第37節 切り札
光の呪文で体を強化し、鬼の元へと走り出した。金属の爪で引っ搔いたような、不吉な耳鳴りが胸の内側を赤く湿らせる。力任せに飛び上がって体を浮かせ、地面と水平に体勢を傾けた。そのまま全体重を乗せた両足蹴りを、鬼の横っ面にお見舞いした。不自然な方向に曲がった首。刹那、口から飛び出す稲妻。
大轟音と衝撃波、それから足先を伝った電撃が僕の体を船外まで投げ飛ばした。
「……ッ!」
ルリの氷を伝播してくるだけはある。足先が痺れて痙攣を起こしそうだ。
空中に生み出した防護魔法にしがみつき、海への落下を防ぐ。
鬼にダメージはあまりない。体から溢れ出る電撃の結界が威力を相殺してしまうのだろう。光の力で与えた傷も、思ったほどの損傷にはなっていなかった。
「ルリ、凍土の騎士は出せない?」
手を引かれた僕は、空で傷を癒していたルリに尋ねる。
「……さっき、トキウラに壊されてしまったからな……修復には、時間がかかる。他の召喚獣を……呼び出せないこともないが……代役が務まるとは、思えないな」
ちらりと彼女の方を見る。答えたルリは内臓を焼かれ、見るからに苦しそうだ。物理攻撃が効かない今、魔法に頼るしかない現状でルリを庇いながら戦えるだろうか。
僕の光魔法は威力も高く攻撃としては有用だが、連続して放たれる雷に防護を解くわけにはいかない。ルリにしたって、熱を持つ雷と魔法的な相性がいいとは言えなかった。さらに、雷は圧倒的防御力を誇る彼女の氷ですら貫いてしまう。
このままではジリ貧だった。
轟く魔神の咆哮。鬼に孰湖のような意識はない。だた目の前に現れたものを粉砕していく、それだけが行動理念のように見える。
……いや、果たしてそうだろうか。
ハーフェンにいた時、カノンは始め鬼はこっちに向かってきていると言わなかっただろうか。であればどうして、僕らが出航して雷雨を避けた時、鬼は僕らを素通りしてしまったんだ。
初めから鬼の目的は僕らじゃなかった。この鬼は、雷雲とともに姿を現した。つまり……。
「まずいよルリ! この鬼は僕らを狙っていたわけじゃない!」
雷に身を変え暗雲へ戻っていく魔神。ここで時間を費やしているよりも、他にやるべきことがあるのだ。時間稼ぎにもならない僕らを放って、鬼はその目的を果たすために移動を開始する。
急いで甲板の上に戻り、カノンとカグヤの無事を確認する。カグヤはカノンに支えられながらこぼした。
「不甲斐ないわね……電撃で体の自由を奪われるなんて……」
成長の止まった体だ。あの魔神に触れて無事なわけがない。強い電気は筋肉の動きを制限するだけでなく、心臓の機能を停止させることもある。浅い傷ではなかったが、大事に至らなくてよかった。
「面目ない、不甲斐ないのは拙者だ……」
そう言って頭を下げるトキウラ。
「拙者は……嬢ちゃんにはああ言われたが、刀の腕がイマイチなんだ。一応、一通りは教わったんだが、嬢ちゃんのような鋭い剣戟は持ってない。避けるだけ、躱すだけ、そんなことばかりして今まで生き延びてきたんだ」
吐露する彼は、拳を握りしめる。飄々としていた彼の様子は今は見る影もない。長い髪の毛が垂れ下がって、瞳の横で揺れる。
「いいの、あなたは最終兵器よ。本体に一太刀でも浴びせられたら、私たちの勝ちなのよね? なら、あの雷装をどうにかすればいいだけじゃない」
腕を回すカグヤは、体の具合を確かめながら言った。
しかし、それに眉尻を落として答えるトキウラ。
「……そのことなんだが、手前たち一緒に旅をしてきた仲間であろう? それにしては、その、なんだ……連携が取れてないっていうか、個々で戦い過ぎてるっていうか……」
彼の言葉はもっともだ。トキウラの言う通り、僕らは今まで自分の力を過信して戦い続けてきた。だから弱点を克服できないまま御言葉なんて仰々しい冠を被せられてしまったのだ。しかしそれを言い訳にもできない相手が次々と現れてきている。僕らは自分たちの力に慢心してきたつもりはないが、どんな相手だろうと、侮らず仲間と連携して最善の戦いをしなければならない。様にもならない語気を強めた僕は、こう告げる。
「僕もそう思う。互いが互いをカバーするだけじゃなくて、自分たちの攻撃を集中させる必要があると思うんだ。今はみんなバラバラに攻撃してて、それが敵の防御を突破することができていない。ルリ、氷魔法、制限してるでしょ?」
青い瞳が揺れた。物言わぬ氷のお魔法使い。そうだろう。彼女は運河の街で冒険者を傷付けて以降……いやもっと前から、カグヤが前衛を買って出ている時から、被弾を恐れて広範囲の魔法や強すぎる威力の攻撃を出し惜しみしている……ん? 僕の時はそうでもなかったのは何故なのか……まぁ今は忘れておこう。
「カグヤも、カノンがいるからって無茶し過ぎだよ。僕らは君を使い捨てだと思ってないんだから、君が傷付けば攻撃を止めて君を守りにいく。それで攻め手が止まってしまったら本末転倒さ」
腕を組んだまま彼女は口をへの字に曲げてみせる。これも図星のようだ。今回のような敵が相手では、彼女の猛突も勢いが削がれてしまう。それはカグヤ自身が一番分かっているはずだ。戦闘の最初から最後まで戦い抜けば、全体の被害を自分に集約することができる。そういう彼女の理論は嫌いではないが、責任感を理由に仲間に苦心を強いるのは別の問題があるだろう。やらないで済むならそれに越したことはない。渋々と言った様子で彼女は僕を見た。
「あなただって、敵から注目を浴びるような大立ち回りをよくするじゃない。囮になろうとするのが見え見えよ。私とやってることは、まったく同じ」
鋭い指摘に、僕はわずかに顎を引く。ぐうの音も出ない。
「……では、魔道士兼軍師殿に、鬼の攻略法を伝授いただこうか」
ルリが嗜めるように言う。また馬鹿にして。
「じゃあ、伝えるけど、この作戦の最後はトキウラに決めてもらいたい」
突然の指名に目を丸くした彼。
「せ、拙者が?」
「そう、最終兵器は、使わないためのものじゃない。トキウラがいなければ、鬼には勝てないよ」
僕はそう言うと、作戦を話し始めた。




