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耳をすませば

作者: えんがわ

 高校時代、僕と由香は映像研究部という、何ともふわっとした部活で出会った。由香はあどけない高校生というより中学生で通るような幼い童顔とスタイルで、僕はたぶんどこにでもいる眼鏡の少年で。特に会話することもなく、ちょこんとお辞儀をしていた。でもなぜか二人は直ぐに打ち解け合い、ゲームから夕ご飯からお互いのテストの点数まで話題に話し合える仲になったのは、今でも不思議だ。


 部活棟とは名ばかりの、木造で築二十年の隔離棟の端っこにある、映像研究部の部室。十人も入ればびっしりの部屋。テレビばかりが無駄に大きくて、それも薄型テレビなど無い時代だから本当に無駄に分厚く大きくて、64インチはあっただろうか。それがどんと鎮座していた。

 それに映す映像、と言っても、大抵は部員が録画して持ち寄ったアニメのビデオで、たまに洋画、ときどきエロビデオ。そこで織りなされる部員たちの研究、と言っても、単なる鑑賞会なのだ。アニメをサカナに駄弁りながら、雑談をしている。それが活動の全てだった。

 でも、本当に稀に良いビデオを観れたら、真剣になってケンケンガクガクの大感想会になる。というのは素人考えで、良い作品が持つ特有の余韻を味わいながら、下っ端の1年生が買い出した缶コーヒーを片手に、じわんとしていた。だけど、それだけで、僕らは何かを共有していたし、それが僕らの熱くもクールでもない青春だった。


 それは高校三年の秋、ジブリの「耳をすませば」のビデオを部会で観た帰り道だった。その映画は、ジブリにしては、という出来だったらしく、片山という部長をはじめ、何人かは退屈そうな顔をし、一時間も前に、つまり物語が動く前に既に帰ってしまい、あくびを噛み殺したのっぽの部員、今では名前も思い出せないが、その顔だけは覚えている。その、のっぽは、何回もあくびを我慢して、まるで我慢大会のような顔で画面をじっと見つめ、ビデオが終わると、そうそうと帰ったと思う。

 確かに、僕たちはジブリキッズで、「となりのトトロ」に憧れ、森というにはちっぽけな雑木林に秘密基地を作り。「天空の城ラピュタ」を、小学校で行われた特別上映会でパイプ椅子でお尻を痛くしながら鑑賞し。「魔女の宅急便」のユーミンのルージュの伝言を、女の子はお洒落なものとして口ずさみ。

 そんな時代だったから、そうした不思議なファンタジーのジブリとは異質の、こじんまりとした青春劇の「耳をすませば」はどこか期待と違っていたのだろう。

 だけど僕をはじめ、数人。豆タンクと呼ばれていたチビでデブの一年生、ちょっと怖い柔道部にもいそうな強面の谷塚、そして僕と同い年のなぜかそこに残っていた唯一の女性部員の由香。僕と彼らは互いに、言葉には出来ない青春の匂いの、その残響というか残り香を惜しむように、ビデオが終わっても、部室でぼそぼそと言葉を交わしながら、善いものを体験したあとの独特の何物にも優しくなれる気持ちで、何かを確かめ合っていたように思う。それは当時体験していなかった競馬で勝った瞬間や、あるいはセックス、のようなものに近い、だけど全く違う、他に替えようのない気持ちだった。


 僕と由香は、その帰り道。と言っても十数分の出来事だったけれど。

 でも、その十数分は秋の綺麗な、というよりも鮮やかすぎるほどの朱鷺色の夕焼けに包まれていて、もう終わってしまった昭和という言葉がぶらりと再訪してきたような、ひとときだった。

