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星の屑から  作者: えすてい
第3章 流れ星に祈りを

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第39節 屍を越えて


 それは卵のように見えた。

 外殻を持ち楕円に先端をすぼませたような形。外見にはずっしりとした重量感がある。

 内部と外環境とを隔てるために作られた膜が、神秘的な色を放ちながら変化を待つ。

 水中で産卵される場合にはこの殻は必要ないが、乾いた陸上で水分の逃散を防ぐ場合に多く見られる構造。

 体の小さなものは複数の卵を一度に産卵し、昆虫に至ってはそれらを保護するための卵鞘を持ち合わせる。

 生命の誕生を準備するひと手間と考えれば、それはなにも大袈裟な仕掛けではなかった。

 ルリの眼前に現れた卵は単独であり、そしてそれは人を遥かに超えた大きさだ。

 魔法による精霊の召喚を企てたズールィ。まともにルリと渡り合うには、これしかなかった。

 ルリは瞳孔を開き魔力の流れに目を張る。

 ひたすらに溢れ出る好奇心が彼女を支配した。

 カノンとカグヤのために時間を稼ぐという名目を、ルリは脳内の計算から既に外している。

 彩りを変化させる目の前の卵は、外見からその中身を当てることは不可能だった。

 むしろ魔法による書き換えが可能な分、見た目に騙されるリスクも考慮する必要がある。

 だがそれを即座にルリは否定した。

 そんな小細工をこの召喚魔法で扱える者などいない。

 禁呪によってルリを縛り付け、ズールィは溜め込んだ魔力を召喚獣に注ぎ込んだ。

 召喚する精霊が強ければ強いほど、余計に回す魔力などあるはずがない。

 そしてズールィは魔力の消耗激しく、地に膝をついた。杖だけを支えに体を保ち、詠唱を完遂させる。

 禁呪の効力は間もなく消えるだろう。聖騎士たちの魔力も底を尽きかけている。

 私の魔力を抑えられるだけでも大したものだ。

 それを十数秒もやってのけたのだから、彼らは本当に優秀だ。

 召喚に用いた自身の魔力が底を尽きるのをせせら笑い、杖に縋りながらズールィは告げた。

「御言葉様よ、祖龍神より与えられし試練、見事超えてみなされ………」

 光り輝く卵の下、影に覆われた彼は地に伏せる。

 同時に聖騎士たちの結界も終わりを迎えた。

 剥がれ落ちた半透明の膜が地に触れて消える。

 私は杖を構えることさえ忘れ"それ"に見入った。

 小さな影のような亀裂が生じ、卵の殻が細かく砕け落ちていく。

 神聖な光、確かな息遣い。震える空気を敏感に察知する自身の皮膚。

 ルリの瞳が照り返しを激しく受け取り、目を細める。

 体の中が熱量で埋まっていく。

 目が潰れてでもその孵化を見守りたい。焼き焦がされようとも真実に触れたい。

 卵の中から全身を映すほどの球体が見える。激しい動きで、殻全体がひび割れた。

 白く輝く鱗、背中から伸びた美しい翼。力強さやしなやかさを感じさせる四肢と尾。

 覗く牙と頭に生えた双角が闇を払い、光る瞳が立ち尽くすルリを見定めていた。

 大司教ズールィは恐れ多くも、召喚魔法にこの地に眠る竜の死体を用いたのだ。

 祖龍信徒にしてみれば大事な遺体を汚す屈辱的な行為だが、それを確認する方法は誰にもなかった。

 ただ一人だけ、御言葉を名乗りし魔法使いを除いては。

「本当に祖龍神を呼び出したのか……」

 光り輝く鱗に目も当てられず、手で顔を覆い隠したルリは呟く。

 いくら召喚魔法に長けた彼女であっても、伝説級の竜を召喚することはできなかった。

『控えよ』

 頭に響く声が聞こえた。

 ルリは重くのしかかる圧力に耐えかね地面に手をつく。

 魔力の濃淡だけで体の自由が効かなくなる。こんなことは初めてだった。

 顔だけを上げ竜の姿を目に収める。

 あれは間違いなく、神話に登場する光祖竜だ。

 祖龍信仰の起源となった祖竜の、その一柱。魔道士ルキアに光の魔法を授けた存在。

 ダルク教と祖龍信仰は言わば宗派の違いでもあった。共通する神話を元に教典が袂を分かっただけなのだ。

 ルリは自分の頭を疑わなかった。

 五感全てが目の前の竜をおとぎ話と紐づける。

 本物の竜さえ見たことのなかった自分が、後光さす白鱗の前にただひれ伏すことしかできない。

 光祖竜はじっとルリを光で照らし続ける。

 気配を感じたルリは即座に体の前に氷の壁を生み出した。

 激流のような衝撃が氷を砕き彼女を襲った。

 小さくなる岩場の影にルリは蹲る。

『我は召喚主の命により、汝を退ける者なり』

 光祖竜の言葉が衝撃波の中ではっきりと聞こえた。暗闇を剥奪する光の奔流がルリを飲み込む。

