第27節 貧窟教区
祖龍教国は大陸東側の列強国の一つだ。領土はとてつもなく広大で信者数も大陸最大規模。
祖龍信仰の名のもとに小国をいくつも取り込んだことで、東側国家の中で最も大きな国としての地位を確立してきた。
他の宗教とは違い祖龍の祝福が特別であることが、信仰心を強める要因の一つとなった。
遺跡から発掘された石盤には、古の時代に祖龍の存在が多数描かれていた。属性を司る祖龍たちはまさに世界を象った、創造の化身としての相応しい御柱であるといえる。
大戦を経て滅亡しなかった教王国は、逃げ延びた信徒の救済を最優先に舵を切った。国内の人口が増加し徐々に拡大、発展を遂げ、気付けばダルク教に並ぶ宗教へと成っていた。
巨人の伝承残る北方諸国からはいい顔をされなかったが、それでも多数の友好国を持ち手広い外交を披露している。
内政に関しては教区ごとの住み分けがされており、それぞれの管轄で統治が行われていた。
富裕層が多く教育の行き届いた治安の良い教区。貧しい国民や反体制派が押し込まれた制限の多い教区。
似た者は似た者同士で肩を組み合うのが良いとされる、属性ごとの祖龍を真似た祖龍信仰らしい教義だ。
転がる果物の芯が道の脇で止まった。
ぼろ布で身を隠し寒風を凌ぐ老人がそれに手を伸ばす。
僕らに気が付き急ぎ残飯を隠すと、折れ曲がった腰を持ち上げ、側まで駆け寄ってきた。
「おぉ旅の者、お恵みを、祖龍神のお恵を!!」
掠れたその声を聞き付けたのか、路地裏から一人また一人と列をなすように乞食が現れる。
「あ、あの、僕らに持ち合わせは……」
狼狽えた僕の横で涼し気な顔をしているルリ。本でも読んでいるのかと思うくらい感情がない。
「あるわよ、ほら!」
カグヤは小銭入れを振り回すように腕を掲げた。しゃがれた歓声が響き、同時に銅貨の跳ねる音がする。
まさかと思った僕はカグヤに振り向いた。
彼女は信じられないことに、自身のお金を振りまいていた。
宙を舞う銅の輝きが辺りに散らばる。勢いよく袋からカグヤは硬貨を投げ飛ばす。
地面に落ちた子気味の良い硬貨を拾い集めるため、路上の乞食たちは地面に手をつく。
硬貨を取ろうとする老人の一人に、僕は覆いかぶさられた。
「うわっ!」
「魔道士君、急ぐぞ!」
手を取ったルリに引かれて、僕は浮浪者たちを押しのけ走り出す。
石畳の上には黒ずんだずた袋が捨てられ、大量のハエやウジが集っている。糞尿の垂れ流される通路の上を四人は走り、古びた教会の門をくぐって中に飛び込んだ。
息を切らしながら僕はカグヤに聞いた。
「ここが、あの祖龍教国なんですか?」
僕は本の中でしか祖龍教国を見たことがない。
あの、という表現が伝わるだろうか。
「どんな祖龍教国を想像してるかは知らないけど、ここは貧民街ね。表向きは途上区だと言い張ってるわ」
「私たちもここに来たのは初めてなんです。道を訪ねようにも、あれでは埒が開きませんね」
二人は揃って告げる。さっきの派手なパフォーマンスはさして気にも留めていない様子だった。
羨ましいが、冒険者等級二級にもなると、金銭的な余裕は桁違いなようだ。
溢れ出る浮浪者の数がこの教区の目玉らしい。職にあぶれたならず者たちを寄せ集めた酷い区域。
どこかサンクチュールと似た境遇だと思ったが、彼女のような救いがここにはあるのだろうか。
僕は扉についた小窓から外を覗き込んだ。貧相な住宅地は谷の様子とあまり変わらなかった。
その時、背後から物音が聞こえ即座に僕は音の方へ顔を向けた。
シワが濃く刻まれた高齢の老女が、礼服のまま教会の壇上に現れる。つり上がった鋭い眼光が僕らを一巡すると、劈くような声を彼女は放った。
「おぬしら何者じゃ、さては盗人かえ!」
手に持っていた杖の先を床に叩きつけ威嚇される。
僕はすぐに反論した。
「い、いえ、僕らはそんなんじゃ……!」
慌てて冒険者のプレートを見せようとして小袋の中を漁るが、老女はそれを待たずに告げる。
「嘘をつくんじゃないよ!!」
敵意をさらけ出した彼女は杖に魔力を込めた。
すると、壇上に魔法陣が広がり、地面から青黒い影が蠢く。
形を繋ぐ魔法陣は狼を模した召喚獣へと変化した。唸る獣が二匹、老婆の隣で僕らに飛びかからんとしている。
逃げ込んだ教会で泥棒と間違われるなんて。この辺りはただでさえ貧しいのに、治安も悪いようだった。
咄嗟に防護魔法を唱えて展開し、攻撃に備える。
しかし、老婆が狼の動きを制し僕に告げた。
「……ぼうや、それは何じゃ……?」
問われた意味が分からず、しばらく逡巡していると、腰に付けた小袋の口が空いていることに気が付いた。
彼女から目を離さず僕は小袋を手に取る。
老婆は不思議そうに目の色を変えて訊いてきた。
「何故おぬしらがそれを持っておるのじゃ……」
袋の中に入った僕の冒険者のギルド員証……ではなく、アトレアから貰った聖騎士章をつまみ上げる。
僕は事情が分からずカノンに目配せした。だが彼女も眉を上げて首を振るだけだった。
