表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
星の屑から  作者: えすてい
第三章 流れ星に祈りを
113/182

第40節 傷だらけの体

 

 沼の底から這い上がったカグヤは自身の首に手を添わせる。

 薄く引かれた傷跡に痛みが染みた。

 フリートの一撃は確かに胴体を捉えたが、その刃がカグヤに届くことはなかった。

 長い睫毛の上で小さな水の玉が居座り、濡れた長い髪の毛から雫が滴り落ちる。

 緊張した体全体の力が抜け、妙な安堵があった。

 それと同時に、カグヤは深い溜め息をつく。

 すべてを救えと言われたはずなのに、結局、一人の力では何ごとも為せなかった。

 怒りと羞恥、呆れと慢心。

 膨れ上がった呵責が心を苛んだ。

 まだ足りないと言うのだろうか。この果てなき道に挑む自分自身の矮小なる影。

 剣を掴む己の手を改めて握りしめる。

 そしてついと、目の前の少女を睨みつけた。

 魔神の力を得た村娘のシュエ。

 彼女が放つ禍々しい気は沼地に沈む汚泥のようだった。

 カグヤは頬に張り付いた髪の毛を肩で剥がしながら、目線を外さずシュエに告げる。

「何をしに来たの? 邪魔をするならあなたも切るわよ」

 水の輪を背中に、彼女はひっそりと立つ。

 透明な魔力と水を纏い、その感触を確かめるように。

「……どうして? 敵は一緒じゃないの?」

 フリートを打ち破った彼女は首を傾げて告げる。

 カグヤは剣をしまわず構えて答えた。

「私は彼らを殺しに来たんじゃないの。……事情を知らないなら、黙ってなさい」

 彼女は肩をぴくりと反応させる。

 陰る彼女の表情が声のトーンを下げた。

「どうして―――?」

 水の柱が炸裂し、シュエの体を押し出す。

 彼女はカグヤとの距離を一瞬で縮めた。

 速度の増した彼女が右の掌底をカグヤへ打ち付ける。

 魔力と水が混ざり合い、強力な衝撃波を生んだ。

 ビリビリと手のひらに返る反動が、防いだ剣を伝って威力の凄まじさを物語る。

「―――私たちの時は、殺したのに……!」

 シュエの言葉に水の柱が沸き踊った。

 爆発し暴走する水分がカグヤに追い縋る。

「あなたたちにとっては助けたつもりかもしれない……しょうがなかったのかもしれない――――だけどっ!!」

 とめどない激流が巻き起こす渦の中心。

 シュエはカグヤに向かって叫んだ。

「あたしにはかけがえのないものだったの! あたしには……あたしには……!」

 天盤まで達するほどの勢いを持った水流が、すべてを飲み込む。

 瓦解していく足場と建物。水害のように破壊を生んだ。

 淀む沼地と浄化された沼地の互いが混ざり合い、底がかき混ぜられくすんだ色味に変わっていく。

 巻き込まれていく亡者たちの姿が、爆ぜた木組みとともに水底へ流されていった。

 魔力により拡散、収縮する生物のような水がカグヤの体をきつく締め上げる。

「……ぐッ!!」

 もがき苦しむカグヤの様子に目を向けたまま、シュエは底のない憤りをぶつけた。

「どうしてこいつらは殺さないの?! こいつらが許されていいはずなんてないのに……!!」

 水の魔法で亡者の体を引き裂く。

 逃げ惑う彼らは四肢をなくしてその場に蹲った。

 シュエは腕を広げ魔力を操り、背中の円環から伸ばした水の腕を巧みに動かす。

 掴んだカグヤを沼に叩きつけると、シュエは水で自重を持ち上げて神殿に向かう。

「……はぁっ、はぁっ、待ちなさいっ!」

 壊れた足場にしがみつき、カグヤはシュエに叫ぶ。

 一瞥をくれる彼女は動きを止めなかった。

 舌打ちしたカグヤは足場を崩す勢いで蹴り出す。

 大きく飛翔してシュエの前の踊り場に着地した。

 フリートとの戦いで相当ガタがきている。体中の骨と肉が繋がってないような疲労感。

 慟哭する瞳と瞳が剣幕を押し合い、滴る水の粒を振り払うようにカグヤは剣を掲げる。

 シュエは苛立ち溢れ出る魔力を練り上げると、立ち塞がった紫髪のカグヤを睨みつけた。

 殺すつもりはない?

 事情を知らない?

 歯ぎしりしながらシュエは思う。

 なんだって、なんだってこの魔族は……!

