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星の屑から  作者: えすてい
第三章 流れ星に祈りを
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第35節 止める者、止まらぬ者

 

 氷の結晶が聖騎士たちの行方を阻んだ。煌めく氷山が沼地に真新しい壁を作り上げる。

 氷の杖、氷の羽、氷の瞳。吐き出される白い吐息。

 教王国の聖騎士たちは過去最悪の敵と対峙することになる。

「御言葉様……何故このようなことを……!」

 時間は刻一刻と迫ってきている。次、いつ大地震が起こるか分からない。

 ともすれば魔力災害の被災圏内に飲み込まれ、命さえも落としかねない状況だった。

 大司教ズールィは生唾を飲み込んだ。

 まさか、御言葉がアトレアに与するなどとは……。

「勘違いするな。私は大量殺戮を望んでいるのではない」

 氷結の支配空間(コントラウム)を押し広げるルリの魔法は、聖騎士たちの五感に強い恐怖を植え付けた。

「御言葉らしく、()()()()でもって解決を図っているのだ」

 口角を上げた彼女の背後に浮かぶ青白い光の薄羽。

 見たこともない魔法の表層にズールィは顔をひくつかせる。

「同じことですな……我々を敵に回すことになりますぞ」

「言葉を伴わないなら、それも致し方ない」

 このうら若き魔法使いがどれほどの実力かは、目の前の魔法だけで分かってしまう。

 年をとればとるだけ経験値が積み重なり、やらなくても結果は火を見るより明らかになることばかりだ。

 ……この戦、勝てる見込みはない。

 仮想敵はフリートだけだとズールィは考え、教王国選りすぐりの聖騎士を引き連れて谷底に降りた。

 しかし目の前に立ちはだかるは、真正の御言葉だ。この数の聖騎士を見ても顔色一つ変えない態度。いくつもの死線を乗り越えてきた、絶対的な実力の自信と果たすべき使命への忠誠。

 存在意義の証明にこれ以上必要ないほど、ズールィや聖騎士は戦慄をその身に刻んでいた。経験則が全てを告げる。額から汗が滴った。身体中の拒否反応、脳内から出る危険信号。

