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星の屑から  作者: えすてい
第四章 あの雷を追いかけて
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第22節 歌が終わって


 扉に備え付けてあったベルが弾かれて音を出す。来客が数人、冷たい風と一緒にバーカウンターまで足を運んできた。

「冷えるね、今夜は。マスター、熱い酒はある?」

 内側に毛皮を着込んだ鎧姿の男は、背の高い丸い座席に腰を下ろした。彼の仲間たちは体をさすりながら、適当な場所に座り、店の中に流れる音楽を耳に入れる。

「ソフラムのサリアよ! 私この人の歌声好きなんだぁ……」

 悦に入った女の一人が、聞き惚れたように声を漏らす。向かい側に座っていた仲間の冒険者が、首肯しながら話を聞いていた。

 ワイングラスを拭き終えると、店主は上目遣いに男へ返事をする。

「もちろん、今年は飛ぶように売れてるよ。もっとも……もうあまりストックはないがね」

 マスターは葡萄酒を温め、ハーブと香辛料を混ぜる。果物を煮詰めたような芳醇な香りが店内に広がった。沸騰する前に火を止めて、カップへ注ぎ入れる。赤い飲料が湯気を出しながら冒険者の男の前へと運ばれてきた。

 「どうして今年はそんなに減りが……? まさかマスター、仕入れる量を間違えたとか」

 男の言葉に鼻で笑うと、マスターは言う。

 「そうだったとしたらいい酒の肴になったかもしれないな……だけどこれは笑い話じゃない」

 穏やかに話す口調が寂しさを含ませる。

「ジョルムで砦が一つ落ちたのは知ってるだろ? オルガン地区だ。街道が潰れて商人の行き来が滞り始めたのさ。代わりに頼もうと思っていた行商も、今年は不作だの魔物による被害だので大した品を持ってこなかった……このまま仕入れ先がなくなると、この店もまずいかもな」

 先日、ジョルムへの街道が封鎖された。ギルドは迅速に依頼書を用意してはいるが、被害の規模も状況もつまびらかにはなっていなかった。調査自体が難航している、そんな状況だ。

「ギルドが動いてくれるのを待つしかないね。この店が潰れることだけは何としてでも避けたい」

 体に似合わない童顔の男は笑顔を見せて言った。熱い酒に口をつけて、うまい、とだけこぼす。

 背後のテーブルで声が上がる。

「あんたさぁ、魔法の腕もうちょっとどうにかなんないわけぇ? 詠唱がずれて、たまに嚙み合ってないんですけどぉ」

「ヨウナが半端に詠唱してるからだろ? そもそもそっちの魔法の精度がよくないのが頂けないね。たまに当て損なってるし」

「なぁんですってぇ!」

 肩まで下がったよれよれの上着を羽織る女は声高に叫んだ。見かねた男の冒険者は声を荒げる。

「ヨウナ、飲み過ぎだよ、もう少し静かに。ベルナトもあまり煽らないでくれ」

 ヨウナと呼ばれた女はずり落ちていた上着を引き上げて鼻を鳴らす。向かいに座るベルナトは、軽く手を上げて無遠慮に笑った。

 ハーフェンの酒場の数は結構多い。探せばいくらでもうまい酒を出す店はあるだろう。だが自分が気に入っている場所に毛嫌いされたくはない。酒癖の悪いヨウナを連れてきたのは間違いだったかもしれない、と少し罪悪感が募った。

 冒険者になって数年になる。故郷にいるときは軍直下の警察学校に通っていたので、剣の腕はそれなりだった。だが実戦経験が皆無の俺は魔物退治に四苦八苦する羽目になる。ハーフェンを居住地にして魔物退治や護衛任務を引き受け初めた俺は、自身の鍛錬とともに仲間たちを募って徐々に等級を上げていった。最近になってどうにか食いっぱぐれることはなくなった。

 内開きのドアが押し開けられ、冷気が店内に入り込む。今夜は雪も降っていたため、白い跡が床に散らばっていく。

「あぁ、バイオルさん。久しぶりだね」

 マスターは懐かしいといった声を出したが、冒険者の男はそっと剣の柄に手をかける。扉が静かに閉まると、無精ひげを生やし痩せこけた男が立っていた。顔色は悪く、浅黒い肌。暗い二つの瞳は、ついていることを忘れていそうなほどにその輝きを失っていた。警察学校の独房を訪れた時、その中の一人がああいう目をしていたのを思い出す。全てを失くし、疲弊しきった顔。

「ふん、お前も冒険者なんかを店に入れるようになっちまったか……やっぱり見る目がないわい」

 初老の男、バイオルはカウンターの隅に陣取ると、シガーケースから葉巻を取り出し口に咥える。

「なぁにあれ、感じ悪い」

「ヨウナ、ほっときな。ただの老いぼれだ」

 肘をついたヨウナはベルナトに促され、隅で煙を吐く男から視線を逸らした。

「心配してたんだ、バイオル。よく来てくれた」

 マスターは明るく彼に話しかけるが、曇った表情を崩さない痩けた男は、瓶をひったくるようにして奪い取り、直接煽った。

「てめぇに心配されちゃあ終わりだわい。知らねぇわけはねぇだろ、この店潰れかかってんだってな」

 溢れた口元の酒を袖で拭い、悪辣な言葉を吐く。白髪が煙の中で燻され、不健康そうな目元がマスターを嘲った。

 困ったような顔の店主を見て、冒険者の男は立ち上がる。

「おい、その辺にしておけよ。昔馴染みだか何だか知らないが、言って良いことと悪いことがあるだろ」

 店内の雰囲気ががらっと変わる。ヨウナが絶賛していた女性の歌声は途切れ、別の歌声が流れ出す。音だけを覚える魔導具は、その場の雰囲気を汲み取って再生を止めたりはしない。息を飲んだ店内、バイオルは葉巻から口を離して告げる。

「おいガキ、誰に向かって口きいてんだ?」

 冒険者はちらりと店主を見た。切り分けていたレモンをそのままに、マスターが恐々と告げる。

「君、いいから。私は気にしてない。バイオルさんも、この店が危ないと分かったから飲みに来てくれたんだろ? な?」

 男が店主に言われて引き下がろうとカウンターに手をかけた時だった。バイオルは言い放つ。

「腰抜け冒険者どもに囲ってもらってんなら心配いらねぇな。どおりで酒が不味くなったわけだわい……ガキ、なんだその目は」

 このまま黙ってコケにされるのは許せなかった。それにいつも自分を支えてくれる仲間がこんな老いぼれに腰抜け呼ばわりされるのは、我慢ならない。

「酔ってるからって、何してもいいわけじゃないぞ」

 男は強く言う。正義感は人一倍強かった。軍警察に入らなかったのは、こんな男でも魔物から救うべきだと思ったからだ。だが、その志を軽んじられるほど、不名誉なことはないとも思った。

 痩せ細った男は葉巻を灰皿の上で叩き折り、光のない瞳を男に向ける。

 

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