第41節 星読み
なぜ私だけが奪われ続けるのか。
なぜ私だけが罪を償わなければならないのか。
借金を抱えるほどの派手な暮らしではなかった家族が、あれほどまでに追い込まれたのはどうしてだろう。
優しかった母や父が、涙を流しながら双子の娘たちを身売りしなければならなかったのは何故なのか。
なにか作為的ものがあったのかもしれないが、遠い過去のことをこの瞳は教えてくれない。
私の記憶も随分混ざり溶け合い、酷く曖昧なものになってしまった。
瞳を得る前までの自分と、瞳を得てからの自分。
神の領域に触れるため、あれこれと手を尽くした。
瞳が思考を上回り、自我さえも凌駕していく。それが本来の自分なのだと色を塗り替えられる。
果たして本当の自分がどっちだったかなど、長い時を経た今となってはもうどちらでもよかった。
私は多くを奪われ過ぎていた。
自分の体も心も、時間も、運命も、姉さえも。
取り戻すことのできない私自身も、記憶の彼方へ掻き消えていった。
……そんな私から、何を奪うというのだ。
■■◇■■
ガラス玉がひび割れ、破片が飛び散った。
頬を伝う赤い血液が唇に吸われる。
ほんのりと灯ったその涙の跡が、埋め尽くす輝きの前に白く染まった。
アトレアの頭上近く、五つの菱形が光を帯びる。
真っ直ぐに飛び去ると僕の体目掛けて直進した。
光魔法を唱え、彼女との距離を詰める。走り出しながらアトレアを見つめた。
銀に光る髪の毛と周囲を飛ぶ光。
僕は左手の甲で接近してきた光の直方体を強引に弾いた。
鈍い音が衝撃とともに鳴り響く。
「―――ッ?!」
焼けるような痛みが左手に走る。
防護魔法が相殺され体中に戦慄を伝えた。とてつもない魔力と、光の濃度。
アトレアの魔法が僕を包み込んでいく。
前進する足を勢いよく止め、迫り来る光魔法の軌跡を目で追った。
鼻先を掠める高濃度の光の塊を避けつつ、再び彼女との距離をとる。
追撃を躱すため、すかさず彼女目掛けて光を放った。
その内の一つが彼女の前に出て、僕の攻撃を呆気なく弾く。
再び、五つの光の塊が彼女の周りを囲う。
その場を飛び去らず、それらは空間に留まっていた。
光を固定する魔法。
僕の放つ光は何かに衝突し威力が削がれるまでは直進し続ける性質を持つ。
ルリに教えたように、雲まで届くほどの飛距離があり、軌道を曲げられない分、速度と強度を増加させている。
一方、アトレアは放った光を固定したまま、空中に魔力を保ち続けていた。
先を尖らせた箱に光の魔法を詰め込み、圧縮し浮かび上がらせるイメージだ。
魔力効率はいいのだろうが、光の圧縮と保持、細やかな操作は並大抵ではない。一つ浮かばせることさえ難儀する魔法だ。
僕はアトレアの輝いた瞳を見つめる。
脳が二つあったとしても、彼女みたいに同時に五個も動かし続けることは不可能だ。
思考し続けている刹那の瞬間。
「―――考え事を、してる場合ですか?」
不意に声のする方向、眩い魔法と強烈な輝きが辺り一帯を吹き飛ばすように近付いた。
目の前にアトレアが迫り、遠距離戦を想定していた僕は完全に虚を突かれる。
左右からくる光の塊を警戒し、上空に飛び出そうとした時だった。
器用に操られた光の核が下から飛び出し僕の顎を掠める。
死角からの攻撃に頭蓋を揺さぶられ、ふらつく。
咄嗟に僕はアトレアに光を放って反動で下がる。
転がるようにして肘をついた僕は胃液を吐き出した。
脳震盪で目眩がきつくなる。痛みに耐えながら、きっと僕はアトレアを睨んだ。
僕の魔法を防ぐため、光の核を集結させた彼女は、仮面の下の表情を動かさずに告げた。
「君に御言葉があるように、私には祖龍の瞳がある。そんなこと、言わなくても分かってるだろうがね」
「アトレアさん……こんなのおかしいよ!!」
僕は彼女に向けて大声を出した。
今は頭の治癒に時間が欲しい。
わんわんと揺れる僕の頭。彼女の残像が絶え間なく増減して見えた。
舞うように踊り狂う光の残滓。
その中心にいるアトレアが口を開く。
