1−1:英雄
まぶたを閉じているはずなのに、目の前が真っ白い光で満ちている。俺はゆっくりと目を開けた。何もない空間だ。天井も床もない。あるのはただ延々とした白だけだ。自分がどうやってこの空間にとどまっているのか分からない。もしかしたら、スゴイスピードで落下しているのかも知れないし、宇宙にいるように浮いているのかも知れない。何一つ理解出来ないままでいると、どこからともなく声が聞こえた。
『別世界の英雄よ。この世界をどうか救ってください』
周囲を見回したが、この空間には俺以外何もないのだ。声の主を探したところで見つかるわけがない。別世界の英雄? 一体何のことだ? それにこの世界を救えと言われたって、こんな右も左も上も下も分からない場所でどうすれば良いというのだろう? その疑問に答えるように、また声が聞こえてきた。
『詳しくは天使に尋ねなさい。天使が貴方を助けてくれるでしょう。別世界へ戻る方法も、そして貴方と一緒にいた人間のことも』
その言葉に俺はハッとした。そうだ。俺はさっきまで勇二と一緒にいたはずだ。それに、猛スピードで突っ込んできた車は……
『それでは、別世界の英雄よ。貴方の活躍に期待していますよ』
「待ってくれ! 勇二は? 弟はどこにいるんだ? おい! 待てって‼」
白の空間が徐々に漆黒に覆われていく。俺は無我夢中で体を動かそうとしたが、首から下は見えない何かに縛られているかのように指先一つ動かすことが出来なかった。俺は声の主に呼びかけたが何も返事はなかった。やがて、白が黒に変わり、俺の意識もだんだんと薄れていった。消えゆく意識の中で最後に思ったことは、弟が無事でいるかどうかだけだった。
「おぉっ! そなたが英雄か! よくぞ召喚に応じこの世界へとやって来てくれた! さぁさぁ、もっとこちらへ来てくれぬか‼」
豪華の装飾が施された椅子に座った中年の男性がひざまずいている俺を見て興奮しながらそう言った。男性の服装も椅子やこの広間に負けず劣らず凝っており、何よりその頭上にある王冠にはいくつもの綺麗な宝石が散りばめられていた。あまりにもありがちな王様の格好に俺は笑いをこらえた。そんな俺を咎める声が耳元から聞こえた。
『コラコラ。王様が呼んでいるんだから早く前に進みなよ。冗談でも風貌を笑ったりしちゃいけないからね? 後ろにいる憲兵につまみ出されちゃうよ?』
そう俺に指示を出すのは、三〇センチくらいの小さな人型の生物だ。色白の肌に白衣を身に纏い、背中には鳥のような純白の羽根が生えている。綺麗な顔立ちをしたこの生物、いや人物は自身のことを天使と紹介し、神によって異世界から召喚された俺をサポートすると言った。俺は天使に言われた通りに立ち上がると玉座へ近づいた。座っている王様の隣には大臣や護衛の兵士が背筋を伸ばして立っており、俺のことをジロジロと観察している。この世界を救う為に召喚された英雄が大人ではなく子供とあってはそんな疑いの目を向けるのもしょうがないだろう。俺だってなぜ自分がそんな大役を任されたのか知りたいくらいだ。そんな俺や周囲の疑問など気づいていないかのように、王様は俺へと話しかけてきた。
「そなた、名前は? 齢はいくつだ?」
「優一と言います。年は十八です」
「十八? その割にはちと幼いようだが……」
「はい。この世界に召喚された際に体が小さくなってしまいました。なんでも、これくらいの年頃の方が剣技や魔法の習得に適しているとか。俺の年齢が若返ったのも英雄としてそういった力を手に入れやすくするための神の施しだと聞いています」
王様は面白そうに笑っているが、そばにいた大臣が口を挟んできた。
「聞いているとは一体どこの誰から? 一流の聖職者ですら神のお告げすら聞いたことがないのに、貴殿の身に起きたことが神の御業だと断言出来る人間など、この世界のどこにも……」
