第34節 ハートブレイク
カノンが魔力を込めて結界を作り出す。黄金の光に包まれ、足元の魔法陣が広がっていく。
草が揺れ、潮風に紫色の髪の毛が振れる。首にぶら下がった笛に口をつけ、ゆっくりと調べを響かせた。竜骨が持つ魔力を鎮める禁呪の力。カノンはその範囲を魔力以外にも広げ、ありとあらゆる付帯効果を打ち消す。効果は一瞬だけだが、魔道士の使う加護天使と同等の力を持つ。
鬼の面相が変わった。今まで覆われていた不可視のベールが取り払われ、視界に明るさが伴う。
「これは、どうしたことだ。何が起こったんだ……待て、手前ら、何か妙な魔法でも使ったのか?」
鬼だと思っていた男はきょろきょろと辺りを見回す。状況を把握しなければいけないのは、こちらも同じだった。
「私もあなたも、どうやら化かされていたみたいね」
剣を鞘にしまい、真っすぐに男を見つめる。
この男からは、敵意がまったく感じ取れなかった。ルリやカノンが真っ先に気付いて、私が気が付かないなんてことはありえない。多分だけど、魔力探知をごまかすようなスキルを誰かが使っていたとしか思えない。それでカノンの笛や魔道士たちの魔力探知がきかなかったんだ。そして彼も、襲い掛かってくる私たちと相手をせざる得なくなった、そういうことだろう。
「どうやらそのようだな……して、なぜ童がこのような場所で拙者を襲ってきたのだ?」
刀をしまう男は衣服についた砂を払い落すと気を楽にして尋ねてきた。どうにも、掴めない男だ。
「どうもこうもないわよ。鬼退治っていうから私たちはここに誘い出されたの。あなた、どこから来たの? その服、アシハラの民?」
「よぉく知ってるなぁ、お嬢ちゃん! そうだ、拙者アシハラから参った放浪の旅人、"トキウラ"と申す。お嬢ちゃんの剣、中々であったぞ!」
膝を曲げて目線を合わせたトキウラが、私に笑いかける。
「そ、別に大したことはないけど、あなたもかなりの腕前だったわね」
「謙遜することない。お嬢ちゃんの年齢であれくらい剣が振るえれば、大きくなればもっとすごい剣豪になれるはずだ」
私は別に不快感があったわけじゃない。だけどこの男、エルフを知らないのだろうか。
「……あのね、私は子どもじゃないの」
「ああ、そうか。そうだよな。そう言いたい気持ちはわかる。拙者も子どもの時はよく大人に逆らったもんだ……気持ちを理解してくれない大人ほど、うざいことはないからのう。大人に憧れる気持ちはよくわかるが、もう少し長生きしてからでも遅くはないんじゃないか?」
押し寄せる波の如く、言葉を並べる男。
不快感はない……けどなんかむかつく。
「二人とも、大丈夫!?」
カノンの声が後ろから聞こえてきた。
ルリの呼吸を確認して安堵するのも束の間、ぜいぜいと体を震わせる少年の背中を、カノンは優しく撫でる。
「心配ないよ、安心して……ルリは眠ってるだけ……そう、ゆっくり……落ち着いて……しっかり息を吸って」
少年の隣に横たわるルリを見て、私はトキウラに尋ねた。
「ねぇ、あなた。どうやってルリを倒したの?」
彼はどう考えても魔法を使うような見た目じゃないし、私と撃ち合う時にそんな素振りも見せなかった。ただの一本刀であのルリと勝負になるとは到底思えない。
「嬢ちゃん、拙者の秘密が知りたいのか? 気安く教えられるものでもないんだが……って冗談だ、そういう含みを持たせた方がミステリアスでいいだろう?」
言いたいことはたくさんあったが、それをぐっと堪えた。
「トキウラのその刀、どうなってるの」
「これか? こいつが気になるか? これはとんでもねぇなまくらだぜ。頭の下に敷いて寝てみな、髪の毛一本さえ切れやしねぇ。とんだなまくらなまくらってな。……っておいおいおいおい! 剣を収めろ! 冗談だよ! 悪かったって。でも最初に攻撃してきたのはそっちなんだからな!」
あまりに調子づくものだから、我を忘れて剣を抜いてしまっていた。落ち着け、私。
「刀じゃないんだ。拙者の力だ。なんだかわからぬが、十年くらい前に急に力が身に付いたんだ。ほんとだ、信じてくれ!」
私は目を細めてトキウラから視線を逸らす。
十年前……。
「それはどんな力なのよ」
トキウラは一口唾を飲み込んで答えた。
「何でも切っちまう力だ。岩だろうが鉱石だろうがどんな硬いものでも葉っぱを切るみたいに真っ二つにしちまう。刀はなんだっていい、ほら、嬢ちゃんの刀を防いだ俺の刀だ」
刀をずいと目の前に持ってくるトキウラは、この刀で何か切ってみろとでも言いたげだ。
私は怪訝そうにしたまま鞘付きの刀を受け取る。ずっしりと重い。柄を引っ張り刃を覗くと、中には刃こぼれや刃切れを起こした見るに堪えない刀があった。
「ちょっとどうなってんのよ! 手入れぐらいしなさいよ!」
種類は違えど剣を振るものとしての矜持がそれを許さない。こんな錆びつき方、刀が可哀そうだ。
「いいんだ、それで。敵に奪われても、誰も傷付けられない」
案外強い語気を残したトキウラの言葉に、カグヤは目を向ける。
「トキウラは……これで私の剣を弾いたっていうの?」
「ああそうだ、言っただろ? 本当は切れるはずだったんだ。だけど、おかしいのはそっちなんじゃないか?」
灰色の彼の瞳は、冗談を言う口とはかけ離れた様子だった。彼の力が本物なら……何だか、それって……。
「ルリ、気が付いた?」
薄く目を開いたルリが呻き声を上げる。
「……私は、負けたのか?」
切られた箇所に触れるが、カノンがすでに癒してしまっていて、そこに傷はなかった。
「聞いてくれ、彼は敵じゃない。信じられないかもしれないが……うわっ!」
ルリの声は途中で途切れてしまう。少年が彼女の体に飛びつき体を震わせた。
何かを言いかけていたルリだったが、顔を伏せゆっくりと魔道士の頭の上に手をのせる。
「すまないな……心配をかけた。もう大丈夫だ、私はどこにも行かないよ……」
服を掴んだ少年の腕は優しく、しかし力強かった。
彼の鼓動と呼吸が、熱い塊となって彼女の体に伝わる。