第12節 光と狂人
「よかった、間に合った」
全速力で発信元の魔力を辿りここまで来た。助けを求めたのはこの女性か。見たことがある。
たしかクィーラという名前で、初めてギルドに訪れた時、出会った人だ。
肩や脇腹から多量に出血しており、唇も白い。見るからに危険な状態だ。
僕は周囲を見回す。
あたり一面の木々が真ん中で綺麗に斬られていた。傷付いた敵と血の跡が痛々しいほどに続いている。血まみれになりながらも戦い続けたようだ。
「どう……して……」
消え入りそうな声を絞り出して、クィーラは口を開く。
僕はできるだけ柔らかい声で返事をした。
「助けに来ました、もう大丈夫ですよ」
彼女は力一杯、最後の悲鳴を上げる。
「だめ……にげて――」
そのまま意識を手放してしまった彼女。
出血が酷い、早く治療しなければ。
僕は魔力探知の範囲を広げ索敵を行った。光の粒が舞い、僕の周りを照らす。
敵は二体。だが一人は瀕死だ。裂けた木の裏で倒れている。もう一体は、目の前の人型をした何か。どす黒く変色し、筋肉が異常に発達した生物。
なんだあれは。
強化魔法の類いではない。恐らく薬物による過剰な筋力増強だ。膨れ上がった肉質が浮き出た血管を押し出す。もとは人間だったのか、面影は皆無に等しい。
「すぐに、終わらせるので」
意識を失ったクィーラに告げて、怪物を前に右手をかざす。
掌に魔力が集まり、淡い光を帯びる。光は徐々に強くなり、森を包み込んだ。
化け物は強い光を警戒したのか、腕を顔の前に持ってくる。腕に受けた傷から、浅く血が滲んでいた。
僕の影はさらに縮み、光の中に溶けだす。余波を受けた枝葉がざわざわと揺れ始める。漏れ出る光は、木々や葉を抜け、夜空に差し込む。
警戒を続けていた巨大な化け物だったが、痺れを切らし大地を蹴って走り出した。猛スピードでこちらに向かってくる。
小さな僕たちを叩き潰すため、大きな腕を振り上げた。
振るわれたその腕は、大木のような太さだ。
こんなものを彼女は相手にしていたのか。
森の至るところで引きちぎられた木々が転がっていた。この化け物から必死に逃げて、彼女はここまで生き延びたのだろう。追い立て、虐げ、嬲り、せせら笑う。
この道程には、下劣で極悪な感情がまき散らされていた。か細い希望を求め、必死にもがき戦った人間を、残酷なまでに冒涜し愚弄する。憂懼、戦慄、悚然、暗澹。すべての黒い感情が彼女の内側から溢れ出た。流れた血液と感情は止めどなく、生命と心を溶かし尽くす。声にならない悲鳴を上げ続け、最後の最後まで彼女は戦い続けた。
僕はそんな彼女に振りかざされた暴力を、無慈悲な巨悪を、絶対に許しはしない。
集まった掌の光が眩いばかりに輝きだし、刹那、世界から色が消える。
振り上げた拳が振り下ろされた瞬間、化け物が驚いたような気がした。
「―――無色の光」
色の消えた森が遅れて音を立て始める。衝撃波に打ち付けられ、森全体が揺れた。
光は掌から飛び出し無限に輝く。森林の一部が蒸発し、大きな穴を作る。
放たれた光に触れた化け物は影すら残らなかった。色の戻った世界から、跡形もなく消え去っていた。
辺りには光の残滓がフワフワと浮かび上がり、星と溶けるように夜空へと消えていく。
この森で彼女を怖がらせる者は、もういない。
僕はすぐさま彼女に駆け寄った。
風の通り道となった森の空洞に静かな魔力が漂う。
急いでクィーラに治癒の魔法を唱え、傷口を塞いだ。増血はやったことないが、あれこれ考えている暇はない。理論は頭に入っている。
蒼白のクィーラは冷たい石像の様だった。
複数の医療魔法を用い、命を紡ぐ。経験の少ない救急治療に、全神経を注いだ。
森は再び、淡い光に包まれていった。
■■◇■■
誰かが私の名前を呼ぶ声が聞こえた。
お兄様? でもとても幼い声に聞こえる。
誰でしょうか、私を必死に呼ぶのは。
ゆっくりと瞼を開けると、そこには煌めく夜空のような瞳が覗き込んでいた。
「良かった! クィーラさん、具合はどうですか? 痛いところはありませんか?
―――聞こえてます?」
虚ろな頭をはっきりさせるため額に手をあてる。
………私、どうして――――。
そして全て思い出した。
そうだ! あの狂人は!?
がばっと勢いよく起き上がると同時に、覗き込んでいた彼の頭と衝突してしまった。
「いたたた………」
クィーラはすかさず僕の肩に触れ、謝罪をする。
「す、すみません!」
「いえ、大丈夫ですよ。元気そうで……良かったです」
彼は苦笑しながら鼻を抑えている。
どうやら思い切り頭突きをかましてしまったようだ。
申し訳ないことをしてしまった。
いや、そんなことより。
「あの狂人は!?」
少年は私の瞳を覗き込むと、返事をする。
「狂人……大きな化け物のことですか? あれはやっつけましたよ。ここはもう安全です」
わたしはその言葉に絶句する。
信じられません……彼が?
だけど、それが嘘なら私はこうして生きていませんし――。
「あれ? 傷が―――?」
クィーラは体をあちこち触る。
痛みは消えて何事も無かったかのような状態だ。
「出血が酷く危なかったですが、全て治しました」
少年の目が私を映す。
彼は何を言っているのだろう、治した?
「もう一度尋ねますが、ぶつけた頭以外に痛いところはありませんか?」
笑って答える彼を見て、全身の力が抜けてしまう。
魔力も生命力も尽き、死の淵で私は戦った。痛みと恐怖で凍った頭を必死に動かし、懸命に、足掻いて、戦った。生きる為に。
恐ろしさの過ぎ去った心の隙間に、ひたすらな安堵がなだれ込んでくるようだった。
まだ私は生きていられるの……?
自分の問いかけが、胸に木霊した。
あの時思い描いた絵空事を、叶えることができる。
誰かと共に歩み、支えあい、笑いあう。
安心すると、気が付いたら泣き出していた。
怖かった。
本当に、孤独に死んでしまうかと思った。私の夢は叶わないんだと思った。
怖くて悲しくて悔しくて、自分の至らなさや不甲斐なさが憎くて仕方なかった。
どうして私は、と自分を責めた。
だけど、生きている。それが堪らなく嬉しい。嬉しくて、また涙が出る。
少年が強張った手で、優しく頭を撫でてくれた。
「大丈夫、大丈夫ですよ。よく一人で生き抜きました」
彼に縋って私は泣き続けた。
生きているというその事実が、ただ嬉しかった。
私、諦めなかったよ。