「俺にそう伝えた張本人なら今この場にいますよ。もっとも、皆さんには見えないようですし、人間とは言い難いですが」
そう言って視線を俺の横に向けると、俺の肩あたりに浮いている天使が大臣に向かって舌を出していた。当の本人はそんなことなど知らずに周囲を見回している。王様はそれを見て再び笑い声をあげた。
「天使の守護を受けているという報告は本当のようだな! 良い良い! そなたが腰にしているその剣。その剣こそ過去の英雄が手にしていたと言われ、伝説と共に消えたはずの英雄の剣に間違いない! それを手にして現れたそなたを誰が疑おうか‼ のう? 大臣?」
王様の問いかけに大臣は苦々しげな顔をしながら相槌を打った。あの人とはあまり仲良くなれそうにないな。俺がそんなことを思っていると、背後の扉が開く音がした。振り返ると侍女を従えた一人の女性がこちらへと向かってきていた。女性というよりはまだ幼い。恐らく俺と実際の年齢と一つか二つしか違わないはずだ。その女の子は王様と同じように綺羅びやかな衣装を着ており、顔立ちもまるで映画とかに出てくる女優のように美しかった。それまで笑顔だった王様の顔が曇る。女の子が俺の周りをグルグルと歩き回って観察しているのを咎めた。
「これ! この世界を救ってくれる英雄に対して失礼ではないか! やめなさい! オリー‼」
オリーと呼ばれた女の子は回るのをやめて俺の正面に立つと、自分の腰に手を添えながら見下ろして言った。
「こんなガキっぽいヤツが英雄だなんて本当? パパ騙されてない?」
「初対面の相手をガキ呼ばわりする王女様の方がよっぽどガキに見えるけどね」
「あら? もしかしてさっきの言葉が気に触った? それとも図星をつかれて怒ったのかしら? 言っておくけど、アンタみたいなガキにはこれっぽっちも期待していないから。魔王を倒すのはこの私。天才魔法使いのオリビアよ。覚えておきなさい」
俺が返事を言う前に、言いたいことだけ言ってオリビアは広間から出ていってしまった。そこにいた皆があっけにとられている中、玉座に座っていた王様だけがため息を一つついた。
「すまない、英雄よ。娘はまだ世界を知らぬというべきか、自分の魔法の才能に酔っているというべきか。とにかく、アレには私からしっかり言って聞かせておく。今の非礼はそれで許してはくれぬか?」
『王様も大変みたいだね。あんなじゃじゃ馬……失礼。お転婆なお姫様がいたんじゃ、いつか心労で倒れてしまうんじゃないかな?』
「そうだな。……いえ、こちらの話です。構いませんよ。実際、今の俺は英雄の剣を持っただけのただの少年ですから。期待出来ないと言われてもしょうがありません。ですが、必ずや魔王を倒してご覧にいれます」
俺の宣言に広間はざわめきたった。英雄の言葉に期待する人、子供の戯言だと馬鹿にする人。その両方が口々に近くの人と話をしている。大臣と話している王様はどちらだろうか? 顔を見ればどちらか一目瞭然だ。
「よし! 分かった! であれば、我々も国を挙げてそなたを手助けしよう! 蘇った魔王を倒すには北の雪原にある篝火、南の孤島にある鎧、西の洞窟の盾、東の廃墟の兜、そしてそなたの持つ剣が必要だと言われておる! まずはそれらを集めるのだ! 道案内と護衛には最高の人選を用意する! 頼むぞ‼ この世界を魔王の手から救ってくれ‼」
広間からは歓声があがった。俺の言葉よりも王様の言葉の方が皆信用出来るということだ。どちらでも良い。この国の援助がなくても俺は魔王を倒すつもりだったのだから。元の世界に戻るため、そして魔王城に囚われている弟を助け出すためにも復活した魔王を倒さなければならない。