 放つ水の魔法。金属を打ち鳴らすような音が鳴り響き、剣に切り飛ばされる水圧攻撃が激しい音を立てた。

 地響きが強まり落盤した大岩が足場を粉々に砕く。

 沼地の底を叩き水面を吹き飛ばした。

 シュエは跳ね上がる魔力と呼応するかの如く叫んだ。

「ハオは殺したっていうのに! そんな甘えたこと、言うなッ!!」

 押し戻されるカグヤの体。

 それでも彼女は剣を振るい続け、抵抗を辞さない。

 激しい水圧の散る飛沫に、夥しい魔力が付与される。輪の中に弧を描いた水玉が充填されていく。

 禍々しく、美しく、瑞々しい神秘の輝き。一滴から生じる波紋が何倍も大きくなるような力の伝播。

 触れるものすべてを跡形もなく消し去る魔法。

 無慈悲な神の力をその一撃に込める、祇水嶷(ウンディーネ)

 かつての魔物はその魔法に祈りを込めた。戦いの終焉、希った平和への貴い理想を。

 シュエの大声が沼地に飛ぶ。

「覚悟もないくせに!……そんな奴、消えてしまえッ!!」

 彼女の黒髪が、吹き荒れた風になびく。

 背後から撃たれた強力な激動が空気を穿った。

 水の輪が自壊するほどの威力。目にも留まらぬスピードでカグヤに向かう。

 薄紫の両目に映る二本の軌跡。お互いが惹き合うように、一つの終着点を辿る。

 鋭い岩肌にチカチカと薄い光が反射した。妖艶な瞳の輝き、薄紫がシュエの脳内を埋め尽くす。

 ―――なに、この……死の匂い……。

 シュエは一瞬で著しい恐怖感に襲われる。

 この魔族の力から漂う途方もない多量の死。

 生物が一生に味わうことのできる限度を超えた、恐ろしく冷たい死の塊を想像する。

 シュエは魔法を使った自分の腕を抱き、瞳孔を開く。

 この人、何者なの……?!

 目を奪われるような鮮烈な閃きが、圧倒的なシュエの魔力の渦をひと薙ぎであしらった。

 シュエが瞬きをする間もなく、腹部に強烈な一打が叩き込まれる。

「がッ……?!」

 思考する彼女よりも速く、カグヤは動いた。

 視界が白くなり意識が遠のいていく。臓器が揺さぶられ、頭を不快感が満たした。

 最後に、シュエは耳元でカグヤの声を聞く。

「――――ごめんね。今は、ごめんなさい……」

 水魔法が解けたことにより、辺りを囲う水分が弾け飛ぶ。

 空中に浮かんでいた水の粒が一斉に落ち、土砂降りのような雨の中でカグヤは倒れ込んだ。

 想像以上の激戦に体が持ちこたえられず、全身に上手く力が入らない。

 ―――彼が来る。

 何となくそう思って、薄紫の瞳は輝度を下げる。

 後は、彼に託そう。

 ここから先は地獄だ。

 何故なら、向こうには光の瞳が待っているのだから。

 目を閉じたカグヤに、追いついた二人が顔を見合わせる。



 

 ■■◇■■


 


「行ってください!」

 結界を張ったカノンが僕に告げた。

 傷だらけのカグヤは意識を失っているようだ。

 傍に倒れたもう一人の女の人の姿は、確か魔神の村で見たことのある人物だった。

 僕は不思議に思う。なぜ彼女がここにいて、再び魔神の魔力を持っているのだろうか。

 しかし、今はそれをとやかく言っている暇はない。

 さらに強くなる地震でここがいつ崩落するか分からない。

 言われたまま僕は神殿へと足を運んだ。

 階段は崩れ落ち、陸の孤島と化した建造物。

 依然として、聖域は神殿を中央に展開されていた。これが魔力災害の引き金となった魔力の塊。

 聖域の元となった魔力の正体、それは信仰心だった。純粋に神を敬う気持ちが魔力と触れ合い寄り集まる。

 ただの信者による思念だけではこうはならなかった。魔力の凝縮を実現したのはあの特別な烙印だ。

 祈りを捧げる対象を別の神に差し替えた時、彼らは自我を失い亡者と成り果てる。

 その時に失った生命の源が、ここに集められ聖域となっていたのだ。

 命を対価にして信仰を続ける彼らは、朽ち果ててなお祈りを続けた。

 祖龍信仰を裏切り、自らの全てを失い、それでも流罪地区に落とされた彼らはアトレアを信じた。

 暗闇の中でも灯り続ける光。希望を持ち続けるための不可侵な支え。

 その穢れ一つない純真さが、今回の地震の発生に繋がった。

 沼地の濃い瘴気さえ無に還す絶対的な領域。どれだけ強い想いを抱いても、この空間には勝らない。

 柱の立つ奥の院には壁がなかった。

 吹き抜けの中央に、たった一人で佇む。

 ガラスの目玉が入った仮面をつける、聖女アトレア。

「お待ちしておりました、御言葉よ。もうお構いなど、できはしませんが……」

 彼女の頭上に菱形の光が浮かぶ。

 強く、鋭く尖った先端がこちらを睨みつける。

「アトレアさん……」

 光さす銀色の道標。

 僕は、歩みを止めることなくその先へ進んだ。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
Xにて投稿のお知らせ。 きままに日常も呟きます。 https://x.com/Estee66gg?t=z3pR6ScsKD42a--7FXgJUA&s=09
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