第14節 本の虫2
「ジジ」
僕は書斎に足を踏み入れるとすぐに呼びかけた。
蝋燭を用意していた手を止めて、ジジが僕を見る。
「また本かね?」
「まぁ、それもあるけど……」
茜色の夕日が窓の外に広がる。生い茂る草原が風を受けて靡いた。
夕暮れになるとソワソワする。本が読めるからだろうか。何の変哲もない日常がつまらなくて、僕は本の中でしか息ができなかった。
「この間渡した本は、もう読んでしまったのか?」
「うん。あれ、著者が魔族嫌いだからか、ちょっと偏見入ってるよ」
僕の感想を聞いてジジは笑った。
「ほっほっほ、あれはガーミッドの者だからの。確かに中庸を欠いておるかもしれんな」
書簡に向き直って続ける。
「さりとて、偏った知識を知ることも大事なことだ。物事は左右から見てみないと本質を掴むことができん」
一冊の本を選び抜き、僕に手渡す。
「今日のそなたのように」
悪戯心をそっと隠したようなジジの表情に、僕は半分げんなりしながら本に視線を落とす。
「はいはい……分かったよ」
ジジ牧師はそれ以上何も言わなかった。尋ねたいことがあったけど、闇に沈む空を見て、急に気持ちが萎んでいった。たくさんの言葉を知っているはずなのに、うまく説明できない自分がいた。それを知ろうと思えば思うほど、かけ離れていく自分がもどかしくて、結局元の場所に戻ってきてしまう。
さっきの……僕に、何の関係があるっていうんだ。
踵を返した僕は、ジジの書斎を後にした。
翌日の午後。
僕は教会の裏口の階段に腰掛け、草むしりの休憩をしている時だった。昨日ジジから借りた本を広げ、ページを捲る。
うーん、こっちもこっちで魔族に謙り過ぎている。この両者の中間こそが正しい考えということなのか?
いまいち共感できない魔族との交流記。それは想像していたよりも面白い内容とは思えなかった。僕は溜め息混じりに鼻から息を出す。読み物としての楽しさも、情報としての新規性も少ない、微妙な本だ。強いて言えば、度々出てくる"教団"という言葉が引っかかったくらい。この本には、絶対に関わるなと書かれている。
『魔王を絶対的な神として崇める信者たちは、正義と悪の存在しない自らの信念のために戦っている』
正義と悪の存在しないもの。それは、非合理的な活動指針を良いように言い換えただけではないだろうか。僕は得体のしれない組織が、得体のしれない理想を掲げて奮起する様を思い描く。ま、魔族と出会うことなんてないし、関係ないや。僕が目線を逸らした時、茂みから出てきた二人の子どもを見た。
夕べの食堂にいた男子二人だ。にやにやと薄気味悪い笑みを浮かべて歩いている。
「やっと草むしりも終わりそうだな」
「いい加減にしてほしいぜ、ジジの野郎」
愚痴をこぼしつつ、手をはたいて白い粉を払う二人。
咄嗟に僕は階段の隅でじっと蹲った。品のない彼らがどこで何をしていたってかまいやしない。関係ない。どうせ赤の他人なんだ。この教会も、ここに住む人も、みんな、誰も彼も。
二人は僕に気付かず、歩き去っていく。
面倒事は嫌いだった。あの二人に関われば自由な時間が減ってしまう。そんなの無意味だ。
……ああ、無意味なのに。
立ち上がった僕は彼らが出てきた茂みに入っていく。どうして、心がざわつくのか。やっぱり昨日、ジジに訊いておけばよかった。そしたらこのよくわからない感情に支配されることも、煩わしく思うこともなかったかもしれないのに。
かき分けるように草木をどける。あの二人、手元に粉が付いていた。草むしりで付く土と泥じゃない。それにわざわざ僕は人目を避けるために裏口へきて読書していたというのに、彼らはそこで何をしていたのか。
文字を書くときについた白い石の粉。カーリアに対する悪態。
答えは、もう僕の頭の中にありありと浮かんでいた。