この世界で目覚めると、俺は森の中に一人で立っていた。さっきまで変な空間にいたはずなのになぜこんなところにいるのだろうと混乱している俺の手には、一本の剣が握られていた。本物の剣や刀を見たことはないが、ひと目見て素晴らしい剣だと分かった。刃はまるで一度も使われたことがないかのように刃こぼれもなく、柄には光り輝く宝石のようなモノが埋め込まれている。俺が持っていて良いのだろうかと不安になり、その場に置いて立ち去ろうとすると、それを咎める声が聞こえた。さっきの空間と同じく幻聴か? その割には今回はハッキリと聞こえたけれど……。そう思って俺が顔を横に向けると、そこにはまるで人形のような生物がいた。びっくりして尻もちをつく俺にソイツは自分は天使で神の意思に従い英雄として召喚された俺をサポートすると言った。にわかには信じがたかったが、さきほどの空間で言われたことと一致するし、何より宙に浮いて喋っている姿を目の前で見て信じないわけにはいかなかった。俺は天使からなぜこの世界に呼ばれたのか理由を尋ねた。俺がやってくる数日前、はるか昔にこの世界を滅亡の危機に陥れた魔王が復活したそうだ。魔王を倒すには特別な剣や盾、そして異界の英雄の力が必要になるらしい。その異界の英雄として選ばれたのがどうやら俺のようだ。そこで俺はあることを思い出した。この世界に飛ばされる前に一緒にいた弟の勇二のことだ。俺たち兄弟は車に轢かれたはずだ。俺は異世界に来たことで助かったが勇二はどうなったのだろう? 天使にその話をすると、話しづらそうに答えてくれた。勇二もこの世界に飛ばされてきているらしい。だが、飛ばされた場所が最悪で復活した魔王がいるという魔王城に現在はいるそうだ。それを聞いて早速勇二を助けに行こうとする俺を天使が止めた。神からこの世界を任された時にこの世界の住人や物事に直接関与してはいけないという制約が設けられたらしく、姿を見ることが出来るのは異世界の住人だけらしいのだ。なので、サポートをすると言っても一緒に戦ってくれたり、魔法を使用してくれる訳ではなく、あくまで助言くらいしか出来ないため、まずはこの世界の味方を作るべきだと言われた。魔王を倒せばこの世界での役割を終えて、元の世界に戻れる。そう伝えられた俺は弟を助けて一緒に元の世界に戻るためにも魔王を倒すことを決意したのだった。
まずは南の孤島に向かうべきだろうという賢者ヨーレの言葉に従い、俺とヨーレ、騎士のシュヴァルツの三人は王国から南へと歩を進めた。魔法か何かでパパっと目的地まで飛んでいければ良いのだが、そんな便利なモノはないらしい。当然、俺たち三人は徒歩で孤島近くまで向かい、周辺にある村で舟を借りることにした。舟の移動がある分、他の三つの目的地よりもたどり着くのが面倒くさい。それなのに最初の目的地にここを選んだのには訳がある。一つ目は俺の訓練の為だ。南の孤島までの道中は比較的魔物が少なく、余計な戦闘をせずに移動に集中出来る。英雄とは言えロクに戦ったことがない人間をいきなり本格的な戦闘に参加させるのは命の危険があるし、他の二人の足手まといになるだろうという判断の元、日中は移動を行い、移動前後の朝や夕方に戦闘訓練をすることとなった。シュヴァルツからは剣の扱い方や格闘の基本を、ヨーレからは魔法の仕組みと簡単な魔法を教えてもらっている。習って数日で一通りの基礎をマスター出来たのは驚いたが、天使曰く英雄として能力と年齢による吸収の早さを加味すれば妥当らしい。それに、俺が身につけたのはあくまで基礎だ。剣技を扱わせれば王国で右に出るものはいないシュヴァルツや補助魔法や治癒魔法のスペシャリストであるヨーレにはまだまだ手も足も出ない。だが、素人が戦闘を行えるようになったと考えれば、今はまだ充分だろう。魔王と戦う時にはそんなことは言っていられないが。二つ目の理由は王女オリビアだ。なんと、俺たち三人が魔王討伐の旅に出る前日に侍女や兵たちの目を盗んで城から抜け出し、一人で旅に出てしまったらしい。