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星の屑から  作者: えすてい
第三章 流れ星に祈りを
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第46節 残傷の群れ

 

 硬い地面が冷たく感触を返す。

 目が覚めてしばらくその場に留まっていた。

 老いた体が思うように動かず、分厚い装束が煩わしいほど皮膚に張り付く。

 久しぶりに自身の魔力の底を思い知り、溜め息にもならない吐息をズールィは吐き出す。

 竜の死骸の調査は開国以来順調に進んでおり、歴史に類を見ない古い遺骨であることが分かっていた。

 貴重なその竜骨を魔法によって汚し、御言葉に刃を向けたとなれば司教どもは黙っていない。

 まさかもう一度国を追われる羽目になるとは思わなかった。

 瞼の裏に懐かしい記憶を映し出す。

 ズールィは長く生き過ぎた己の反省を、気高い誇りのように抱きしめながら小さな体を縮ませた。

 息苦しい谷底の奥、魔法の気配がして体を起こす。ズールィはズレた眼鏡を整えて暗闇に目を凝らした。

 信じられない思いで魔力の余波を全身に浴びる。心洗われる旋律のような響きが脳内に流れ始めた。

 竜の骨が再び魔法によって使われている。長く魔法に携わってきたからこそ分かった。

 その為手(して)は氷使いではなく別の術士であるということ。

 遺骨に宿る魔力の真髄を深く理解し崇拝している。

 ズールィは固く目を閉じてその旋律に身を委ねた。

 誰がこの音色を奏でているのか、想像もできなかった。

 もしこれが本当に人の仕業だとすれば、こんな偉業も他にはないだろう。

 竜の力を使って魔力災害の根を断ち切ったのだ。

 浄化の炎は、もはや神の御業ではなくなった。

 自分にこれができていれば、あの御言葉にも勝てたかもしれない。

 周辺に転がる金の鎧を揺さぶりながら、鈍くなった目をじっと傾けた。

 淡い光を浮かび上がらせた流罪地区。

 ズールィは真っ直ぐにその光を見ることができなかった。


 


 ■■◇■■


 


「フリート様もジョルムから来られたのでございますか?」

 突き抜ける青空を背景に銀の髪を揺らすアトレア。

 彼女は黒い瞳を向けるとフリートに尋ねた。

 鉄仮面の下の口をぴくりと動かすと、フリートは重い唇を持ち上げてわずかな言葉を押し出す。

「ああ」

 笑顔を崩さなかったアトレアは、立ち尽くすフリートへさらに問いかけた。

「奇遇でございますね、私も生まれはそうなのです。幼少期の思い出は、あまりございませんが……」

 黒い瞳の奥に静かな輝きを見せながら、アトレアはさらに続けて話す。

「武勲も聞きしに及んでおります。どうか神の采配だとお思い下さいませ」

 一礼するアトレアの仕草を見てフリートは、自分が彼女から心配されていることに気が付いた。

 皇帝陛下に仕えることのできる最高名誉から一転、敵対勢力への斥候として地位を落とされたフリート。

 本来であれば御神体擁する聖女の護衛など、同格に扱われても差し支えない名誉な職であった。

 しかし情勢は普段通りとは言えず、司教たちの思惑に権力構造は歪な関係を築いていた。

 アトレアはその境遇に憐憫を含む言葉で包み込み、フリートに対して小さな思いやりを見せたのだ。

 跪いたフリートは兜の隙間から彼女を見た。

 奇跡の登場を果たしたあの場所から、フリートは初めてアトレアと接触した。

 言葉を交わすことは初めてだったが、あの時の印象と比べると幾分柔らかなものがある。

 毅然と振舞っていた彼女の右目は、今では人間のそれと相変わらない形を成していた。

 とても軽はずみな気持ちで権力争いを起こすような人物には思えない。

 司教たち教皇派が触れ回っている罵詈雑言など、彼女の存在感に比べれば霞んでしまうほどだ。

 フリートは命を受けた自らの境遇を嘆いてはいない。そんなものに振り回されて生きてなどいなかった。

 届くかどうかも分からない口先だけの思いを、フリートはアトレアに告げた。

「貴方は本当に祖龍神様の瞳なのか?」

 どれだけその問いに答えてきたのだろうか。彼女は顔色一つ変えずに頷いて見せる。

 辺りを囲うように群がる聖女派の面々は、フリートの言葉を聞いて眉間に皺を寄せた。

 教皇派からきた異端者の吐く言葉に、彼らが快く思わないのも無理はない。

 しかし聞きたいことはそんなことではなかった。

 フリートがあの日、あの奇跡を見た時から、アトレアに直接確かめてみたかったこと。

 大空に視線を移した彼女の瞳。その奥に秘めた瞬き。

 フリートはもう一度問いかけた。

「貴方には、貴方のその瞳には……本当に神が見えているのか……?」

 アトレアが反応するよりも早く、フリートは身を固くする。

 彼女の目が一瞬だけほの明るく灯ったように感じたのだ。

 脳裏にこびりつく黒く澄んだ光彩が、日の光に両目を焼かれたように視界を覆う。

 光……ではない。暗澹たる、藍。

 打ちひしがれるような、沈んだ絶望の色。

 憎しみや怒り、妄執の果てに染められ、褪せた色。

 彼女の丁寧な所作からは微塵も感じ取れなかった骸の色。

 フリートは心の奥でそっと思う。

 ……そうか、神など……とうにいないのだ。

 首を振るうアトレアの前、黄金の騎士は地に触れた。

 誰にも見えない、滴り続ける彼女の涙をそっと拭うために。


 


