第5節 飄零の女王2
キューロ戦役。ノラウムが思い出す中で、中央都市国家始まって以来の最も大きな内乱だ。大小合わせて十以上の国がロキの主権を巡り争った。
若き日のノラウムも、その戦火を直に浴びた。軍人として最前線で戦い抜いたあの頃、ノラウムは自らの実力の程度を知ることとなる。当時設立されていた独立魔術師連隊は、戦時にのみ組織された各国の選りすぐりだった。特に優秀な魔法使いで構成されたその部隊は、内乱の局所に派遣され驚異的な戦果をあげ続ける。彼らのおかげで内戦の終息は、上層部が考えているより早く訪れるかと思われた。
しかし、かの連隊の名は、今では誰もが忌避すべき汚名の象徴となる。内乱を企てた何者かの仕業だろうか、彼らは一夜にして敵側へ寝返ったのだ。勝てるはずの戦に破れ、堅牢な城を容易く落とされ、快勝だった戦局は悉く塗りつぶされていった。
ノラウムは戦場の一番先鋒で、敗北を悟る。後退の必至を促された我が隊の司令官は及び腰だった。報せを受けた時にはすべてが手遅れで、ともに来たはずの荷馬車と上官は物資を詰め込むとすぐに後退していった。残されたのは勇敢に戦った前線の兵士だけ。トカゲの尻尾のように、切り離された雑兵ども。退路もなければ進路もない。追撃の盾として、時間稼ぎに捨てられたのだ。
魔術師連隊の足音はすぐそこまで来ていた。疲れきった体と頭でも、それくらいのことは分かる。明朝、自分たちの命はないだろう。
霧の立ち込めた夜明け、朝露に下草が光った。茂みに隠れるようにして掘られた洞窟。恐々としたまま朝を迎え、ノラウムが外に出る。
空にぽつりと影が浮いているのが見えた。霧が深く、はっきりとしない靄のかかった影。乱反射した日の光がぼんやりと辺りを照らす。まばらに漂うそれらの輪郭が、波立つ海中にいるような錯覚を見せた。
ぐしゃ、と何かが潰れる音。空から落下してきた"それ"をノラウムは見る。そこには見慣れた軍服があった。ノラウムは視界の滲む霧の中で"それ"を認識した。雨のように次々と降る人間の死骸。地面との接触で肉が弾け骨が飛び出す。熟れた果実を叩きつけたように血肉が散らばり、戦場で何度も嗅いだ鉄の匂いが広がった。
最後の一つ、人影がゆっくりと地に降り立つ。長い髪の毛を無造作にまとめた一人の女。変形した死体に目もくれず、その女はノラウムを見つけてささやかに微笑んだ。
「そこに、いた、のね。分か、らなかっ、たわ。怪我、ない、わね?」
面妖な喋り方をする女は小首を傾げる。ノラウムは霧とともに充満する狂気を瞳に映す。散らばった肉片が身に纏う、魔術師連隊の制服。反逆者の証。ノラウムは不思議と理解が早かった。彼女が彼らを葬ったのだ。
「何者、なんだ……」
ノラウムは精一杯喉を広げ告げる。鼻歌でも歌いそうな楽しげな女に向けて。彼女は答える。
「私は、ペンタ、ギアノ、よ?」
そう、彼女こそがペンタギアノの一人。
第二師団長アーレイス=ノヴァ。
飄零のアーレイスと呼ばれた、空の女王。