第8節 器用に、執拗に、堅実に、2
メアムが素早い動きで短刀の切っ先を結界に突き立てるが、跳ね返る衝撃に彼女は腕を震わせた。白兵戦に特化したカグヤと分断されたてしまった僕ら。周囲の建物に魔力探知を張り巡らせる。民家から溢れだした小さなゴブリンたち。甲高い声と一緒に軽い足音が渦巻く。屋根の上から弓を携えたゴブリンが、矢筒を腰に回しつがえた弓を引く。羽根が風を切り、鏃を先頭に軸を揺らせながら進む。僕らを囲むように数十本の矢が向かって来た。
「氷壁!」
射られた矢が突き立った氷に阻まれる。地を這う氷の道筋、その中心に手をついたルリ。青い瞳が前髪の下で切れ長に光る。舞い散った氷の粒が浮かぶ。彼女は言い放った。
「魔道士君、活路を開いてくれ、援護する。カノン、結界魔法の解析と解除は任せた!」
僕とカノンは頷き合うと、互いに魔法を唱える。軽装な鎧を身につけたゴブリンの大群が押し寄せてきた。捕虜にした人間を囮に使い、戦士職を誘い出す。人の仲間意識を利用した狡猾な罠。カグヤの斬撃をものともしない大柄なゴブリン。気色の悪い違和感が街から滲み出ていた。
眼前の強力な結界も魔法の気配が非常に薄い。今までとの戦闘とは、明らかに何かが違う。近付く小さなゴブリンたちを蹴散らし、魔力の流れを逆算して術師の元へと僕は走り出した。結界の規模が大きい。解除には時間がかかる可能性がある。それよりも早く、結界を張っている本体を叩かなければ。
白い氷が左右から近付いてきたゴブリンを凍らせる。喉の潰れたようなしゃがれた叫び声。僕は民家の壁をぶち破り、魔力の根本を見つけ出す。そこにいたのは、魔方陣の上で祈りを捧げる一匹の痩せたゴブリン。焦ったような表情を一瞬見せた後、そいつは広角を引き吊り上げて、笑い始める。影に入ったゴブリンの顔が黒く染まった。
……後ろ!
いうが早いか、僕は背後から何者かに覆い被せられ、地面に押し付けられる。魔方陣を描いていたゴブリンが、嘲笑いながら逃げ出していった。必死に引き剥がそうと、体を押し退け腕を掴む。
そして気付いた。
死体だ。
人間の死体。冷たく重い人体が、僕にのしかかっていた。振り返ると、死体を放り投げたゴブリンが人間を盾に弓を構えている。焦点の合わない力の抜けた男性が、ゴブリンに抱えられ両腕を揺さぶった。生きているかどうかも判断つかない。
忙しなく巡る頭の中が、増えた選択肢に翻弄される。動きを止めてはいけない。躊躇してはいけない。焦り戸惑う心に言い聞かせながら、僕は全身に魔力を巡らせた。光を放てば防御は薄くなり、ともすれば矢に頭蓋を射抜かれてしまう。だが矢ごと消すような威力は、あの人質さえも消しかねない。
判断に迷った一瞬で先に矢が飛び、容赦のない攻撃が僕の眉間にぶち当たった。魔法障壁に弾かれ弓矢が砕け落ちる。……何なんだ、こいつら。
崩れた屋根の上にマントをなびかせたルリの姿。粒になった冷気がゴブリンを包み込む。
「―――だめだ!!」
僕は咄嗟に叫んだ。ルリには人質が死角となり見えていない。瞬時に氷の中に囚われた弓ゴブリン。巻き添えに体の半分が凍らされた男。人間たちの死体と人質に気が付いたルリだったが、飛び交う他の矢に注意を割かれてしまう。
氷の壁を四方に立ち上げ、彼女は白い息を吐く。結晶の形が歪に曲がりくねる。追い付いてきた雑兵ゴブリンたちの叫びが響いた。魔力の気配がどこかで再び花開く。薄ら笑う彼らの声に判断がさらに鈍った。ルリの瞳。狼狽がありありと映し出されている。ゴブリンによって封鎖された運河沿いの街。ひりつくような太い雄叫びが上がった。




