第17節 埠頭国ハーフェン2
明るい店内に響く音楽。グラスの置かれる音と人々の会話。夕暮れが近くなった酒場の冒険者たちは、意気揚々と自慢話に耽っていた。果汁の入った飲料を口に含み、僕はゆっくりと天井を見上げる。炎や魔法による輝きではない、眩しい光源。ガラスの球体に閉じ込められた明るい何かが、僕らを照らしていた。
「あれも、魔導具なんですか?」
不思議そうに尋ねた僕に、メアムは言う。
「あれは電球と言いまして、中に電気を閉じ込めていますの。原理は分かりませんが、電気魔法というのは集めておくと光り魔法になるようですわね」
しげしげと眺める僕の隣で、今度はルリが告げる。
「乾燥した場所で発生する微弱な静電気は目に見えない。だが、落雷のような激しい電気は眩く発光している。つまり電流の量によっては、光を生み出すことができるのだろう」
あまり関心がないのか、置いた言葉をそのままに、彼女は持っていたパンを裂いて小さな欠片を口の中に放り投げた。
「電気を作るには魔力がいると思うのですが、それはどうやって……」
なおも問う僕の声。それを遮ったのは隣の席の冒険者だった。
「ねぇ、もしかしてエルフの耳かい?」
「え、本物? すご! エルフだ!」
言うまでもなく、カグヤとカノンは耳を隠そうとはしていない。彼らが二等級冒険者としてこの国にやってきたのは随分と久しぶりなことだったので、それはそれは冒険者たちにとって珍しい存在だろう。彼女らの言う久しぶりがどれほどかは知らないが、人間の比でないことは明らかだ。
「もしかして、噂の御言葉ですか……?」
恐る恐る近付いてくる若い冒険者たち。僕の方に手揉みする仕草は何かの暗喩だろうか。
「ここらの挨拶の作法なの。アルディアにも、そういうのあるでしょ?」
カグヤは同じように両手で握るような仕草をとる。
文化によって礼節を表す行為は千差万別だ。彼女たちは長生きだし、諸国を巡る旅をずっと続けてきている。全部でどれくらい覚えているのだろうか。
僕は硬い笑顔で彼らに返した。ヤミレスや祖龍教国での狼藉ぶりが知れ渡っているかもしれないと思うと、妙に明るく振る舞うのも気が引ける。罪人だと思われると少し面倒だな。そう考えていたのだけど、それは杞憂だった。
「ハイド運河の件は聞いてるぞ。あそこには俺のダチも捕まってたんだ。礼を言わせてくれ」
「うそ?! あのクエスト達成したの御言葉なの? やっぱり違うわねぇ」
わらわらと寄ってきた彼らは次々と褒賞の言葉を述べてくる。僕が思っていたよりも、教王国の噂は広まってないのか?
「魔道士の子よ。悪い噂も広がりやすいが、それ以上に有名性が勝ったのだ。心配しなくとも、ここでお前さんらを捕まえるような輩はおらんよ」
泡のついた口元を拭いながら、バドは陽気に喋る。
僕は一瞬ためらったが、彼を見つめながら意を決して尋ねた。
「思ったんですが、魔族は御言葉をどう見ているんですか?」
今は過去に起きた大戦中ではない。しかし魔族と人間の間にはわずかな意識の開きがあるはずだ。人間を大量に殺した魔族もいれば、魔族を大量に殺した人間もいる。魔物の活性化だって、魔王の力が原因であるはずなのだ。僕は自分のパーティの半分以上が魔族であるという矛盾を、今頃思い出したかのように不思議がった。
バドは笑いながら言う。
「お前さん、エルフと旅をしていながらそんなことが気になっていたのか?」
カグヤとカノンには事情がある。魔力災害で犠牲者を増やさないために魔王の復活を阻止するためだ。他の魔族と比べて単純な魔王への忠誠を持ち合わせていない。
陰りを見せた表情でバドは続ける。
「魔王に従っているのはローザイにいる連中だけだ。あいつらと違って、人間たちから恩恵を受けている魔族は数多くいるだろう。ギルドに所属している我々もそうだ。一概に魔族と一括りにするのは、些か大雑把な差別だぞ」
彼の剣幕に押される。彼の黒い皮膚は、柔らかな表情を作ることもあれば、他者を遠ざける冷酷さをみせることもある。
「す、すいません」
「冗談ですわよ。バド、子ども相手にそんな脅し、大人でないですわ」
メアムに諭され表情を戻した彼は、大人げないだろ、と告げる。
揚げた芋の細切りをほおばった後、彼女は続けた。
「魔族に偏見を持った人間が多いのは仕方のないことですわ。どう動いたって歴史は動かせません。今更取り繕っても無用の争いを生むだけですし。とにかく、依頼をこなして魔物の被害を食い止めるのが、今は先決ですわ」
当たり前だが魔王国内の情勢は人間の国の知るところではない。本で読んだことのある内容には、魔王国がどんな場所にあるか、どんな人種が住んでいるのか、どんな料理を食べどんな娯楽があるのか、そういったことが羅列されており、政治的な部分の記述は一切なかった。魔王国に渡った大使の一人が綴ったものだが、多くの検閲が入ったに違いない。それほどまでに、僕らは魔王国について何も知らないのだ。
「私たちにとって魔王は、絶対的な君主であることに間違いありませんわ。その存在は先祖であり子孫、過去であり未来でもありますの。簡単にないがしろにしていいものではありません……ただ、魔王のやろうとしていることが必ずしも正しいという価値観は、安易に容認するべきではありませんわね。現に魔力災害で多くの命が失われていますし、そのせいで魔族たちが迫害を受けることもままありますわ」
頭についた二つの猫の耳が上下する。メアムは魔族として生まれた命を、自分の中でどう落とし込むか悩んでいる様子だった。それは、僕が御言葉として選ばれたことと少し似ている気がした。
「エルフの耳、それから御言葉よ。お前さんらを見込んで頼みがある」
バドは居住まいを正すと真剣な表情になった。人種が違うと彼らの年齢が想像できない。魔族という存在が僕らにとって不鮮明なのはそういうところからきているのかもしれない。そしてそういうところに、ルリは本能的な恐怖を覚えているのかもしれない。
メアムが縦に長い瞳をこちらに向けて告げる。
「魔神、"鬼"と呼ばれる魔神を、殺してほしいのですわ」