 勝ち筋のない戦いに身を投じるなど、この局面ではあってはならないことだった。今聖騎士を失えば、フリートやアトレアをどう処刑する。

 行き詰った暗闇の道を、ズールィは迷走していた。

「大司教殿……」

 武器を手にしたまま聖騎士の一人がズールィを呼ぶ。

 立ち止まることさえ、我々には許されないのかもしれない。

 だが不思議なことに、妙な好奇心がズールィの中にあった。政治屋や観測官として国に勤めた半世紀以上の人生。

 その中で不可能や理不尽に憤りを覚えたことはなかった。どんな事柄にも些細なきっかけから攻略法が生じる。

 年月をかければ絡み合う糸がそれほど複雑でないことを、ズールィは体に染みて理解していた。

 伝説と化した御言葉という存在。老い先短い人生でこれが最初で最後の戦いになるだろう。

 自分の力を、限界を測るまたとない機会。

 全身全霊をかけて杖に魔力を帯びさせる。

 心臓が脈打つのが分かった。緊張と高揚。世界を変える力の有り様が目前にある。

「相手は御言葉だ。ぬかるでないぞ」

 言葉と同時に、ズールィは詠唱を始めた。頂きを目指す己の野心に火をともす。

 教王国が御言葉を打ち倒せるのなら、我らこそが真の勇者である。

 沼地に流し込まれる教王国の祝詞。反射する光は山吹色に表情を変えた。

 聖騎士たちの武具が黄金の粉塵を発散させる。

 彼らが一堂に武器をとるのはこれが初めてかもしれない。

 闇の払われていく谷底で氷の魔女が微笑んだ。

 口をきつく結んだ聖騎士が、先陣を切る。

 両手に二つの斧を掲げルリに襲いかかった。俊敏な動きで近付き、鋭利な刃を振り下ろす。

 祖龍神の祝福を受けた聖騎士たちの力は本物で、さらに強力な強化魔法がかけられていた。

 祈りの報酬とでも言うべき黄金の祝福は、そのまま祖龍教国の軍事力に直結する。

 地面に叩きつけられた衝撃で氷の破片が飛散した。

 だが聖騎士が見据えた先に、ルリの姿はなかった。

 羽を広げ空を舞う彼女を睨みつけ、斧の騎士は踏み込んで飛び上がらんとする。

 しかし身動きがとれない。足元と刃が凍りついていた。

 体の内側まで侵食する氷に、聖騎士は叫ぶ。

「な、何だ、この氷は?! 馬鹿な! 動けない!」

 大力を自慢していた彼の腕が固定される。信じられないことに氷はビクともしない。

 続く聖騎士は人ほどの大剣を担ぐ者と、騎兵用の重厚な大槍を持った二人。

 ルリと同じ高さまで飛翔し、背後から彼女に武器を振るう。

 だが同時に、歪んだ氷の杖が容赦なく魔力を解き放った。

霜柱(アイズブルーメ)……!」

 突き出された氷の圧力に押し負け、大剣の騎士は吹き飛ばされる。

 穿つ槍の先が結晶と衝突し、閃光がまき散らされた。

 少女の体ごと貫くはずだった鋼の槍。凍てつく氷に阻まれ先が折れ曲がる。

「なんという硬さ……!」

 腕に跳ね返る力の反動に聖騎士が驚愕した。

 その頭上で冷たい言葉が響く。

「本気できなさい」

 宙に浮かんだ槍の聖騎士が叩き落される。

 地面に凍らされたまま縫い付けられ、動きを止めた。

 白い息を吐き出した彼女は着地し、聖騎士たちの奥、ズールィを睨みつけた。

 ルリは告げる。

「やはり格上相手には召喚魔法が定石だな」

 ズールィは目を見開いて乾いた笑い声を上げた。

 侮蔑よりも奥の手を一瞬で見抜かれた事実に感嘆する。

「格上か……聖騎士たちよ、死んでも止めよ!」

 凍結された両腕を無理やり引きはがした聖騎士が、黄金色に輝く魔法を唱える。

 それに共鳴するかのように、飛ばされた大剣の騎士や他の騎士も同じ魔力を描く。

 球状に広がる金粉の嵐が氷ごとルリを覆い隠した。薄羽が雪の結晶とともに明滅し小さくなる。

 魔力の流れが途絶えたことに気が付き、ルリは顔を顰めて呟いた。

「禁呪結界……それも私の支配空間を押し出すほどの……」

 ルリの足元に広がった氷がすべて打ち砕かれ、金色の粉が魔力を吸いつくす。

 禁呪とは、魔力の動きを抑制しその働きを微弱なものにする、失われし古代魔法の一つであった。

 属性を賜った祖龍のもう一つの役割は、属性の抹消だ。一時的にではあるが、神はその一方を人に委ねたのである。

 ルリの魔法は、徐々に効力を失っていく。

 黄金の光にあてられルリは目を細める。

 彼らが時間を稼ぐのなら、こちらには好都合だ。

 ―――カノン、急いでくれ。


 


 ■■◇■■


 