俺たちが出発の挨拶をしている最中に夜中に王国の南へと向かう女の子の姿を見たという情報が飛び込んできて、それまで心ここにあらずといった様子だった王様から彼女の後を追ってほしいと必死に頼まれたのだ。正直に言えば俺たち三人には関係のない話なのだが、旅を続けるにあたり王国からの援助は必ず必要になる。王様からの依頼を断れるはずがない。それにあんな縋り付くように頼まれては、断ることなど出来なかった。南の孤島に一番近い村で舟の手配をしていると、彼女の目撃情報を入手した。どうやら一足先に孤島へ向かったらしい。魔法で空を飛ぶ姿は優雅だったという話を聞いて、魔法使いというのはずるいなと思った。空を飛ぶ魔法など使用出来ない俺たちは大人しく舟を借りると、水平線の向こうに小さく見える孤島を目指してオールを動かした。
「着いたは良いけど、王女さんが既に鎧を見つけて立ち去っていたらどうする? 俺たちは完全に無駄骨だぜ?」
「その可能性は低いですね。なぜここに鎧があると分かっていながら、王国や冒険者、それに盗賊たちが取りに来ないか分かりますか?」
「面倒くさいから?」
「鎧を守るナニカがいるから?」
「流石ユウイチ殿。ご明察の通り、島へ向かう人間は過去に何人もいるのに対し、島から戻ってきた人間は一人もいないのは、この島には外敵を排除する化け物が住んでいるからだと言われていて、恐らく鎧が悪しきモノに渡らないようにその化け物が守っているのだと考えられます」
そう言ってヨーレが俺の頭を撫でてきた。見た目ほど子供ではないので勘弁してほしい。嫌がる俺を見てシュヴァルツがからかうように笑う。
「良かったな、ちびっこ英雄。お姉さんにナデナデしてもらえて。ま、撫でられてるお前は見た目が子供なだけだし、撫でてる方もお姉さんと呼ぶには少しばかし齢をとっているけどな」
「ふざけたことを言ってないで周囲を警戒してください。いつその化け物が襲ってきてもおかしくないんですよ。それにさっきの答えはなんですか? 面倒くさい? それはただの貴方の感想でしょう」
「そりゃ、ふざけたくもなるって。なんたって舟が壊れちまったんだぜ? 帰る手段がなくなって途方に暮れたら冗談の一つや二つも言いたくなるだろ」
俺たち三人が乗ってきた小舟はこの島にたどり着く直前、岩礁に当たってしまって底に穴が空いてしまった。沈む前になんとか島に上陸することは出来たが、壊れてしまった舟では先程の村まで戻ることは不可能だろう。俺たち三人は砂浜に乗り上げている底に穴の空いた小舟を見つつ、海水に濡れた服の裾を軽く絞りながら途方に暮れていたのだ。
「だいたい、貴方が近いからと言ってあんな進路を取ったのがいけなかったのでしょう?」
「よく言うぜ。力仕事は俺に任せるとか言って、お前はユウイチと楽しくお喋りしていた癖に」
「お喋りではありません。魔法に関する勉強を行っていたんです」
「好きな食べ物や趣味を聞くのが魔法の勉強か? 媚薬を作る前情報を仕入れていたっていうならまだ納得出来るがな?」
「二人共、言い争うのはそろそろやめようか。二人の声を聞いて噂の化け物がこちらへ向かってくるかも知らないよ?」
俺が二人の仲裁をしていると、砂浜の向こうから天使がこちらへ飛んできて、俺に話しかけてきた。もちろん、天使の姿や声は俺にしか知覚出来ない。
『そこまで大きな島ではないね。あっという間にぐるっと海岸を一周できちゃった』
「すまないな。偵察なんかに行ってもらって」
『別に構わないよ。直接助けられない以上、僕に出来ることは限られているから。それと、二人にもう一度注意した方が良いよ』
「どうして?」
『来るよ。島の奥から』
