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星の屑から  作者: えすてい
第三章 流れ星に祈りを
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第29節 教王国のプレリュード

 

 讃美歌は美しい音色を奏で、教会の隅々まで反響する。弦楽器との協和を生み出すのは格別な人の歌声だけだ。

 整列された信者たちを見下ろしながら、色味の濃い酒が入ったグラスを傾ける。

 上等なものしか今まで口にしたことがなかった故、味の違いなどよく分からなかった。

 いつもと変わらない食感の液体を、喉を刺す燃えるような痛みとともに嚥下する。

 搾取されるだけの家畜と変わらない愚民ども。彼らを見下しながら煽る酒はどうしようもないほど美味であった。

 あぁ、なぜ人は同じ人間でありながら、こうも劣等感や優越感を抱いて生きていくのだろうか。

 自分よりも弱い者への執着。憧れよりも先に妬みや僻みに走ってしまう愚劣さ。自分だけが幸福でいたい、満たされていたい。唯一の存在であり、何者にも侵されたくない。

 身勝手で自己中心的な本能を、誰しもが持って生まれその矛先を隠し生きる。他人の流した涙や血を啜りながら、増長していく自己肯定感を握りしめていく。

 なんて愚かで醜い生き物なのであろうか。

 この国を牛耳る俗物どもがまさにその典型であった。

 私利私欲のためならば、他人の命さえ葬り去る。自己の財産や欲求のみが生きがいと化した快楽の囚人たち。

 権力というのは些か人には過ぎたるものであった。教典には階級などの差別は無論書かれていない。

 国民を管理する司教や聖騎士たちは自らの欲に溺れ、神々に対する祈りを忘れてしまったかのように思える。

 哀れなアトレア。彼らを誅するために立ち上がったはずが、彼らの罪を押し付けられ害虫として駆除されてしまった。

 階段を下り、礼拝堂の脇を抜ける。遠くなる賛美歌を聴きながら別の場所へ移った。

 聖騎士が警備する大きな扉を通ると、厳重に保管された遺物の宝物庫内へと入る。

 教王国を支える由緒正しき名品の数々が居並び、その歴史を振り返るだけで日など落ちてしまうだろう。

 保管庫の奥に札の貼られた箱が見えた。重々しい気配と、息づくような不穏な雰囲気。蝶番の金属が他の物とは違う。

 箱の前に立ち、無遠慮に触れる。

 見た目の割にあっさりと札が剥がれてしまい、魔力のこもった箱の取っ手を引く。

 中には手のひらにのせられるほどの石造りの小さな箱。無言のまま、片手でそれを鷲掴みし、ゆっくりと手繰り寄せる。重い石蓋開け、中身を覗く。

 そこには、石ころにしか見えない物体が匿われていた。

 不確かな視線が彷徨うようにこちらを見ている。

 誰もいないはずの室内で、明かりの魔法が点滅した。

 竜の遺体から見つかったとされる祖龍の瞳。長らく放置されてきた石くれ同然の聖遺物。

 儀式の形骸化にふさわしい置物だと思っていたが、まさかあれほどの力を秘めているとは想像もしていなかった。

 箱の中の存在を確認し、保管庫を後にする。

 廊下で自室に戻ろうとした際、足跡が後を追ってきた。

 響き渡る音の正体は側近の老齢なる司教の一人。

 その音だけで慌てふためいているのがよく分かった。

 禿げ上がった頭を掻きながら近づいてくる司教は、代々教皇の世話係を任じられている。

 彼は告げる。

「陛下、教区長ドンユが謁見を申し出ております……」

 足を止め、名前から人物を思い起こす。

 確か数年前の政争で唯一死罪を逃れた老婆だ。

「ドンユ……あぁ、貧窟の裏切り者か。今更何用だ。教区長の座を辞するつもりか」

 司教は言うのも憚られるといった様子で、おどおどしながら告げる。

「な、なんでも、重大なる事案が発生したとかなんとかで……」

「歯切れの悪い言い方は好かん、はっきり申せ」

 歩き出した教皇に付き添う形で、司教は後を追う。

 窓からさす日光が壁に飾られた祖龍神の絵画を照らす。仰々しいほどに装飾の重ねられた屋内には、富の集約この上ない豪華さが開花しているようだった。

 重みを感じさせない堂々とした龍の姿を模す梁の彫刻、巨人と争う姿を勇猛に描いた彫像。襖や壁には史実に基づく宗教的絵画。今もなおその数は増え続けていた。

 平和と安寧の象徴をこれでもかと見せびらかし、訪れた他国の使者にその誇り高さを自慢する。

 中央都市国家ロキと肩を並べる古い国ではあったが、祖龍教国の権威の示し方は正反対であった。

 信者数に換算すればこちらに利はあるが、軍事戦争に関してはあちらに分があるだろう。

 霊峰という行軍厳しい障壁がなければ、今頃大きな戦争へと発展していたに違いない。

『我々が勝てる見込みは万に一つもない』というのが、参謀を兼ねる大司教ズールィの見立てであった。

 あやつの先見は計り知れない。外交、経済、内政、どれをとっても敵う者はいない切れ者。

 彼の言う通りであるとするならば、我が国には龍を奉じ続けるための奥の手が必要なのだ。

 アトレアの見せた光明が心中に刺し轟いた。彼女に為しえなかったことを、代わりにやり遂げる。それが聖女の本当の望みではなかったとしても、この力は相応しい者をこそ導く。

