第28節 トゥームレイダーズ
ジョルム地方南西部、ススララの町。ドアが軋むと同時に、フード姿の二人組が中に入ってくる。雪を被った衣をはたき、凍った体を震わせた。暖炉の炎が仄明るく、冒険者たちの憩いの場を静かに赤く照らす。近くに座っていた冒険者の一人が、入ってきた二人組に気安く声をかけた。
「吹雪が強いな、ご苦労さん」
軽く会釈をする二人は、取りも敢えず宿屋のカウンターへと早足に歩いていった。
「……変な奴らだな」
呟いた冒険者は机に向き直り、気心知れた仲間の会話に加わる。
宿屋の主人は帳簿をつける傍らその様子を見ていた。吹雪の中を歩いてきた二人の冒険者が、彼の前で立ち止まる。主人が声をかけようと思った時、フードの一人がカウンターの上に手を乗せた。その瞬間、光る文字が指先から浮かび上がる。
『一部屋、一晩』
簡潔だったが、意味は通じる。だが怪しい人物を泊めるわけにもいかない。主人が今度こそ口を開こうとした時、今度はもう一人が懐から紙を取り出す。ヤミレスの関所を通った証だ。これを持ってるってことは、少なくともその辺の冒険者よりも腕は立つ。
頭をぼりぼりと掻いた主人は複雑そうな顔をした。もう少し天秤に添えるものが必要そうだ。そう判断したローブ姿の一人が、カウンターの上に一枚の金貨を置いた。それをひと目見た主人は慌てて金貨を持ち上げる。
「こりゃ驚いたな」
見た目は派手ではない、だがこの大きな金貨は記念品で価値が高い。一週間泊まってもお釣りがくるほどの代物だった。黙ったままの二人組に鍵を渡し、主人は部屋の場所を伝える。家内を呼ぼうと声をかけた時、カウンターの上にあった文字が色を変えた。フード姿の一人が魔法で描いた文字。青く光る。
『どうか、ご内密に』
「呼んだかい?」
顔をひょこっと出した家内に驚き、慌てて文字の上に手を置く。
「い、いや、なんでもない」
「……変な人」
宿屋の主人が冷や汗を拭い、カウンターから手をどける。すると、文字がまた変わっていた。
『ありがとう』
驚きで二人の方に顔を向けると、建物の奥にある階段から、フードの二人組がこちらを見ていた。思わず引き攣ってしまった顔に手をあて、主人は心臓の拍数を上げる。うっすらと笑ったように見えた二人組は、粛々と階段を進んでいった。青白い文字は、もうどこにも見当たらない。
吹雪の音に混じって微かに聞こえたのは、小さな振動音だった。ベッドから体を起こし目を擦る。
「あんた、早いじゃないか」
隣で寝ぼけた顔をした家内が言う。自分だって起きているくせに。
「何か聞こえないか?」
立ち上がって吹雪の中に、目を凝らす。日の登らない外は暗く、雪にまみれた窓からはそれ以外何も見えなかった。
生まれたてのような半端な言葉を家内は口から出したが、モガモガ言っててよく分からなかった。そのまま体をベッドに預けて再び眠りに入ってしまう。
分厚い上着を着込み、ランタンに火をつけた主人は玄関から外に出た。冷たい暴風が体中から熱を奪い去る。額に腕をくっつけて視界を確保しようとするが、舞い上がる雪がそれを邪魔した。
足元が震えているのが分かる。自分のじゃない、足の裏から伝わる、地面の揺れだ。風と雪の中、ようやく目が慣れてきた頃だった。闇に濡れた体が、目の前に現れた。宿屋の主人は強風に飛ばされ、吹雪にその身をかき消される。
勢い付いた風に巻き上げられた家屋が、別の建物に叩きつけられた。強風とは似ても似つかない音に、町の住人が目を覚まし始める。