 声の主は女性とも男性とも似つかない、不思議な声色で語りかける。

『しかし時間がないようじゃ……我が子孫の骸だけではこれが限界か……』

 氷塵が舞い踊り、全ての氷が吹き飛ばされる。

 必死に這い蹲ったルリから力が失われていく。

 振り落とされそうな意識の中で、竜の小さな囁きを聞いた。

「全ては神の導きのままに……その力、無下にするでないぞ」

 片目を失った竜は光の中に消えていく。

 虹色の輝きが全てを包み、瞬く間に影に隠れてしまった。

 魔力の余波が互いを絡みつかせ、結晶の中に溶け込んでいく。

 再び鮮やかさを失った谷底は、暗く冷たい空気が流れ始める。

 揺れる大地の底、暗闇の中で聖騎士たちとズールィ、そしてルリの体が静かに横たわっていた。


 


 ■■◇■■


 


 転送陣に飛び込んだ僕は恐ろしい光景を目にする。

 洞窟の中には、赤黒い肌の人々が何人も彷徨い歩いていた。

 祈りの都で見た肉を削ぎ落としたような継ぎ接ぎ。骨だけと化した人間だった者たち。

 どこを見ているのか分からない虚ろな表情、何かに祈るような姿勢で動かない者もいる。

「う、うわぁぁぁぁぁぁ!!!」

 叫び声で僕は現実に引き戻された。

 腰を抜かして尻もちをついたイーファンがべそをかく。

 あまりの彼の様子に身を硬くするズー爺。

 合わない焦点を動かすことなく声を上げる。

「ど、どうしたんじゃ! 何があった!」

 周りを何かが蠢く気配は感じるのだろう、ズーはおどおどと首を周囲に振って手をかざす。

「大丈夫! 彼らは襲ってきません。それに……」

 僕は思い留まって言葉を切ってしまう。

 あまりにも残酷な姿に息を飲む。

 杖をつき礼服を身に纏う亡者が壁に寄りかかっていた。

 ぶつぶつと何かを呟く様子が他の者とは違う。

「……婆ちゃん……? 婆ちゃんなの?」

 この場にいる皆はみすぼらしい格好をしており、彼女だけは聖職者の体裁を保ったままだった。

 痩せこけた頬をわずかに上下させながら、抜け落ちたのか、歯のない口をもぞもぞと動かしている。

 教区長ドンユは声に反応したのか少年を見た。

 笑うでもなく喜ぶでもなく、瞳だけが彼を見つめている。

「儂は教皇に訴求したのじゃ……御言葉の訪れは、恩赦に値するのではと……」

 ドンユはしゃがれた声で告げた。

 皺の刻まれた彼女の表情が一層年老いて見える。

「恐ろしい男じゃ……あれは……アトレアを使い、瞳を使い、儂らを、世界を……っ!」

 突然、何かに気が付いたように彼女は顔を強ばらせた。

 体を曲げて地に頭をつけたドンユが懇願する。

「御言葉様……どうか、どうか!!」

 黒い痕が彼女の首元に見えた時、イーファンとズー爺が呻き声を出しながら苦しみだす。

 僕はわけも分からず彼らに駆け寄った。

「どうしたんですか!」

 僕の叫びも虚しく、二人の肌は浅黒く変色していく。

 言葉にならない祈りを彼らは唱える。

「うぅ……神よ……アトレア様よ……!」

「我らを……お救い、下さい……がぁぁぅ」

 その辺に転がる亡者と同じように、彼らはさっきまでの生気を失ってしまう。

 僕は後ずさった。

 どうして、魔法の気配などなかったはずなのに。

 その時、背後にいた別の亡者とぶつかり、僕はよろめいて後ろを振り返る。

 倒れ込む痩せた体、そこにも黒い痕があった。

 僕は自分の手の甲に視線を向ける。

 同じ形、同じ大きさ、同じ刻印。これは、人為的な何かだ。

 僕は天井を見上げて魔法陣の羅列を目で追った。

 ―――あぁ、何故気が付かなかったのか。

 この魔法陣は流罪地区への一方通行だ。聖騎士章を持っていないと帰れない。

 僕らが最初にここから転送された時には、この烙印は見当たらなかった。

 つまり、貧窟教区からここへ渡った時に、体のどこかにこの烙印が刻まれる仕組みになっていた。

 魔法ではないとすると、これはスキルの一種。

 ゾワゾワと背筋に悪寒が走る。

 得体の知れない罠にはまり、命の手網を握られているような恐怖。

 変貌を遂げていく彼らは、もうこの世界の何物も感じることはないのだろう。

 僕はドンユに近付いて肩を揺さぶって尋ねる。

「この烙印には、何か秘密があるの?」

 意識があるのかないのかはっきりしない彼女は、僕を見ずに力ない言葉を吐いた。

「儂は途中で気付いた。じゃからまだ死にはせん。御言葉様よ。どうか、アトレアを―――」

 未だに変化が訪れない僕の体。彼女も彼らよりは進行が遅いように思えた。

 何か条件があるのだ。烙印が機能するための。

 考えていた僕にドンユは囁いた。

 それは呪いの言葉だった。

「アトレアを殺すのじゃ―――」


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