大気が震えるほどの爆音が鳴り響いた。俺、そして言い争いをしていた二人は一斉に島の奥へと顔を向ける。天使の言う通りこの孤島はそこまで大きくはなく、俺のいた世界にあった物で例えるならせいぜい野球場くらいのサイズだ。しかし、海に面した海岸から先はジャングルとなっており、鬱蒼とした木々が島全体を、そしてそこにある何かを覆い隠しているようだった。その何かがこちらへ向かってきている。それを肌で感じとった俺たちは臨戦体勢に入る。すると、ジャングルから一つの人影が飛び出してきた。
「何アレ⁉ あんなのがいるなんて私聞いてない! ……あっ!」
逃げるようにして島の奥から出てきたのは王女のオリビアだった。ひとまず会うことが出来て一安心、と言いたいところだが彼女の焦り具合や汚れた服装を見て、そんな悠長なことを言っていられる余裕がないことはすぐに分かった。ヨーレが軽く一礼をする。
「オリビア王女殿下。お迎えに上がりました。国王陛下がご心配されていらっしゃいますのでお早めにお戻りください」
「ちょっと⁉ 今はそんなこと言ってる場合じゃないでしょ⁉ 私たち全員ここでやられるかも知れないのよ⁉」
「だってよ? どうする? 全滅だけはゴメンだぜ」
「それだけは避けないといけませんね。こうしましょう。貴方が囮になっている間に私がユウイチ殿とオリビア王女を連れて目的の鎧を探し脱出する。犠牲になるのは貴方だけ。どうです? 素晴らしい作戦でしょう?」
「おおよそ賢者らしくもない、ふざけた作戦だな。そんなに俺を排除したいのか? 負傷してもすぐに自分で治療出来るんだから、俺じゃなくてお前が囮でもいいだ……」
シュヴァルツの言葉が言い終わる前にまた爆音が聞こえた。音が聞こえたと同時に俺たちは吹き飛ばされていた。何が起きたのか理解できないまま、海へと落下していく。水面に叩きつけられることを覚悟したが、体に伝わってきたのはまるでクッションに倒れたかのように柔らかな感触だった。目を開けると俺の体は空中に浮いていた。俺だけではない。少し離れたところに飛ばされたシュヴァルツやオリビア、そしていつの間にか杖を手にしていたヨーレも水面から少し上の宙にいて体勢を立て直している。ヨーレの手にした杖が緑色の光を放っており、彼女の魔法で空に浮いているのだと理解した。咄嗟の瞬間に俺たち四人に風の補助魔法をかけるとは流石だ。それにしても一体何が起きたのだろう。俺は島の方へと視線を向ける。二〇メートルほどふっ飛ばされたようだ。先程まで俺たちがいた海岸は大きくえぐれてグチャグチャになっている。そして、その中心、えぐれたクレーターの真ん中には大きなモンスターがいた。モンスターと言うと語弊がある。その姿はまるで金属の巨人だ。全身が金属特有の光沢で覆われており、体には所々蔦が巻き付いている。曲線のまったくない角張った体つきをしていて、屈強な上半身に対して下半身は小さい。全長は恐らく三メートルあるかないかくらいで、直立しているのに地面に手が触れそうなほど両腕が長い。俺の安全を確認しに来たヨーレにアレがなんなのか尋ねる。
「あの鉄の体と長い腕はアイアンゴーレムで間違いありません。私も実物を見るのは初めてです。太古の昔に人間を守るために作られたというアイアンゴーレムがなぜこんなところにいて、人を襲っているのか。私にもさっぱりです」
ヨーレと共に海岸から距離を取り、離れた場所にいる二人と合流する。シュヴァルツは直接ゴーレムの攻撃を喰らったが、攻撃の瞬間に後ろへ飛び退いたことでいくらか衝撃を和らげることが出来たようで軽症で済んでいた。だが、ボコボコに凹んだ彼の鎧と衝撃波だけで他の三人を吹き飛ばしたことを考えると、ゴーレムの攻撃力はかなりの物のようだ。
「アイツ、さっきからずっとこっちを向いてやがる。どうやらターゲットは俺のようだな」
「そうみたいですね。そして、こうして治癒をしているのに何も攻撃をしてこないということは遠距離の攻撃は出来ず、また海の上を渡ったり泳いだりすることも出来ないということです。確か、文献では体全体が密度の高い鉄で出来ている為に海には沈むと書かれていたので、海の上ならまず安全と見て間違いないですね」
