2−2:天使と英雄
ボロボロの廃墟のような魔王城を修理しながら、僕は悪魔からこの世界についての説明を受けた。
城にいた兵士たちの姿を見て僕が予想した通り、この世界はどうやら中世に近い文明レベルらしい。テレビもなければラジオもない。電気、水道、ガスも整っていない。これだけ聞かされるとこんな世界いやだと歌い出しそうになるけれど、その代わりにこの世界にはマナがある。
マナは一言で言えば生命力で、人間や動物、魔物といった生物たちのエネルギーであると同時に、この世界そのものを構成している要素でもある。生物たちは地下深くの地脈から大気へと放出されるマナを吸収したり、マナを取り込んだ植物や動物を食べることで自身の生命を維持しており、死んだ生物たちが地脈に吸収されマナへと還ることでこの世界のバランスは成り立っている。
だけれど、生物たちは知恵をつけマナを生きることとは別の目的で使い始めた。自分の体の中に取り込んだマナを技と言われる物に消費したり、マナが濃縮されたクリスタルをアウトプットデバイスとして使用して魔法を唱えたり。最近では生活を豊かにすることだけを目的にマナが使われていて、需要に対して供給が間に合わなくなり、この世界のマナがドンドン枯渇していっているそうだ。
まるで元の世界のエネルギー問題のようだと僕は思った。どうせあと数十年で枯渇するという状況があと数十年は続くのだろう。
『そんな減らず口を叩いている暇があるならなにかいい案を出せ。このままじゃ、この世界そのものが消えちまうんだぞ』
悪魔が言うにはマナが枯渇してしまうと生物たちは生きていくことが出来ない。マナを取り込んでいない生物は死んでも地脈には吸収されず、マナへと変換されることはない。生物がマナに還らなければ大気に溶け込むマナは更に少なくなり……というように負のサイクルへ嵌っていってしまう。それを防ぐために、別世界の人間が神と呼ばれる存在によって召喚される。そう。それが僕だ。
「で? 呼ばれたは良いけど、具体的には何をすれば良いの? マナを無駄遣いする人間たちを皆殺しにすれば良い?」
『発想がいちいち物騒なんだよ、お前は。ただ、前任の異世界人は最終的にその道を選んでるな。お前のその体の持ち主、魔王は元々は異世界人だ。この世界に召喚されて、俺たちがサポートしていたんだがこの世界の人間は誰も話を聞いてくれなくてな。不穏分子として投獄されそうになったところを、話を理解した動物や魔物に助けられていた』
だが、動物や魔物を従えるその人物を人間たちは恐れ、亡き者にしようとしたそうだ。いくら話しかけても聞く耳を持たず、盾になってかばってくれた魔物たちを容赦なく屠っていく人間の姿を見て、その人物は絶望し、憎悪し、化け物へと変貌した。人間たちが恐怖し、拒絶する魔王の姿へ。
人間を皆殺しにするのはマナのバランスが崩れてしまうため、急遽もう一人の異世界人が召喚され、なんとか事態は沈静化した。人間たちは魔王を倒した異世界人を英雄と称え、英雄が言い残したマナの危機を素直に受け入れて、クリスタルの使用を制限するようになった。
同じことを説明していた人間を蔑ろにしていたのに、魔王という巨悪を倒した英雄の話は疑いもせず聞き入れるなんて都合の良い人間たちだ。魔王が元々はその説明をしていた人間だというのがなんとも皮肉めいている。
めでたしめでたし。
『ただ、そんな大昔の英雄の話なんて、時間と共に忘れ去られてしまう。英雄譚からはマナの枯渇という大事な情報が抜け、クリスタルの制限も世界の発展の為に緩和され、今ではその当時以上にマナが乱用されてしまっている。だからこそ、また異世界の人間の力が必要なんだ』
「いや、自分たちで招いたことなんだから自分たちでなんとかしてよ。無関係の人間を巻き込むとか、神でもなんでもなくてただのクソ野郎じゃん」
『神に対してそんなことを言えるのは異世界から来たお前くらいなもんだよ。俺たちやこの世界の生物は神を崇拝するように刷り込まれているからな。だがお前にとって悪いことばかりではないはずだぞ? お前の元の体がどうなったのか、覚えているだろう?』
