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星の屑から  作者: えすてい
第三章 流れ星に祈りを
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第45節 双子の片割れ

 

 体中から熱が失われていく。じきに記憶も曖昧になって溶けだすだろう。

 愛憎入り交じる"彼"という存在を知覚した私。

 今なら分かる。姉がどうして私を置いていったのか。

 簡単な想いで、姉は私から離れたのではない。そうすることでしか、遺すことができなかったのだ。

 彼は私たちと同じ、運命に選ばれた血統。平凡な人生を歩むことなんてできやしない。

 だからこそ傍にいてあげたかった。人並みの愛情を与えてあげたかった。

 愛すべき私たちの銀色の子ども。祖龍が与えた試練と、悲しすぎる運命の因果律。

 真っ白に染まりゆく眼前。遥か彼方上空に、翼を広げた姉が私を見下ろしていた。

 姉さんも、同じだったんだね……。

 醜く歪んだ黒い泥が彼の体に付きまとっていた。

 ウェイロンが仕組んだおぞましい烙印。

 彼はその力を使って、世界を手にするつもりなのだろう。

 谷底から途方もないほどの上空で、黒い染みが瞬いた。

 祖龍の瞳本体に手が加わえられたのが分かる。教皇はすでに、祖龍神への信仰を失っていたのだ。

 彼が目指したのは自身の神格化。人間が神になれるのか、それを私で証明してみせた。

 世界を手に入れるなんて野望どうだっていい。

 人の上に立ちたければ勝手にすればいい。

 私にはなんの興味もない。

 ……けど、私の愛する人を傷つけることだけは許さない。

 祖龍の瞳で露わになった烙印の中身。私にはこの烙印を抹消させるほどの力はなかった。

 私が自害していれば、この子は教皇を殺さない限り、このまま亡者と成り果てていただろう。

 でもあの子が私を殺してくれたから、私はあの子を"呪う"ことができる。

 ……まさか呪いの力を使うことになるなんてね。

 彼の驚くべき光の魔法、小さな妖精(加護天使)は、祖龍の瞳の力さえねじ曲げていた。

 あれは外部から身を守るための魔法であり、既に入った毒を吐き出させることはできなかったようだ。

 なればこそ、呪いはそれを打ち消すことができる。

 死に際に叶った、私の唯一の望み。それが"呪い"。

 ……本当は、私は彼が憎くて堪らなかった。私から姉と、何もかもを奪っていった少年。どうしてそれを受け入れることができるの。

 彼さえいなければ、まだ姉は私の傍に居たかもしれない。それにもう一度、私に会いに来てくれたかもしれない。

 心の深淵に潜む藍色が猛り燻った。

 錆び付いて開かなくなった扉が蝶番を軋ませる。

 ……だけどあの子はここまで来た、来てしまった。幼い精神をひた隠し、大いなる力に負けないために。

 この子が私から姉さんをつれていったんじゃない。姉さんが私から、宿命(この子)をつれていったんだ。

 私にその役目が回らないよう。

 彼はただ、私たちの原罪に巻き込まれただけ。

 ……私がこの子を助けなきゃ。

 私は感覚を研ぎ澄まして祖龍の瞳を全開にする。

 失った瞳で見ていたよりも、透き通る世界が広がった。

 聖域に溜まっていた魔力と思念体。一介の魔法使いが動かせるものではない。

 二つが合わさることで、祈りの都は魔力災害の種火となる。

 私は聖域を体内に取り込み己の肉体を経由させることで、命の終わりとともに魔力災害を無力化させることにした。

 だけどどうしても呼び寄せた魔力のすべては持っていけない。

 残りの魔力は"エルフの彼女"に任せて、私はできるだけのことをしよう。

 ―――あとはウェイロン、あの男だけだ。

 眩い光の中、翼で空を舞う姉が上空の黒点を指さす。

 分かってるよ。姉さん、私にできる最後の悪足掻き。

 笑顔の苦手だった姉そっくりな子。あの子になら、なんだってしてあげられるから。

 右目が熱を帯び始め、暗い谷底を照らし出した。

 光がより強く、濃い輝きを放ち黒点に向かっていく。

 祖龍の瞳本体が私の力を引き出したのであれば、私から逆のことだってできるはずだ。

 光は崖の下をくぐり抜け、天井を透過していく。遮るものは何もなく、私は直進し続けた。

 