「こんな便利な魔法が使えるなら最初から教えろよな。空を飛べるならわざわざあんな小舟を漕ぐ必要なかっただろ」
「残念ですけど、この魔法は時間経過で効果が切れてしまいます。それにマナの消費も激しいので何度も連続で唱えられる物でもありませんし。もう少ししたら魔法の効果が切れてしまいますがどうしますか?」
「そんなの決まってるだろ? ターゲットの俺がアイツを引き付けておくから、その間に鎧を見つけてこんな島からおさらばする。これで万事解決だ」
囮なんてゴメンだと言っていたシュヴァルツが自らそんな提案をする。こともないように言っているが、あのゴーレムを倒すことなど出来ないと見抜いているようだ。ヨーレもその提案を受け入れたので、俺が止めにはいる。
「ちょっと待った。あんな強い敵を相手に一人で注意を引き付けるだなんて自殺行為だ。四人で協力すればなんとかなるんじゃ……」
「アイツが攻撃してきた時、お前やそこの王女さんは反応出来たか? そもそも何が起きたのか分からなかったんじゃないか? ただの突進であの威力だぞ? 俺とコイツの二人だけならまだ応戦出来るかも知れないが、お前たちお荷物二人も抱えた状態じゃ勝ち目はゼロだね」
俺は何も言い返せなかった。あの攻撃が突進であることすら分からなかったのだ。シュヴァルツの言う通り、下手に戦闘に加わっても何の役にも立たないだろう。勝ち気なオリビアは文句のある顔をしているが、本人も実力不足だと分かっているのか口は閉じたままだ。
「お二人に向かってお荷物だなんて、極刑モノですよ」
「いいだろ? どうせ最期になるんだろうから。それに今は確かにお荷物だろうが、これからドンドン強くなっていくさ。何せ英雄なんだからな」
「最期とかそんなこと言うなよ! 何かアイツを倒す方法が……」
「残念ですが、アイアンゴーレムの鉄の体は並大抵の武器を弾きますし、魔法は反射してきます。マグマに弱いと聞いたことはありますが、周囲に火山もないこんな孤島にマグマなんてあるはずありません。今の私たちには打つ手なしですね」
「そういうこと。まぁ、気にするなって。俺やコイツはお前が無事に旅を続けて英雄の装備を手に入れることを目的として旅の仲間に選ばれたんだ。捨て駒になる覚悟は最初からできてる。俺の犠牲で鎧が手に入るなら安いもんだ」
そう言って背中の剣を手にとって構えると、俺の静止も聞かずにシュヴァルツはゴーレムへと向かっていった。ゴーレムが長い右腕を上へとあげると、シュヴァルツの一閃に合わせて振り下ろした。金属同士がぶつかる鈍い音がここまで聞こえる。シュヴァルツは少し体勢を崩しながらもゴーレムから距離をとった。ゴーレムは大きな体をゆっくりとそちらへ進める。ヨーレが俺に話しかけてくる。
「さぁ、行きますよ。彼が注意を引き付けている間に島を探索して鎧を探すんです」
「そんなの無駄」
今まで黙っていたオリビアが急に口を開いた。イライラしているかのように脚を小刻みに動かしている。
「無駄とは?」
「そのままの意味。あの島には鎧なんてなかった。あの島にあるのは獣とあの忌々しいゴーレムだけ。とんだ無駄骨をさせられた挙げ句、あんな化け物と戦わせられるだなんて本当に最悪。こんなんじゃ、英雄が遺したと言われる他の装備も本当に存在するのか疑問だわ」
オリビアの言葉に俺とヨーレは衝撃を受けた。鎧がない? そんな馬鹿な。それじゃあ、俺たちは何のためにここまで来たのか。それに、今必死に戦っているシュヴァルツは何のために犠牲になろうとしているのだろう? こうしている間にもシュヴァルツは時間を稼ごうとゴーレムの攻撃を決死の覚悟で防いでいる。そんな彼の努力も全て無駄だと言うのだろうか? 俺は腰の剣の柄を握りしめた。