そうなのだ。元の世界で僕は車に轢かれてしまい、どうやら死んでしまったらしい。肉体が死を迎えてしまった為に精神だけこの世界へと召喚され、魔王の体を与えられることになった。
『死んでいくだけだったお前がこうしてこの世界で二度目の生を与えられたんだ。素晴らしいことじゃないか?』
「まぁ、その点については感謝しているよ。こんな自由に体を動かせるなんて、元の世界では妄想でしか出来なかったからね」
それじゃあ、と悪魔が何かを言おうとするのを僕は止めた。どうせこの世界を救えとか具体性のない、フワフワした指示をするだけだ。そんなことよりも尋ねたいことは沢山ある。
「僕と一緒に事故にあった人間がいたはずだけど、その人についてなにか知ってる?」
『お前の兄のことか? それなら無事だ。お前が自分の身を盾にしたおかげでな』
無事という言葉を聞いて安心した。いつも僕を守ってくれた兄さんへ最期の最期に恩返しが出来て良かった。
「君の話を聞いていると、一人称を俺たちって言っていたけれど、君以外にも悪魔がいるってこと?」
悪魔は少し考えてからゆっくりと首を横に振った。悪魔は自分一人。ただし、自分と対になる天使と呼ばれる存在がいるらしい。天使と悪魔。よくある組み合わせだ。
「それじゃあ、その天使は今何処にいるわけ? 僕としては悪魔よりも天使がパートナーとしていてくれたほうが嬉しいんだけど」
『お前、自分の今の姿を見てから発言しろよ? 俺なんかよりもよっぽど恐ろしい格好しているからな?』
そう言いながら悪魔は天使について説明を始めた。天使と悪魔は対の存在というだけあって意見も噛み合わないそうだ。以前に異世界から人間が召喚された際は天使と悪魔の両方が元魔王や英雄にアドバイスを送っていたが、今回はやり方を変えてお互いに一人ずつ異世界から人間を召喚して、その人間を自分の代理とすることにしたらしい。お互いのやり方に口を出さない。もし代理の人間が倒されたら、後は黙って勝った側を見守ること。この二つを不可侵のルールとして、神へ異世界の人間を召喚してもらった。つまり、僕は悪魔の代理というわけだ。
『天使もそろそろ異世界から人間を選んで神に召喚してもらっているはずだ。どんなヤツか俺は知らんが』
「ちょっと待った。天使が人間を選んでるってことは、君も同じように召喚する人間を選んだってことでしょ? なんで僕なんかを選んだわけ?」
『深い意味はない。強いて言うなら、自分を犠牲にしてまで親しい人間を守ろうとしたお前のその心に興味があっただけだ』
「いやぁ、それほどでも」
『別に褒めているわけじゃない。自己犠牲と言えば聞こえが良いが、結局は残された者の気持ちを考えない、ただの自己満足でしかないからな』
随分辛辣な物言いだ。否定は出来ないけれど。
『それに、俺は既に後悔し始めている。お前みたいなフザケたヤツを大事なパートナーに選んでしまったことは失敗だったとな』
「勝手に選んでおいてパートナー失格とか酷くない? あ〜あ、なんだかやる気なくなっちゃったなぁ」
『やる気がないのは最初からだろ。それに、パートナーを変えてほしいと言ったのはお前が先だからな』
記憶にございませんととぼけながら、僕は今後の身の振り方について考えた。魔王が復活したとなれば、きっとこの世界の人間たちは再び英雄を求めるだろう。そんなタイミングで天使をパートナーにした異世界の人間が現れる。悪魔から聞いた以前の話や城で兵士に追いかけ回されたことを考えると、魔王の姿をした僕なんかよりもその英雄の話をみんな信じるはずだ。
この世界を救えと言われた所で、僕が今置かれている状況は圧倒的に不利だ。
『現状は英雄様の踏み台位にしかなれそうにないな。それか、魔王らしく人間たちを皆殺しにするか?』
「そういう極端な話に持っていくのは良くないと思うな。もっと平和的に行こうよ。ラブアンドピース」
『皆殺しを提案したのもお前なんだが? 実際、平和的に解決する方法なんてないと思うぞ? 天使のパートナーが現実世界に戻りたいと願うなら、お前の命を狙ってくるはずだ』