 豪華な室内で召使いとともにいたウェイロンは、突然の発作に襲われる。

「陛下!  陛下!」

 召使いの呼びかけもそのままに、ウェイロンは右目を手で覆う。

 痛みに堪えられず、指で抉り出した。

 先ほどまで全能の力を与えていた瞳は色を失い、欠けたただの石ころになっている。

 砂粒混じりの血みどろの石瞳。召使いの悲鳴。

 流血の中凄んだ彼は、怒りを込めて叫ぶ。

「アトレアァッ!!」

 長年伝えられてきた祖龍の瞳は、アトレアの祈りによって両目ともその力を永遠に失った。


 ゆっくりと目を閉じた。

 傍にいるあの子の声も温もりも遠く離れていく。

 ……長いようで短い月日だった。

 家族を失い、姉を失い、瞳を失った私。

 それでも最後に辿り着いた、本当の終点。

 幸せとは言い難いけれど、この子の顔を見られただけで満足だった。

 白い世界で私の意識は散り散りとなっていく。

 思い残すことは、何もない。

 私たちは二つに分かれた流星。

 遠廻りだったけど、やっと一つになるの。

 祈りの都サンクチュールは輝き、アトレアの放つ光を浴びながらその役目を終える。


 


 ■■◇■■


 


 足を引きずりながら見るも無惨な祈りの都を行く。

 崩れた足場の下には降ってきた岩石が転がっている。

 ルリは神殿の方に向かいながら、倒れた亡者たちに哀れみの視線を向けた。

 これを仕向けたのは彼らではない。

 しかし、ただ純粋であったわけでもないのだろう。

 彼らが失ったものは何一つ分からなかったが、所詮、自らが選んだのは祈ることのみだったのだ。

 御言葉の到来を待ち続けていたルリには、その想いが遠回しに心を締め付けていた。

 篝火の乏しくなった暗い流罪地区は、聖域のない今、ぼんやりと淡い光を灯している。

 かつての大通りを抜けて階段を上り、広い踊り場で三人と合流した。

 ルリは告げる。

「聖騎士たちが目を覚ます前に谷を抜けよう」

 軽量だが丈夫だったはずの装備。取れかけた黒い甲冑の一部を外しながらカグヤは応えた。

「ええ。もう祖龍教国には戻れないわね。私たち、派手にやっちゃったから」

 教王国の大司教と聖騎士を敵に回し、さらには教皇の計画をご破算にしたのだ。

 ルリは溜め息をつきたくなる気持ちを押し込む。

 追っ手の数は増えていく一方だった。

 明かりの方向、もう一人のエルフに目を向ける。

 ルリは瞬きしながら告げた。

「カノンの持つ笛は、竜のものか?」

 同じく目線を飛ばすカグヤはそれに首肯する。

「そうよ。禁呪の力を持つ不思議な魔導具。あの子は戦うことだけは絶対にしない。……させない」

 最後の言葉に妙な力を込めたエルフの戦士。

 カグヤは何があってもカノンを守り抜くのだろう。ルリにはそれが固い決意の表れのように聞こえた。

 光が強くなり、風が吹く。

 全てが収束していく魔力の中心で、カノンは佇んでいた。

 大きく割れた岩壁の奥。深い眠りについた竜の死骸。

 そこへカノンは静かに呼びかける。

 魔力災害の兆候はひっそりとだが、確実に姿を見せていた。

 このまま魔力溜まりを放っておくことはできない。

 谷の底からアトレアとともに聖域は消え去ったが、地盤の傷跡が丸ごとなくなったわけではなかった。

 ズールィの召喚魔法で使用された竜の遺体に、カノンはもう一度触れ直す。

「母なる竜よ、その導きよ。御身に宿りし寵遇で大地を癒したまえ」

 今度は力を与えるためでなく、奪うために力を借りる。

 カノンの魔力が滞留する不穏と繋がっていった。

 ルリはその光景を目の当たりにしながら呟く。

「魔力が、消えていく……」

 暗く沈んだ祈りの都、その沼の底から浮遊する光が無数に飛び立つ。

 竜に備わっていたもう一つの力とは、傲慢な人間の欲を制御するためのものだったのかもしれない。

 溜め込まれた魔力の一端に別の気配が混じる。

 それは、祈りの思念だけではなかった。

 ……そうか。ここは教王国から投棄された場所だ。

 国全体の悪意がそこかしこから流れ着いたのかもしれない。

 ルリは溢れ出す光に囲まれながらそんな風に思った。

 息を大きく吸って吐き出すと、頭上を仰ぎ見る。

 カノンの力によって修復された谷底は、立ち昇る光を見送りながらゆっくりと暗闇を増していく。

 向き直り、紺色のローブを羽織った少年を見つめる。

 彼の持つ中で最も上等で思い出深い外套だ。

 しゃがみ込むルリはできるだけ優しく手を伸ばす。

 重傷なのは、自分だけではない。

 祖龍の瞳とともにアトレアを葬った彼は、俯いたまま声を発しなかった。

 現実から切り離されたような歪みの中で、カノンの煌びやかな魔法に彼は見向きもしない。

 ルリは彼の様子を見て大雑把な筋書きを頭内で推測した。

 やはりアトレアは完全な悪ではなかったのだろう。

 言いしれない教王国に巣食うほつれの渦中で、彼女はこの地に残らなければならなかった。

 かの瞳を宿してなお、それには抗えず、また、死を以て汚名を成し遂げたのだ。

 焦点の合わない少年の瞳。

 ルリは差し伸べた手が強ばっていることに気が付く。

 自分でも分かっていたはずだ。

 この子がどうしてここまで追い込まれているのかを。

 彼の身に纏う光魔法の残滓。それは彼自身のものだけではない。

 聖騎士たちが使う魔法の一部には、光魔法に属する系統が多く見られた。教王国は古くから光魔法の普及に務めた学者が多い。宗教的或いは技術的な理由からその度合いが強かったのだろう。