「貴様らは、私たちをこの地に追いやった! 何故そこまでして、我らに固執する……!」
彼女の言葉に僕は違和感を覚える。
感情の入り乱れた、ちぐはぐな文言。口調が揺れ、一人称も変化している。彼女の様子がどうもおかしいと思った。
五つの光の内、一つを柱のように床に突き立てる。
辺りに浮遊する魔力の塊が、一斉に吸い寄せられていく。
湾曲した聖域の空間が、光の柱の形をそのまま取り成しているようだった。
僕はその行為の意図を悟る。
―――まずい、アトレアさんは聖域内の全魔力を自らの手に収めようとしている……!
「君…お前…貴様は全てを……与えられてきた……! どうして私だけ、お……俺だけ、失うの……!!」
彼女の中に様々な思念が混ざりあっていく。聖域に込められた、怒気の籠った重圧。
全てを奪われ、虐げられた教王国への恨み。信頼をねじ切り、救いの手を伸ばさなかった神への報復。
「今度は……は……私が全てを持っていこう……安心して……姉さん……待っててね……」
告げる彼女は光の柱に手を伸ばす。
触れるやいなや空間を揺さぶるような波動を放った。
「ぐぁぁぁッ!!」
仮面の一部が割れて破片を落とす。
アトレアから吹き出す血液、その量が増していく。
断続的に輝度を上げ続ける光の柱から、魔力を集め、束ね、そして操る。
僕の揺れる視界がゆっくりと整っていくと同時に、優しく呪文を唱える彼女が見えた。
「……星降る夜の彼方へ送る、我は守護なり。導き灯りし千勝の礫に、我が身を焦がさん―――」
僕の肌を通して感じる光の真価。
照り返す輝きでさえ身を焼くように熱かった。
「―――さあ、運命の時だ……光の守護星よ………!!」
浮かび上がるアトレアを中心に、八つの光の核が弧を描くように飛び回った。
光の魔法の覚醒を感じ取ったのか、ドクドクと心臓が脈打つ。
あてられるたびその輝かしさが、僕の中の光と混ざり合おうとしていた。
共鳴していく僕の力の増幅。痛いくらいに彼女の感情と同期する僕の情緒。
アトレアは手にした力を震える手で抱きしめる。
そして歪んだ笑顔で告げた。
「……これが、祖龍の瞳、本来の力……! 私には、取り戻せる。全てを塗り替えられる……!」
漲る力の感覚が、右目の拡張された意識と繋がる。
……初めから、こうすれば良かったのかもしれない。
何もかもを破壊し尽くし、失った心さえも消し去れば、苦しむことはない。懐かしいあの日々を思い出すから痛むんだ。それならもう、全部なかったことにしてしまおう。
崩れた天井がアトレアの頭上に落ちる。だが光の核が触れた途端、岩石は粉微塵となった。
彼女は割れた仮面から正面を見つめる。
幼い顔の少年が光に照らされていた。その瞳が、あの日の過去と重なった。
上手く笑えなかった彼女が残してくれたもの。
……姉さんが、つれていったもの。
アトレアは静かに、だが厳かに言い放った。
「………いつまで休んでいるの? 私を止めに来たんでしょう?」
居並ぶ光の核が軌道を逸らし旋回する。鋭い音と共に、明るい軌跡が飛び交った。
残像だけを残したそれは凝縮された高潔な光。その一つとっても莫大な魔力量になるだろう。
聖域の魔力を吸い上げた彼女の強硬策。
もう誰も止めることはできない。
咄嗟に光を纏って僕は横に飛んだ。既に目で追えるような速度ではなくなっていた。
強力無比な波状攻撃を感覚だけで察知したが、全てを避けられるはずもなく、防護魔法を展開する。
散る欠片、一瞬で貫いてくるアトレアの光。
重い衝撃で僕の小さな体は吹き飛んだ。
光の聖女は口角を上げて笑う。
「我こそが光だ!」
追撃の手を止めず全ての守護星で射止める。背後からの強襲で、反対側から肉を抉る。
声にならない悲鳴を上げ、僕は床にもう一度転がった。
纏った光の魔法が薄く解けかかる。
アトレアからそれでも目を離さない。
死に体のはずの、小さな体に宿る諦めない心。
……まだ、負けられないんだ。
圧倒的な力量の差があったとしても、身体が恐怖に竦んでしまったとしても。
彼女だけは絶対に止める……!