パートナー同士の戦いで勝った方は報酬として現実世界へ帰ることが出来る。なるほど、ありがちな設定だ。この世界を救ってほしいと頼んでおきながら、その実、パートナー同士の殺し合いを推奨するだなんて、とてつもなく性格の悪い神様がいたものだ。
「というか、それなら僕にとって勝利のメリットが無くない? 現実世界に戻された所で肉体が死んでしまっているんだから」
『……そういうことになるな』
「いや、カッコつけてるけども、駄目じゃん。勝負になってないじゃん。勝っても地獄、負けても地獄って、まさにこのことじゃん。最悪じゃん」
『じゃんじゃんじゃんじゃんうるさいな。この世界に飛ばされたことで生き永らえることが出来たんだからそれで充分だろ』
開き直って逆ギレしてきた。その様子は第一印象の感情のない表情や悪魔という名前からイメージする他人を小馬鹿にする性格とは程遠く、意外と感情が豊かなのではないかと僕に思わせた。
天使のパートナーと戦うメリットのない僕は悪魔の小言をスルーして、魔王の体を使って何が出来るのかを調査することにした。
まずは体の強度。壁を殴ってみたり、魔法で自分自身を攻撃してみたりしたけれど、痛みもなければ怪我もなかった。悪魔の話によれば、前任の異世界人が体に片っ端から強化の魔法をかけたらしく、どんなに強い力を持ったモノでも傷一つつけることは出来ないそうだ。唯一、勇者の剣だけはこの世界のモノを切ることが出来るが、身体能力と魔法の二つの点から攻撃を当てることが出来るとは思えない。
魔王の身体能力は桁外れだ。軽くジャンプするだけでも五メートル近くは跳躍出来るし、本気で走ればまるで戦闘機のようにソニックブームが周囲へ被害を及ぼす。パワーも現実離れしていて、海面に向かって正拳突きをしてみたら海が割れてしまい、モーセの気分を味わうことが出来た。
十二本の指に収まっている指輪には宝石のように綺麗なクリスタルがそれぞれあしらわれている。色とりどりのクリスタルは風や水、火や土といった元素の力が込められた物、治癒や状態異常といった補助を目的とした物など、魔法の種類に対応してクリスタルが反応する。中には時間や空間など概念じみた魔法に特化した指輪もあり、漫画みたいな時止めやワープもお手の物だ。
まさに魔王に相応しい能力だ。こんなチート能力を持っていながら負けてしまったとは情けない。どうやったら負けることが出来るのか逆に教えてほしいくらいだ。英雄譚では英雄の勇気ある行動により魔王を倒すことが出来たとなっているらしいが、このスペックは根性論でどうにかなるものではない。悪魔に尋ねてみたところ、当時の英雄が言葉責めで魔王のメンタルをゴリゴリに削り、戦意を失ったところに剣による一撃を食らわせたそうだ。この世界の人間の扱いが酷くて魔王へと変貌してしまったことを考慮すれば、この上なく効果的な作戦だとは思うけれど、英雄と魔王による世界の命運をかけた戦いが罵倒大会になるとはなんとも盛り上がりに欠ける最終決戦だ。
魔王の能力、というよりは異世界からやって来た人間に備わった力だが、この世界の生物とコミュニケーションを取ることが出来る。明らかに日本語圏の人間ではない王国の人たちの言葉や文字が理解出来るのもその力によるものだ。理解は出来るのに、相手がコミュニケーションを取ろうとしないせいで何もやり取りは出来ないのだけれど。ただ、この力は人間だけではなく、動物や魔物にも有効だ。そのおかげで、空を飛んでいる鳥や羽の生えた魔物たちから王国の話を聞くことが出来た。
俺が王国から逃げ出した後、英雄を名乗る少年が王様の元を訪れ、数人の仲間と共に魔王討伐の旅に出たらしい。その少年は姿の見えない天使を連れているとのことなので、僕と同じ異世界からやって来た天使のパートナーだろう。事情を説明して停戦協定を結んだらどうかと考えたけれど、相手からしたら僕がいる限り元の世界に戻れないのだから、そんな提案のむ訳がない。かといって、普通に戦ったら十中八九僕が勝つのは目に見えているし、僕としても誰かを傷つけるだなんて恐ろしいことをしたくはない。