『困っているようだね?』
俺は後ろに振り返るといつの間にかそこには天使がいた。いつものように笑みを浮かべている。
「ゴーレムについて、何か知っているのか? どうやったら倒すことが出来る?」
『いやぁ、別に僕はあの魔物のことを知っているわけじゃないよ? でも、動きを見ていればなんとなく倒し方は分かったかな。あの騎士君一人だけでは倒すことは出来ないね』
「俺たちの力があれば倒せるってことか? 教えてくれ! どうすれば良い?」
「コイツ、急に一人で喋りだして何を……」
「静かに。恐らく、天使様と話をしている最中です。邪魔をしてはいけません」
俺の問いかけに天使はもったいぶった表情をする。
『教えても良いけど、確実に倒せるかどうかは分からないよ? それに、失敗したら君の身も危険になる』
「構わない。ここで黙って仲間がやられるのを眺めているくらいだったら、俺は俺に出来ることを全力でやり遂げたい」
『やっぱり君は僕が思った通りの人間だよ。魔王を倒す英雄としての素質に満ち溢れている。オーケー。それじゃあ、僕の考えた倒し方を教えるね。まずあのゴーレムは君たち三人に会うまではそこのじゃじゃ馬王女様を狙っていた。そこまでは大丈夫?』
俺は黙って頷く。ジャングルから聞こえた音や彼女が飛び出してきた際の状況から見て、さっきまで戦っていたのはオリビアで間違いないはずだ。
『それじゃあ、君たち三人と王女様が合流してからターゲットを騎士君に変えたのはなんでだろう? それに、海上に散らばった後も君の方が位置的には近かったのに、騎士君の方をずっと狙っていたよね? それはどうしてかな? 鎧が必要なのは彼ではなく、君の方なのに』
「……つまり、あのゴーレムは魔王に操られているわけではなく、単純に強い相手へ向かっていくように命令されているだけだということか?」
『大正解! どんな方法かは知らないけど、ゴーレムは君たち四人の力を計測してあの騎士君から真っ先に排除すべきだと決めたんだよ。賢者ちゃんの優先度が低いのはおそらく彼女の能力は魔法によるところが大きいからだね。ゴーレムの体は魔法を反射することが出来るから。さて次の質問。優先度の高い騎士君の相手をしている最中に優先度の低い相手が近づいてきたらどうなるでしょうか?』
「そんなの相手との距離にもよるんじゃ……、いや、海の上で近くにいた俺にターゲットが変わらなかったということは、優先度が低い相手が近づいてきても何も反応しない?」
またまた大正解と天使が楽しげに答える。なんとなく天使の作戦が分かった。
「シュヴァルツにターゲットが向いている間に一番優先度が低いであろう俺が近づいて戦闘不能にする。これがお前の考える作戦か?」
『そうだよ。確かにゴーレムの体は並の武器では傷つけることは出来ないけど、君が今手にしている英雄の剣なら恐らく切ることが出来るはず。もちろん、今の君の力では力不足かと思うから賢者ちゃんに身体強化をしてもらう必要はあると思う。それに流石に攻撃を食らったら優先度は跳ね上がると思うから、一撃で仕留めないと反撃を食らうことになるから気をつけてね?』
天使は簡単に言ったが、それをするためにはかなり困難だ。一撃で仕留めろと言われてもどこを狙えば良い? 頭か? 胸か? それに天使の予想が間違っていて、俺の剣が届く前に迎撃される可能性だってある。相手の動きについていけていない俺がその攻撃を捌けるとは思えない。かと言って、このままシュヴァルツが消耗していく様を遠くから見ている訳にもいかないだろう。俺は天使の作戦をヨーレに伝え、身体強化魔法をかけてくれるように頼んだ。作戦の成功率に関して疑問を持っており、このまま島の反対側へ逃げて舟を探すか木を繋げて筏にして島から脱出した方が良いのではと言ってきた。だが、海岸で戦っている様子を見て逃げる準備が整うまで時間を稼ぐことは無理だと判断し、杖に埋め込まれたクリスタルに触れると俺へ魔法をかけた。
