第26節 微睡む不吉
「何かいいもの見つかった?」
「急かさないで。ああっ、もうどうしよう……」
襟元に毛皮のついた高そうなコート、ミレイ、こういうの持ってたんだ。眼鏡をぐっと押し上げたワッコは、露天商の真ん中で考え込むミレイを眺めていた。気軽に聞いたつもりだったが、思ったよりも真剣な表情で彼女は声を上げる。
「ねぇ、こっちのイアリングの方がいいかな? でも、あんまり派手すぎるのも好みじゃないと思うのよね」
自問自答してしまっているじゃないか。私は苦笑いを浮かべつつ、ミレイに言う。
「どっちも可愛いけど、ミレイに似合うのはそっちの花柄かなー。もう一つの方は、私似たようなの持ってるから、貸してあげるよ」
「ごめんね、優柔不断で」
悪びれるミレイ。今日は仕事を休んで、二人とも買い物に繰り出していた。ルールエにやってくる行商は多種多様で、揃わないものなんかないくらい何でも売っている。ただし、雑多で粗悪品も多いので、いい物を掴み取るのには結構苦労する。
「ねね、そろそろお昼食べない?」
提案したミレイの口元、紅が艶めく。ギルドの看板娘として、彼女は色々な業務を手広くやっている。受付や案内、情報収集やその他書類の整理。ガノア様への報告だって、上役からもぎ取った彼女の功績の一つなのだ。
「そうだねー。あ、聞いた? 鍛冶屋通りのところに卵料理のお店ができたんだって。そこ行ってみようよ」
私が出した提案に、ミレイは目を輝かせた。
「賛成! ワッコって結構そういうの詳しいよね」
「経理は女の子多いから、噂まわるの早いんだ」
私たちの軽い調子とは正反対に、どっしりと重たい雲が頭上を覆う。まだ昼間なのにどこか薄暗く感じる。
「お喋り好き多そうだね……あれでしょ、イーヴさんとか」
「そうそうそうなのよ! 話し出したら止まんないんだよねー」
「調査班のダリアスさんいるじゃん? あの人、イーヴさんと同郷らしいんだけど、小さいときからそうなんだって」
「あはは、だよねー。あれは一朝一夕で身に付く口数じゃないよ」
路地に置かれた木樽。その上に乗っていた猫が少ない日光の下で微睡む。
「あ、猫だ」
私と目が合ったからなのか、気だるそうに起き上がった猫は一目散に路地の奥へと消えていった。
白い息を吐き出したミレイは、私に尋ねた。
「ねぇワッコ。おうちは大丈夫?」
ワッコはもう一度、眼鏡をくいと上げる。癖になっているので、両親によくやめなさいと注意されてきた。目が悪くなったのも、眼鏡をかけなくちゃいけなくなったのも、別に私の所為ではないけれど、何故かそう言われると、とても理不尽な気持ちがした。
「……うん、今のところは。お父さんたちも、何も貯えがなかったってわけじゃないから」
商家だったうちはそこまで大きなものではないにしろ、貧乏というわけでもなかった。そこそこの暮らしにそこそこの教育。中流といっても問題ないだろう。私はそんな環境で育った、商家の長女だった。弟が二人。妹が一人。みんな可愛くて、生意気で、ちょっと阿保らしいけど、頭も良くて、私は大好きだ。一月前だったか、両親に経営が行き詰ったというような旨の手紙をもらった。その時は急いで実家に帰ったが、なんてことはない、取引をしていた卸売業者が魔物の被害を受けて販路の一つを失ったというものだった。大袈裟な文章に肝を冷やしたが、家族が無事で取り越し苦労なら、それに越したことはない。
「ミレイのところは、どうなの?」
私は逆に聞く。
「農地は、だいぶ魔物にやられたみたい……他の小作農の人たちが自分たちの土地を失って、住み込みで仕事をもらえませんか、って家に頼み込んできそうよ……うちは騎士様の領地でもないのにね」
努めて明るく話すようだったが、不安が募っているのはワッコだけではない。
ギルドの依頼もその苛烈さが日ごとに上がっていく。帰ってこなくなった冒険者の数も一週間で二桁を超え始めた。調査班にはしめつけるような緊張感が走り、ワッコが他愛もなくしていた談笑を調査班の前でしようものなら、ぶん殴られても文句は言えないだろう。ギルドに納入される品物の数が減り、資金繰りも大変になってきた。農地は荒らされ、販路も潰され、交易で成り立つルールエの被害は甚大である。
「そういえば、噂で聞いたんだけど、魔物が魔導具を使ってるって、知ってる?」
猫の消えた裏路地を通り過ぎ、ミレイの歩調に合わせてワッコが訊く。
「あぁ、それ言ってるのダモンさんだよ。ホントかどうか、半信半疑って感じ」
呆れたような返しになったのは、ダモンという冒険者がホラ吹きだからだろうか。派手な立ち回りをするというそんな名前の冒険者を、以前にも聞いたような気がした。
鍛冶屋通りにさしかかった二人は、目と鼻を頼りに目当ての店を探す。魔物の増えた最近になっても、ルールエに人が絶えることはなかった。むしろ依頼の増加に伴い冒険者の数が増えたような気さえする。ルールエの経済が潤うならいい傾向だ。悪いニュースばかりでは、気が滅入ってしまう。
ほどなくして、ミレイたちは同僚が噂していた食堂に入った。新しく作られた店内は清潔で綺麗だ。運ばれてきた料理に目を向ける。
鶏卵を溶き、中に細かく切った野菜とヤギの乳を流し入れ、油を引いたフライパンで焼く。何か魔法でも使っているのか、ふっくらとした見た目はインパクトがある。食欲よりも、二人の中には別の感情が湧いてきていた。
「なんか、かわいいね」
「ね」
ミレイにつられて、私は笑った。
「おうちのこと、助けになれるか分からないけど、何かあれば言ってね」
ミレイは寒さで紅潮させた頬のまま私に言った。気にし過ぎだよ、ホントに。
「大丈夫だって。それに、なんか融資してくれるところがあったみたい。今までの業績が安定してたからかな」
両親が軽く言った言葉だから、深く気にも留めてなかった。
「そうなんだ。融資って、貸付だよね? 本当に大丈夫なの?」
「だからぁ、心配しすぎだって。融資先は後ろ盾が大きいみたいよ。なんて言ったかな、ロベリア……なんとかってのがやってる、大きな商会」
一瞬、ミレイの顔の動きが止まった。止まったのは顔だけじゃない。体全部だ。
「……え? 何?」
何かの冗談かと思って半笑いになる私。それを受けて、ミレイは言う。
「ううん。どこかで、聞いたことがあったような気がしたから」
ぼんやりと横を見つめる彼女の表情。ワッコはこの妙なやり取りをミレイの気まぐれだと思い、頭の片隅にしまい込んだ。昼過ぎだっていうのに、外は相変わらず、暗いままだった。