 僕はどんどんと早くなっていく日没に、そのまま高校を卒業した後のみんなとの別れを重ねて、少しセンチメンタルになっていた。その夕焼けをもってしても、その気持が「少し」だったのは、「耳をすませば」の映画のせいだった。映画のラストシーンは夕焼けではなく、朝焼けだったが、そこを自転車で急な坂道を駆けあがり、その頂上で恋人同士が告白をするシーンだったのだ。まだ現実と夢の間で生きることを許されていた僕は、それにすっかり影響されて、由香のことを異性としてぎんぎんに意識していたのだ。ただアニメに憧れた勢いだけで告白してそのままキスをしてしまうほどに。

 それは、僕の若さにしては歪に大きすぎる理性と、嫌われたくないという情けない気持ちが止めたが。

 妥協点か当然の流れか。

 アニメ映画に影響されて、プロポーズをする、訳ではなくて、僕らは将来のことを話していた。由香はどんな気持ちでいたのだろう。


「ゆっちゃんは、やっぱり大学に行くんだよね」

「うん、東京の。きみもそうだったよね?」

「そだね。同じ東京の」

 二人とも学力の差から、同じ東京でも、同じ大学には入らないことは分かっていた。

「そっか、一緒だね」

「うん、ちょっとだけ、心強い。実は親が良い顔してなくてさ」

「そう? わたしなんて。良い大学に行って、良い婿さん見つけて、良い家庭を持て! って母さんの顔から滲み出てるけどね。しょうじき、嫌なプレッシャー。古っ。そんなために、行くんじゃないのに」

「良い婿さん見つけて、良い大学行って、良い家庭を持って」

「ほんと、嫌だわ」

「そんで良い息子を生んで、良い青年に育てて、良い孫たちに囲まれて、良い葬式をしてもらって、良い墓場に入る」

「ははっ」

「なんてね」

「案外、そんなものかもね。わたしたちの人生」

 そこで僕の気持ちはやけに高まり、すっごく遠回しに由香にアプローチした。

「その前に、良い恋をした?」

 由香は何も言わなかった。〈良い恋をしてみない? 俺と〉そんな言葉を本当は言おうとしていたのかもしれない。僕は。それは今の僕でも分からない。だけど、由香は大きく口を吸い込み、そして伸びをして。

「そうね、恋はしたわ」

「えっ?」

「たかちゃんとね」

「あの、サッカー部の貴司と?」

「うん、意外だった?」

「あいつ、もててたからな。でも、ゆっちゃんが、そんな趣味してたとは……意外」

「あっちから、告白してきたのよ」

「そっか」

 それから由香は、空を綺麗に染め、でも、もう弱弱しい光さす天を大きく仰ぎ。

「そのくせ、あっちから浮気してね」

「ああ、うん」

 うんとか、ああとか、しか言えなかった。

「大げんかして別れてやったわ」

「うん」

「こっちにも、あんた以外にも本命がいたのよ! なんて言って」

「うん」

「本命、誰か聞きたい?」

 その時、なにか一言でもそれこそ、ああ、だけでも言えたら僕たちは全く別の道を行っていたかもしれない。行かなかったかもしれない。でも僕は何も言えなかった。色々とショックで、由香が処女じゃないかもしれない、それだけでもショックで、何も言えなかった。

「なんてね、うそ!」

「えっ?」

「う・そ!」

「なんだ……」

「これから東京で良い恋するぞー」


 それが由香と僕との、ちっちゃな、何処にでもある、でも特別な思い出。


 時折思い出したように、今でもテレビで「耳をすませば」は流れる。4chの日本テレビの金曜ロードショーのジブリウィークなどで、本当にたまに。大学生だった時、社会人になりたてだった時、そして妻と息子とのビデオ鑑賞会よろしく、居間の団らんを添える話の種として。


 妻が「こんな時代あった? 可愛い女の子がいて。カントリーロードよろしく坂道を登って、勢いで告白しちゃうの。あなたには無いわね。何せわたしにも無いんだから」


「決めつけるなよー。あったかもしれないぞ。ま。ほんとは、無いんだけどさ」


 と言いながら、恋にも満たなかった由香との夕日の帰り道が、なんとも胸によみがえってくるのだ。

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