飛び上がる照明弾。吹雪の間をくぐり抜け、閃光が夜明け前の町を包み込む。開け放った窓から見えたのは、山のように大きな体をした、毛むくじゃらの魔物だった。ビリビリと建物を振動させる巨大な叫び声。白い毛皮と分厚い皮下脂肪。魔物図鑑に載っていた名前は、確か雪獣王メドヴェド。雪山の奥地に生息する、三等級に相当する魔物だ。
照明弾の発砲で興奮したメドヴェドは、両腕を振り回し紙細工のように建物を粉砕していく。
「早くにげろ!!」
「うわぁぁぁぁぁ!」
「どこだ! 息子はどこにいる!」
悲鳴重なる雪の降る町。潰れて滲む人だった赤い塊。震えて動けなくなる老婆と、それを押しのける冒険者。
「あんたぁぁぁっ!! どこ行ったのぉ!!」
宿屋の主人を探す妻が、人の波をかき分けて叫ぶ。その隣を馬車の荷台が掠め飛んでいった。悲鳴さえ雪に埋もれ、前後もあやふやになっていく。
「あ……あ……」
体の半分が雪に覆われ、指先から凍りつく。顔を向けた先に覗いた白い体。肉を引き裂くための鋭い牙が、雪から自分を覆い隠す。前足に積もった雪がどさりと落ち、大きな咆哮が、地面にあった氷の粒を巻き上げた。
目を瞑る。風が耳の間隔を奪い取り、息もできなくなる。
そんな妻の背後から、微かに聞こえた足音。ざく、ざく、と雪を踏みしめる音。そして、軽い金属のぶつかる音。しんしんと積もる雪道に、二つのローブの影。長い杖の先、連なる金属の輪が音を生みだしていた。
「貫け、突風錐」
呪文の詠唱と同時に白い雪が固められ、大きな槍を中空に浮かび上がらせる。メドヴェドが後ろ足を蹴り上げ、重たい図体を滑らせるように前進した。だが、容赦のない一撃が、体を貫いていく。
雪の槍がメドヴェドの体を地面に縫い付け、重い体を止める。雄叫びが地面を揺らし、背の高い木々から雪塊が落ちた。雪獣王が淡い光に包まれると、魔法陣が足元で生成される。魔力の導火線に火がついたように、体中から激しい火花を散らす。地面に接触していた前足に氷が纏わりつき、体に空いた傷口を塞いでいく。氷を身に纏う魔法で自身の強化を図ったメドヴェドは、怒り狂った瞳をフードの人影へと向ける。
二つの影の前には、日の出前の町を煌々と照らす魔法が浮かび上がる。眩い光に目を焼かれ、メドヴェドは頭を垂れる。燃え上がる球体がふわりと上昇し、互いの間で静止していた。食物連鎖の頂点に君臨し続けていたメドヴェドは、戦いにおいて、逃げることを知らなかった。完全に引き際を見失ってしまい、己の力量を超えた存在に真っ向から立ち向かうこともできず、呆然と立ち尽くす。
「消えなさい、爆燃球」
夕日のような美しさを思い出す。光が点滅し、照明弾さえも飲み込む。加圧された熱量が、町を襲った獣を一瞬で溶かし尽くす。爆音が町の周りに生えていた木々をなぎ倒す頃には、魔物の姿はどこにも見えなくなっていた。
朝日が昇り始め、花壇に上半身を突っ込んだ主人を見つけた宿屋の妻は、二人のローブ姿を探す。
しかし、二つの影はおろか、彼らの足跡さえも町にはもう残されていなかった。
「お嬢様、どうしてこのようにコソコソと……」
「私たちはこれから、墓荒らししにいくのですよ。身元は隠したほうがいいに決まっています。それに、なんだがこっちの方がワクワクしませんか?」
目を輝かせる風の魔法使いの後ろで、物語の読みすぎだ、と炎の魔法使いは溜め息をついた。




