第12節 現れた疾雷2
僕は記憶の中からその姿形を探し当てる。伝承の領域に存在する稀有な魔物。絵とはところどころ違う部分があるが、恐らくこれを書き下せばそう表現されるのだろう。
赤い皮膚と二本の角。流れる真っ黒な鬣。溢れる闘気を放つ、隆々とした巨大な図体。人の形を成したゴブリンと同じ二足歩行。顔面についた三つの瞳で、僕らを見据える。"神域の鬼"。ゲルハゴスと同じ、古代に存在した魔獣。
稲光を纏った拳を構える。無数の風を帯びた殺気が、痛烈無比の拳打を繰り出した。氷と暴風に攫われ、僕とルリは吹き飛ばされる。
「妖精の羽っ!」
ルリは自律魔法を冒険者にかけ、衝撃を避けさせ安全な場所に移動させた。
「ルリ、来るよ!」
僕は彼女の方を見ないまま叫ぶ。光を自分の体に付与させて、構えをとった。撃鉄のような鋭い動き。チカチカと明るさを伴いながら、ブレストが迫る。寸分違わぬタイミングで、僕と魔獣の拳がぶつかりあった。
魔力と魔力の衝突。
はためくローブと衝撃に負けて砕け散る氷壁。地面が波動を受け止めきれず揺れ動く。鋼がひん曲がるような雷の怒号。圧倒される力の前で、僕は強く押し返された。相殺できない力の流れ。暴れる電撃の波に、僕の体は焼き焦げそうだった。これが、古代の雷撃魔法。
僕は足で強く踏ん張りながら、削り取られていく魔力を絶え間なく注ぎ込む。雷属性は属性魔法の中で最も扱いが難しく、電気の流れは他の物体に引かれる性質を持つ。自身の身体に纏わせたり集めた魔法を放ったりすることはもちろん、目標に狙いを定めるには相当な訓練が必要となる。だがその分、攻撃性はトップクラスであり、破壊力、貫通力、持続力、すべてにおいて他を上回る。空から振る雷を恐れ奉り、破壊の雷神を信仰する国も珍しくはなかった。
そして、その雷を自らの体に宿らせた古代の魔物、ブレストは意のままに電撃を操る。真っ赤な体が電気の光で白む。額にある黒い瞳が僕を真っ直ぐに見下ろす。
来る。
本能的に悟った僕は、光の魔法で全身を強く守った。ブレストが拳を引き込み、溜を作る。いつの間にか立ち込めていた暗雲の隙間から、赤黒い雷が音を立てて降り注いだ。
天から下された一筋の光が直撃し、僕の体に滞留する。散る火花。魔力を貫通し体の自由が奪われる。強烈な痛みが、突き刺すように頭を支配した。
「がはッ!」
食い縛っていた歯が上下に別れ、肺の空気が無理やり吐き出される。光の防御を超えてきた。この一撃は、重すぎる。
もうもうと立ち込める煙の中、ゆらりと景色が蠢いて、暗い瞳孔が見えた。腰に低く溜め込んだ握りこぶしを作り、魔力という渦で閉じ込めて膝をつく僕の前に現れる。おどろおどろしい唸り声を上げたかと思えば、殺気を伴う落雷の一撃を放った。
痺れる眼球。沸騰するような臓腑。
激しい点滅に体の芯が冷え切っていく。
数秒だ、と言っていた。
彼女は、数秒で用意ができる、と言っていた。
砕ける僕の体。塵となっていく体の断片が、光を透過する。電撃が地面と空気に伝わり、細い筋をいくつも作った。余波を受けた僕の耳元で、熱い感覚が過る。自分の中の体感時間では一秒にも満たなかったが、時間はきちんと稼げていたようだ。
払われていく霧のような僕の姿。氷の粒が、ひび割れから漏れていく。ルリの作った結晶の人形。僕は光に紛れて地べたに這いつくばったまま、その光景を見ていた。
ブレストが僕の存在に気が付く。黒い瞳をこちらに向けて、魔力を雷に変換する。真っ直ぐな拳で僕への追撃を試みるが、巨大な手の甲に邪魔されブレストの体は横に飛んでいってしまう。僕の頭スレスレを通り過ぎた巨人の腕。冷気を放ち、曖昧な輪郭で佇む。
「魔道士君、生きているか」
ルリは氷の鎧に身を包み、僕に言う。
「ルリ、助かったよ」
声に応えた僕を見て、彼女はわずかに微笑んだ。次第に大地が凍り始める。ルリの得意な、支配空間が広がりを見せた。凍土の巨人を召喚し終え、杖を地面に突き立てる。青に染まる冴えた瞳が、氷塊の面に映り込んだ。表情を元に戻し、ルリはブレストの第三の瞳と目が合わせる。足元からせり上がる地鳴り。電撃の矛先が所構わず辺りに喚き散る。
鼓膜を劈く雷の疾風が、氷の刃と激突した。