらわれていく人々の姿が思い浮かんだ。
構わず走り出す。音に侵され竦み上がった心を奮い立たせて、帯刀した刀の鞘を持ち、一心不乱に坂を登る。音を聞きつけた人々が家から出ててくるのが見えた。トキウラは叫ぶ。
「みんな逃げろ! 高いところだ! 大きな津波が来る! 逃げるんだ!!」
ぽかんとした島民たち。彼らはみんな、拙者の顔を知っている。こちらに視線を向けると、隣人たちと鼻を突き合わせて嘲笑った。
屋敷から出た放蕩息子。
今さら帰って来て、法螺を吹く。
哀れみよりも先に、怒りが頭に湧いた。手近な村民をひっ掴んで叫ぶ。
「拙者の信用なんてどうだっていい! ここは危険なんだ! あれを見ろ!!」
押し倒した島民を捨て置き駆け出す。助かる保証はどこにもない。今さら何の準備ができるだろうか、それすらも分からなかった。
この行為が偽善だったとしても、意味のない行為だったとしても、この頭の疼きが続く限りは、走らずにはいられなかった。風で飛ばされた木片。海を越えてきた飛来物。ざわつく胸の中が、しきりに早い鼓動を打ちならす。
巨大な岩石が降り注ぎ、家屋を押し潰した。土砂が巻き上げられ、砂塵となる。海が放った闇の咆哮が、村ににじり寄る。月の光が遮られ、暗くなった空を見上げた。
ここへ来たのは、家族を救うためだった。この疼きがなければ、危険なんて犯す必要はなかった。拙者は、何をするために戻ってきたのだろうか。
道場に辿りつく前に、トキウラの体は巨大な波に飲み込まれた。