俺は強化された身体能力でゴーレムに気づかれないように背後から近づく。天使の言っていた通り、俺のことよりも傷を負っているシュヴァルツの方に集中しているようだ。俺は剣を構えると攻撃のタイミングを図った。見た目は金属だがアレでも生き物だ。生きているなら頭を狙うのがセオリーだろう。次に狙うとしたら胴体、そしてあの長い両腕だ。俺が今使える剣技で一番強力なモノは三連斬り、三箇所へのほぼ同時攻撃だ。それなら、頭、胴体、腕のどちらか一方を狙うしかない。俺はゴーレムの動きから片時も目を離さずに攻撃するスキを待った。右腕を振り上げて、シュヴァルツのガードを崩す。剣は弾かれ、シュヴァルツは衝撃で倒れ込んだ。ゴーレムは力をためているかのように右腕を震わせると、シュヴァルツめがけて振り下ろそうとした。今だ。俺は強化された脚で砂浜を勢い良く蹴り、猛スピードでゴーレムの背後に回るとその勢いを剣に乗せて振った。だが想定外の事態が起きた。ゴーレムが急に振り返ってこちらを向いたのだ。一体なぜ? 疑問が頭に浮かぶがゴーレムの肩越しにシュヴァルツが気を失っていることに気がつく。彼が意識を失ったことで優先順位が俺へと移ったのだ。ゴーレムの右腕が俺めがけて振り下ろされた。先に右腕を、いや、無理だ。俺の剣が届くよりも先にゴーレムの腕が俺に直撃してしまう。万事休すと思われたが、ゴーレムの腕が急に遅くなる。まるで分厚い空気の層が振り下ろすのを邪魔しているかのようだ。理由を確認するのは後だ。今はこのチャンスを逃さないこと。それが重要だ。俺はゴーレムの頭を水平に斬りつけると、そのまま返す刀で胴体を斬り、左腕を根本から切り上げた。そして必死過ぎて自分でも後から気がついたのだが、切り上げた剣をそのまま振り下ろして右腕も切断した。魔法による身体能力の向上と極限状態からくる集中によって三連斬りを四連斬りへと昇華したのだ。崩れていくゴーレムの胴体に何かが埋まっているように見えたが、加速した勢いが止まらずそのまま通り過ぎてしまう。砂浜の上を滑るように減速し、倒れているシュヴァルツのそばでようやく停まる。振り返ってゴーレムがいた場所を見ると三メートルの巨体は消えてなくなり、いくつもの鉄の塊がその場には落ちていた。鉄に混じって鎧のようなモノが落ちているのが見えたが、そんなことよりもあの強力なアイアンゴーレムを倒せたことに驚き、そしてシュヴァルツもまだ出来ていない四連斬りを成功させたことが信じられない気持ちでいっぱいだった。いつも落ち着いているヨーレが手を振りながら砂浜の上を走ってくる。その後ろにはオリビアが杖を持って立っていた。杖のクリスタルが緑の光を放っている。風の障壁でゴーレムの動きを一瞬鈍らせたのは彼女だったようだ。足元でうめき声が聞こえた。俺はひざまずいて一人で戦い、怪我を負ったシュヴァルツの上半身を抱き上げる。ゆっくりとまぶたを開けるとシュヴァルツは残念そうに呟いた。
「せめてかわいい女の子に介抱されたかったぜ」
ひとまず命に別条はなさそうで安心した俺が顔を上げると、目の前に現れた天使が笑顔でピースをしていた。
『おめでとう。これが君の英雄としての第一歩だ。僕は確信したよ。君なら必ず魔王を倒せるとね。これからもよろしく頼むよ、英雄君?』
お読み頂きありがとうございました
後編である弟視点の話は今月中には投稿したいと思いますのでお待ち下さい
以前に別の視点を途中で混ぜる話を投稿しましたが、今回は兄視点を前編、弟視点を後編で分けることにしました
それぞれの視点で一通り話を完結させることで視点主の感情を表現しやすくなるのではないかと思い、そのような構成にしてみました
後編投稿しましたら合わせて見ていただけると幸いです