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星の屑から  作者: えすてい
第四章 あの雷を追いかけて
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第24節 浸る船乗り1


「バイオルさん、そろそろ起きてくれ」

 古い曲が頭の中で跳ね回っていた。いつだったか、妻と一緒にそれを聞きながら、酒を飲んでいたような気がする。どんなことにも難癖つける俺の言葉に、

『あら、あなたならもっと素敵な歌詞がかけると思うわ。ねぇ、ひとつ書いてちょうだいよ』

 なんて適当なことを言ってやがった。あの時は吟遊詩人が流行っていた。周りの奴らは揃いも揃って楽器やら口笛やらでやかましく音を立てて、うるさいったらなかった。船乗りなんてその日暮らしの溜まり場みたいなもんで、秩序のない奴らは工具をばらばらと地面に落としたような酷い歌声を披露してやがる。そこに帝国から来たえらい美人の唄歌いが来たもんだから、調子が狂ったように港の小汚ねぇ連中は歌を練習し始めたってわけだ。

『あんたは歌を歌わないわけ?』

 ウェーブがかった髪を揺らしながら妻は言う。

 自分でいうのもなんだが、俺は硬派な方だった。流行だか何だか知らねぇが、周りの空気に身を任せて自分を見失うことなんざ、恥ずかしくてできねぇし、そんな自分を想像したくもなかった。

『私のためでも、だめかい?』

 食い下がる妻。からかっていることが良く分かる口元の笑み。俺は鼻を思いきり鳴らし、吐き捨てるように言った。

『あんなくだらねぇことするかよ!』

 赤い夕陽に照らされた水面のような妻の前髪、その下にあった二つの目が、俺をじっと見つめていた。

「バイオルさん、もう朝だ。家に帰んなよ」

 情けない声を出す男は、マスターなんて仰々しい呼ばれ方をしているが、元々は俺と一緒に船に乗っていた三流航海士だ。機関室でなさけなく吐きまくっていたこいつの尻を何度も蹴り上げ、二流くらいには仕上げてやったのにもかかわらず、途中で船を降りやがった。

 親の店を継がなきゃなんねぇのに、船に憧れたからって無理やり船乗りを目指すこいつは、とんだ半端な野郎だった。長い航海で持って帰った土産話をこいつの前で何度話しても、こいつは海には帰ってこなかった。もっとたくさん話しを聞かせてください、なんて調子づきやがる始末だ。お前は俺の女房じゃねえぞ。

「バイオルさん。ギルドの捜索は、どうなったんだ? 何か、掴めたのか?」

「……あいつら、人をコケにしやがって。海も満足に渡れねぇ腰抜け野郎どもが……」

 俺は酒に浸された頭を怒りで奮い立たせ、なんとか声を出す。傾いた視界が船の中みたいで吐き気がした。海を渡れないのは、俺も同じだった。

「きっとどこかの島に流れ着いてるさ。そういうことも、あるんだろ?」

 慰めるような言い方が癪に触ったが、酷い船酔いが口を無理やり閉じさせる。

 妻と同じ波打つような赤い髪の毛。俺に縋り付いては、船乗りになりたいと何度もせがんだ。強情さは俺に似ていたのかもしれない、かわいいトレカ。

 忘れもしない半年前のこと。船に乗ることを諦めなかったトレカは、東の島国に航海したきり、戻ってこなかった。待てど暮らせど手紙一つ寄越さない。待ち焦がれた俺に船が運んできたのは、悪い知らせばかりだった。見知った船員をつかまえて話を聞くと、東の島国で大きな災害があったらしい。あの辺りにいた船は全滅していた。海の上も島の人々も、例外なく等しく、すべての命が失われた。

 その内の一つが、娘のトレカだった。

「……バイオルさん、ですか?」

 幼い声がした。酒を飲みすぎて、幻聴でも聞こえてきたのかもしれない。子どもに知り合いはいないし、子どもがこの俺に用があるとも思えなかった。瞳を閉じたまま無視をしていると、隣に気配がした。

「酔っているところすいません。ですが、僕らには時間がないんです」

 暖かい光が肩の上に咲いた。毒気を抜かれたように、バイオルの体から気持ち悪さが消えていく。

 

「なに、しやがんだ……」

 バイオルという老人の目つきは鋭く、骨張った顔はまるで髑髏のようだった。擦れたシャツと無精髭、酒のきつい匂いと褪せた羊皮紙みたいな肌。魔法を使って毒素は和らげた。これで酔いも覚めるだろう。僕は躊躇(ためら)わずに言う。

「バイオルさん、船を出してもらいたいんだ」

 隣に立っていた店主がぎょっとしたように僕を見る。彼は口を開きかけていたが、僕は差し込む隙を与えず続けた。

「あなたがこの港で一番の船乗りだと聞いてきた。何十年も海を渡り、嵐がこようと渦潮がこようと、船を沈ませることはなかった。みんなそう言ってる」

 虚ろを彷徨(さまよ)わせる船乗りの瞳。意識がだんだんとはっきりしてくるにつれて、自分が何を言われているのかが明瞭になってきたようだ。

 懐からシガーケースを出し、中から葉巻を取り出したバイオルは告げる。

「帰れ。ガキにお願いされて船を出す奴なんざ、この港にはおらんわい」

 葉巻の下部を切り火をつけると、独特な香りが僕の鼻を刺激した。染みつくような深い匂い。赤く灯された葉巻の先端が眩む。

「あなたがもう船に乗っていないことは知ってる。でも、冬の凍った魔王領の港に辿り着けたのはあなただけ。お願い、僕らはあなたが船に乗ってもらわないと困るんだ」

 冬になると船の動きは制限される。それは海の上の気候が変わるとか、寒さが原因で船員の命に関わるとか、そういったことではない。そういったことも多かれ少なかれ渡航困難な要因の一つに挙げられるのかもしれないけど、それを乗り越えてもなお不可能なことがあった。

 海が凍る。北から流れてくる寒流を船で遡ることができる人間は限られていた。民間での交流があまり多くないのは、魔王領の港が物理的に接近不可能だったからだ。ジョルムの国境が封鎖された今、商人たちが大打撃を受けているのは、この凍る海の所為もある。地上も海上も交易の機会を失った彼らの多くは多大な不利益を被るだろう。

 初めてバイオルが僕の方を見た。錆びついた風車小屋が音を立てて回るような、狂的な目だった。

「てめぇら何者だ。まさか……」

 そこで気が付いたのか、バイオルは表情を止める。

「久しぶりね、船長……だいぶやつれて見えるけど」

 カグヤは知った風な口をきく。実際知っているのだが、バイオルにはそう映ったのだろう。

「薄紫髪と……その耳は……ちっ、また面倒な奴がきたもんだわい」

「随分な挨拶じゃない。でも、覚えててくれたのね」

 エルフと会ったことを忘れるような人間はいない。彼女は無自覚にも、そういうところには気が付かないのだ。

 

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