 だからこそ彼は貧窟教区での御言葉の証明に、自分の光魔法を選んだのだ。

 司教や聖騎士たちの扱う仮初の光魔法とは違う。彼の本質に近い奥ゆかしくも華やかな魔法。

 民衆たちもそれを本能で理解していたはずだ。そして、近しく漂う高貴なる魔力気配も同様に。

 その足跡は、別の光魔法の使い手を意味していた。

 ……彼は出会ってしまったのだろう。

 数少ない光の魔術師。それはもしかしたら、孤独な彼を救えるかもしれなかった唯一の存在……。

 ルリの心を見透かしたように、俯いた少年は絞り出した声で告げる。

「……アトレアは、僕の叔母でした」

 それは逃げかもしれないとルリは思った。

 だから目を合わせることを、拒もうとしなかった。

 彼女は仲間想いであり、良き理解者であり、思慮深く、無愛想だが律儀でもあった。

 だがその時ほど彼女が後悔したことはなかっただろう。

 彼女を襲った感情はたったひとつ。

 ―――恐怖だ。

 ルリは彼と目が合った。彼の途方もない、藍色の絶望を見たのだ。

 漆黒とした双眸がルリを闇へと引きずり込む。

 ……お前にこの痛みが分かるものか。

 呼吸を忘れルリが全身に冷や汗をかく。感覚が鈍化し擦り切れていく自分をただ想像した。

 心臓にナイフを突き立てられ指の一本さえ動かせない。血の巡りですら、彼を逆なでしてしまうと錯覚する。

 意識ごと吸い込まれていく瞳の奥に、ルリは魂まで引き抜かれそうになっていた。

「光の魔道士」

 カグヤが彼の前まで歩み寄り呼びかけた。

 藤色の髪の毛が暗闇になびき、続ける。

「進み続けるしか、道はないのよ」

 高く舞い上がった光の粒が遠く、沼地の水面が小さくそれを反射した。

 少年が呻くように告げる。

「分かってます……」

 傷付いた彼の表情をルリはそれ以上見ていられなかった。

 過去の自分と重ね合わせ、抉れた傷跡に指を這わせる。

 前を向いて歩き続けなければならない苦難に、身を投じ溺れていくことしかできない。

 彼はただ、平穏に生きたかった夢や、幸せな未来を胸に秘めていたかっただけではないだろうか。

 かける言葉を探し続けていたカグヤは、目線を落としながら手持ち無沙汰な腕で自らの肩を抱く。

 一瞬だけ瞳を彷徨わせた後、覚悟を決めたようにポツリと話し始めた。

「……魔道士、よく聞いて。私は、あなたに伝えておきたいことがあるの」

 頑なに動かない彼の方に向けて、カグヤ膝をついて目線を合わせる。

「―――数年前、ジョルム地方のもっと北。魔王国ローザイとの国境で、とある噂が流れたわ」

 人間の国が存在する最北の地、ジョルム。その過酷な環境をルリたちは想像することすらできない。

 少年の返事を待たず彼女は続ける。

「魔王の復活を阻止するべく、北方の傭兵集団が立ち上がったらしいの。……大勇者一行の真似事ではないにしろ、そういったケースは珍しいから記憶に残っているわ」

 遠くでカノンの魔法が終わりを告げる。

 浄化しきった沼地は湖のような美しさを見せた。

 カグヤは長い耳でそれを感じ取りながら、なるべく分かりやすく話す。

「その傭兵団には金で動く彼らを束ねあげている頭目……まあ要するに、凄腕のリーダーがいるわけなんだけど……」

 視線を少年から逸らすカグヤは、どこかぎこちない顔で告げる。

「あくまで噂だから、真実かどうかは分からない。私だってそんなことあるんだ、程度にしか、風にのってきたその話を真面目にとりあってなかったから……だけど魔道士、あなたがその考えを改めさせたわ」

 話すカグヤは真剣な面持ちで少年を見た。

 彼の闇に、彼女は飲まれなかったようだ。

 何者かに支配されたような少年の黒い瞳。

 その内側を、カグヤは確かに見据えていた。

「そのリーダーが……あなたやアトレアと同じ―――」

 淡い光の中では、灰のように見えるその髪が揺れる。彼の瞳が、続きを告げるカグヤを捉えた。

「―――光の魔法使いだそうよ……」

 ルリは藍の焼け焦げた闇の中で聞いた。

 彼の中の軋んだ扉が、再び音を立て始めるのを。


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