幸い英雄パーティーたちは前の英雄が遺した装備を回収するためにこの世界を旅するようだ。倒すだけなら剣さえあれば良いはずだけれど、道草を食ってくれるのであれば好都合だ。僕は魔王の使える魔法を一通り試し終えると、魔王の姿を幻覚で誤魔化してこの世界にある魔導書や伝説などを調べることにした。この世界のことを深く知ることが出来れば、救う方法が見つかるのではないかと期待したからだ。幸い、僕のそばにはこの世界の生き字引がいる。分からないことがあれば悪魔に聞けば答えてくれた。不満顔で渋々ではあったけれど。
英雄パーティーの旅は順調で、既に盾と鎧を手に入れたらしい。今は封魔の兜を求めて東の廃墟へと向かったそうだ。
魔物へお礼を言うと、僕は顎に手を当てた。天使のサポートがあるとは言え、あまりにも順調過ぎる。魔物たちへ彼らとはあまり戦わない方が良いとアドバイスを送っているけれど、それを差し引いてもかなりの短期間で旅が終盤に差し掛かっている。聞く所によると、どうやら英雄が魔王討伐に燃えているらしく、旅を急いでいるそうだ。
『流石は魔王さま。出会ったこともない相手にそこまで執着されるなんて、魔王冥利に尽きるねぇ』
目の前に積み重なった本へ腰を掛けているかのようなポーズを取りながら、悪魔が皮肉交じりに称賛をくれる。悪魔とのやりとりにも慣れてきた。口は悪いし、態度も悪い、性格もイジワルと三拍子揃っているが、別に悪人という訳ではない。そもそも悪魔という名前も天使と対になる存在だからつけられただけで、むしろ行動や思考は人間寄りだ。僕の愚痴を文句を言いながらいつも聞いてくれ、僕の相談に嫌な顔をしながらいつも乗ってくれる。僕がまだ生きていた頃、元の世界にいた頃の兄さんと同じくらい信頼を寄せるようになっていた。
「どう思う? まだ良い案も思い浮かばないし、とりあえず一回ボコって時間を稼ぐのが良いと思うんだけど」
『相変わらず脳筋丸出しの考えだな。良いんじゃないか? レベルの違いを見せつけてやればもしかしたら戦意を喪失してくれるかも知れない……いや、それはないか。あの腹黒の天使が選んだパートナーだ。ちょっとやそっとじゃ心が折れるはずがない』
悪魔に腹黒呼ばわりされるなんてどんな天使だと思うけれど、話を聞く限りだと結構な危険思想な持ち主だ。創造主である神を崇め、この世界を平和にする為に悪魔と共に働いているそうだが、生物の繁栄という人間に近い平和の定義を持つ悪魔と異なり、害する存在の除去こそが平和への近道という過激な考えを持っている。今回のマナの枯渇についても、人間の行動を止めようとする悪魔と積極的にマナを消費させようとする天使で意見が割れたことで、パートナー同士の代理戦という形が取られるようになったのだ。
悪魔と同じように嘘をつけないなど創造主とのルールが適用されているはずだから、パートナーを騙しているとは思えない。マナの問題に対して特になにかアクションを取っているようにも見えないので、恐らくはさっさと僕を倒して元の世界に戻ることしか考えていないのだろう。全く自分勝手な奴だ。
『最悪身柄を拘束するのも考えた方が良いかもな。相手を殺さない限りは勝敗がついたことにはならないルールになっているから、監禁して何処かに閉じ込めておくという手もありだ』
「出来ればそんなヤンデレみたいなことはしたくないなぁ。ま、とりあえず挨拶だけしてくるか」
僕は近所へ散歩に行くくらいの気軽さでワープ魔法を唱えた。東の廃墟とつながるワープホールが目の前に出来る。黒い空間から向こうを覗いてみた。ワープホールの直ぐ側にグレートソードを背負った男性、スタッフを持った女性、ロッドと短剣を構えた少女がいた。三人から少し離れた場所に甲冑に身を包んだ人物が立っている。英雄譚について記された古文書通りの姿。恐らくあれが天使のパートナー、英雄だ。
廃墟なんかで長々と話したくはないし、とりあえず気絶させて四人を魔王城に運ぶか。僕はワープホールに左腕を突っ込むと気絶魔法を唱えた。近くにいた三人がバタバタと倒れていくが、祭壇にいる英雄は身動きせず立ち尽くしている。どうやら意識はあるようだ。
