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星の屑から  作者: えすてい
第三章 流れ星に祈りを
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第33節 冷たい月夜


 "虜囚の柱"を下る階段の隙間から、階下が覗き見えた。

 ところどころ錆付いて穴の空いた螺旋階段が続いていく。

 腐りかけの鉄骨を砕きながら、聖騎士たちが重々しい装備を踏み鳴らした。

「彼らはこの道しか知らないのか?」

 ルリは怪訝そうに隣のカノンに言葉を投げかける。

「どうなんでしょう……崩落した時に全員を助けるのは難しいですね」

 いつでも落下した時のことを考え、笛に手をかけながら踏み抜かないよう慎重にカノンは足を下ろす。

「御言葉様、こちらです」

 ズールィに促され、踊り場に通される。谷底はまだまだ深く、先は見えない。

 救助活動に聖騎士たちが加わり始め、教会から再度カグヤたちに声がかかった。否、声がかかったわけではない。教皇自らが国民へ高らかに宣誓したのだ。神敵アトレアが谷の底で企てた陰謀、この地震はその第一幕に過ぎない、と。

 災害を目の当たりにした信者たちは、聖女の犯した罪を許しはしなかった。祖龍神に背いた罰を悔い改めるため生かされたはずなのに、彼女は再び教王国の国民へ牙を向き始めたからだ。

 怒号飛び交う国民に、御言葉を見つけた教皇はこれ見よがしに告げた。御言葉がこの国に来た理由。世界を救う最初の一歩。それは、この国が選ばれるべく最も尊い信仰心を持っているからだ、と。

 教王国民はこの日をどれほど待ち望んだことか。見出されたのは、信じて止まなかった己の神だ。

 裏切り者の聖女を断罪するため、ルリたちは聖騎士たちの征伐に加担させられた。

 祖龍信徒の望みはひとつだけだった。自らの信仰を否定するものの排除。

 ズールィが杖を振り下ろすと、踊り場に白い魔法陣が重なった。

「心配召されるな。すぐに慣れますからな」

 激しい揺れとともに、床が塔を抜け落ちた。乗っていたルリやズールィたちは床ごと急速に落下していく。円盤状にくり抜かれた床板は、元々この魔法を扱うためだけに用意されたもののようだ。螺旋階段が目の前でルリたちを中心に渦を巻くように回っていく。聖騎士たちはあまりの速さに膝をついた。