 司教はまごついたままだったが、やがて声を発した。

「周辺地域調査の結果明らかとなった魔王復活の兆しは、すでに国民の知るところとなっております」

 大層な前置きをした司教が、汗をかきながら歩みを止める教皇の前に躍り出た。

 間を置かず司教は続ける。

「さ、さらにその事実を裏付けることとなります……御言葉……そう、御言葉が現れたと……!」

 二十一代祖龍教国皇帝ウェイロンは、弱冠二十二歳の時、父である先代の死去を受けて即位した。

 六年の月日を経て彼が築いた功績は、そのほとんどが司教たちの提言によって採決されたものだ。

 傀儡という言葉が紐づいた教王国の政治は、民衆には実情があまり知られていない。

 『君臨すれども統治せず』、大司教ズールィは似たような言葉を吐いた。

 尤もウェイロンは幼い時から政に意味を見出さず、己の探究心にのみ心を許しその采配に全てを傾ける。

 穢れた司教たちの企みはそんな王の下で好き勝手な欲望を満たす政策を横行させていた。

 しかし、ウェイロン冠する王族の地位は、皮肉にも他国への権威の象徴でもあったのだ。

 魔王との大戦以前から存在する国はそう多くはない。さらにその血統を守り続けられる王族も稀であった。数百年続く伝統と血筋は、それだけでその国の崇高さを指し示す。

 なればこそ教皇の存在は祖龍教国にとって必須であり、代わりのきくものではなかった。

 ウェイロンは自身の立場を理解した上で、薄汚れた人間社会を盤上の駒とみなしゲームを始めた。

 司教たちとの持ちつ持たれつであった関係性は、彼の目論見通り徐々にその権力を取り戻しつつある。

 ウェイロンは偏屈だが優秀なズールィを見出し、かつての教皇派を凌ぐ勢いを見せていたのだ。

「それは本当か……?」

 睨みつけるウェイロンの視線は、もはや司祭を見てはいなかった。

 教王国の定義では、御言葉とは祖龍の信奉者であった。魔王復活の兆しを受けて、彼らはこの国に現れたのだ。

 わずかに信憑性を持たせたのは他でもない、魔王復活と御言葉の到来を予言したズールィの言だ。

 酷く狼狽したように見える司教に近付くと、彼の瞳孔が開かれるのが分かった。

 ……嘘を言っている顔ではない。

 ウェイロンは顎に手をあてて考え込む。

 あの裏切り者がこんな世迷言を吐く意味も分からない。まさか本当に御言葉が現れたとでもいうのか。

 描いていた絵空事の端、ウェイロンはありもしない理想を積み上げていた。

 止めた歩みを再び動かし司教の横を通り抜ける。

 怯えた司教はウェイロンの表情を見上げた。

 心の底から溢れる冷たい笑みを抑えながら、彼は彫像の竜の下顎に触れて告げる。

「よかろう、あの裏切り者を連れて参れ」

 頭を下げる司教を横切り、ウェイロンはさっさと歩く。

 御言葉が現れたのは本当のことだ。

 ウェイロンは谷の底の竜の死体を思い浮かべた。

 ……アトレアよ、貴様は何を希む……?

 手中にある祖龍の力を見下しながら、彼は新たな信仰心への冒涜に足を踏みだした。




 ■■◇■■




 地下深くに眠る断層が揺れ動き始める。

 微弱な振動は波となり、岩石を伝い繋がりを広げていった。

 揺さぶられた大地の奥底が唸り声を上げるように、ひしめく戦慄を地上に住まう者へ浴びせかける。積み重なった想いが一つのまとまりとなり、目には見えない集合体、思念体を作り上げた。

 魔力の結集が引き起こす災害は、なにも直接人体に影響を及ぼすだけではない。

 河川の氾濫、大きな津波、街を飲む竜巻。神の怒りにも似た人智を超えた恐怖を生み出す。様々な自然災害の類を誘引する魔力災害は、その凶悪さで大地に爪痕を残し人々を駆逐していく。

 揺れは収まり地殻は停止する。何事もなかったかのような静寂が訪れた。

 しかし、光も通さない不可視の地脈の中で、断層に加わる圧力は少しずつ、だが大きく変化していた。


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