 天井からぶら下がっていた豪華な装飾が、床に叩きつけられへし曲がる。

 神殿内は慌ただしい狂乱で激しく人が行き来していた。

 教王国の最も偉大で由緒ある教皇の居住区域。数ある使用人にしか皇宮への入室は許されていない。

 その扉の前で、側近の従者である私は背筋を伸ばす。

 揺れる大地、破壊されていく建物。既にここが安全とは限らなくなっていた。

 教皇様はどうして身を案じて街の外にお逃げにならないのか。

 今もなお、足元に繋がる感覚で地響きを感じている。

 昨夜の大地震でやっとアトレアを神敵と見定められたのに。

 私は胸のつかえがとれる思いだった。

 陛下が即位されてから、すぐにあの政争が起き、アトレアが陛下の地位を簒奪せんと無礼を働いたのだ。

 かような事態が再び起こされぬように、あの醜女の処刑を私は強く望んでいた。

 祖龍の瞳に選ばれたと揶揄された偽りの聖女。あんな穢れた女が、聖女たり得るわけがない。

 最初は祖龍信仰の喧伝役にでも抜擢されるだろうと悠長なことを考えていた時期もあった。

 しかし、あろうことか陛下の御旗に、あの女は反旗を翻し泥を塗ったのだ。反政府組織に手を貸し、祖龍信仰へ混乱をもたらした。

 あれは、この世にいていい存在ではない。追放はされたが、私は常に危機感を抱いていた。

 私の背後にある陛下の寝室。そこで陛下は一人で籠られることが多くなった。

 最初は私だけでは満足できなくなったと心配した。

 しかし、そんなことが些細であるかように私の杞憂を通り越し、さらなる不安で一杯になった。

 妄執のように取りつく不穏な影。陛下の心はあの瞳に、アトレアに魅入られてしまったのだ。

 間違いなく、陛下は祖龍の瞳を抱いている。

 平気で人間を見下し、人の心を弄ぶ非道な言動。この国の長であるはずなのに、信仰心の欠片もない男。

 自分中心に世界が周っており、祖龍神などただの国を束ねる縄くらいにしか思っていない。

 陛下とは、そんな男なのだ。そんな男を、私は愛してしまった。

 公に司祭は男女の契りを結ばないという約束事も、神殿内ではその淫らな関係は周知の事実である。

 一従者として率いられた際、陛下の目に留まった私は寵愛に選ばれた。

 この居住区から出られないことを強制され、私は教王国の頂点に君臨する陛下の奴隷となったのだ。

 浮世離れした彼の瞳は燻り、どこか遠い場所を探しているようにも見えた。

 下賤だとあしらう身分の低い者たちを執拗なまでに無価値だと決めつけ嬲る浅慮な頭蓋。

 そんな私の中で溶け出す陛下を想うだけで、胸の内が熱くなり叫び出したい衝動に駆られる。

 あぁ、この男は本当に終わっている。

 民衆が貧困に喘ぐ姿をみて失笑し、国が亡ぶこの今際の際に石の瞳を眺めているなんて。

 本当に、本当になんて愚かな王なの。

「リン、入ってこい」

 部屋の中から私を呼ぶ声が聞こえた。

 驚きと喜びで手のひらに汗をかく。

 教皇への侮辱と蔑みとともに、母性と友愛もまた、私の中には同居しているのだった。

「し、失礼いたします……」

 陛下は立ち上がったまま背後を見せ、両手に持った何かを見ていた。

 私は飛び出しそうな心臓を堪えて声を出す。

「お呼びでしょうか陛下……」

 私の顔を見ないまま陛下は告げる。

「目を閉じよ」

 理由も分からないまま言われた通り、リンは瞼を閉じた。

 一瞬だけ視界の端に赤い液体が映り込む。

 陛下は色の濃い葡萄酒を好んで飲んでいた。こんな時まで飲酒しているなんて、やはりクズだ。

 陛下の気配が近付き私の目前で止まった。

 突然口の中に指を押し込まれる。

「っ!?」

「リン、戯れだ。そのまま動くな」

 驚いた私だったが、新しい彼の嗜好だと思い込み、目を伏せたままその指を味わうことにした。

 親指が頬の内側をなぞり歯に一本一本触れていく。

 彼の体の一部が体内に入り込む感覚に興奮する。

 こんな時でさえ、もっと続けて欲しいとさえ思う。綺麗事は言えても、私も遥かに愚かだった。

 羞恥心を捨て去った私が衣服を脱ごうと腰に手をあてると、陛下はもう片方の手でそれを抑え告げる。

「動くな、そのまま、口をあけろ」

 意味不明な言動に想像が掻き立てられてしまう。

 今日だからこそ、私が呼ばれたのだろうか。

「リン、朕を愛しているか?」

 私は陛下の言葉に口をあけたまま頷く。

 あぁ愛していますとも。歪んだ人格、似た者同士。

 教皇が妃を娶ることはない。しかしそれは建前上行わないだけ。

 神殿内には教皇の遠い親戚にあたるものなど数多くいる。

 血統が重要視される国の威信に種付けさせない理由はない。

 私は最も多く彼の寵愛を受けてきた自信がある。高貴な者と並べても遜色のない美貌と気品が私にはあった。

 奴隷の私に嫌がらせをしてきた下品な女たちよ。

 見よ。最後に愛されるのはこの私なのだ。

「ならば、これを飲み込め。これが私の寵愛―――」

 なんて甘美な響きだろう。口に押し込まれた固形物。

 口でも切れていたのだろうか、鉄の味がする。

 喉の奥で嚥下しようとした時、陛下は言った。

「―――私の瞳だ」

 言葉にならない驚愕で思わず"それ"を飲み込んだ。

 薄目に開けた際、私は見てしまったのだ。

 尻もちをついて手を口にあてがう。

 滴る涎が気にならないほどに目を疑った。

「へ、陛下……そ、それは……!!」

 呑んだ"何か"が胸の中に入り込む。

 飛び出しそうな心臓は、いつ出てきてくれるのか。

 身体中が彼の存在を異常と認識している。

 だけど、心は、心だけは、彼を未だに欲していた。

「これが……祖龍の瞳か!!」

 大声で笑い始めた陛下が私を見つめる。

 体の隅々まで、全てを見透かされるような嫌悪感。

「素晴らしい……素晴らしいぞ……」

 机に散らばる液体は酒ではない。血液だ。

 彼は自分の目玉を抉りだしていた。

 谷底へ堕とされたアトレアと同じ、共鳴したあの女の光り輝く瞳。

 石くれ同然だった開国の遺物。祖龍の瞳。

 私は陛下の目に埋め込まれた光を、ただ茫然と見つめていた。


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