第14節 ガノアと時計塔
ルールエの街は、戦火に包まれていた。立ち上る煙とぶつかり合う市民たち。
商会が雇った傭兵は自警団派を圧倒し始めた。もとより戦闘に特化した傭兵団が、農民の多い自警団に劣るはずがなかった。
だが、戦闘は未だに続いていた。どこからか武器が横流しされ始め、それを手にした人々は傭兵団に反撃をしかけ始める。
勝手知ったる自分たちの街で、奇襲や待ち伏せ、攪乱を成功させ、泥沼な戦場が繰り広げられた。
「無責任さを肥大化させた愚民どもめ、今までぬるま湯に浸かっていた代償はデカいぞ!」
ルールエの街の北側には古い時計塔があった。
その屋上で街が燃えている様を楽しそうに眺めている人間の姿。恰幅の良い体形に派手なジャケット。つばの広い帽子をかぶる男。傍から見れば道化師のような姿に似ているが、その相貌と笑みは恐ろしく邪悪だ。とても人々を楽しませるような存在ではなかった。
火が火を呼び、建物に燃え移っていく。街中で怒号や悲鳴が鳴り止まない。
数日前までの賑わいを見せたあの街は、もうどこにもなかった。
「ここにいたか、ヴァストゥール……」
屋上に辿り着いたもう一人の男。大きな体躯と鍛え上げられた筋肉。左手には巨大な円盾。瞳は真っすぐ前方の敵を見据え、静かな怒りに燃えている。
「おお!! ガノア君じゃないかぁ! 久しぶりだなぁ! 会いたかったぞ!」
両手を広げて、はしゃぐように話す。
薄気味悪さが、一層際立った。
「俺は会いたくなかったが。やはり、これを暗躍していたのはお前か」
ガノアは盾の持ち手を握り直す。
濁った声が空に轟いた。
「今更出てきても遅いなぁ。もう終わったんだよ、この街も、君たちも!」
ヴァストゥールは空を仰いで、なお楽しそうだ。
「戯言は法廷で聞こう。脱獄囚」
ガノアは盾を構え前方に駆ける。
「かつての日の再演だなぁ」
ヴァストゥールは横目で一瞥すると、屋上からするりと体を投げ出した。
「――っなに!?」
「捕まえてごらんよ、そのために来たんだろ?」
ヴァストゥールは嘲りながら煙の中へ姿をくらませた。
「逃がすかっ!!」
ガノアも煙の中へ飛び込む。
大通りの建物から飛び火し、路地の裏手まで火が燃え広がっている。
地面に着地したガノアは道化の姿を追う。
支えを失った民家や商店が瓦礫と化し、どの建物も炎に焼かれいつ倒壊してもおかしくない。
「ヴァストゥール!!」
ガノアは叫ぶと、後ろの煙がむくりと動いた。煙を押し分けて重い鉄槌がガノアに襲いかかる。
気配を察知したガノアはすんでのところで前に飛び、躱した。
重い金属音が響き渡り、地面を破壊する。石畳がひび割れ破片が飛び散った。
炎に煽られた煙が霧散し、隠れていた姿を現す。身の丈よりも大きな槌を担ぎ直し、ヴァストゥールが笑う。
「楽しませてくれよぉ! ギルドマスタァァー!!!」
槌を大きく振りかぶり、そのまま一直線に距離を詰める。
――――早い!
振り下ろされた槌と盾が激突する。
強い衝撃がガノアを襲った。
――――!? なんだ、この力は?!