 ■■◇■■



 

 ふらつく足取りのルリの手を引きながら、僕はなるべく早足に歩みを進めた。

 魔法で大きな傷を治療できたとしても、蓄積された疲労までは拭いきれない。

 ルリもカノンも震災救助に多くの魔力を消費し、祈りの都でも強力な魔法を使用した。

 ゆっくりさせたい気持ちは山々だったが、安全が確保されるまでは逃亡を続けなければならない。

 ルリの淡い水色の髪の毛が視界の端に見える。

 彼女には苦労をさせてばかりで、申し訳なく思った。

 ヤミレスを飛び出してから僕は何をしただろうか。ルリに頼ってばかりで碌な働きもできていない。

 聡明な彼女のことだ。いつ僕を見放してもおかしくない。

 所詮、僕のような子どもはこの旅には足手まといなのだ。小細工しかできない一山いくらの半人前な人間。

 薄く笑った彼女が僕に追放を言い渡す。

 モウイラナイカラ、バイバイ。

 身震いしたくなる気持ちを抑えて、精一杯僕は前だけを見据えていた。

 薄情なまでに僕の脳は、自分を苦しめることに長けているようだ。

「魔道士君、少し早いな」

 小さな声が後ろの方で囁かれた。

 ルリがその青い瞳に僕を映す。

「ご、ごめん」

 僕は謝罪しながら歩幅を彼女に合わせた。

 ルリの足元は衣服が裂かれ、長く白い肢体が覗く。

 後ろめたく思った僕は、ついその瞳と目を合わせてしまう。

 気にした様子もなくルリは目線を逸らした。

 繋いだ手をそのままに彼女は尋ねる。

「……アトレアが何の罪を犯したか君は知っているか?」

「―――え?」

 突然の問いかけに僕は戸惑った。

 しかしその剣幕はからかいの様相ではないように思えた。

 僕らの前方にカグヤたちが並んで歩き、魔物との遭遇を警戒してくれている。

 ルリの口から出るわずかな声の囁きは、恐らく彼女たちには聞こえてないだろう。

 僕は今でもはっきりと覚えている。

 この国の聖女は最後まで信仰を捨てなかった。

 ルリは空いた片方の手を握りしめると、僕に向けてこう告げた。

「……彼女は、懐妊してしまったんだろうな。交わることの禁じられた、教会の中で……」

 僕は目を開いてルリの方を見る。

 祖龍神を裏切った、アトレアの行い。

 彼女の言葉が、頭の中で響く。

『私が……つれていくから……!』

 ルリは淡々と告げる。

「聖女派は慌てたはずだ。縋っていた彼女の妊娠は、露見すれば派閥争いどころではなくなってしまう。戒律を正す側の彼らが、戒律を犯していいわけがない。教皇派に感づかれる前に、問題解決を図ったのだろう。―――それが彼女の罪になるとも知らずに」

 アトレアは分かっていたとでも言うのだろうか。

 僕から烙印を消し去ったのは紛れもなく彼女だ。

 震える唇で呟く。

「身ごもった子を………アトレアは―――」

 僕は口を引き結んで言葉を切る。それ以上は、言えなかった。

 後頭部がズキズキと痛みを走らせる。

 おぞましい不快感が同時に襲ってきた。

 彼女は赤子が祖龍の瞳を継ぐ存在だと確信していたのだ。

 だけどそれを望まなかった。それは―――。

「『つれていく』………」

 僕が独り言のように呟いたのを、ルリの気遣う瞳がじっと見つめていた。

 彼女は終わらせたかったのかもしれない。この過酷で痛烈な激しい光の道筋を。背負っていく運命を。

 何事にも代え難かったのかもしれない。愛する我が子を失ってでもそれを貫き通すことが。

 僕はどうだろうか。僕は何のために生かされたのか。どんな価値があるというのだろうか。

 自分が果たすべき役割ばかりが先行して、己の価値について深く考えたことはなかった。

 ルールエ、学院、魔神、そしてサンクチュール。

 戦いの中で幾度となく多くの人に命を救われた僕。

 母親に捨てられたと思っていた。だけど、捨てられたんじゃない、託されたんだ。

 それをアトレアは教えてくれた。

 谷底に吹く冷たい風を真っ向から受けて、僕は静かに告げる。

「ルリ、ごめんね。怖がらせて……」

 震える喉を押さえつけて僕は彼女を見た。

 驚いたようなルリの表情は、次第に柔和なものとなった。

 おんなじ寂しさを抱えて生きている。

 彼女はそう思っているはずだ。

 どれだけ僕が使い物にならなくたって、僕を信じた彼女だけは、何があろうとも必ず守ろう。

 これ以上、僕だってルリだって、失いたいものなんてないはずだから。

 陽の光がまったく届かない谷底で、僕はルリの手をぎゅっと握りしめた。

 胸にしまい込んだ暗い色が、涙と一緒にこぼれ落ちてしまわないように。


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