アトレアは体が燃え尽きそうな衝動に耐え、脳内と右目の力を加速させる。
形のない光の瞳を見開き、心臓の鼓動を忙しなく動かした。
寸分違わず少年の体に向けて守護星を打ち出す。
身勝手な旅路に終止符を打つため、全てを終わらせるため。
眩い光がサンクチュールを覆った。史上初となろう、光の魔法使い同士の戦い。
僕は光の核を全て弾き返した。
それをアトレアは見逃さなかった。
一心不乱に振るう、輝く刀身。長さは、僕の背丈と同じくらいだ。
突然の反撃が功を奏したのか、アトレアは驚き核を周りに集結させる。
右手に持った光の刀。それは、光の核と同じく光を押しとどめた武器。
祖龍の瞳でそれを見つめたアトレアは、渋面を作ったであろう口元で告げる。
「光魔刀……!」
さすがは聖女なだけはある。
やはりこの武器のことは知っているか。
今まで刀身を伸ばすことのなかったこの刀が、どうしてか今になって力を取り戻した。
光の魔法と強く同期したのだろうか。僕ではなく、アトレアに反応しているのかもしれない。
僕は揺れる地面に足を取られることなく、走り出して彼女に向かっていった。
屋根さえ崩落に巻き込まれ柱もズタズタだ。神殿が瓦解していないのが不思議なくらいだった。
刀に込めた魔力で光の核を断つ。弾ける残滓が燃え上がる火花のようだ。
体勢を無理やり変えて攻撃を避ける。
叩きつけた刀を支点に自重を持ち上げ体を浮かす。
遠心力で勢いづいた体重を両足で着地させ、限界を超えた力で刀を振り抜く。
目で追えない光の軌跡を、ほとんど勘と感覚で捌いていく。
全身に痛みが走り、身体中の骨が悲鳴を上げた。
肉体の強化を上回る損傷と疲労。
もう一つの光を断ち切った時には、左の鎖骨が砕けるほどの一撃を代わりにもらっていた。
「……はぁっ、はぁっ、はぁっ」
荒らげる息、上がらない左腕。足腰が震えて思わず膝をついた。
アトレアの光の核はあと六個。
……まだ、六も残っているのか……。
右手だけで彼女に刃が届くか? 答えは誰がどう見ても明らかだ。
アトレアがこのまま僕を押し切れば、この戦いは絶対に負けてしまう。
そう、彼女がこのまま押し切ることができれば。
周囲を巡る光の守護星の一つが、弱々しく点滅し軌道がそれていく。
僕は刀の切っ先を足場に突き立てながらそれを見送る。
思った通りだ。
大回りをしたその光は次第に小さくなり、砕けて細かい光の粒となった。
光の目を宿したアトレアが、ごぽっと大量の血を瞳から溢れさせる。
僕の想像が間違っていなければ、彼女はこの強硬策を続けられない……!