盾に吸い付くような重量感。一撃の重みがかつてないほどの焦りを生む。
ヴァストゥールは槌を深く持ち直し、今度は凄まじい槌の連撃を繰り出す。
火花が散り、うねるような風圧が瓦礫を吹き飛ばす。鐘を鳴らしたような音が何度も響き渡った。
邪悪で無垢な笑顔。
「うってこないのかい?」
ガノアは激しい攻撃に盾を合わせるだけで精一杯だった。
槌の威力が大き過ぎる。このままでは打撃に押しつぶされてしまうだろう。
振り下ろされる連撃を凌ぐため、ガノアは姿勢を低くする。受ける盾の角度を調整し、弾き、受け流す。槌があらぬ方向に流されヴァストゥールは体勢を崩した。
「―――っぬ!?」
ガノアは低い姿勢のまま一気に間合いを詰めると、盾による一撃をヴァストゥールの体に叩き込んだ。
「うおおおおおおおお!!」
殴った衝撃でヴァストゥールがよろめく。
すかさず盾による裏拳で意識を奪おうとした時だった。
巨大な盾の鋭利な側面は容易く受け止められる。素早く槌を持ち直したその柄で、道化の男は盾を防いだ。固く、今までの打撃をものともしないような強靭な体。
ヴァストゥールは歯を見せて笑った。
瞬間、ガノアは横に吹き飛んだ。瓦礫の中に体を打ち付けられ、灰と火の粉が舞う。
ヴァストゥールは振り抜いた槌を大義そうに担ぎ、口角を上げる。
「やっぱりやるねぇ、ギルドマスターはぁ!」
「――――っぐ……!!」
ガノアは瓦礫を押しのけ、片膝をつく。
確かに打撃は体を捉えたはずだった。
訝しげに見つめる先、ヴァストゥールは楽しげに話し出す。
「ガノア君、君はさぁ、なんでこの街を守ってるんだい?」
ガノアはヴァストゥールを睨む。
「何だと………?」
芝居がかった男は落ちた帽子を拾ってはたく。
器用にかぶり直しながら続ける。
「――――君が知らないわけがないだろう、ここは実験場だ。君のお父さんが作った」
気が付けば、炎が辺りを包んでいる。
頭から出血した血液を拭いながらガノアは言う。
「何を―――」
「経済の発展した先を見たかったんだよ! 金持ちが蔓延り、貧乏人を作り出す街!」
火の粉が舞い上がり、次の標的を探す。
「変じゃないかい? 犯罪は徐々に増えていくのに禄にそれを取り締まらない憲兵ども!」
隣の民家が崩れていく。ここに住んでいた市民は避難できただろうか。
「違法な金でも経済が潤うんだ、利益を産む犯罪を取り締まる必要がない!」
炎の息吹が肌を焦がす。
「自治も市民に任せっきりだった! 金持ちの方が権力を持っているってのになぁ!」
ズシン、と遠くで地鳴りが聞こえた。倒壊か、爆発。もはや区別はつかない。
「腐りきってなお、発展を続ける! 経済はどこまで人を殺せるか!!」
遂に火の手は時計塔のもとに迫った。窓が割れ、炎が溢れ出す。
「それがこのルールエさ!」
時計塔の支柱がぐにゃりと曲がる。一階がのしかかる重圧に耐え切れず崩れ去っていく。倒壊する音と、煙、土埃、灰が、ガノアの全ての感覚を遮断した。
口を覆い、呼吸だけは確保しようとするが、どこまで効果があるかは分からない。
「ゲホっゲホっ」
思わずガノアは咳き込んだ。熱気が喉と肺を焼く。
何も見えない赤い煙の中から、声だけがする。
「僕はそんなみんなを解き放ったんだよ。この残酷な生き地獄からねぇ」
煙は上昇気流に乗って徐々にはれていく。灰にまみれた男の姿が見える。
帽子に付いた汚れをはたき落とし、再び深く被り直すとヴァストゥールは続けた。
「本当の自由の手に入れ方を、教えてあげたのさ」
ヴァストゥールは不敵に笑い始める。
「馬鹿だよなぁ。あれだけ治安だの秩序だのと言っていた奴らが」
ガノアは目を見開いて眼前の悪魔を睨みつけた。
―――こいつは、許せない。
痛みを忘れ膝をのばして再び立ち上がる。
「武器をチラつかせたら、飛びついてきたんだからなぁ!!」
重く鈍い笑い声を出すヴァストゥールに、ガノアは飛び掛かり盾をぶつける。
「貴様ぁ!!」
渾身の一撃は容易く槌によって防がれた。
「君も君だよ。僕を捕まえた後、ギルドにばかりかまけて街のことは放っておいた」
圧倒的な力にジリジリと押される。踏ん張る足に力を込めた。
「脱獄した後も、こうなると分かっていたはずだ! だが君は、何も手を打たなかった!!」
しかし力比べに負け、後ろへ弾かれる。背中で受身を取りながら倒れ込んだ。
「全部君のせいだ! 君がこの街を壊した!」
ガノアは男の言葉に苛まれ、目を伏せる。
――――確かに、そうだ。
この男の言う通り、俺がこの街をこんな風にしたのだ。