「意識を保っているのか……。封魔の兜の効果か? それとも、あの人間が特別なのか……」
つい魔物や動物たちと喋る時の無理やり威厳を出した喋り方をしてしまった。まぁ、いいか。威圧感を出した方が話を聞いてくれるかも知れない。穴をくぐって向こうの空間へと飛ぶ。周囲の反応を調べるが生きている生物はこの英雄パーティーしかいないようだ。
それにしても、と僕は思う。話には聞いていたが本当に子供じゃないか。目の前で震える手で剣を掴む英雄の姿を見て、僕は自分の認識が間違っていたことを悟る。こんな小学生か中学生くらいの子供がわけも分からずこんな世界に放り込まれたのだ。世界を救うだなんて大役を任されようが、一刻も早く元の世界に戻りたいと思うのは当然だ。
僕は少年にゆっくりと近づく。敵意はないことをアピールするために笑顔を作るが、相手には剣を構えて殺気を放ってくる。どうやら逆効果だったようだ。少年が周囲のマナを吸収している。戦技を使おうとしているのだろう。レベルの違いは火を見るより明らかだけれど、英雄の剣を持っている以上当たりどころが悪ければ致命傷になりかねない。僕は止めるように説得しようと更に近づいたがそれが良くなかった。少年が戦技を使って攻撃を仕掛けてきた。
幸いそこまで早い攻撃でもなかったので、右手で剣を払いのけると距離を取るために左手で軽く少年の体を押した。すると、少年の体はまるで牛にでも突撃されたかのように吹っ飛び、祭壇の奥の壁に衝突すると地面に倒れた。やりすぎてしまったかと思い近寄ったが、うめき声が聞こえてきてホッと一安心する。暴れられると面倒なので、申し訳ないが風で体を拘束させてもらう。ふっ飛ばされた衝撃で兜は脱げてしまったが、鎧は傷一つないようだしこれくらいは大丈夫だろう。念の為、声をかけてみた。
「死んでは……いないな……。良かった。別に殺す気はなかったからな……」
少年からは苦痛に満ちた声が漏れてくる。魔法のせいで喋ることも出来ないようだ。会話が出来ないことには意味がないので、指輪に込めた力を解く。咳き込む少年に僕は話しかけた。
「異世界から来た英雄よ……。今日、俺が来たのは戦いのためではない……。話し合いに来たのだ……」
「話し合いだと……? 悪の首領と一体何を話せって言うんだ? しかも、戦うつもりはない? 俺の仲間を問答無用で倒した癖にか?」
悪の首領とは随分箔のついた呼び名だ。実際は手下なんて誰もいないのだけれど。
「先に攻撃を仕掛けようとしたのは彼らの方だ……。さっきのお前のようにな……。安心しろ。ただ意識を失っているだけだ……。しばらくすれば目覚める……」
本当は気絶させてここから連れ出そうとしたのだけれど、余計なことを言って場をややこしくするよりは正当防衛ということにしておいたほうが良さそうだ。少年は僕の言葉に静かになる。話を聞いてくれる気になったのだろうか。
「落ち着いたか? ならば良い……。俺が話したいことはマナに関してだ……。お前はこの世界の人間たちの生活を見て、何も感じないか?」
こんな子供ではもしかしたら天使の説明を理解していないのかも知れない。どの程度把握しているのか確認が必要だ。
「……さぁ、何を言っているか分からないな」
意味深な間があった。どうやら察しはついているようだ。念の為、改めて説明しておくか。
「知らないフリはよせ……。お前も薄々感じているだろう……? マナを……、クリスタルを無駄に浪費していると……。人間はあらゆることにマナを使いすぎた……。マナとは生命エネルギー……。使いすぎれば枯渇し、この世界そのものが崩壊してしまう……」
体を起こそうとしている少年に手を貸そうか悩みながら説明していると、少年は突然声を荒らげた。
「だから人間を滅ぼそうって言うのか? 発想が極端だな。このエコテロリストが!」
「人間を滅ぼす……? 馬鹿なことを……。俺はただ、この世界にバランスをもたらそうとしているだけだ……」