 暗闇に覆われていく谷底の景色が、再びルリたちの前に広がった。

 魔法によって制御された床は徐々に速度を下げ、体にかかる重力を強めた。谷底で魔法は停止する。

 塔を降りた聖騎士たちの前で、ズールィは深く息を吸い込んで告げた。

「決心はつきましたかな……」

 アトレアの調伏に納得のいっていないルリたちへ、ズールィは眼鏡越しに鋭い視線を向ける。

 金の鎧に身を包んだ戦士たちは、各々が武器を手に静かな闘志を燃やす。

「―――待ちなさい! 私が……私がアトレアと話をつけるわ!」

 この場に似つかわしくないほど小さな姿。尖る耳を持つカグヤの声が響いた。

 冷たい風が谷底に吹く。遠吠えのような唸りが重くのしかかった。

 鈴蘭のような杖を握ったズールィは、視線を逸らさず凍てつく言葉を紡いだ。

「……御言葉様、それでは既に遅いのです。地鳴りが始まってしまっている以上、止める術はもう……」

 地震による被害が出た以上、彼らが持ち帰らなければならないのはアトレアの首だ。因果関係の証明などもはや役には立たない。恐怖心を克己するのは、確かな希望の証明だけ。

 彼らにとってそれはアトレアの処刑であり、神に仇なす存在の否定だった。

「躊躇する必要などないのです。どうか、我らが国と民をお救い下さい……」

 ズールィの言葉にカグヤは奥歯をきつく噛み締める。

 アトレアは、彼女はそんなこと絶対にしない。

 突如地面が揺れ、"虜囚の柱"の一部が振り落とされる。鈍い金属音と地響きが重なり合った。

 昨夜のものと比べればさほど強い揺れではない。しかし、状況は刻一刻と闇に傾いていく。

「……時間がありませんぞ。我々は先を急ぎます」

 聖騎士たちは足並みを揃え流罪地区へと進み始める。

 ぐらつく視線がズールィの瞳と交差した。

 分厚い眼鏡の奥、闇に紛れた白と黒の陰影が見え隠れする。それが彼の描く謀だと、誰も気付けないでいた。

「教王国か、アトレアさんか。……お姉ちゃん、私たちはどちらかしか救えないの?」

 カノンが酷く狼狽えた声を出す。

 彼女の魔法でも、地震は抑え込めない。

「うるさいわね……もう、どうにもならないのよ……!」

 立ち尽くすカグヤとカノン。

 ルリは黙ったまま二人を見つめる。

 罪を贖うために残ったアトレアに、私たちが下せる罰などない。

 教王国の人々の命を奪う権利だって私たちにはなかった。

 握りしめる小さな拳。

 藤色の戦士は、一歩も進み出せないでいた。

 ―――これは損な役回りだ。誰だってやりたくはない。自業自得だと、彼なら笑うだろうか。

 冷気が肌を掠める。暗い湿気を、陰鬱を、跳ね返す凍てつく波動。

 誰かの行動で誰かがその報いを受ける。それは動かないでいるための詭弁に過ぎない。

 人の命の責任を、誰も取りたくはないだろう。だがその重荷から逃れることこそが、一番の無責任といえる。

『ルリみたいに遠慮なく無責任に行動できないんだよ!』

 ……彼はどうしようもなく正義感の塊なんだ。あの時、私の信念が揺り動かされるのを感じた。

「馬鹿者ッ! 今動かずしていつ動く!」

 見開いた紫の瞳に、青色が映り込む。

 声を荒らげたルリは右手に歪な杖を作り出していた。

「どちらかしか助けられない? 関係ないだろう! 私たちは、それでも全部救うだけだ! 違うか?!」

 喝を叫ぶたびに一層冷気が強まっていく。

 ガタついた柱の欠片が地面に落ちる。

「零れ落ちるかもしれない命を理由に、歩みを止めるな! 君たちには、それを成すだけの力があるだろう!」

 前を向いたルリは妖精の羽(ペイルウィング)を背に纏う。

 氷の結晶が淡い光に包まれ舞っていく。

「私は行く。それにまだ、アトレアが原因と決まったわけではないからな」

 振り返らない彼女は体を浮かせ飛翔する。

 尾ひれのように水色の線が軌道を描いた。

 カノンは整った眉を斜めにし、姉を見下ろす。前髪に隠れたカグヤの目元が影を差す。

 わなわなと震える肩を抱き、小さなエルフは小さな声で呟いた。

「……言ってくれるじゃない、ルリ」

 聖騎士たちの後を追ったルリの背中を見つめ、カノンは双眸を細めた。

「お姉ちゃん、()()使()()()()()?」

「……分かってるわよ」

 カグヤはカノンの方を見ずに答える。

 アトレアを救い出す方法をあらゆる面で模索した。

 だが、画期的な解決方法が浮かぶことはなかった。そんなものがあるのかすら分からない。

 ただただ指をくわえて見ていることが、ルリには我慢ならなかったのだろう。

 教王国全ての国民を敵に回してまで、アトレアを助ける覚悟が足りていなかったのかもしれない。

 足踏みしてしまった自分を責めるように、カグヤは握り拳に力を込めた。

「カノン、あんたは本気出しなさいよ!」

 囁く姉の言葉に頷きながら、カノンは唇を引き結んだ。

 うっすらと霜の降りた地面の上を二人は駆け出していく。


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