聖騎士章は恐らく高価なものなのだろう。選ばれた者しか得ることのできない称号と証。
盗賊と間違われている僕らが軽々しく出していいものか、この時点で知る由もないのだ。
だが隠しているだけで状況が好転するとも思えなかった。話を聞き入れてもらえるなら、手札をきるしかない。
これを託したアトレアたちは流刑を受けた罪人で、ペンダントの出処を聞かれる可能性だってある。
視線を戻した僕は、動きを固くする老婆の姿を見つめた。
鬼が出るか蛇が出るか、僕は言った。
「僕らは流罪地区から来ました。これはフリートという聖騎士から受け取ったものです」
老女は言葉を受けると静かに召喚獣を消し去った。
よかった。ひとまずの危機は去ったようだ。
眉間のシワを解き、遠い目をした彼女は、意気消沈した様子で肩を落とし告げる。
「フリートが……そうかえ。あんたら、すまんかったの……」
壇上からゆっくりと降りてきた老婆は杖をつきながら僕らの方へと歩み寄ってきた。
近くで見ると随分と小柄で背も低い。
怒気が失われた声で僕らに尋ねる。
「あんたら、フリートとアトレアに会ったかえ?」
聖騎士章は僕が持っていても仕方がない。
僕はアトレアからもらったペンダントを老婆へ差し出した。
だが彼女は首を振ってそれを拒んだ。
ため息をつき傍らにある椅子に座ると話し始めた。
「儂は貧窟教区長のドンユだ。ま、名ばかりだがね。あんたら、フリートからどうやってそれを貰ったんだい?」
僕は騎士章を握りしめると、流罪地区からの経緯を説明した。
目を細めて悲しい顔をしたドンユは、嗄れた声をさらに低くして言う。
「アトレアがそんなことを……」
僕はしみじみ感慨に耽る彼女を見て思った。ドンユはアトレアたちのことを敵視してはいないのだ。
そして続ける。
「安住の地を見つけられたのならそれで良い。……フリートも、可哀想な男さね。自らの血筋を知らずに行くなんて……」
フリートと言う男について彼女は詳しいようだった。
聖騎士という身分を捨ててまで谷に降りた偏屈な男。
彼女はそう吐き捨てると、独り言のように告げる。
「フリートは何も知らないで、アトレアに、真の祖龍神様へ傅くことにしたのさ」
遠い目をするドンユにカグヤが尋ねる。
「待って。あなた、教皇派じゃないの? アトレアのことを"真の"なんて呼んでいいのかしら」
袈裟と呼ばれる宗教着に身を包んだ彼女は、首だけを動かしてカグヤを見た。
「儂は教皇なんて信用してないさね。ご覧よ、この教区の有様を」
寒さに身を寄せ合うこともせず、ひたすら壁の脇にしがみつく市民たち。家も家族も失った悲しき祖龍信徒たちの末路。
ドンユは濁ったような瞳を揺らせて続ける。
「儂は教皇のやり方にはウンザリしておったんじゃ。教皇派の影で、アトレアの支援をしていてねぇ」
大層なことを平気で口にし始めた彼女を僕は驚いたように見た。
「……なに、もう終わったことだよ。それに教皇派に謀反が暴かれ私は異端審問行きだった」
首から下げた数珠が揺らされて音を鳴らす。
頭を下げた彼女は続けた。
「だけどその時、聖騎士だったフリートが口添えしてね。なんとか命だけは都合してもらったってわけさ」
乾いた笑い声を上げるドンユは何故か楽しげだった。
そんな彼女にルリは冷たい声色で言い放つ。
「私たちがフリートを殺して奪い取ったとは思わないのか?」
心配そうな眼差しを向けたのはカノンだ。
……気持ちは分かる。いつもルリは客観的主体なのだ。
ギョロリと目玉をルリの方に移動させたドンユは、少しだけ間を置いて言葉を返す。
「彼奴と争って無事でいられるとは思えないね。それに、持ち主が死ねば騎士章も失われる。それが残っているのは生きている証さ」
聖騎士の強さを彼女は高く買っているということだろう。あの谷で正気を保ったまま生きているのだ、僕もそう思う。
「ドンユ教区長。私たちが転送陣を使ったこと、国の者はどう捉えますか?」
カノンが口を開く。
僕らが通ってきた貧窟教区は祖龍教国の隅に位置する。関所を通っていないとなると、国によっては重い罪とみなす場合もあるだろう。
「そうさね。フリートの件もあって、あまりいい顔はされないだろうねぇ」
教会の扉が叩かれた。驚いてそちらを見ると、扉が開き、一人の男の子が入ってくる。
僕らの顔を見回すと、少年は声を出した。
「あれ、新しい配給の人? ばあちゃん、ズー爺ちゃんとこ行ってきたよ」
ドンユは気さくな子どもに気後れすることなく、優しい口調で返事をする。
「早かったねぇ。はい、お駄賃だ。こちらは旅のお方だよ。ええと……」
ドンユが言い淀むと男の子は首を傾げた。
手に入れた硬貨を数える間に、ドンユが僕らに尋ねる。
「あんたら、どうして流罪地区から来たんじゃ? ……それに、フリートが認めるほどの存在……」
旅人がここに来るのは珍しいのだろう。
ちらちらと様子を伺う男の子。
「あんたら、何者じゃ……?」
僕と同い年くらいの彼は財布にお金をしまうと、目を輝かせながら僕らの回答を待っていた。