そこまで言ってから、自分が魔王であったことを思い出す。人間たちと話し合いが出来ていないので、今の話だけを聞かされたら確かに少年の言う通り、世界を救うために人間を滅ぼそうと企んでいると勘違いされてもしょうがない。それにしてもエコテロリストだなんて表現、やっぱりこの世界の人間ではない。というより、本当に見た目通りの年齢なのだろうか。魔王の肉体に転生させられた前例があるので、もしかしたら目の前のこの英雄も見た目と中身が異なっているのかも知れない。もし僕のように現実世界に帰れる肉体がないのなら懐柔出来るかも。
「俺にはまだやらなければならないことが沢山ある……。だから異世界の英雄よ……。俺を倒そうなどという馬鹿な考えは捨てて、どこかで静かに暮らすが良い……。王国から後を追われても見つからない辺境の地へ案内してやろう……。お前たち四人ともな……。悪い話では無いと思うが……?」
僅かな望みではあったが、平和的な解決を期待して英雄へと提案してみた。結果は残念ながら交渉決裂だった。
「お優しいねぇ。感激のあまり涙が溢れ出しそうだよ。だが、答えはノーだ。お前は、今、ここで倒す!」
『駄目だ! 今はまだ勝ち目がない‼』
急に物陰からナニカが飛び出してきた。ワープしてすぐに探知を行い、四人しか生き物はいないことを確認したはずなのに何故。僕は咄嗟に魔法でそのナニカを拘束しようとしたが、魔法は不発に終わった。少し驚いた僕だったけれど、相手の姿を見て納得した。悪魔を白く塗り替えたような姿。あれが天使か。
「やはりこちらからの干渉は不可能か……。姿はアイツにそっくりだな……」
『魔法が効かなくて残念だったね。安心しなよ。僕も君には干渉出来ない。ルールで禁止されているからね』
天使が僕に対して話しかけてきた。昔に召喚された魔王や英雄とは天使と悪魔の両方が話が出来たと聞いていたので予想はしていたけれど、やはり天使と話をすることは出来るようだ。丁度いい。天使がどんな考えを持って、英雄へどんな指示をしているのか知りたいと思っていたところだ。
僕は天使の方へと顔を向けた。悪魔と同じであれば、わざわざ口に出さなくても僕の尋ねたいことを把握出来るはず。天使からどんな回答がもらえるのか待ったが、その前に倒れていた英雄が立ち上がって僕の顔を正面から見据えた。
「お前は俺が倒す。俺のことを待っている勇二の為にも必ずな‼」
正面に立っている英雄の顔は幼い頃の記憶にある兄さんの顔にそっくりだった。
頭が混乱する。
なんで英雄が子供の頃の兄さんに似ているんだ?
それに、英雄が呼んだ名前は聞き間違いでなければ僕の名前だ。
どういうことだ?
何が起こっている?
僕は何も聞いていないぞ?
「どうした? とどめを刺さないのか? それとも俺に拒否されたのがそんなにショックだったか?」
兄さんの顔をした英雄がそういって挑発してきた。思い返してみれば、声の違いはあるけれど喋り方も兄さんにそっくりだ。
「違うっ‼ なんで……」
なんで兄さんそっくりなんだ?
もしかして、兄さんなのか?
子供の頃の兄さんの姿をした英雄を見て、どうやら僕は油断してしまったらしい。一瞬のスキをついて、英雄は足元の剣を掴むと僕に突進をかましてきた。僕は動揺して避けることが出来ず、剣が脇腹に突き刺さる。瞬間、鋭い痛みがこの体に走る。
「ぐっぅううっ……!」
思わず後退ると、英雄は力尽きてその場に倒れてしまった。痛みを堪えながら思考を巡らせようとするが、あまりのことに考えが追いつかない。天使が必死に呼びかけている英雄を見下ろす。今この場では考えをまとめられない。とりあえず、一度魔王城に連れて行った方がいいだろうか。
『待て! 一度撤退だ! アイツ、なんてことを考えやがったんだ!』
いつの間にか悪魔が僕のそばへと現れていた。今まで見たことがないほど焦っている。だが、このまま撤退するなんて出来ない。英雄に聞きたい事が山のようにある。
『良いから俺の言うことを聞け! 事態は予想よりも遥かに悪い! 天使はお前の兄を騙してお前を殺させるつもりだ!』
僕の味方である悪魔からハッキリと告げられた真実。
英雄は兄さんだった。